第12話最強勇者の暴走
鳥が湖畔に降り立ったかのような静けさで、その人は当たり前に森のなかにいた。まるで森と同化してしまったかのように静かな人は――目覚めないはずの最強の勇者イアだ。
引きずっている剣は、イアの痩身には似合わない太さである。刀身の長さからしてイアの身長を上回っており、刃の幅さえも人間の腕の二つ分はあった。
ずるずると引きずられる剣は森の土に線を引きつつ、うずくまっているルファに近付いた。そして、傷を抑えていた手を力任せにむんずと掴む。怪我人に対する気遣いなどまるでない乱暴さに、ルファは悲鳴を上げた。
「伯父さん、離してくれ。離せって!ほねっ、骨が折れる!!」
ぎゃあぎゃあと叫ぶルファだが、傷口が徐々に暖かくなってくるのを感じた。そして、しばらく経てば熱すらも感じなくなっている。ルファが傷を確認すれば、それは綺麗にふさがっていた。
「これが、治癒魔法っていうものなのか……。やっぱり、魔法って便利だよな」
ほっとしているルファだが、それ以外の人間たちは突如として現れたイアの姿に言葉を失っていた。
自分たちの目の前にいる人物の名は、勇者を志したものならば誰もが知っている。その外見でさえ、彼らにとっては尊敬と憧れの的であった。
ぼんやりとして焦点の合っていない瞳とさらさらとした髪の色は、蒼天の色。ほっそりとした体つきに麗しのかんばせ。彼が手に持っているのは、姿をくらませた際に共に消えたという大剣。
最強と呼ばれた勇者イアが失踪時の美しさのままで、そこに立っていた。
「冗談だよな……。これじゃあ、まるで死人が蘇ったみたいじゃないか!」
野盗が叫びながらもイアに向かって剣を振るう。
この場でもっとも危険であり、異質であるイアを早々に始末したい。そんな気持ちが強かったのであろう。
自らに凶器が向かってくるに関わらず、イアは相変わらずぼんやりとしている。夢遊病の患者が、意思もなく出歩いているようだった。
勢いよく振り下ろされた野盗の剣が、イアの身体に触れようとした。
その瞬間に、野盗の胴体は二つに分かれる。多量の血をまき散らして転がる野盗の返り血をたっぷりと浴びたイアは、ゆっくりと生き残りに向かって歩き始める。その歩みですらふらふらとしたものであったが、悪夢そのものが歩いているようにも見えた。
「冗談じゃないぞ……。なんだ、これは。なんなんだ、この化け物は!!」
おぞましい姿となった仲間の死体もそのままに、野盗たちは散り散りなって逃げに行く。死んだ仲間は大剣で切断されており、イアの剣の刃にも証拠の血が滴っていた。問題なのは、切られた瞬間が見えなかったことである。
魔法の力であったのか。
常人では手が届かない領域の剣技であったのか。
なんにせよ、野盗は理解したのだ。自分たちが手に負えるような相手ではない。彼の前から逃げることが最善の行動であるのだと。
逃げる野盗の一人の視界に、青い髪色が映った。悲鳴が上がる前に、その野盗の頭は半分に割れる。惨劇はすでに始まっており、野盗たちの都合で終わらせることは不可能だった。
悲鳴をあげる者や悲鳴すらあげられない者。
彼らは平等に血をまき散らして、森の土の上に横たわる。野盗たちの血を拭うこともせずに、イアは歩き続けた。
そして、シリエの前に立った。
野盗たちが何もできずに切られていく光景に、シリエの足はすくんでいた。修羅場と悲惨な光景を見てきたシリエであっても、イアが生み出した風景は格が違う。
たった一人で、イアは処刑場を作ってしまっていたのだ。
「あっ……そうか。そうなのか」
シリエは、唐突に理解した。
イアは、自分を殺すのだ。
勇者というものに成り切れず、弱い人間すらも守れず、野盗の言葉に心が動かされかけていた自分を殺してくれるのだ。
「最強の勇者イア。あなたに殺されるならば……」
光栄です、とイアは続けようとした。
しかし、その前にルファがイアを羽交い絞めにしていた。野盗の血がルファにもついてしまったが、そんなことは気にしていない。
「伯父さん、ダメだ。やめてくれ。その子は違うんだ!!」
ルファは、イアを捕まえながらも必死に叫んでいた。
イアが動かないのは、ルファに拘束されているからではないだろう。先祖返りのイアには、ルファの拘束など意味をなさない。イアは動かないだけだ。
「その子は、誰かを守りたいけど守れないって言っていたんだ。他人を殺せないなんて、当たり前のことで悩んでいた。シリエは良い子だ。これから真っ当に生きていけるし、自分の道を生きていける!」
その言葉に、シリエは首を振った。
違うと思った。
自分は、もっと汚らしいものだ。野盗の言葉に心を動かされて、一瞬ではあるが彼らと共に行こうかと考えていた。ルファが庇うような人間ではないのだ。
「伯父さん……。今のあんたに心があるなら、シリエは殺さないでくれ」
ルファの懇願に耐え切れなくなったシリエは、力の限り叫んだ。
「殺してくれ。私は目指した勇者にもなれず、そのむなしさを抱えながら野盗に堕ちた彼らと同じだ!野盗たちを殺したならば、私も同じように殺してくれ!!」
その言葉に、ルファは言葉を失った。
シリエが自らを殺してくれと叫ぶとは思わなかったのだろう。
ルファの驚く顔を見て、彼は善良すぎるのだとシリエは笑った。知り合ったばかりのシリエを助けようとしたり、化け物じみた強さを誇るイアを彼女のために止めようとしたり。
彼に力と才能があれば、きっと伯父と同じような勇者になれたことであろう。人々を助けて、伝説にもなった最強の勇者に。
シリエの目の前に、大剣が突き刺さる。自分の首を切ると思った剣は、地面に突き立てられただけだった。
顔を上げたシリエは、イアの瞳から涙が流れるのを見た。雪解け水の清らかさを持つ涙は、丸みを帯びた頬を伝って落ちていく。
最強の勇者と言われ、数多くの悪人やモンスターをイアは屠ってきた。
シリエは、そんな彼の涙の意味を考える。
うらやましいと言われているような気がした。人を殺せないというシリエの人生が、人を殺さなければならなくなったイアにとっては涙するほどうらやましいと感じているのだ。
「あなたは……ずっと望まない勇者としての人生を」
勇者イアは、生まれ故郷で凡庸な人生を送りたかったのだろう。けれども、それは生まれ持った力によって許されなくなった。
伝説的な勇者と唄われたイアでさえ、望みどおりの人生は送れなかった。自分と同じように。
イアの身体が大きくかしいで、ルファは力を込めてそれを支えようとした。
「おもっつ!見た目のわりに、伯父さんがおもっつ!!」
ルファは悲鳴を上げながら、イアの躰を抑えたままで座り込んだ。息切れを起こしているルファを見るに、イアはかなり重かったのだろう。
先祖返りは全身が筋肉で出来ており、その体重は見た目を裏切っている。そんな人間の体重を一般人であるルファが、支え切れるはずもないのだ。
「くそっ。伯父さんの運搬は爬虫類の仕事なんだぞ。何やってるんだよ、あの赤トカゲ!!」
ルファは、力いっぱい叫ぶ。
「ここかぁ!ここなんだな、我の勇者よ!!」
葉っぱをいたるところに付けた男が飛び出してきた。炎色のうねる長髪の男は、鋭い目つきでシリアを睨んだ。見覚えのないたくましい男に睨まれて、シリアは思わずたじろぐ。
「この大食らい爬虫類。食った分ぐらいは、ちゃんと仕事をしろって!!」
ルファは、イアを後ろから抱きかかえたままで叫んだ。一方で、炎色の髪の男も叫ぶ。
「貴様こそ、血縁特権を使って勇者に抱きつくな。勇者は我の卵を産む予定の連れ合いだぞ!」
炎色の男と疲れた顔のルファは、ぎゃあぎゃあと叫ぶ。先に根を上げたのは、ルファだった。イアを支える腕が限界を迎えていたのであろう。
「もういい……。もういいから、伯父さんを運んで川で洗ってこい。その後は、埋葬を手伝え。今回は数が多いんだよ」
ルファは、大きなため息をついた。炎色の髪の男はルファからイアを受け取った途端に上機嫌になって、元は空色だった髪に頬ずりをする。イアがかぶった返り血が、自分の頬に移っても男は気にする素振りも見せなかった。
「早くすませて帰ってこいよ。あと、町の人間には見つかるな」
ルファの忠告に対して、炎色の髪の男は「分かっている」と気のない返事を返した。イアを抱きかかえて嬉しそうだ。
「あの男は誰なんだ……。この死体の山と血を見ても何も言わないなんて」
普通の人間ならば、逃げ出すか吐いているかのどちらかであろう。しかし、炎色の髪の男は、怯えた様子もなかった。
「ああ、あれは爬虫類。店にいた赤トカゲの爬虫類。喋っていたやつ」
ルファの断片的な説明で、シリエは炎色の髪の色男が土鳩にいた喋るトカゲだと理解した。理解はしたが、納得は出来ない。
「な……なんで、トカゲが人間になっているんだ。いや、そもそも爬虫類は喋らないから……」
大混乱を起こすシリエの肩をルファは叩いた。
「あれでも自己申告で邪竜だから、人間にも化けられるんだろ。理屈は知らないけど」
魔法に詳しくないルファは、リーリシアの事を受け入れていた。
正確にいうならば、邪竜と自己申告しているだから人知を超えていて当たり前だろうと考えているのだ。つまり、思考を放棄していた。
「魔法に詳しくないと……ありえないということも受け入れると言うことか。無知は恐ろしい」
勇者としての訓練を受けたシリエは、多くの先祖返りを見ている。だからこそ、人間の魔法の限界も知っていた。イアも規格外だが、リーリシアは存在事態がおかしい。トカゲが人に化けるなど前代未聞である。
「ああ、そうだった。あのトカゲの名前は、リーリシアって言うんだ。名前を呼ばれるのは嫌がるから、トカゲとか爬虫類とか好きなように呼んでやれ」
ルファは、森に隠していたシャベルを取ってきていた。ルファは、イアにシャベルを差し出す。
「ほら、ご遺体を埋めるのを手伝ってくれ。人は殺せなくても遺体には慣れているんだろ」
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