第11話 俺、迷宮へ行く

 近くでよーく見たが、間違いない。

 アレはさっきまで戦っていたミノタウロスをそのまま小さくしたような――おそらくミノタウロスの仔だ。

 気づくと俺はその仔を連れている男に迫っていた。


「オイ、アンタ! それは何だ!?」


 その二十代半ばくらいの若者は、俺の剣幕に小さく悲鳴を上げた。

 こんな温かい日だというのに、冬の木枯らしに吹かれているかのように、歯を鳴らしている。


「こ、こいつは西の迷宮にいたヤツで……」


 この仔の体つきは人間で言えば三歳児くらいか。

 だがミノタウロスは人より体が大きいから、年齢はもっと低いかもしれん。

 つぶらな瞳でこちらを見ている。

 俺はその仔を、男の手から奪い取った。抱きかかえると、小刻みに震えているのがわかった。

 この状況をどこまで理解しているのだろうか。

 男を睨みつけて言った。


「これは、ミノタウロスの仔だな?」

「えっ? ああ。そうだ珍しいだろう?」

「西の迷宮にいたって? さらってきたってのか?」

「あ、ああ。売れば金になると思って……」


 俺はもう一度、冷静に周りを見回した。

 村は木造の民家が十数軒ある程度の小さなものだ。

 半壊しているものがいくつか見える。見える範囲に死傷者はいないようだ。


「あのミノタウロスは、この仔の親じゃないのか? この仔を取り返しにここまで来たんじゃないのか?」

「……」


 男は何か言おうとしたようにも見えたが、声は出ていなかった。


「怪我人は? いるか? これだけ暴れたのになぜいない? 人間を襲うのが目的じゃなかったからじゃないか? 家を壊したのはこの仔を探すためじゃないのか?」

「ま、まさか。ミノタウロスにそんな知能なんて、そんな……」


 男の顔からさらに生気が消えていった。

 目は焦点が定まらず左右に激しく揺れ、どこを見ているのかわからない。

 俺は深い溜め息をついた。


「おかしいと思ったんだよ。迷宮にいるはずのミノタウロスが村を襲うなんてな」


 男はその場に尻をついた。両手で頭を抱えている。

 知らぬ間に俺は大声を出していたらしい。

 会話を聞いていた村人たちが、わらわらと集まってきて周りを囲いだした。


「お前か! お前のせいで俺の家が……!」

「アンタ、どうしてくれんだい!」

「この野郎! 何だってこんなことしやがった!」


 人々は口々に罵声を浴びせだす。俺はミノタウロスの仔を降ろすと、その手を引いてその場を離れた

 俺はまだ腹立たしかったが、あの男に対する処分はこの村の者たちに任せよう。これ以上は俺が踏み込むべき領域ではない。

 流石に私刑リンチまではされないだろうが、下手したら……いやほぼ確実にこの村では暮らしていけないだろう。


 せっかくS級モンスターの討伐に成功したというのに、素直に喜べなくなってしまった。

 いくら暴れたから、いくら依頼があったからとはいえ、我が仔を取り戻すという、親として当然のことをしただけのモンスターをこの手にかけたのだ。

 せめてこの仔を、元の世界へ帰してあげようと思った。


「すまない。西の迷宮とやらはどこにある?」


 男に投げかけられる罵声を背中に、俺は遠巻きに様子を見ていた老人に聞いた。

 手が空いていそうだったし、この歳ならこのあたりのことも詳しかろうと思ったからだ。


 迷宮の位置を聞いた俺は、ここでパームの到着を待つことにした。

 一緒に迷宮に行こうと思う。

 パームはベテランの冒険者だ。きっと俺より迷宮には詳しいだろう。

 俺はこの仔に親の亡骸をもうこれ以上見せたくないから、そしてあの男に対する怒声を聞きたくないから、人気のない村のはずれへと向かった。



 迷宮の中は驚くほど綺麗だった。白い壁にギリシャ神殿のような柱。天井は一体なにでできているのか薄く発光している。

 どこぞの名のある建築家が作ったのだろうか。明るさもあって、とてもここが地下だとは信じられない。


「こいつはすごいね。迷宮というより神殿だ」


 パームも惚れ惚れしたとばかりにため息をもらした。


 だがやはりここは迷宮といわれるだけあって、落とし穴や仕掛けで飛び出す矢などの多数のトラップや、入り組んだ作りで人を惑わす仕掛けがあった。

 案内してくれたのは、なんとミノタウロスの仔だ。

 迷宮に着くやいなや、俺の腕を引き、先導してくれたのだ。

 この仔がいなかったら目的地へ着くのは相当、難航したことだろう。こんなに小さいのにこんなにしっかりしてるって、ミノタウロスってかなり賢いんじゃないだろうか。


 二時間ほどかかっただろうか。たどり着いたその部屋は、おそらくこの仔たち一家が生活していた場所。メインの通路と思わしきところから少し奥へ入ったところにある、二十畳ほどの、ミノタウロスが暮らすにしては小さな部屋だった。

 壺などに備蓄してある食料、動物の毛皮製のラグを敷いた簡単な寝床のようなものがあった。

 その寝床には一匹の雌牛が、すでに息絶えた状態で横たわっていた。


 床には大量の血の水たまり。首の大動脈を引き裂く痛々しい傷跡がある。

 仔ミノタウロスはそれを見つけると駆け寄って、顔を押し付けてキュウキュウと鳴いた。

 まさかひょっとして、この雌牛がこの仔の母親なのか?


 これはあの男がやったのか?

 ただ見つけただけというような口ぶりだったが、嘘だったのか?

 また村へ引き返してぶん殴ってやろうか、という衝動にかられた。

 だが、そんなことをしてもこの仔の両親が生き返るわけでもない。それに俺の力では人間など簡単に殺してしまうだろう。

 そしてあの男は……俺が手を下さずとも、これから生き地獄が待っているはずだ。


「それで……どうしようか?」


 パームが言った。

 憐れむような表情で仔ミノタウロスを見ている。


「どうしようもない。ここに置いていくしかないな」


 モンスター、今は小さいとはいえS級の、だ。

 人と共存はできまい。

 俺はパームと顔を見合わせ、小さくうなずき合うと出口を目指すべく振り返った。


 そんな俺の足を掴む者があった。

 下を見ると、そこにいたのは仔ミノタウロスだ。

 俺のスボンの裾を掴んで、子供がおもちゃをねだるようにキュウーと鳴いている。


「懐かれてしまったみたいだね。連れてくかい?」

「バカ言えパーム。S級モンスターだぞ? 街に入れられるわけがない」

「だけど、この小ささで両親を亡くし、孤独の身だよ。放っておけばたぶん死んでしまうだろう」

「それはそうだが……」


 俺はもう一度、仔ミノタウロスを見た。

 黒真珠を思わせる、濡れて光った瞳で俺を見てくる。もうすでに、俺を信頼しきっているようだ。

 うっ、その目はやめてくれ!


「モンスターでも子供に罪はないだろう?」

「いや、パーム。それはわかるが……やはりモンスターはペットとは違うんだ」

「うん。そこで考えたんだけど、街に連れて行って、専門の施設に預けたらどうかな?」

「施設だと? おいおい、そんなもんがあるなら早く言え」

「そっか。キミは知らなかったか。モンスターを研究する施設があるんだよ」


 研究施設か……。それは嫌な予感がするな。


「研究ってお前まさか、体を切り刻んで解剖とかするんじゃないだろうな?」

「いや、そんなことはしないよ。主に生態を研究してるんだ。モンスターと共存する、そんな変わったことを考えている研究者がいてね。もっとも死んだら解剖もやるかもしれないけど……」

「なるほど。任せるべきかどうか、そもそも預かってくれるかどうかもわからない。ともかくそこに連れていって相談してみるか」


 そんなわけで俺たちはこの仔を連れて帰ることにした。

 俺が懐かれているので、その仔の手を引いてもと来た道を戻る。

 戦果の入った袋は、街までパームに預けることにした。

 なんとなく、少しでもこの仔から遠ざけたかったからだ。

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