Su凸ko D凹koi『店長、私バイト辞めます。』――4


「ふみ! いるの? ふみ‼」

 大きな声と、激しくドアを叩く音で、目が覚めた。

 有紗だ、と声でわかった。

 あれ、今日、バイトじゃなかったっけ。時計を見たら、十一時半だった。もう終わっていたのか。そうか、もう、そんな時間だったか。

 ぼんやりした意識のまま、部屋のものを踏みながら、ドアまで近づく。部屋、どうしてこんなに散らかってるんだろう。空き缶と汚れものだらけだ。

鍵とチェーンをあけ、ドアを開くと、スーツ姿の有紗が立っていた。

「有紗、なんで……」

 有紗は私の姿を一目見て、言葉を失っていた。

 有紗が私に手を伸ばす。頬から肩にかけてを、すらりとした指が震えながら辿る。

「なんで、こんなに痩せてるの。なんで、そんな、ひどい顔してるの」

 有紗のこんなに怯えた顔は、初めて見た気がした。

 階段を上る足音が聞こえた。「有紗! ふみは!」叫ぶ声はのんちゃんだった。有紗は悲しそうな目をして、のんちゃんと目を合わせた。

 私を見たのんちゃんも、有紗と全く同じような反応を示した。

「ふみ……」

 のんちゃんの目から涙がこぼれた。

 光の筋が、ひとつ、またひとつと増えていく。

 のんちゃんが私に飛びついた。咄嗟に体が強張ったけれど、のんちゃんのすがりつく腕の強さと、体温に、少しずつ力が緩んだ。


 花岡は電話の後、二人に連絡をしていたらしい。「急に電話がかかってきたと思ったら、ふみの様子がおかしい」「おれは行かない方がいいと思うから、代わりに様子を見てきてほしい。どうもただ事じゃなさそうで、すごく心配だ」と。

 それを聞いた二人は、すぐに私の家に向かった。というのが、事の顛末のようだ。

 二人を見て安心するなり、私は手足に力が入らなくなってしまった。玄関で座り込んだ私を、有紗とのんちゃんが二人でベッドまで運び、休ませてくれた。

「最後にご飯食べたの、いつ?」

 冷蔵庫の中身をあらため、有紗が訊いた。

「……わかんない」

「何か食べれそう?」

 黙って首を横に振った。空腹感も、何かを食べたいという欲求も、まるで湧いてこなかった。

「無理にでも何か食べた方がいい。お米だけはあるから、私がおかゆ作るよ。のんちゃんは、お風呂、わかしてくれる?」

 悲痛そうな面持ちのまま、のんちゃんが頷く。

「いいよ、そんな……」

「馬鹿。いいからあんたは寝てなさい。今、まともな状態じゃないんだから」

 有紗に一蹴されて、私は何も言えずしゅんとした。まともじゃない、という言葉だけが頭をぐるぐると巡った。

 ベッドで無気力に横になっている間、二人は慌ただしく動き回っていた。申し訳なさだけが胸の内でふくらんでいった。いくらもせず私は眠ってしまって、しばらくしたら有紗が優しく起こしてくれた。

「おかゆ、できたよ。一口だけでも食べな」

 いつの間にか部屋もすっきり片付けられ、空き缶だらけだったはずのテーブルの上に、おかゆのはいった器と、スプーンが置かれていた。

 いただきます、と呟いて、スプーンで白いおかゆを掬った。湯気がもくもくとスプーンの先から伸びている。息を吹いて冷ましてから、ゆっくり口に入れた。優しい甘みが口の中にじんわり広がった。

 一度胃にものが入ると、忘れていた空腹感がぎゅうっと胃を締めつけた。おいしい、と言うと、二人の顔に安堵が浮かんだ。私は黙々とスプーンを口に運んだ。その間も、有紗とのんちゃんは、じっと私を見守っていた。

 ごはんを食べた後は、お風呂にゆっくり浸かった。少し熱めのお湯が心地よかった。浴槽を使ったのなんていつぶりだろう。手足の伸ばせない小さなお風呂だけど、身体の芯で凝り固まっていたものが、少しずつ溶け出していくような感じがした。頭を洗うと、最初ちっとも泡立たなかった。二回目でようやく泡立つようになって、ゆっくりと身体を洗い、もう一度浴槽に肩まで浸かった。

 お風呂場の外には着替えが置かれていた。有紗が洗濯機をまわしてくれている間、のんちゃんが私の髪を乾かしてくれた。

「……ごめん、こんなことさせて」

「ううん、美容師さんみたいで楽しいよ。かゆいところはございませんかー」

 のんちゃんの手で髪を梳かれると、すごく気持ちがよかった。ぶわああ、と風にあおられながら、「ふみの髪はまっすぐできれいだねえ」と褒められた。小さい頃に戻ったみたいだった。

 二人に甲斐甲斐しく世話を焼かれた。有紗がお湯を沸かしてくれて、ゆっくりと白湯を飲んだ。ただのお湯がこんなにおいしいと思ったのは初めてだった。

「有紗は料理もうまいんだね」

「当然。あたしを誰だと思ってんの。ていうか、別にたいしたことしてないでしょ」

「きゃーっ、スパダリー!」

「ほほほ。苦しゅうない」

 三人での馬鹿みたいな会話が懐かしかった。二年前、まだサークルが当たり前にできていた時に戻ったみたいだった。

 久しぶりに自然な笑顔が出たことに、自分でも驚いた。三人でなんでもない話をしながら、穏やかな時間が過ぎるうちに、気づくとうとうとし始めていた。「こらあベッドで寝なさい」と有紗がお母さんみたいに言って、のんちゃんがそっとタオルケットをかけてくれた。


 それから何日も、二人はかわるがわるうちに来て、何かと世話を焼いてくれた。ごはんを少しずつ食べれるようになり、毎日身体をきれいにできるようになり、人と話すようになると、心の傷はゆっくりと止血し始めた。それでも、傷が突然開いてしまうことはあった。私が急に泣き出した時、二人は決まって私を抱きしめ、落ち着くまで背中をさすってくれた。泣き終わった後に温かい飲み物を入れてくれた。有紗が家からもってきたというハーブティーは、とても落ち着くにおいがした。

 三人での生活は楽しかった。有紗はやっぱり料理が上手だった。三人で囲む料理はそれだけでおいしかった。三人で交代でお風呂に入り、同じ化粧水を使い、同じドライヤーで髪を乾かした。有紗が実家から持ってきた布団が狭い六畳に敷かれ、三人で寝る前におしゃべりをした。のんちゃんのパジャマがすごくかわいかった。

 ふかふかの羽毛布団に包まれているみたいな、夢のような時間だった。



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