yonige『さよならアイデンティティー』――4

 追いコン二日目。私の出演は、弾き語りとミセス、yonige。

 私はなんと弾き語りの初っ端になってしまった。緊張でがちがちな私を、「がんばれ」とのんちゃんが応援してくれた。

「見えるとこにいるから! ね!」

「授業参観のお母さんか」

「ほら、とにかく行ってらっしゃい! PA待ってるんだから」

 有紗が強く背中を叩く。ばん、と派手な音が鳴った。

 ステージの上からは色々なものが見えた。約束通り最前列ののんちゃんと、すぐ隣の有紗と志乃。志乃は私が小さく手を振ると、倍ぐらいの動きで激しく降り返してくれた。ちょっと遠くに千葉くんと同期男子ズ。PA卓には、花岡。

 懐かしい光景だった。現役の頃に戻ったみたいだ。

「SE上がって下がったら初めてください」

 花岡の声。BGMの音量が下がって、照明が少しずつ暗くなる。

「どうも、お久しぶりです。秋田文緒です」

 あの頃と変わらない金髪。変わったのは、一人で舞台に立っていること。他にも色々。

 短い挨拶をして、私は深呼吸をする。大丈夫。だって私は、外のステージにだって出た。あの時よりはずっと優しい環境だ。自分に言い聞かせる。


 最終ブロック。最初は千葉くんと花岡がいるドロス。モッシュが起こるほど盛り上がって、客席でみんながもみくちゃになる。

 千葉くんと花岡が、他のメンバーとハイタッチをして、他のメンバーがステージから降りていく。

 次はミセス。私と有紗とのんちゃんが、ステージに上がる。五人での演奏はにぎやかで楽しい。花岡はやっぱり声の伸びがよくなった。ひょっとしたら、コロナで何もできない間も、一人で練習をしていたのかもしれない。

「ギター、千葉淳介!」

「キーボード、倉持有紗!」

「ドラム、萩島のどか!」

「ベース、秋田文緒!」

 いっちょまえにソロ回しなんかできるようになっちゃって。うきうきしながらベースを弾いた。のんちゃんはハイテンションが演奏に出て、ちょっと走った。リードギターの千葉くんは必死だ。その姿すら楽しそうだった。

 演奏もパフォーマンスも上手くなった花岡は、やっぱり、MCだけは最後まで下手なままだった。

 最後の一音。みんなががちゃがちゃ音を鳴らして、のんちゃんがスティックを振りかぶって、最後の音がそろった。

 鳴りやまない拍手の中。照明が明るくなる。

「大トリ、頼んだぞ」

「がんばって」

 千葉くんと花岡が、各々にハイタッチをして、ステージを降りる。この二人はこれで最後だ。

 ラスト。有紗のキーボードとギターをとりかえて、セッティングが始まる。スリーピース特有の、広々としたステージ。有紗の準備が終わって、一度全体で合わせて確認をすると、ステージが徐々に暗くなる。

 最前列に、千葉くんと、花岡、志乃の姿が見えた。

 最初に有紗がギターのコードをひと鳴らし。それに合わせて私もベースを弾く。有紗がマイクに顔を近づけた。

「みなさん、お久しぶりですー! 覚えてますか、忘れてませんかあ!」

「待ってたぞ‼」

 マイクを通さなくてもよく聞こえる、大きな声は、千葉くん。

「今日のラスト、盛り上がっていってください‼」

 コードが静かになって、三人で目を合わせた。


 私たちは走り切った。全力疾走だった。夢中だった。息切れするほど全力で、演奏をした。苦しい。指が痛い。だけどすごく、楽しい。

 三曲目が終わる頃には、全身が汗だくになっていた。腕で額の汗をぬぐう。有紗が「ありがとうございます」と言うと、大きな拍手が起こった。

 すう、と有紗が息を吸う音がした。

「あたしたちは、今までたくさん、悔しい思いをしてきました」

 しん、と会場が静かになる。みんな有紗の声に聞き入っているのがわかる。

「新歓本祭と、文化祭の、大きなステージ。絆を深めるはずだった合宿。そういう大きなイベントどころか、日ごろの活動もほとんどできませんでした。……あたしたちが代替わりをして執行代になった時、みんな、緊張していたけど、一生懸命みんなを引っ張っていこう、いいサークルにしていこうって、すごく意気込んでた。先輩たちが与えてくれた以上のものを、後輩のみんなにも与えてあげたい。そう思ってた。だけどみんな、コロナに奪われてしまった。誰のことも憎めない。だって、誰かが悪いわけじゃないんだもん。つらいのはみんな一緒で、だからこそ、本当に、本当に、やるせなかった」

 有紗の声が、少し潤んでいる。

「自分本位なことも言わせてもらうとね、先輩たちが当たり前にできたことをできないのって、すごく悔しかったし、悲しかった。あたしたちだって当然できると思ってたから。当時は、今よりずっとコロナを警戒していた時だったし、ライブもほとんどできなかった。正直なところ、次の代になって活動再開し始めた時、あたし、後輩が羨ましくて仕方なかった。嫉妬もした。もっとあたしたちだって色々できたんじゃないかって、あたしの判断は間違ってたんじゃないかって、寝れないほど悩んだ。できることなら、もっとステージに立ちたかった。もっとみんなと演奏したかった。思い出を作りたかった。その悔しさは、この後もずっと、消えないと思う」

 だけど。そう言う声が、震えを伴って、会場中に広がっていく。有紗の目からこぼれた涙が、ライトを反射してきらりと光った。

「こうやって最後にステージに立てて、あたしは今、めちゃくちゃ幸せです。後輩のみなさん。最後に舞台に立つ機会をくれて、本当に本当に、ありがとう」

 有紗と一緒に、私も、のんちゃんも頭を下げた。同期たちもそろって頭を下げる。優しい拍手が会場中を包み込んだ。拍手をしてくれている後輩の中には、私たちの関わらなかった代もいた。全く接点がないのに、足を運んでくれ、準備まで手伝ってくれた子たち。

 まだまだこのサークルは安泰だ。

「じゃあ、水飲むんで、一回ふみに代わります。ふみ、よろしく」

 バトンを受け取る。有紗がペットボトルのキャップを開けるのが見える。

「えーっと、話すのあんまり得意じゃないんで、手短に」

 マイクの向こうに、人が見える。一人一人に目を合わせた。花岡とも、しっかり目が合った。

「みんな、大好きです」

 口笛。歓声。拍手。全部の音があったかい。ふみさん、ずるいですよお、と志乃が泣いている。

「のんちゃんは? 何か言い残したことは」

「えー、わたしい?」

 のんちゃんが照れ笑いをしながら、ドラムマイクに手を伸ばす。ドラムマイク横にあるから、みんなの方向けないのやだなあ、とぶつぶつ言う声が聞こえる。

「えっとね。わたしが言いたいことは、他のみんなが大体言ってくれちゃったんだよね。この場を作ってくれた後輩たちには本当に感謝しかないです。ありがとう」

 のんちゃんはもう一度、ぺこりと頭を下げる。

「ずっとライブできなかったから。こうやってライブができることが、本当、夢のようで……最高でした。ありがとうございました」

 のんちゃんは早口で言って、恥ずかしそうに有紗に目配せをした。

 有紗はもう準備が終わっていた。有紗の目が真っ赤なのが、薄暗いライトの下でもよくわかった。

「ありがとう以上の言葉で、感謝を伝えられないのが、悔しいので。ここからは、演奏で、がんばって伝えます」

 途切れ途切れに言って、有紗がカポタストをつける。深呼吸が震えていた。

 次の曲は、有紗のギターと歌から。しばらくドラムとベースはお休み。

 これだけ泣いていて、まともに歌えるんだろうか。有紗が歌いだしてすぐ、その心配が杞憂だったと気づく。

 ――さよならバイバイサンキュー 今日までずっとありがとう

 有紗の声はまっすぐに耳に届いた。安心で肩の力がゆるんだ。さすが、我らがエースだ。私はベースの弦に指を置く。

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