第7話 俺、凱旋へ

 が、そのパンチは空をきった。

 確実に顔面をとらえたと思ったんだが、やはり誰かを殴るなんて生まれて初めての俺のへなちょこパンチでは、当たるはずもなかったのだ。


「くっ」


 勢いで体制を崩し、前のめりに倒れそうになるのを必死でこらえた。

 反撃に備え、両手で前面をガードしつつ振り返る。

 が、予想に反し反撃はこなかった。


 腕の隙間から覗いてみると……ゴブリンキングがいない。

 おや? ガードを解いてみれば、地面にはゴブリンキングが倒れていた。


 まただ。

 俺の体から放出されている何か、それが対象にダメージを与えるらしい。

 その力が強すぎて、直接触れずとも致命傷を与えていたようなのだ


「なんて野郎だ……」


 ザエムは青ざめた顔でコーエンを見た。コーエンも生唾を飲み込みゴクリと音をたてた。

 そして二人はまるで猛獣が目の前に現れたかのように、恐れの色が見える顔で俺を見た。


「どうやら勝負は俺たちの勝ちのようだね」


 パームは何か呆れたような表情で言った。


「そういうことにしといてやる」


 ザエムはツバを吐きながら言った。行儀の悪いヤツだ。

 あとなんだ? 『そういうこと』って。潔く負けを認めろ。


「その代わり、ソイツはお前らが持ってけよ?」


 ソイツとはゴブリンキングのことのようだ。


「え? こんなデカいのを持って帰れと?」

「ああ。討伐の証明が必要だからな。魔物によっては体の一部でいいんだが、コイツの場合は特徴がないんでな」


 なるほど。デカい、という点を除けば普通のゴブリンだからな。証明はこの体しかないってことか。


「パーム! す、すまん!」

「ハッハッハ! いいよ! オレも手伝おう。それよりも、だ」


 パームが目線を向ける。俺もそちらを見る。そこには大量のゴブリンがいた。

 キングがやられたというのに、戦意は残っているらしい。好戦的な種族だ。

 俺たち四人を中心に放射状に広がるゴブリン軍は、一番後ろが見えないほどいる。

 この数、こんなものたった四人でどうにかできるものなのだろうか?


 俺の頬に汗が滝のように垂れてきた。動き回ったから、というだけではない。

 その時だ。

 ゴブリン軍の後方、俺たちが来た方角から巨大な鳥が鳴くような声が聞こえた。


 振り返ると、遠くで緑色の高波が発生していた。

 何度も何度も、緑の飛沫が跳ね上がっている。

 近くのゴブリンたちもざわめきだした。


「お、援軍かな?」


 パームがこともなげに言った。

 援軍? 誰が呼んだんだ?

 ま、なんでもいい。助かった。


「さて、我らも合流するとしよう」


 コーエンは波の発生源に向かい、歩を進めた。

 こちら側でも緑の波紋が広がる。水草が浮かぶ古池に石が落ちたかのようだ。

 ザエム、パームもそれに続いていく。

 俺は彼らが後ろから襲われないよう、背中合わせになって後へ睨みをきかせてやった。

 俺の先の戦いを見ていたゴブリンどもは、唸り声を上げつつも踏み込むことには躊躇している。


「見物に来たぜ」


 向かう先には冒険者の一団がいた。その先頭で剣を振るうリーダーらしき男が言った。

 興奮で白目が血走っている。そんな状況でも軽口を叩くのは余裕を見せたいためだろうが、すでに肩で息をしている。


 対するパームたちはまだまだ余力を残しているようだ。表情にも余裕がある。このへんがA級との差なんだろう。

 パームが軽く笑みを浮かべつつ、手を挙げて挨拶した。


「頭はもう潰した。あとは残飯処理だよ」

「了解。さ、野郎ども、小遣い稼ぎといこうや」


 援軍は口々に雄叫びを上げ、さらに力を増したようだ。

 合流さえすれば、もう負けることはないと確信を得たのだ。

 その勢いに気圧されたのはゴブリンたちだ。

 徐々に逃げ出す者も増え始めていた。


「なるべく逃がすなよ。人々を襲うやつもおるだろう」


 とコーエンは言うが、さすがにこの数のゴブリンを、たった十数人では対処しきれなかった。


 どれくらい戦っていただろう。

 俺が空腹を感じ始めた頃、皆が武器を拭き、しまいだした。

 代わりに取り出したのは小さなナイフだ。


「もう誰がどれを倒したかは判別できん。こっからは早いもの勝ちだぞ」


 冒険者たちはそう言うと、我先にとゴブリンの右耳を切り落としている。

 それが討伐の証ってわけか。


「オライリー、俺たちはアレだ」


 パームが指差す方向、そこにはもちろん、キングの巨体が転がっていた。

 ということで二人がかりでこのクソ重い体を持って帰ることになってしまった。

 子供も眠ると重くなる、というが、それがこの巨体となると二人がかりでも重労働であった。


 道中、パームが話しかけてきた。


「にしても、オライリー。君のセル=ライトの力は凄まじいな。触れもせずにゴブリンどもを吹き飛ばしてしまうし、キングの大剣が体に届いてもいなかったよね。ここまでの力はオレも初めて見たよ」

「うん? そのセル=ライトってのはなんだ?」

「おいおい。まさか知らないってのか? 子供でも知ってるだろ?」

「い、いやー、どうかな? 俺の国とは言い方が違うのかも」

「ああ、そういうことか。すまんすまん」


 聞くと俺の異常な防御力や攻撃力はそのセル=ライトによるものらしい。誰しもが持っている、体の内に流れる力の源。いわゆる”気”みてーなもんか?


「おい。お前、オライリーとかいうヤツ。一体なんだって、それだけの負荷をかけられるんだ?」


 少し離れて前を歩いていたコーエンが俺に振り返って言う。

 負荷ってこの脂肪のことか?


「そう言われてもな。俺も好きでやってるわけじゃない」


 妙な静寂が訪れた。

 三人とも、何かを察したとでもいうような真剣な面持ちで俺から目を反らす。

 俺、なんか変なこと言ったか?



 足が棒になり、腕が鉛のようになったころ、ようやくギルドへたどり着いた。討伐の証が認められ、無事に報酬を受取った。

 正確には依頼を受けたコーエンたちから受け取り、それを俺たちが譲り受けた。約束通り全額だ。

 ただし実績は正式に依頼を受けたコーエンたちのものになるらしい。

 俺は当面は金さえ入ればどうでもいい。名誉で腹は膨れねぇからな。


 ゴブリンどもの集落はどうなるのかと聞くと、後に処理班が向かう、とのこと。

 あの大量のゴブリンを片付けるのか、大変なお仕事だ。俺は誰だか知らぬ処理班たちに感謝した。


 ※


 その日はパームの家にお世話になることとなっていた。

 パームの家は、城下町にあった。城から一直線に続く大通りから一本裏に入った場所。さすがいいとこに住んでるな。


 パームの家に限らず、この辺一帯はすべて、白い壁に赤茶の瓦で覆われた三角屋根の古い西洋建築である。

 パームの家は外から見る限り三階建て。さらにその上に屋根裏部屋がありそうだ。

 二人で住むにゃデカい家だ。部屋が余っているというのは嘘ではないらしい。


「おかえり、兄さん」


 ドアを開けると出迎えてくれたのは金髪碧眼の美女だった。

 パームの妹、アマニだ。

 国一番の美女、と聞いていたが、美女の基準は日本と一緒らしい。正直、安堵した。

 パームも一流の彫刻家が掘ったかのような整った顔立ちだったので期待していたが、それ以上だ。国一番という評判は伊達ではなさそうだ。


 瞬きすれば風が起こりそうなほどの長いまつ毛は頭髪と同じく金に輝いている。

 肌は小さなホクロ一つも見当たらない、雪原のような白さで皮膚が薄く、その下の血管がうっすら見えるほどだ。

 身長は日本人から見るとやや高い。170センチくらいだろうか。俺の顎が彼女の頭頂部くらいだ。

 スラッとしたモデルのような体型で、ベニーと比べると大きさはささやかだったが、俺はそちらのほうが好きなのだ。

 これまで水仕事でもしていたのだろう、まくり上げた袖から伸びる白く細やかな腕には水滴がついており、昼の陽の光を受けて溶け始めた氷柱を思わせた。


「アマニ、紹介するよ。こちら冒険者のオライリーだ」


 パームは出会いからここまでを説明してくれた。

 その間、アマニはチラチラとこちらを見てきて、俺と目が合うと頬を赤らめてパッと目を反らす。

 エプロンで濡れた手を拭きだした。その動きは妙に激しい。

 見たことのない奇妙な生き物が来たので緊張しているのだろう。


「はじめまして。オライリーと言います。新居が見つかるまでの間、ご厄介になります」


 俺はペコリと頭を下げた。


「そんな! ご遠慮なさらず、いつまでもいてくだっさって結構ですよ!」


 社交辞令だろうが、気を使えるいい娘さんだ。

 いい妹を持ったな、パームよ。


「ときにオライリー様。冒険者様にしては軽装ですね?」

「アマニ、失礼だぞ。それはオライリーの国の道着だよ。そもそもオライリーはとんでもないセル=ライトで守られてるからな。鎧など必要ないんだ」

「ああ、道着というよりも、これは私の国の服装で……というかアマニさん、様はよしてください。俺など呼び捨てで結構ですよ」

「まさか、こんな立派な冒険者様に対し呼び捨てなどできません!」

「そうだよ、アマニ。あまり堅苦しくしてもね。オライリーもしばらくここに滞在するんだから慣れないと

「そ、そう? 兄さん」

「ところで思い出したんだが、この道着、はるか東方にあるという伝説の国のものではないか? 首に巻いているそれは、いつでも首を吊って死ぬ覚悟がある、という戦士の覚悟の証と聞いたことがある」

「いや、これはネクタイといって、ただの飾りだ」

「なるほど、時代を経て飾りとして残ったのだな? 東方の戦士たちは魔剤と呼ばれる飲み物を飲み、二十四時間続けて戦うこともできたらしい。伝え聞くその戦士たちの服装と似ているぞ。正直に言え、そこから来たのだろう?」

「いや、違う! ……と思う」


 ちょっと方向性は違うが、俺もそんな戦いはしていたような気もする。

 戦士といっても企業戦士だけど。

 にしてもやはりこの格好は目立つようだ。金は入ったし、明日は装備でも買いにいくとするか。


 俺の力は十分に通用することはわかった。なんたって手を触れずに倒せるセル=ライトを持っているんだ。

 しばらくはここで冒険者として生活してみるとしよう。


 その後出されたアマニの料理がまた絶品だった。

 これからこれが食えると思うだけでもう元の世界なんて戻りたくなくなるほどだ。

 ただちょっと量が少ない。

 今後は俺もがんばって稼いで金を入れるから、もうちょっとたくさん作って欲しいかなー、なんて俺は思った。

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