チャットモンチー『世界が終わる夜に』――6
オンライン授業には、思っていた以上にすぐに適応できた。移動教室の必要もないし、サボってスマホを見ていてもバレないし、慣れればなかなか快適だ。ただ、何もかもうまくいくのは、適度に自分を律せる人だけだ。時間に縛られることがなくなると、後回しにしすぎて、締め切りギリギリまで動画を溜めてしまうことが増え、かえって忙しくなった。バイトに行く前、食事や化粧をしながら動画を見ることもザラだった。
その日もそんな調子で、化粧をしながら倍速で動画を片付け、慌ててバイトに行った。今日も帰ったら寝る前にもう一本見なくちゃいけない。明日の二限までの動画がまだ残っている。
生活リズムは見事に昼夜逆転している。マスクのせいなのか、最近肌荒れもひどい。なんとなく、沈んだ気分でいることが増えていく。そんな時に限って、花岡からのLINEがぱったり途切れる。
タイミングの悪さは重なるもので。お客さんのいない時間、隣のレジにいたケンさんが「最近、あの子見んなあ。ふみちゃんの彼氏」と話をふってきた。
バイト先にも、彼はたまにやってきた。花岡は「たまたま、欲しいものがあったから」と言っていたけれど、真意は彼にしかわからない。本当にただ買い物に来ていたのかもしれないし、私に会いに来る口実にしていたのかもしれないし、あるいはケンさんへの牽制だったのかもしれない。
買うものは色々だった。お菓子とか、エナジードリンクとか、晩ご飯とか。避妊具を買いに来た時は目を疑った。その手の商品に動揺するほどウブではなくなっていたけれど、花岡となると話は別だ。花岡が絶対に目を合わせようとしないのがこっちまで恥ずかしかった。頑張って他人のふりをした。
「袋おつけしますか?」「いや、いいです」「え、そのまま持って帰んの?」「あっ、よくないか」
なんて、まるでつき合いたてみたいな、たどたどしい会話をした。全部横のケンさんに見られていて、あとでめっぽうからかわれた。
「かわいかったのになあ。別れたん?」
この人の無神経さも、今はなんだかどうでもいい。黙々と棚の整理をする。
「別れてないですよ。ちょっと、お互い自由になろうよって期間なだけで」
「それ、別れてるようなもんやん。要するにフリーってことやろ?」
解釈次第では、そうも取れるか。なんだか微妙な気分になって、「そうですかね」と適当な返事をする。花岡と違って、少し素っ気ない対応をしたところで、この人は気にも留めず話しかけてくる。
「なあ、じゃあ今度――」
「いらっしゃいませえー」
ちょうどよく客が来て、私はわざと声を張り上げる。ケンさんのおしゃべりもさすがに止まった。
残業帰りだろうか、いつも日付が変わるギリギリになって来る、サラリーマン風の人が目の前を通り過ぎた。その人はいつもストゼロとマルボロを買って帰る。この人も疲れてるのかな、なんて同情を表に出さないように、淡々とレジを打つ。
「ありがとうございましたあー」
くたくたの背広姿を見送って、時計を見た。バイトはあと一時間。フリーターの人と交代するまでには、まだ時間がありそうだった。
「ふみちゃん、おつかれえ」
バックヤードから外に出ると、ケンさんが喫煙所で一服していた。箱はいつものパーラメント。私もポケットから箱を出す。前のバイトで買ったばかりなのに、もう残り少ない。花岡が来なくなってから、吸う本数ばかりが増えている。
火を点けて、思い切り吸い込んだ。疲れなのかヤニクラなのか、やたら頭がふらふらした。
四月の風は、むやみに寂しい。
「彼氏と何があったん」
「別に、たいしたことはないですよ」
「あるやろ。ふみちゃんが何か言うほどのことなら」
変なところで鋭い人だ。
酒と煙草は、不思議なことに、人を少しだけ饒舌にさせる。別に話すつもりはなかったし、話しても簡単に説明するだけにしようと思っていたのに、気づけば洗いざらいぶちまけてしまっていた。
「あー、それは彼氏が悪いわ」
ケンさんから返ってきた言葉が意外だった。いつもなら、「男はそういう生き物やから」と、やたらでかい主語で花岡の肩を持つのに。
「ふみちゃん、しっかりしとるし。甘えた男嫌いそうやしなあ」
「嫌いってほどじゃないですよ。疲れるだけ」
何がおかしいのか、ケンさんは声を上げて笑う。
「もう望み薄やん、復縁」
……そんなつもりは、ないんだけどなあ。
「なあふみちゃん、こんどサシ飲みせん? 俺ら、シフトでは一緒になるけど、飲んだことないやん」
「今お店やってないでしょ」
「家でええやん」
「えー」
初回から家でサシ飲み、か。下心が透けすぎて、むしろわざとなんじゃないかと疑う。
「第一、ケンさん彼女いるでしょ」
頼んでもいないのにツーショットを見せられたことがある。確か、ケンさんと同じサークルの、三年生の子だったか。たまたま同じ学年で、インスタで相互フォローだったから、話したことはないけれど知っている子だった。ケンさんは今四年生だけど、留年しているから、実質二個下だ。
そういえば。うちのサークルをやめた琴音ちゃんは、結局ケンさんのサークルに入りなおしたと、風の噂で聞いた。とはいえ、このコロナ禍で、ろくに活動できていないだろうけど。
「彼女いなかったら、いいわけ?」
ケンさんが、こんな時に限って真剣な顔で。
少しだけ、本当に少しだけど、どきっとしてしまったのが、自分で憎々しかった。
五月になれば、感染者が減るんじゃないか。六月になれば。夏になれば。甘い期待はことごとく打ち砕かれ続け、感染はみるみる拡大し、サークルは無期限休業を強いられ続けた。執行代としての私たちの仕事は何もできないままで、時間だけが経っていく。何一つ成せてはいないのに、歳だけを重ねていく。気づくと夏の期末も終わっていて、いつの間にか、私は二十一歳になっていた。花岡からは「おめでとう」と一言LINEが来た。花岡とつき合って、もうすぐ一年を迎える。
花岡のいない寂しさ、みたいなものにも、とっくに慣れていた。つき合う前に戻っただけだ。もともと私は一人だったのだし、人間は一人で生まれて一人で死んでいく。一人は自由で、それなりに心地いい。
だけど、やっぱり、自由は、孤独。
ライブの予定がなければ、練習のモチベーションもない。いつから弦が張りっぱなしかわからないベースは、気づくとほこりが積もっている。たまにチューニングをして弾いてみようと思っても、すぐに飽きてしまう。「あきた」の呪いを思う。
たまにしていた有紗たちとのオンライン飲み会も、頻度が減った。特に、塾でバイトをしている有紗は、この時期は夏期講習で働きづめだ。本当なら今年も海外インターンに行く予定だったけれど、この状況でできるわけがなかった。リモートでの開催はしたようだけれど、味気ない、と有紗は不満をこぼしていた。
コロナ禍でバイト先が潰れてしまったのんちゃんは、新しいバイト先を見つけて、慣れようと必死だ。サークルがなくなっても、皆それぞれに忙しい。
一人でやることもなく部屋にいると、無性に花岡の声が聞きたくなったりもした。電話をしても、彼はきっと怒らない。むしろ喜んでくれるかもしれない。けど、都合のいい時だけ花岡を利用しようとする自分の身勝手さが嫌で、変な意地を張っていた私は、彼に連絡ができなかった。
無意味に時間だけを消費した。夏休みに入ってからは、バイトをしているとき以外、見たくもないyoutubeを見たり、惰眠を貪ったり。ごはんを食べるのも億劫で、体重は知らないうちに三キロ近く減っていた。生理が止まってからはさすがに危機感を覚え、スポンジのような菓子パンを水で流し込んだ。
スタジオ代も出演費もない。旅行もできないし、買いたいものもない。お金だけは溜まるものの、使うあてもなく、かといってバイトを減らしてもやることがない。
閉塞感で息が詰まりそうだった。部屋の窓から見える景色だけが、日に日に移ろっていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます