yonige『さよならアイデンティティー』――5
最後の曲は、『さよならアイデンティティー』。私たちの終幕にふさわしい曲だった。嫌なことも、つらかったことも、全部を含めて思い出だった。そんな気持ちで、指を動かし、コーラスを歌った。有紗とこうしてハモれるのも、これで最後だ。
最後の一音は、三人でめいっぱい鳴らした。私は客席に背を向けて、二人の見える位置でベースを鳴らした。のんちゃんは楽しそうにシンバルを鳴らして、有紗も泣き笑いでコードを弾く。
あと一瞬。あと一瞬で、終わってしまう。
のんちゃんがスティックを振りかぶり、最後の一音が鳴って、伸びて、伸びて、
曲が、終わった。
静かになった。
照明も落ちて、真っ暗。
あとは、ステージから降りるだけ。
私たちの役目は、終わった。アンコールの曲も、用意していない。すっぱり終わろう、と有紗が言ったから。大雨の中で傘をさしているみたいな、拍手と大喝采。泣きそうになりながら、ベースのボリュームを落とした時。
手拍子が聞こえた。
最初は一つ。次に二つ。ひとところから始まった波は、やがて会場全体に広がっていく。みんなの手拍子が、そろって、会場中に響き渡る。驚いて、客席の方を見た。みんなこれで終わりにさせる気はないようだった。じっと私たちの方を見て、手を打っている。
「ああ、もう。やってくれるなあ」
有紗が涙を拭った。
手拍子は、いつまでもいつまでも続く。私はそっとベースのボリュームを上げる。
最初に弾いたのは、私だった。
初めて出た時から、最後まで。一度も欠かさずに演奏した曲。旋律は、思い出すまでもなく指が覚えていた。今日だって演奏した曲だ。このアーティストの、おそらく一番有名な曲。
手拍子が、ベースのリズムと重なっていく。
私はのんちゃんの方を見た。びっくりしていたのんちゃんは、私が頷くと、スティックを構えなおして、ハイハットを開いた。
ベースにドラムが混ざっていく。何度も練習したイントロが、延々と響く。
有紗も覚悟を決めたようで、カポタストを外した。ピックが振り降ろされ、ベースと同じ四つのコードが鳴る。
ベース、ドラム、ギター。必要最低限で構成されるからこそ、スリーピースバンドは、各々の楽器の魅力が最大限に引き立つ。
「もう少しだけ、わいわいしましょう!」
有紗がマイクに向かって叫んだ。目は泣き濡れていたけれど、満面の笑顔だった。
どれだけ楽しい時間にも、いつかは終わりが来る。
アンコールを最後まで弾き切って、みんなで集合写真を撮って、ライブはお開きになった。片付けをみんなでやった。同期たちが采配をするのも、これで終わりだ。すっかり忘れている片付けの手順を必死に思い出しつつ、なんとか時間ぎりぎりに片付けを済ませることができた。
「いやあ、これでやっと成仏できるね」
有紗の顔はさっぱりしていた。「やっと終わったね、あたしたちの青春。長かったなあ」
「空白もたくさんあったから、仕方ないね」
のんちゃんの笑顔は、少し寂しげだ。
「でも、この代でいられてよかったよ」
私が言うと、「本当にね!」「みんないい子だからなー」と、二人も同意してくれた。
サークル棟のぼろぼろの階段を降りるのも、これで最後なのだろう。そう思うと、重たいベースを背負って踏み出す一歩一歩すら愛しかった。扉をくぐる。みんな別れが惜しいのか、たくさんの人が入り口にたむろっていた。この後、どうせ飲み会あるのになあ。でも、後輩たちと話せる機会は、確かにこれで終わりだ。
「ふみさぁん、大好きい」
志乃はずっと泣きどおしだ。「志乃もがんばったね。お疲れ」と、私はめいっぱい志乃を甘やかす。私たちの次の代は、人数が多いぶん統率が大変そうだった。コロナもまだまだ佳境にあり、決断の責任は重かっただろう。「わあぁまたそういうこと言うんだからあ」と志乃が子どもみたいに泣きじゃくる。
有紗と、のんちゃんと、私と。三人でかわるがわる志乃を慰めていた時。
見慣れたギターケースが、横を通り過ぎた。
私はそれを、思わず目で追う。「行ってきな」と、有紗が背中を押してくれる。
「がんばれ」
そう言ったのんちゃんと目が合って、私は覚悟を決めた。
「花岡!」
彼はゆっくりと振り向いた。きょとんとした目がこちらを見ている。
私は大きく声を振り絞った。
「まだ、間に合う?」
花岡は数度瞬きをして、おもむろにこちらに近づいて来た。何をされるのかと思ったら、彼は公衆の面前で、私の身体に手をまわした。
きゃあ、とのんちゃんと志乃が両手を合わせるのが見えた。
「おかえり」
花岡の体温を感じながら、私は泣きそうになる。
私は彼の首にぎゅっとしがみついた。
「ただいま」
もうすぐ桜が散って、美しくもない季節が来る。
スリーピースガールズバンド 澄田ゆきこ @lakesnow
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