2章「楽器が繋いだ絆」
碧がシフトに入っている日に合わせて、最初のバイトの日を決めた。バイトというものを今までやってこなかったから、少し緊張していた。普通の初めてのバイトよりかは、断然恵まれているのだけど。それでも、緊張しても仕方ないだろう。少し震える手で、工房のドアを開けた。
「おはようございます」
俺が来た頃には、もうほとんどの人が自席に座って、作業を開始していた。どうやら、新庄さんはまだ来ていないみたいだ。
「お、真日那~おはよ! 席、ここだから座って、座って~」
一番奥の席に座っている碧が、そう手招きをした。碧の態度が、いつもと何も変わらないから緊張はすぐに溶けていった。
「あ、でもその前に新庄さんに挨拶を……」
「真日那は真面目だな~もう少ししたら来ると思うぜー」
始業時間は、十時からで今はまだ十五分前。皆、来るの早いんだなぁ。そんなことを思いながら、自分の机周りをぼんやりと眺めつつ新庄さんが来るのを待った。
「おはようございます~!」
十分前になり、元気よく新庄さんが入って来た。
「お、真日那くん! おはよう」
「おはようございます、新庄さん。今日からよろしくお願いします」
「うん、よろしくね。後のことは碧くんに任せているから、あまり緊張せず伸び伸び取り組んでもらえると嬉しいな」
「はい、ありがとうございます」
新庄さんは、そのまま反対側の席に座った。その隣には、博くんがいるがこちらを向く様子はなかった。とことん俺は嫌われているらしい……。
「じゃあ、ひとまず今俺が受け持っている楽器の修復の様子を見てて! 今受け持っているのは、このフレンチ・ホルン」
そう言って、碧が机の上に乗せたのはカタツムリみたいな形をしたホルンという名前の金管楽器。
「ロータリーの回転がぎこちなくなっちゃって、音ずれを起こしやすくなっちゃったみたい。ロータリーっていうのは、ここ!」
ホルンの指を置くレバーの上にある丸いボタンのような箇所を、ロータリーというらしい。普段のメンテナンスを怠ると管の中が錆や汚れ等で固着してしまうと教えてくれた。
「このホルンの持ち主さんは、どうやら試験勉強中で五日ほど使ってなくて、放置しちゃってたみたいなんだ」
そう言いながら碧は、ロータリー部分を手際よく分解していった。碧は普段、大雑把で豪快だから、何だかこんな丁寧に手を動かす姿を見るのは新鮮だ。
「何だよ、その顔?」
「え? 何か変な顔してた?」
「珍しい動物でも見てる感じだったぜ」
「あはは、だって丁寧な碧って珍しいから」
「オレは仕事ではいつもこんな感じです~っと、分解出来た!」
「おぉ……、錆ついてる」
「だろ? こんな状態だから楽器の調子が悪くなるってこと。この錆を薬品を使って落としていくぞ~」
錆がある所に薬品を塗っていくと、綺麗に塊が解けて行っている。数分後、器の中に大量の錆が入っていた。
「こんだけ固まってたら動かなくもなるよなぁ。この後は、組み立てて終了!」
その組み立てが大変そうだな、と感じた。分解は回して行けば取れるような感じがしたけれど、これだけバラバラにしてしまっては、どこに何を戻すのか分からなくなってしまいそうだ。だけど、碧はパパッと元通りにしてみせた。
「どうだ!」
「さすが碧、手慣れてるねぇ」
「まあな~」
得意げに碧は笑った。それから、ちゃんと動くか試してみて問題なさそうであればケースにしまい、持ち主が取りに来るまでレジカウンター横にある棚にしまっておく。
「これで、一連の流れは終わり。まあ、物によっては長い案件のとかもあるけどな。次のお客さんからは、実際に受付と見積から教えるな」
「うん」
こんな間近で、楽器の修理を見たのは初めてだったのだけど、俺に出来るのか少し不安になってしまった。頭を使うのは得意だけど、身体を動かしたり技術が必要なものの成績はいつだって悪かったから。
「不安そうだな」
「不安にもなるよ。人の物を扱うわけだし……」
リペアマンという仕事については、まだよく分からない。だけど、楽器を好きな人のことは嫌というほど知っている。父さんは、俺にも楽器をやって欲しいと言っていたけど、自分の楽器を触らせようとはしなかった。俺が少し、興味を持って触ろうとした時にとても怒られたのを覚えている。当時は理解できなかったけれど、今なら分かる気がした。こんな繊細な楽器を、何をしでかすか分からない子どもになんて触らせることは出来ないだろう。
「その気持ちは、誰もが通る道だな。だけどさ、その分喜びもデカイんだよ」
「喜び?」
「そ! キレーに直したらさ、ありがとうって笑顔で言ってもらえるのが最高に嬉しーんだよ。その言葉を聞けたら、頑張って良かったなーって思えるんだ」
碧はニカッと笑った。うんうんと隣にいた羽月さんも頷いていた。
「その気持ち分かるな~~早く真日那くんにも知ってもらいたい!」
「はい、その言葉をもらえるように頑張ります」
応援してるぞーと新庄さんも言ってくれて、五十嵐さんもニコニコと笑っていた。椿さんも僕のことも頼ってくださいね、と言ってくれた。博くんは、やっぱり何も言ってくれないけれど、気にしてはダメだ。
「おい、博も一言くらい応援してやってもいいんじゃね?」
「碧、別に良いから……」
俺は気にしないようにしているのに、碧はどうも博くんの態度が気に食わないらしく立ち上がって、威嚇した。
「一言って何だよ。言う義理がないね」
「お前な~‼」
「あーもう、二人とも喧嘩しないの。ごめんね、真日那くん」
新庄さんが、困った顔をしてそう謝ってきた。別に、新庄さんが謝る理由などないのに。碧と博くんは、しばらく睨み合った後は何事もなかったかのように仕事に戻った。
それからは、しばらく穏やかな時間が流れた。俺は、碧から基礎を学んだり、色々な楽器の仕組みや歴史について学んだ。
「碧は、本当に楽器の歴史とかそーいうのが好きだよね」
「おう、大好き! 色んな楽器のこと知っていくのチョー楽しいっ!」
キラキラと効果音がつきそうなくらいの笑顔で、碧はそう言った。
そうして、時間は過ぎていき、一度お昼休みを挟んでから午後の業務が始まる。工房内は、常に静かで時折工具を使用する音が聞こえるくらいで、心地の良い空間だと思った。俺は、賑やかな所が苦手なのでこの職場はあっている気がする。皆、自分の仕事に夢中だから必要以上に話しをすることもなさそうだ。そんな穏やかな時間を、一人の来訪者によって崩された——
この工房は、小さな工房なので受付と作業場は同じ所にある。現在、ドアの一番近くにいるのは、椿さんだ。十五時頃、ドアが開いて新規のお客さんが入って来た。
「いらっしゃいませ!」
椿さんが、元気よく挨拶をした。
「あ、椿~真日那にやり方教えたいから代わらせてー」
「分かりました」
椿さんの返事にありがとうございます、と返した。
「じゃあ、行くか」
碧は、作業をしていた手を止めて受付の方を振り向いた。
「理人……?」
ガラリとその場の空気が変わったのが分かった。理人、と名前を呼ばれたお客さんは碧の顔を見ると、みるみると怖い表情になっていった。
「……碧、本当にいた」
「何、お前オレが働いてる所調べてわざわざ嫌味言いに来たのか?」
ピリピリとした空気に耐え切れなくて、俺は新庄さんに目線で訴えてみた。新庄さんも、これは良くない方向へ行きそうだと思ったのか立ち上がった。
「自意識過剰すぎじゃね? 俺は、ここに凄腕のリペアマンがいるって聞いたから来ただけなんだけど?」
「あーそーですか。残念ですけど、その凄腕のリペアマンはもういないんです」
「はいはーい、そこまでね。碧くん、相手が誰であろうと工房に来てくれた人は皆、等しくお客様だよ。仕事に私情を持ち込まない!」
ビシッと優しく新庄さんは、碧を諭して理人と呼ばれたお客様の方を向いた。
「大変失礼いたしました。受付をいたしますので、こちらへどうぞ」
碧が心配だったけれど、仕事を学ばないといけないから俺は新庄さんの後についていった。
「早速ですが、楽器を拝見させていただいても良いでしょうか?」
「……はい。あの、凄腕のリペアマンがいないって言うならリペア担当はあいつにしてください」
そう言って、理人さんは碧を指差した。
「分かりました。彼を呼んできますので、少々お待ちください」
新庄さんが、受付を去ってしまい理人さんと二人になってしまった。何となく気まずい。この人は、碧とどういう関係なのだろうか。仲が悪そうだったのに、碧に担当して欲しいというのは不思議だった。
「何?」
「あ、す、すみません……。あの、碧とはどういったご関係なんですか?」
気になって仕事にならなそうだったので、諦めて聞くことにした。
「……同じ学校に通ってたんだよ。元友達って言うのが正しいかもな」
「元友達……」
友達に終わりがあるというのを考えたことがなかったから、その言葉が引っかかった。
「おい、真日那に余計なこと話すな。お前、オレに担当してもらいたいって何なの? ケチつけてクレームつけたいだけだろ」
「仕事なんだから、文句言わずやれよ」
「まあまあ、二人とも落ち着いて。いったん私情は忘れて、先へ進みましょうか。それで、楽器の症状はどんな感じでしょう?」
新庄さんが、間に入りながらそう言った。二人はまだ、不服そうだったけれど、ひとまずは新庄さんの案に乗ることにしてくれたみたいだ。
「ユーフォニアムなんですけど、この前不良に絡まれた時に傷つけられて凹んじゃったんすよ。これ、直ります?」
そう言って、理人さんはケースから楽器を取り出して机の上に置いた。そのユーフォニアムという楽器は、確かにひどく凹んでしまっていた。午前中に見たホルンは、凹んでいなかったからこれだけ凹んでしまったら、きっと音にもすごく影響が出るのだろうな……というのは、素人の俺にも何となく分かった。
「けっこう凹んでしまってますね……。単純に凹みを直すだけではなく、他の部位の修理も必要になってくる可能性がありますが、それでも平気でしょうか?」
険しい顔をしている碧に変わって、新庄さんがそう聞いた。
「はい、大丈夫です。出来る限り元に戻してくれたら、お金はいくらでも払います」
「分かりました、精一杯務めさせていただきます」
それから、見積を行い納期をお伝えして、受付は終了となった。
その間、碧と理人さんの会話はなかった。
「真日那くん、お見送りお願いね」
「はい」
「オレも行く」
不満そうな顔をしながらも見送りはしたいのか、と増々二人の気持ちが俺には理解出来ない。外まで出ると、なぁと碧が理人さんに声をかけた。
「さっき言ってた、不良に絡まれたって何だよ? それで楽器壊すってありえねぇだろ」
「お前には、関係ない。金は払うんだから、私情持ち込まずにちゃんと直してくれよな、リペアマンさん」
ヒラヒラと手を振って、理人さんは去っていってしまった。そこには、俺たちだけが残されて寂しい風が吹き抜けていった。
「仕事中に、すみませんでした」
工房に戻ってからすぐに、碧は新庄さんに謝りにいった。
「自分がダメなことをしたって分かっているなら、良いよ。でも、これからは気を付けてね。これは皆にも言えることだけど、この工房に訪れる人は誰であろうと皆お客様。仲の良い友達だろうと、仲の悪い人だろうと全て平等に接客するんだよ」
はい! と博くん以外は元気よく返事をした。
「当たり前のこと過ぎるだろ。リペアマンの自覚なさ過ぎ」
ぼそっと小さく放ったその辛辣な言葉は、今の碧には相当堪えたらしくいつもみたいに言い返せないようだった。
「博くん、そんな言い方しないの。ひとまず今日はもう就業時間だから、キリが良い所で皆上がってね~」
新庄さんのその言葉で、もう一日が終わったのかと驚いてしまった。
「真日那くん、初日から大変だったけど仕事の流れは何となく分かったかな?」
「はい、明日からもよろしくお願いします」
「うん、よろしくね。後、碧くんのこと頼んだよ。たぶん、すごく落ち込んでると思うから慰めてあげて」
今、碧は楽器を棚に片付けに行っていて席にはいなかった。
「はい……」
碧にはいつも助けられていたから、ようやく恩返しが出来る時がきたのかもしれない。今まで俺は、落ち込んでいる碧を見たことがなかったから。
「それじゃあ、また明日ね。お疲れ様です」
新庄さんは、そう挨拶をして工房を出て行った。皆も次々に帰って行く。今日は、碧が最後の点検と鍵閉め担当になったので、俺もそれを一緒に行うことになっていた。
しかし、なかなか碧が楽器をしまいに行ってから戻ってこない。
「呼びに行こう」
そう思って立ち上がったと同時くらいに、いつも通りの碧が戻ってきた。
「悪りぃ、お待たせ~さっさと閉めて帰ろうぜ! 教えるからこっち来て~」
「う、うん」
午前中ぶりに明るい碧の声を聞いてほっとしたけれど、どこか違和感がある。
「閉める時には、このチェックリストを使って全部閉めたかどうか確認していきまーす。お客様からの大事な楽器を扱ってるわけだから、閉め忘れあって泥棒に入られたりしたら大変だからな!」
違和感を持ちながらも、碧の後について一つ一つ鍵を閉めていった。
「後は、電源がオフになっているかの確認をして、最後に表ドアの鍵をかけたら終了―」
荷物を持って、電気を消して工房の外へ出た。
「鍵閉めオーケー。前日に閉め担当だった人が、次の日は開け担当だから。鍵は持ち帰ることになるけど、失くさないよーにな」
「うん。今日は、ありがとう碧。明日からもよろしくね」
「おー。じゃあ、オレ今日は寄る所あるから先帰るわー」
じゃあなーと去ろうとする碧の腕を俺は、勢いよく掴んでいた。
「どしたー?」
「用って今日じゃなきゃダメ? 今日はどうしても碧と一緒に帰りたい気分なんだけど……!」
「あーまー別にいつでもいーけど……」
「良かった。じゃあ、一緒に帰ろう」
俺と碧の家はすぐ傍だから、それまでに色々と聞き出すことが出来るだろうと思った。
帰り道、碧が無理をしているのはすぐに分かった。年下で、今日初めて仕事をした俺に、気を遣わせるわけにはいかないとでも思っているのだろう。無理やり、理人さんの話しに持って行かないように午前中のことばかりを話している。碧に楽器の話しをさせたら、永遠にでもしゃべり続けるだろう。
「ホルンってさー楽器の形が面白いんだよな。吹奏楽って大体自由に楽器が選べるんだけど、ホルンにした人に理由聞くと〝形が面白いから〟とか〝可愛いから〟ってのがほとんどなんだよな~」
碧の話しなんて、ほとんど頭に入ってきていない。どうしたものか……と思いながら俺は意を決して碧、と力強く名前を呼んだ。
「な、何だよ急に」
さすがの碧も、いつもと違う俺の声色にびびってくれたみたいだ。
「俺は、理人さんと碧のことについて聞きたい」
真剣な表情でそう伝えれば、碧は困った顔をしてうーんと唸った。
「俺とあいつの話しなんて、つまんねーし気分良いもんでもねーぞ?」
「それでも聞きたい。これから直す楽器の持ち主がせっかく身近な人なら、知らないで楽器に触るより知ってから、直してあげたい。碧が逆の立場ならそう思うでしょ?」
「……まあ、うん。そうだな。じゃあ、立ち話も何だしそこの公園で話すか」
「うん」
それから、俺たちはベンチに座った。碧は自販機でジュースを買ってくれた。ありがとう、とお礼を言って一息ついてから碧はゆっくりと話し始めた。
「理人は、専門学生の一年の時、初めて出来た友達だったんだ。オレの今の趣味の楽器屋巡りはさ、新庄さんきっかけで出来た趣味なんだ」
碧は、中学生になってから工房に籠りきりで高校までその状態が続いた。工房に籠りきりなのは、良くないと新庄さんは思って、リペアマンとしての質を上げるためにも何か別の趣味を作るべきだ、と言われたそうだ。それで出来たのが、楽器屋巡りや音楽鑑賞なのだそうだけど、結局音楽から離れられていないのが碧らしいな、と思った。
「学校の帰りにさ、よく楽器屋を巡るようになったんだ。その時に、理人と出会った。同じ歳くらいの奴が、ユーフォニアムの前で唸ってるものだから気になって話しかけたら、どれを買えばいいか悩んでたみたいで……オレのうんちくを話し始めたら楽しそうに聞いてくれて、オレがおすすめしたユーフォニアムを買ってくれたんだよ」
その帰り道に、話していたら同じ学校だったのを知って、次の日から学校でも良く一緒にいるようになったそうだ。学校帰りには、一緒に楽器屋を巡ったり、ライブやオーケストラを聞きに行ったりと充実した学園生活を送っていたと碧は、懐かしそうに空を見上げて言った。
「その時、一緒に買いに行ったユーフォニアムが今日預けられたユーフォニアムなんだ」
「そんな、思い出深い楽器なのにあんまし良い雰囲気じゃなかったね」
普段の碧からは、想像もできない態度だった。博くんに取る態度とも違う感じ……。博くんと碧は、言い争いをしてはいるが、それは互いにより良い方向へ持って行こうとしている為故で、喧嘩というよりかは衝突という雰囲気だ。だけど、理人さんと碧の会話は完全に喧嘩だった。
「あんな喧嘩越しな碧は初めて見たよ。もしかして、学校での碧はあんな感じだったの?」
「そんなわけねぇーって。あいつ限定だよ。あいつとはさ、喧嘩別れした時もう一生会うことはねぇって、オレは思ってたし会わない為にもオレが、ここで働いてるのとか言ってなかったんだよ」
何で再会しちゃうかなぁー、と碧は深くため息をついた。
「理人はさ、ユーフォを吹くのを続けながら、いつかはユーフォ専門のリペアになるんだって言って勉強も頑張ってたんだ。だけど、一年の終わり頃に父親の借金が理由で両親が離婚しちゃってさ、学校に通えなくなって……。あいつが、学校辞める時にオレに頼んできたことがオレは、どうしても許せなくてさ……」
理人さんが、碧に頼んだことは〝碧のコネでリペアマンにならせてくれ〟というものだったそうだ。
「……それは、困った願いだね。いくら友達だと言っても、理人さんの為にもならないし」
「だろ⁉ あいつの境遇は辛いと思ったけど、その願いだけは聞けねぇって思ってさ……ここの工房の名前出したら勝手に乗り込んで来そうだったし、匠さんも新庄さんも優しいから絶対受け入れそうだし。それが嫌でオレは、工房の名前をあいつに教えなかったんだ」
たぶん、俺が碧の立場だったとしても同じ行動をとっただろうと思った。コネというか息子というだけで、後を継ごうとしている俺が言うのも微妙かもしれないけれど。
「……今、自分も似たようなもんとか思っただろ?」
「バレてる……」
「表情で分かるよ。真日那は、あいつとは違う。匠さんが望んだことだし、真日那自信も匠さんや、工房の皆の為に後を継ぎたいって最終的に思ってくれただろ? あいつは自分が楽する為だけに、オレをダシに使おうとしてたんだよ」
碧が断ったら別に深追いはせずに、それならもうリペアマンになるのは諦めると言ったそうだ。
「結局、あいつにとってリペアマンになるってのはその程度だったってこと」
缶コーヒーをひと口飲んで、碧は寂しく笑った。
「何に全力を出すかは、人それぞれだし、あいつがユーフォ吹くのが好きってんならそっちの道へ行けば良いんじゃねって思った。だから、学校辞める時もこれからもユーフォ楽しめよって言ったんだ。あいつは、何も言わなかったけど風の噂で、オレが二年になる頃にはユーフォも辞めて、音楽なんて全く関係ねぇ職業に就いたってのを聞いてたんだよ」
オレが知ってるあいつの話しは、ここまでと碧は言った。
それ以来、今日初めて理人さんに会ったそうだ。連絡も取っていなかったという。
「理人さんってここが地元なわけじゃないよね?」
「全然違う場所なんだよな……。だから、偶然ってことはねぇからどっかから情報仕入れたんだろうけどさ、理由が分かんねぇ。あいつ、親の借金もあって金銭面困ってたはずなのに、いくらでも払うっていう言葉も引っかかるし……」
碧は深くため息をついた。
「きっと何かしら理由があって、ここまで来てくれたんだよ。それは、悪い理由ではないはず。どうでも良い人にわざわざ時間作ってまで会いに来ないし。こんな辺鄙な場所にさ。あ、楽器に聞けば何か分かるかもしれないね!」
俺のこの不思議な力を使う時が早速きたかもしれない。この力が二人の友情を結び直すきっかけになってくれたら……そんな風に思ってそう提案してみた。
「碧は、このままただ修理して終わりで良い?」
「……そんなことねぇ。全部理由が知りてぇし、あいつの気持ちを理解したい」
「じゃあ、明日ユーフォニアムに聞いてみよう。どのくらい効果があるかは、分からないけど……」
「そう、だな。こんなモヤモヤした気持ちのまま、楽器に触れるのは良くないよな。それでミスしたりしたら、また博に嫌味言われるし……」
どうやら昼間のことが相当堪えているようだ。碧は、大らかで細かいことは気にしないように見えて、意外と繊細なところがあるのだ。割と引きずるタイプなので、明日が少し心配だけど、何かあれば俺がフォローしよう。
「すっかり夜になっちまったな。こんな話し、長々と聞かせて悪りぃな」
「ううん、俺が聞きたかったんだし気にしないで。今日は、ゆっくり休んでね」
「おう、サンキュー」
じゃあ、また明日と手を振って俺たちは別れた。
次の日、俺たちは開け当番なのを上手く利用して、皆が集まりだす一時間前に工房についた。奥の棚にしまってあるユーフォのケースを持って、俺の机の上に置いた。
早くユーフォの声が聞きたくて、電気もつけないまま俺たちは行動に移した。
そっとユーフォに手を触れた。初めての日と同じ、キラキラと煌めく色とりどりの光が、目の前に現れた。その光は碧には見えていなさそうだった。
『初めまして、キミがボクのことを直してくれる人……?』
「うん、まだ見習いだから隣にいる碧の助手としてって感じだけどね」
『アオくんって名前知ってるよ。リヒトと一緒にボクを選んでくれた人だよね。学校を辞めてからも時々、僕を手入れしながらアオくんの話しをしていたよ』
「何て話してたの?」
『アオはすごい奴だって言ってた。すごくて憧れるけど、その分憎くもあったって。嫌いになれたら楽なのに、どうしても嫌いになれないって』
その言葉を聞いて、とても切ない気持ちになった。俺には、碧しか友達がいないから理人さんのその気持ちを完全に理解することは出来ない。だけど、きっとすごく苦しいのだろう。このまま、おしまいにしては絶対にダメだと改めて感じた。
「そっか……。君は理人さんのこと好き?」
『大好きだよ。楽しそうにボクに触れるリヒトが好きだった。一度、ボクを吹かなくなってしまった時期も、メンテナンスだけは変わらずにしてくれていたんだよ。それから、再びボクを吹き始めたリヒトは、前みたいに心から楽しめていなさそうなんだ……』
「それは、悲しいね」
『うん、だからリヒトが抱える物を振り払って、もう一度心から楽しんでボクの音を奏でて欲しい。だから、どうか二人を救ってあげてね』
ユーフォニアムが言う〝二人〟という言葉に強く俺は頷いた。
「ありがとう、約束するよ」
この問題は、二人ともが納得してちゃんと仲直りをしなくてはいけない。そうでないと理人さんは、これからも音楽を楽しめることは出来ないし、碧もモヤモヤを抱えたままになってしまうだろう。理人さんとは、昨日しか会っていないけど悪い人のようには思わなかった。
俺は、そっとユーフォから手を放してふぅと息を吐いた。
「どうだった?」
碧は、俺がユーフォと話している最中は一切口を挟まないでいてくれた。不思議で仕方なかっただろうに……。碧が不思議そうにしているのは、視線から感じていた。
「えーっとね……」
ユーフォから得た情報を伝えると、碧は嬉しそうな恥ずかしそうな何とも言えない表情を見せた。
「マジで、あいつのことが分かんねーー」
「そうかな? 俺は、理人さんは悪い人じゃないって思ったし、今でも楽器も碧のことも好きなんだろうなってのが伝わってきたよ。碧も理人さんと同じ気持ちでしょ?」
碧は一瞬黙ってから、うんと頷いた。
「……そうだな。オレも、理人と仲直りしたい」
「じゃあ、決まりだね。二人が話せる場は俺が何とか作るから、まずはこのユーフォニアムを綺麗に直してあげないとね」
「だなっ! んじゃあ、開けの準備するかー」
うん、と返事をして碧の後を着いていった。開けの作業をしていると、他の皆も出勤してきて、工房は一気に賑やかになった。さっきまで、そこでユーフォと会話をしていたのなんて、嘘かのようだ。
「おはよう、真日那くん。昨日は大丈夫だった?」
碧が席を外したタイミングで、新庄さんがそう聞いてきた。
「はい、もう碧は大丈夫なはずです」
「それなら良かった」
ほっとした顔をして、新庄さんは自分の席へ向かった。
その日の主な業務は凹んだユーフォの修復作業だった。昨日は自分の机周りだけで完結出来たけれど、楽器の凹みには専用の機械を使うようで奥の機械が置いてある部屋へ移動した。
「これが今日まず使う機械で、芯金(しんきん)って名前。これに内側から当てて凹みを直していくんだけど、けっこう忍耐力がいるんだよ……」
碧はそう言いながら、ユーフォを手に持って芯金に入れてゆっくりと回し始めた。ひたすらこれを繰り返すようだ。
「確かに、飽き性の人にはきつそうだね」
「だろ? でも、真日那はこういうの得意そうだし大丈夫だろ。半分までオレがやるけど、その先はやってもらうからな~」
「うん、こういうのはけっこう好きそうだから楽しみ」
俺は、大作業をするよりか細かかったり同じことをずっとするような作業の方が好きだし、たぶん得意だと思う。もしかしたら、案外リペアマンという仕事の内容は、俺に合っているのかもしれないな、と思った。
「よしっ、半分まで出来たから変わるな! まず、楽器はU字になっている部分を右手で抑えて、左手はベルに乗せる感じ。お、出来てる出来てる~」
碧に言われた通りにユーフォを持ち、そのまま芯金にあてた。それから、碧がしていたようにゆっくりと回していく。
「これは、確かに忍耐力がいるし絶対明日筋肉痛になってるよ……」
普段使わない筋肉を使うから、変な風に痛みそうだ。慣れれば、きっと無心で出来てしまうのだろう。碧の倍時間をかけて何とか本体部分の凹みは、だいぶ綺麗に直った。
「専門の機械ってのはすごいねぇ」
「本当だよな。まあ、どうしたって完璧には直せないのが心苦しいけど……。次は、ベルの方の凹みに移るけど、こっちもまた細かい作業になるんだよなー」
参ったなぁ、という顔をしているけど碧は手慣れた感じでベル部分も丁寧に回していった。こちらも、半分まで碧がやってもう半分をやらせてもらった。範囲が小さくなる分、ベルの方が難しく感じた。だけど、凹んでいた所が綺麗に直っていくのが見えるのは気持ちが良いと思った。
「後は午後に、ピストンや抜き差し管周りも確認していこう。だいぶ凹みがデカかったからたぶん、こっちにも影響してると思うんだ。ひとまず昼休憩にしようぜ~」
「うん、楽器はどうすれば良い?」
「一旦しまうからこっち持ってきて~」
「分かった」
そう返事をして、楽器を持ち上げようとしたら、手に上手く力が入らず楽器を落としそうになってしまった。
「あ……っ!」
碧も先に行ってしまっていて、間に合わない……と焦ったけれど寸前で偶々通りかかった博くんが、軽々と受け止めてくれた。
「あ、ありがとう」
「楽器に触れてる時は、もっと集中しろ。人の楽器って分かってんのか?」
博くんに怒られるとつい、身体が縮こまってしまってすぐに言葉が出てこない。
「おい、そんな言い方ないだろ? 真日那は、さっきまで慣れないことして疲れてたんだよ」
「そう思うんならお前が、持ってやれば良かっただろ? 何もわかってねぇ危ない奴から目反らすな」
「碧は悪くないよ。俺が不注意だった、これからはもっと気を付けるから……ごめんなさい」
そう言って、誠意を持って頭を下げれば分かればいいんだよ、とぼそっと呟いて博くんは俺たちの前を去った。博くんとも仲良くなりたいのに、どうしてこうも上手くいかないのだろうか。はぁ、と小さくため息をついた。
「真日那、ごめんな」
「碧が謝る必要はないよ! 俺が不注意だったのはほんとだし」
「いや、オレが楽器仕舞にいけば良かったのもほんとだから……あいつってムカつくけど、正しいことしか言わないんだよなぁ」
悔しそうに碧はそう言った。
「そうだね。俺ももっと頑張らないとね」
「そう気負うなよ」
「うん」
工房は、個人でお昼の時間を決めて一時間休憩を取ることになっている。小さな休憩室が一応あって、そこで食べることも出来るが天気と気温が良い時は、裏庭で食べることの方が多いそうだ。
それから、お昼は仕事と関係のない話しをしながら食べて午後の業務へ取り掛かった。午後は、ピストンや抜き差し管など他の部位のチェックを念入りに行っていった。
「あいつ、ほんとにメンテナンスは続けてたんだな……」
愛おしそうに、ユーフォに触れて碧は微笑んだ。きっと、この二人はしっかりと言葉を交わし合えば仲直りが出来ると思っている。楽器を受け取りに来る時だけでは、たぶん上手くいかない気がする。二人とも素直じゃなさそうだから、昨日みたいに喧嘩越しなってさよならになってしまうかも。それは、どうしても避けたかった。
「碧、修理って今日中に終わりそう?」
「おーこの感じなら終わるー」
「分かった、じゃあ俺から理人さんに連絡入れて良い?」
「頼むわ~」
最後の仕上げ作業までの流れを、しっかりと見て途中はまたやらせてもらったりして理人さんのユーフォの修理は完了した。目の前にあるユーフォは、完璧に跡がなくなりはしなかったけれど、それでも十分綺麗になったし音も問題なさそうだった。人の手と機械によって、あんなにもボロボロだったものが一日経てば綺麗になるというのに驚いた。
「じゃあ、電話してくるね」
「おー」
受付で、理人さんに電話をかけた。呼び出し音が鳴っている間、妙に緊張した。
『もしもし』
「お世話になっております、私、恋蛍楽器修理工房の楠と申します。昨日お預かりしました楽器の修理が完了しましたので、ご連絡をさせていただきました」
『あーどうも。そしたら、明日取りに行っていいっすか?』
「はい、明日ですね。かしこまりました」
『んじゃ、よろしくお願いします』
「はい。あ、あの……っ!」
電話を切られそうになって、俺は慌てて呼び止めた。ここからは、恋蛍楽器修理工房のスタッフとしてではなく、碧の親友として話しかけた。
『まだ何か?』
「えっと、明日受け取りに来られた後ってお時間ありますか? その、もし良かったら何ですけど少し時間いただけませんか? 碧と話しをして欲しいんです」
碧、という名前を出した時、電話越しからも空気が変わったのがすぐに分かった。
『……それは、あいつが望んでいるのか』
「はい、望んでいます」
『分かった。そしたら、お前らの就業時間に合わせていくから』
「ありがとうございます!」
やはり、理人さんは良い人だ。俺は、嬉しくて電話を切ってすぐに碧に伝えた。
「碧、明日理人さんが楽器取りに来るって。その後、時間くれるらしいからちゃんと思っていること伝えよう」
俺がそう言ったら、碧はすごく驚いた顔をした。
「え⁉ そんな段取りまでしてたのか? 真日那ってそんな積極的だったか?」
「碧の為だからだよ。いつも碧には助けられてるから、俺もたまには役に立ちたいんだ」
「ありがとな、真日那。俺だって、いつも真日那の優しさに助けられてるけどな」
そう言って、碧は笑った。
——次の日の夕方
約束通り、理人さんは俺たちの就業時間に合わせて工房を訪れた。修理した楽器を見てもらって、その場で音を出してもらい、問題ないか確認してもらってから会計をする流れだ。
「問題なさそうです」
「良かったです。それでは、会計に移らせていただきますね」
碧は、ここまでは完全に一人のリペアマンとして理人さんに接していた。理人さんも最初訪れた時みたいに、突っかかってはこなかった。会計が終わり、理人さんを外まで見送った。
「理人さん、少しお待ちいただくことになってしまってすみません」
「別に。ベンチ座ってるから終わったら声かけて」
「はい、そではまた後で」
そう声をかけてから、工房の中へ戻った。
「お疲れ様、真日那くん。初めて最初から最後まで見てもらったし、体験もしてもらったけどどうだった?」
新庄さんは、少し不安そうな顔をしながらそう聞いてきた。
「お疲れ様です。大変な仕事だと思いました。ですが、自分に合っているとも思いましたので、これからより一層頑張っていきたいです」
「良かったぁ。初めての仕事って、やっぱ最初が肝心だからさ……ここで、躓かれたらどうしようって不安だったんだ。ほっとしたよ」
「楽器のことももっと知りたくなりました。これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
新庄さんと挨拶を交わしてから、自分の席へと戻った。碧はもう帰り支度を終えていて、少しそわそわしているのが伝わってきた。
「碧、緊張してる?」
「あーなんか、変に緊張してる」
「仲直り出来ると良いね」
「そう、だな。真日那も傍にいてくれるんだよな?」
「うん。邪魔じゃなければ」
「邪魔じゃないし、オレがダメなことしそうになったら止めてくれ」
「りょーかい。でも、きっと大丈夫だよ」
それから、俺たちはお疲れ様でしたーと皆に挨拶をして工房を出た。
「お待たせしました。どこか店とか入ります?」
「いや、ここで良い。それで話しって何?」
理人さんは面倒そうな顔でそう聞いた。碧は、普段見ない真面目な顔で答えた。
「何で、わざわざここに来たのかが知りたいし、理人が学校辞めてからのことをちゃんと聞きたい。誘いを断らなかったってことは、話してくれる気があったからだろ?」
「……あぁ」
理人さんは、そう頷くとゆっくりとここまでの経緯を話してくれた。碧の話しにもあったように、理人さんは学校を辞めてから音楽も辞めてしまっていた。中退して、音楽なんて関係ない別の仕事について、たくさん稼いでいた。お金が必要だったから。大好きな音楽のことは忘れようとして、ただひたすらに働いていた。そんな生活を続けていたら、当然のように身体を壊してしまった。
「それが、去年くらいの話し。もうなんか身体だけじゃなくて、精神的にも病みそうになってたんだよ。その頃には、家の方は落ち着いてきてたから、さすがに心配した母親がもう一度音楽やったら? って提案してきて……。どの面下げて言うんだって感じだろ? 身勝手さには腹が立ったけど、やって良いって言うならやるかってなって、地域の吹奏楽団に入ったんだ」
理人さんは、学校を辞めて、お金がきつくても楽器と音楽周りのものだけは何があっても売らなかった。楽器を吹く所がなくても、ずっとメンテナンスだけは欠かさずやっていた。そうすることで、何とか精神を保てていたのだと言った。
「だから、久々に楽器を吹いてもちゃんと吹けて……あぁ、やっぱり楽しいなと思う反面お前の顔がちらついて腹が立った。メンテナンスしてる時も、お前はこれで飯食ってるんだよなって思うと、正直羨ましかった。何で俺はそっち側の人間になれなかったんだろって」
音楽を嫌いになれたら、ユーフォニアムを手放すことが出来たら、碧を忘れられたら、楽になれるのに。そのどれもが出来なかったと悔しそうに伝えてくれた。
「そんな感じで、めちゃくちゃな感情抱えながら吹奏楽団に通ってた。楽器が壊れた夜はさ酒弱いのに、酔っぱらいたくなって、酔っぱらってフラフラしてたら不良の軍団にぶつかって、楽器もろとも盛大にぶん殴られたんだよ」
ははっ馬鹿だろ? と理人さんは自嘲気味に笑った。碧は黙って聞いていた。
「壊れた楽器を見てさ、またお前のこと思い出した。俺もなりたかったリペアマンになっているお前に、どうせなら直してもらいたいって思った。それで、唯一繋がってたダチに聞いて、ここの工房で働いていることを知ったんだよ」
ずっと、謝りたかったんだ、と理人さんは静かに言葉を紡いだ。
「俺にとって、お前は初めて出来た同じ趣味の友達だったから……あんな風に友達をダシに使うような言い方したくなかった。学校を辞めないといけないのは、どうしようもなくても、あれは言わなくて良かった。あれがなければ、もしかしたら今も普通に友達ではいられたかもしれねーのにさ……」
全部、自分がその場の感情に任せて発した言葉がダメにした。それをずっと後悔していたけれど、自分が招いたことだから連絡なんて出来るはずもなかった。だから、楽器が壊れた時、機会が出来たと喜んでしまったそうだ。
「楽器が大事で、好きなのに壊れたことを喜ぶってありえねぇよな」
「あぁ、ありえない」
ずっと黙っていた碧がさすがに黙っていられなくなったのか、静かに声をあげた。
「お前、めんどくさすぎ。オレにとってもお前は初めて出来た同じ趣味の友達で……。学校辞めるって知った時すげぇ悲しかった。どうにかしてやりたいって思った。でも、出来なくて……」
碧もまた同じように後悔していたのだ。あの時、もっと違う言葉を投げかけていられたら違う未来があったかもしれない、と。
「家庭環境は仕方ない。けど、友達は学校違っても、仕事が違っても、目指す場所が違っても、続けることが出来たのに。あの頃の俺たちには、出来なかったんだよな」
同じ気持ちを抱えていたのに、馬鹿だなと碧は笑った。
「だけどさ、友達って今からでもまたなれるだろ? そう思ったからお前も、わざわざこんな辺鄙な地まで来てくれたんだよな?」
「あぁ、そうだな。どうでもよかったらこんな場所こねーよ」
「だよな!」
そう碧が答えると、二人は声を出して笑い合っていた。これは、仲直りをしたということなのだろう。俺は黙って、二人を見守っていた。羨ましいなと思った。俺には、碧以外に友達と呼べる存在がいないから、友達と喧嘩をしたこともない。喧嘩をして別れてまた友達になるって、すごい。音楽が、楽器が、二人を繋いでくれていたのだ。ひとしきり笑い合った後、理人さんは改めて碧にお礼を伝えていた。
「ユーフォ、直してくれてありがとな。リペアマンってやっぱすげぇな。あんなにボロボロだったのに、ほとんど元通りになってる」
魔法みたいだ、と呟いた。
「まあ、完全に直せないのが悔しいけど。音には影響ねぇからさ。これからも続けるんだろ、ユーフォ」
「もちろん。演奏会やるだろうから、そいつと聞きに来いよ」
「絶対行く! 今度、休みが合う時さまた楽器屋巡ったりもしてぇな」
「おう。また連絡するから。あ、楠さん? も色々とありがとうな。楽器はもちろん、碧とのことも」
「あ、いえ俺は別に何も……。二人が仲直りしてくれたのなら、良かったです」
「真日那が積極的に動いてくれたおかげだよ。俺たちだけじゃ無理だった。ありがとな」
そんな大したことをしていないのに、二人から心からのありがとうを貰うと、何だか恥ずかしかったけれど、嬉しかった。
「じゃあ、今日は帰るけどまた今度ゆっくり会おうぜ」
「おう、またな」
理人さんは、楽器を大事そうに担いで立ち上がった。
理人さんが去ってから、碧の顔を覗き込むと満足そうな顔をしていて、ほっとした。これで、ユーフォニアムとの約束もちゃんと果たすことが出来た。
「良かったね、碧」
「おう。本当にありがとな、真日那。今度何かお礼するから」
「えぇ、そこまでしなくても良いよ?」
「オレがしたいからさせて!」
「碧がそこまで言うなら……」
そんな会話をしながら、工房に戻るとちょうど帰宅しようとする博くんとすれ違った。
「博くんっ!」
気づけば俺は、そう呼び止めてしまっていた。
「何?」
「あ、あの。えっと……」
言いたいことがあって呼び止めた。碧と理人さんを見ていたら、俺も勇気をもらえたのだ。
「あの、博くんは嫌かもしれないけど俺は博くんと友達になりたくて……。明日からも、もっと気を引き締めて仕事に取り組んでいくから、アドバイスとか注意とかもっとして欲しい。それで、俺のことリペアマンとして認めてくれたら友達になって欲しいな」
自分から誰かに友達になりたい、なんて言ったのは初めてだ。碧とは気づいたら友達になっていたから。
「変な奴……。まあ言われなくても腹立つことがあれば言うから」
それだけ言って、博くんは坂を下りて行ってしまった。だけど、その言葉だけでも今は満足だった。
「お前、博と友達になりたいのか?」
「うん、同じ歳だしね。俺はさ、今まで控えめに生きてきたけど、何か碧と理人さん見てたら、もっと積極的に行かないとダメだなーって感じたんだ」
淡々と生きる毎日も悪くはなかった。だけど、この工房に来て少しずつ、自分の中に変化が起きていることに気づいていた。それはきっと、良い変化。
「そっか。まあ、人の交友関係に口出しはしないけどさ~そしたら、オレももう少しあいつと良い関係になれるように頑張りますか」
「碧と博くんは気が合いそうだとは思うけどな」
「そうかー?」
二人とも真面目で、リペアマンとしての誇りがあって、楽器が大好き。これは、まあ工房で働いている人皆に言えることなのだろうけど。俺もいつか、そうなれるのかな。好きな楽器が出来るのだろうか。楽器を通して誰かと繋がれるのだろうか。
そうなれたら良いな、と強く思った。
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