第24話 俺、噛まれる
リオは血走った目で俺をにらみつけてくる。人ひとり丸呑みにできるほどの大口を開けるとまるで火口のようだった。咆哮をあげると、会場そのものが小刻みに振動し、騒がしかった客たちが一気に縮み上がった。
最前列にいた数人の客は逃げ出した。
良い判断だ。リオならこの程度の壁、軽く超えるだろう。
しかし、これがあのリオか?
ケトンの顔を舐め回していたあの、人懐っこいリオなのか?
初めて見る俺にすら、まったく警戒心を見せず、新しい友だちがきた、そんな風に興味津々な目で俺を見てきたあの……。
「リオー!」
リオの後ろから女の声がした。
見ると、両腕を護衛の兵士に掴まれたケトンだった。
叫びながら振りほどこうとするが、彼女の細腕では兵士たちはびくともしない。
「リオ! お願い! 正気に戻って!」
「危ないから下がりなさい!」
ケトンは引きずっていかれ、門は閉められた。
なるほど、なんとなく理解した。どのようにやったのかはわからないが、今のリオは正気を失っている。
おおかた興奮剤のようなものでも使われたのだろう。
『名前はリオです。この研究所の希望ですよ』
ケトンの言っていたことが、頭の中で再生された。
モンスターであっても人間と共存できる。リオはそれを証明しうる存在だったのだ。人間とモンスターのあり方を変えることができるかもしれないんだ。
断じて、個人的な復讐のために利用していいわけがない。
リオは唸り声をあげ、俺にゆっくりと近づいてくる。
俺のことを敵だと思っているのだろうか、それとも餌だと思っているのだろうか。
少なくとも、あのときの少年のような瞳はもうそこにはなかった。
「リオ。俺だ。覚えているか?」
リオの答えは威嚇だった。
「研究所で一回会ったよな?」
いつでも飛びかかれる距離にきた。
俺は両腕を広げた。
「ほら、どうした? 仲良くしようぜ。あー、でも舐めるのだけは勘弁な」
セル=ライトは誰しもが持っている。だがその力には個人差がある。
一般人であれば、その存在はほとんど感じられない。
一流冒険者ともなれば、それは全身に厚手の革ジャンを纏っているほどのものになる。
俺の場合、その日の体調にも左右されるが、厚みが十センチほど。
目には見えないので大体だ。
俺自身は触ることもできない。
だがあらゆるモンスターの攻撃は俺の体に届く前に止まった。
意識を集中すれば、それは放出することもでき、攻撃にも転用できる。
巨大な金塊が突っ込んできたようだった。
セル=ライトがなければ吹っ飛んでいただろう。
いや、俺の右肩から先が無くなるのが先か。
目の前に一本一本が人の腕ほどもある牙が見える。
自慢の牙が通らなかったことにリオは驚いたらしい、噛みつきながらも目玉を俺の方へ向けた。
牙こそ防いでいるのだが、唾液はペットボトルを逆さにしたかのように俺の肩に流れ落ちている。
なぜ牙は通さないのに唾液はかかるんだろう。セル=ライトは攻撃性のものとそうでないものを判別しているのか?
「落ち着け。ほら」
俺は左手でリオの頬をさする。
その行為が、リオを驚かせ、興奮させてしまったらしい。
唸りで俺の横隔膜を震わせたかと思うと、ショベルカーのごとき力で俺の体を高く持ち上げた。
そのまま重力と自分の力を合わせ、地面へと叩きつける。
地面のほうも俺の体に届くことはない。
何度も何度も、俺を打ち付ける。
衝撃こそないものの、あまりに振り回されるので目が回りそうだった。
「すまん、すまん! 驚かせちまったな」
俺は性懲りもなく、頬を撫で続けた。
リオを傷つけたくない。
このまま好きなように暴れさせれば、そのうち疲れるだろうか?
だが、その後どうする?
引き分け、なんて認められるだろうか?
客席からは悲鳴が聞こえている。「誰か止めろ!」「死んでしまうぞ!」どうやら俺を心配する声が多いようだ。
そりゃ一方的に俺がやられているように見えるだろうから、当然だ。
だが、あの王子。
王子が引き分けなんて認めるわけがない。
どちらかが倒れるまで戦う。それがルールだし、徹底してくるはずだ。
その時だ。
俺の右肩に、かつて感じたことのない痛みが走った。
過去に殴られたこともあるが、そんなものの比ではない。
「いだっ!」
意思とは無関係に声が出てしまった。
見ると、牙が肩にめり込んでいた。
なんということだ。セル=ライトを破ったというのか。
何度かA級モンスターと戦闘したが、どのような攻撃も通すことはなかったのに。
叩きつけられるたび、牙は少しずつ少しずつめり込んでくる。
まずい。今のところ致命傷ではないが、このままでは食いちぎられるかもしれない。
俺の体から汗が吹き出した。
「ぐぽぁ!」
リオは奇妙な声をだし、俺を吐き出した。
肩から喉の奥に向けて、軽くセル=ライトを放出したからだ。
セル=ライトは手足からだけではなく、体のどの部分からでも放出できるのである。
「げぇー、げぇー」
リオは喉に何か詰められたとでも思ったのか、必死に吐き出そうとしている。
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