第5章

Su凸ko D凹koi『店長、私バイト辞めます。』――1

 それから、二つ、私の身に事件が起こった。

 一つ目。バイト帰りに琴音ちゃんに待ち伏せられた。

 ぬるい雨の降る中。見たことのある子がいるな、とは思っていた。きれいな黒髪と、夏なのに長袖の白いブラウス。紺のフリル付きのスカート。レースのついた黒い雨傘をさしている。いかにも、クラシックか何かをたしなんでそうなお嬢さんっぽい恰好だ。

「どの面下げてバイトに行ったんですか?」

 鈴を鳴らしたようなかわいらしい声と、それに似合わない棘のある言葉選びは、相変わらずだった。

「別に。仕事だからね」

 通り過ぎようと思ったけれど、視線の強さに引き留められた。蜘蛛の巣に捕まった虫みたいに、私は視線に絡めとられて、動けなくなった。

 ほの白い顔が、外灯の下に浮かぶ。古い外灯に照らされて、針のように雨は降る。

「どうですか、大事なものを踏みにじられた気分は」

「最低」

 へえ、と琴音ちゃんは上品に微笑む。

 その瞬間、わかったような気がした。この子は私を嫌っているだけじゃなく、怒りを向けているのだと。たぶん、それは復讐心に近い。

「何がそんなに気に入らないの?」

「ふみさんの嫌いなところなら山ほどありますよ。音楽を本気でやっていないところ。少し褒められていい気になっているところ。孤高ぶった顔をしているのに、誰かとつるまずにはいられない、みっともないところ。サークルを仲間づくりの場所としか思っていないところ」

 全てが的を射ている気がした。この子は、私をよく見ている。

「あのサークルだってそうです。みんな、思い出とか居場所づくりとしかサークルを見ていない。その証拠に、なんですか、あの馴れ合い。たいして上手くもないのに、上手い上手いって傷を舐め合って。気持ち悪い」

 嫌悪感をあらわに、琴音ちゃんは言う。

 琴音ちゃんの言う「大事なもの」とは、きっと音楽そのものなのだろう。

「大学のサークルなんて、そんなものでしょう。みんながプロになりたいわけじゃない。趣味でやってるんだから、楽しんで何が悪いの」

「ほら、開き直る。そういうところですよ」

 琴音ちゃんは顔色ひとつ変えず言い返す。

「それで、ケンさんに手を出したわけ」

「人聞き悪いですね。そもそも、先にちょっかいをかけてきたのは向こうですよ。――あの人は、いい人ですよ。音楽を本気でやりたい私の気持ちをわかってくれる。中途半端な馴れ合いに甘んじたりしない」

「ふうん。お似合いだね」

「ふみさんには負けます」

 謙遜を装った、明確な侮り。

「あなた、本当に最低」

 一言、一言、はっきりと口を動かした。

 琴音ちゃんは全く動じなかった。涼しい顔をして、微笑んでいた。

 もうつき合っていられない。琴音ちゃんの言いたいことは終わりだろう。そう思って、無理やり足を動かした。この分だと家の場所も割れていそうだけど。大丈夫。私は怖気づかない。

「あなただって、花岡さんを裏切ったくせに」

 背後から飛んできた言葉の刃は、身体をまっすぐに貫いた。

 知らないふりをして、歩いた。傘の下に落ちる雨が煩わしかった。一度ちらりと振り返った時、雨傘を揺らしながら遠ざかる琴音ちゃんの背中が見えた。


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