4 破る
ことの発端は一本の電話だった。例によって
「……はい、折塚及です。……はい。……はい。え?ですが、怪談が……。はい。了解しました。」
相手の話は聞こえなかったけど、なんか及さんの顔色が悪い。山歩きしてたら絶滅したニホンオオカミ(の、幽霊)が出ても平然としていたのに。
「あの、電話の相手って……?」
「……簡単に言えば、出資者みたいなもの」
……出資者とかいたのか。
「いたにはいたが、ここ半年くらい音信不通だったから、まあなんというか、死んだと思ってた」
出資も打ち切られてたし。と及さんは付け足した。でも、何らかの理由で音信不通になってて、最近復活したと思えば、喜ばしいことなんじゃないだろうか。
「問題はそこじゃあないんだ。あの人は、数人の研究者を囲っていて。ほぼ全員が重度の研究好きなんだよ。……私も何度か人体実験されかけた。」
「えっ」
「そしてさっきの電話で、研究者たちも住む屋敷への招集命令が、お前も含めて出た」
それってまずいやつでは……。あれ?僕はどうなるんだ?
「……かなり申し訳なく思うが、同行してもらう。できる限り庇うが、期待はするな」
なんかいま、死亡フラグが見えた気がする……。
「大丈夫、お前の目にそれは見えない」
……そういう意味じゃないです。
及さんがばさっと取り出した大きめの紙には、魔法陣みたいなのが書いてあった。その上に乗って、及さんが
「
と唱えると、立ち眩みみたいにくらっとして、気づけばレンガ造りの洋館の前にいた。
「なんで急に横文字になったんですか?」
「西洋魔術専門の奴が開発したんだよ」
行くぞ、と及さんは言ったけど、明らかに行きたくなさそうだ。僕は改めて洋館を見た。赤いレンガ、青い窓枠。なぜか屋根は黒い
玄関ドアには金属製の、星をかたどったノッカーがついていた。及さんはノッカーを使う前にドアを開けた。ドアを開けてすぐに、2階と地下へと続く階段があり、左右には廊下があった。及さんはまっすぐ2階に向かおうとした。でも、それは地下から姿を表したフリルの塊によって阻止された。
「及ちゃんっ!!」
「……見つかった」
その人は素早く及さんに駆け寄って、抱きしめた。僕が
「
その人、導子さんは名残惜しそうに離れて、くるんとこちらを向いた。金髪の巻き毛とスカートのひだが一瞬遅れて揺れる。そして、僕はあることに気づいた。
「えーと、こちらは
導子さんはさっきのが嘘だったかのように、優雅に微笑んだ。
「御機嫌よう、辻村導子ですわ。以後お見知りおきを。」
そう言うと、導子さんはスカートを摘んでお辞儀をした。
「あの……、辻村さん」
「導子と呼んでくださいませ」
間髪入れずに言われた……。
「導子さん、呪われてますよね?」
導子さんは驚いたように緑色の目を見張ると、微笑んだ。
「あら、慧眼ですのね。…わたくし、どうやら呪われてしまったようですの。丁度及ちゃんに頼もうと思っていたところなのです」
及さんが額に手を当て、呻いた。
地下に降りると、左右に廊下が伸びていて、僕たちは右手側の突き当りを左に行ったさらに突き当りの部屋に入った。
「道具は揃っていますわ」
そう言いながら、導子さんはパチンと電気のスイッチを入れた。
「奥の部屋を使ってくださいませ」
部屋の右と奥に扉があって、部屋全体が何かよくわからないものに満ちていた。
床に散乱するものたちを避けて、奥の扉を開けると、何もない空間があった。
及さんは一旦扉を閉めると、振り返って
「邪魔になるから入らないように」
と言った。仕方がないので、導子さんからソファーを借りた。
「あの…、導子さんって、及さんの古い知り合い…とかですか?」
「
導子さんは空中から取り出したポットでカップに紅茶を注ぎながら言った。魔法かなにかだろう。
「今でこそあの様ですけれど、昔は本当に可愛らしかったのですよ。……囮くんも可愛らしいのですけれど、ね。」
「…?なんで、今、囮さんが?」
僕があれ?と首を
「及ちゃんから聞いていないのですか?今は、及ちゃんと囮くんは、姿が入れ替わっているのですよ」
ああ、なんか最初に及さんが言っていたような…。入れ替わっている、ってつまりどういうことだ?
「つまり、今の及ちゃんの見た目が囮くんで、囮くんの見た目が及ちゃん、ということですわ。……この程度なら、及ちゃんでなくともわかりますわ」
入れ替わって……って本当にそういう意味だったのか。……複雑すぎる。深くは考えるまい。
「あ、あと、そういえば及さんって、何才なんですか?」
「そうですね、空白期間を除いて、23才ですわね」
ん?いま、なんか、え?23才?
「えっと……、及さんが、ですよね?」
「ええ。薬間くんより9歳年上ですわ。身長についてはあまり聞かないであげてくださいませ。気にしているようですから」
及さんって、成人してたんだ……。僕より2〜3㎝くらい身長低いのに。と、バン、とドアが開いた。
「聞こえているぞ、薬間、導子」
「あら、うふふ……。聞かれてしまったわ、このお話は止めにしましょう」
「あと薬間、その紅茶は飲むなよ。しれっと毒を入れるのは止めろ」
「え!?」
驚いて導子さんを見ると、導子さんは頬に手を当て、小首をかしげた。
「あら、薬間くんに盛ろうとしたわけではないわ。それに、致死性なんて皆無だもの、少しくらい大丈夫でしょう?」
「薬間には…ってことは、誰に飲ませるつもりだったんだ?それに、何の毒なのか?」
あれ、なんか及さんの表情がこわばり始めたんだけど…。
「毒だなんて、人聞きの悪い。ただの睡眠薬よ。使うのは、まぁ、わたくしではないわね」
及さんは、額に手を当てると、大きくため息を吐いた。
「まったく…。準備完了だ、さっさと終わらせるぞ」
部屋の中は、さっきとは様変わりしていた。床いっぱいに描かれた魔法陣は、壁さえ侵食している。部屋の四隅には、竹らしき謎の植物が置いてある。陣の中心には、箱に入った目のような模様があり、瞳の部分に鏡があった。
「鏡を持って、陣の中央に立って。それから、カンペ出すから詠唱して」
そして、及さんからスケッチブックを手渡された。
「呪い破りの呪文(被呪者)のところ開いて」
パラパラとスケッチブックをめくると、最後の方に【呪い破りの呪文(被呪者)】があった。
……途中に【アメフラシ呪文】とかあったんだけど、気の所為かな。
【呪い破りの呪文(被呪者)】のページを導子さんに向ける。
「えぇと、大いなる光よ、我が身に影を落とす者を祓い給え。大いなる闇よ、其が眷属を依代へと移し給え。」
導子さんが呪文を唱えると、陣を白と黒の線が駆け巡った。なんかマーブル模様みたいな感じだ。外枠をぐるりと一周した線は、一瞬動きを止めると、中心へ――導子さんのほうへと走った。
その時だ。
パン、と高い音がして、鏡に細かいヒビが入った。
導子さんも僕もびっくりしたけど、及さんだけ平然としていた。
「呪い破り完了だ。その鏡を渡せ。……処理をする」
及さんはそう言って、鏡を持ち、おもむろにかじった。
かじった!?
「えっ!?ちょっっ!?何やってるんですか!?」
「何って、食べてる。うぅん、これ味が悪いな」
味の話ですか!?鏡、粉々になってるんですけど、普通、口の中切りません?
「うぇ、口切った」
ですよね。
「あら、薬間くんには言ってないのかしら。及ちゃん、実は基礎の霊力とか魔力といったものが専門家としては少ないの。だから、体力勝負の呪具を使ったり、呪いや幽霊を食べたりして底上げしているのよ」
「えっ、そんなの大丈夫なんですか?」
及さんはもぐもぐと鏡をかじりながら、
「自分より格下のやつしか食ってないし、体力はむしろ余っているからな。問題ない」
と言った。いや、鏡である必要性……。
「及ちゃん、報酬は何がいいかしら?」
「そうだな…。あぁ、薬間にお守りか何かを持たせたいのだが、あいにく呪物しかなくてね。流石に人間に呪物を持たせるのはまずいだろ?」
導子さんは、考え込むように『考える人』のポーズをすると、しばらくして、何かを思いついたように何かよくわからないものの山を漁り始めた。
しばらくごそごそと山を掘っていたが、突然紐状の何かを取り出した。
「これなんかどうかしら?」
導子さんの手にあるのは、銀製のチェーンのようなものだった。
そして、僕の手を取る。
「これを、こうして……」
チェーンを緩く手首に巻き付ける。
「こうしたら、いざというときに取り出せるでしょう?使い方は簡単よ。文字通り肌身離さず持っておくだけ。他の人を守りたい時は、ほどいて輪にして中に入ること。わかったかしら?」
「……はい。でもいいんですか?及さん」
「今は特に欲しいものがないしな。折角の機会を逃すよりずっといい」
なるほどと納得していると、導子さんが少し離れた所から笑っているのに気づいた。
「……?どうしたんですか?」
「ああ、いえ、大したことではないのですけれど、手首に銀チェーン巻くのって、何だか厨二病ですわね」
「えぇっ!?」
愕然とすると、及さんがそっと肩をすくめて、
「ゴシックロリータと張り合いにはならないさ」
とこっそり言った。
「正式名称は守り鎖ですわ。それを持っていても、心の隙が命取りになることに変わりはありません。油断なきように。……それと及ちゃん、今日は勘弁してあげますが、次は……、分かっていますね?」
及さんが「う」と声を漏らした。
導子さんの呪い破りも無事終わり、一階に戻ってきた。
「一体、何なんですかね、導子さんって……。」
「うちの一族の傍系」
今なんか、凄いことをさらっと言われたような……。
「……2階。上がるか」
「声のトーンめちゃくちゃ低くないですか!?」
あと心なしか空気が重たい。擬音で言うと、ずおーん、みたいな感じだ。
及さんが意を決したように、階段を1段上がった。
が、そこで動きが止まる。
「及さん?」
及さんは、ぎこちなくこちらを向いて、
「行きたくないんだよ。あの人、霊障とか全然関係ないから、超級ものの呪物が所々にあるんだ」
及さんが気を重くするほどの呪物って、一体。
「……行くぞ」
及さんがこの前の神社の階段の3倍くらいの時間をかけて、階段を登り始めた。
階段の先には、重厚な木製のドアがあった。及さんがノックをすると、ゴン、と重い音がした。
「及だ」
一瞬の間があって、「入りなさい」と声が聞こえた。
ギギギ、と音を立てながら開いたドアの向こう側には、壁一面に広がる大きな本棚と、それでも入りきれず積み上がった本の塔と、大きな窓の前の大きな机と椅子に座る人物、そして。
大量のなにかの気配。
つられたように。
心がざわざわとする。
心の奥に、薄い皮の向こう側に何かがある。
突き破ってこちらに出てこようとする感触がある。
「薬間」
及さんの声にはっとした。
……今のは一体。
もう先程の気配は無い。
「油断なきよう、と言われただろう?」
及さんへ目を向ける。と同時に、椅子に座った人物が、こちらを見ているのに気づく。
その顔を見て、僕は本当にびっくりしたのだ。
「乍雲おじさん!?」
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