チャットモンチー『世界が終わる夜に』――2

 やっと準備がひと段落すると、身体から力が抜けた。肩がこっている感じがして、ぐるぐる回す。反省点は山ほどあるけど、まあ、初めてにしては及第点かもな。

 照明の最終確認をして、仕事がやっとお開きになる。まだ調整中のPAを除き、他もぼちぼち終わってきたところらしい。楽しそうにおしゃべりをする島が、あちこちにできている。

 その中でもひときわ大きな島は、タイムテーブルのあたり。後輩が文字を書き、のんちゃんが絵で飾りつけた力作の周りに、人だかりができている。

 のんちゃんの姿もやっぱりその中にあった。私はふらっと近づいた。のんちゃんは気配に気付いて、すぐに振り返る。

「どうだねえわたしの傑作は」

 疲れと達成感でハイになっているのか。のんちゃんが、ばしばし腕を叩いてきた。

「さすがです、巨匠」

「やだなあ、照れちゃう」

 くねくねするのんちゃんを横目に、タイムテーブルを確認する。

「うわあ、本当にトリじゃん……」

 最初にタイテが発表された時も驚いたけど、形になったものを改めて見ると、なかなかの威圧感だ。最終日の最終ブロックの最後の行に、我らがスリーピースガールズバンドの名前がある。ちなみに、初日のトリは千葉花たちのドロスだ。

「当たり前じゃないですか!」

 タイテ決めに関わった志乃が、えへん、と胸を張った。今回のライブ隊長の一人だ。志乃は積極的に働くし、明るくてカリスマ性がある。来年はこの子が会長もあり得るな、と私は踏んでいる。

「私、先輩たちのyonige見て入会決めたんですから!」

「そうなのっ? きゃー、うれしい!」

 のんちゃんは能天気に喜んでいるけれど、私は苦笑いしかできない。

「大トリは、千葉さんと花さんもいるミセスと迷ったんですけどね。すんごい権力者バンドですし」

 ミセスは、いつものメンツで駄弁っていた時、「そういえば俺らバンド組めるよな?」と言った千葉くんの鶴の一声で組んだバンドだ。花岡と千葉くんと組んだのは、実はこれが初めてだった。ずっと隣で歌っていた有紗が、キーボードとしてバンドに入っているのも、新鮮。

「確かに、すごい権力集中だねえ」

 のんちゃんがにこにこと呟く。

 会長に、副会長二人に、PA長に、照明長。言われてみればそうだ。気づかなかった。

「でも、これは初出演だから。やっぱりトリにふさわしいのは、組んで長いyonigeかなって」

 それに、と志乃が声を潜めた。

「新歓本祭も出るんでしょう?」

 一応決定事項ではないから、小声。どきりとする。

 そのつもりだけどね、と私も小声で答える。

「やー、がんばんなきゃねえ」

 のんちゃんがどうしてこうも余裕そうなのか分からない。

「せいぜい頑張って練習するよ……」

「頑張ってくださいっ! 私、めっちゃ楽しみにしてるんで!」

 元気よく追い打ちをかけて、志乃はぱたぱたと去っていった。本日三度目の溜息が出た。



 音楽というのは、儚い。

 一瞬の連続。今鳴っている音は、すぐに過去になってしまう。その一瞬の輝きに、酔って、ノッて、盛り上がる。

 音楽だけじゃない。私たちの「今」は、かくも脆く、刹那的だ。

 楽しい時間ほど早く過ぎて、早く過去になる。

 ライブは本当に、あっという間に終わってしまった。

 この調子で、このまま、気付いたら引退の時を迎えているのかもしれない。

 有紗の「乾杯」待ちをしながら、そんなことを考えていた。

「じゃあ、無事、私たちの代の初陣ライブが終わったってことで。みんな、よく頑張りました。お疲れ様。乾杯!」

 有紗の音頭に合わせて、ジョッキのうち合わさる音が聞こえる。

「おつかれー」

「お疲れ様です!」

 色んな腕が交差して、音が鳴って、色とりどりの水面が揺れて、ビールの泡が飛んで。

 こんな飲み会を、あと何回できるのだろう。なんて、やけに感傷的な気分になる。

「yonige最高でした! 『アボカド』の盛り上がりもよかったし、アンコールの『さよならアイデンティティー』で泣きそうになっちゃいました!」

 志乃がハイテンションで迫って来る。

「みんなが盛り上げてくれたから。志乃が最前にいるの、見えてたよ。ありがとう」

「きゃーっ、本当ですかっ!? ふみさんにラブコール送ってたのわかりました!?」

「うん」

 きゃーっ、きゃーっ、と志乃は何度も甲高く声を上げる。この子はやけに私に懐いてくれている。照明係に入ったのも、ベースを始めたのも、私の影響だと言っていた。ちょっとくすぐったい。

「おつかれい」

 みんなの間を回っていた有紗が、こちらにグラスを向けてくる。おつかれー、と私もウーロンハイのグラスを持ち上げる。

「きゃーっ、有紗さん!」

 志乃はアイドルに会ったかのようなハイテンションだ。

「よしよし、志乃は今日もかわいいねえ」

「えへえへ」

 姉妹のようにじゃれる二人。孫を見るおばあちゃんみたいな気持ちで眺めていたら、「うちらは本当に、いい後輩に恵まれたねえ」と、のんちゃんがしみじみ言った。

「みんなよく動いてくれるし。おかげで片付けも早く終わったし。本当助かったよ」

「まあ、例外もいますけどね」

 志乃がいきなりストレートをぶちこんできて、空気が凍った。

 琴音ちゃん。嫌でも頭によぎる。

 琴音ちゃんは今日の最初に、ギターボーカルでステージに上がっていた。動作はよどみがなくきれいで、歌も上手い。実力は正直、有紗に並んでもおかしくない。だけどあの子は、いつも不機嫌そうで、周りに協調しようとしない。

 特に私には当たりが強いな、と感じる。この違和感はたぶん外れていない。あの子はめっぽう不愛想だ。同じく不愛想だと言われている私と違って、彼女は緊張感ではなく、明確な敵意を持っている。

 ――長だからって偉そうにしないでください。

 あのセリフはあくまで氷山の一角だ。

「これからもあんな感じで突っ張ってる気なんですかね」

「突っ張るだけならいいんだけどね。準備をしないのは、後輩が入ってきた時に示しがつかないからやめてほしい」

「ですよねー。無責任ですよ」

「まあ、歌は上手いけどね」

「パフォーマンスがよくたって、人としてダメです」

 本人のいない飲み会の席。悪口はいくらでも盛り上がる。

「ああ、あの子ね」

 この手の話題に、有紗が珍しくノってこない。と思ったら、有紗がさらなる爆弾を落とした。

「辞めるって連絡あったよ」

「えっ⁉」

 心なしか、周囲三メートルくらいの喧騒が消えた。

「辞めます、って、LINE」

「えー、それだけ?」

 のんちゃんがテーブルに頬杖をつく。

 有紗は少しだけ気まずそうにして、迷ったような間の後、言葉を続けた。

「あとは、長々とふみの悪口」

 私?

 急に名指しされて、びっくりしたけれど、意外ではない。あの子に嫌われていた自覚はあったから。けど、有紗に長文LINEを送るほどの怨嗟を持たれていたとは、さすがに思わなかった。

「やだ、絶対逆恨みじゃないですかあ‼ 花さん守ってあげてくださいね、ねっ」

 いきなり水を向けられた花岡は、ウーロン茶にむせそうになっている。

「あっ、そうだ、花さんとふみさんのユニット、もう出ないんですか? 楽しみにしてるんですけどお」

「それ、私も気になる! また出てほしいです! すっごい素敵だったから」

 志乃の隣の女の子が、話に乗っかって来る。

 この流れはまずいぞ、と、本能がざわざわしてくる。のんちゃんがニヤニヤしながらつついてきた。こいつめ、楽しんでるな。

「いや、あのー……」

 花岡は見事に口ごもり、視線を落としてしまう。ジョッキに口をつけて必死にごまかそうとしている。

「花さん、かわいいー」

 後輩の女子たちにからかわれて、ただでさえ赤かった花岡の顔が、耳の方まで真っ赤になっていくのが見えた。

 ほらー……。



 居酒屋の外。火照った身体に北風が冷たい。円になって、有紗が一本締めをして、各々が解散になる。途端、「花あぁー」と、べろべろに酔った千葉くんが花岡に抱き着いた。千葉くんは「やめてよ、気持ち悪い」と押しのけられている。

「おいこら有紗! ふみ! のどか! おまえらぁ、最高だったぞ!」

 ろれつが怪しい。「千葉くん、飲みすぎー」と、のんちゃんはけらけら笑っている。この二人はあの事件以降も、円満に仲良しで、実はほっとしている。

「ミセスは引退まで絶対出んぞぉ!」大声を張り上げる千葉くん。

「おー!」とのんちゃんは無邪気。

「花もなあ、本当に歌上手くなってなあぁ」

 千葉くんは言いながら嗚咽しだす。花岡は千葉くんに巻きつかれつつ、「はいはい」と軽く受け流している。花岡は千葉くんへの対応だけちょっと雑だ。

 苦笑しつつ見守っていた有紗は、「そのへんでいったん終わり」とぱんぱん手を叩いた。

「邪魔になるから、残りは二次会でね」

「あっ、うち家出すよ!」と手を挙げたのはのんちゃん。

「二次会来る人おー?」

「はあぁぁぁい‼」足元がふらつきながらも、やっぱり誰よりも声の大きい千葉くん。

 最初から最後まで、何かが変わっても、どこかでは変わらない。そういう私たちの在り方は、私にとって初めてで、新鮮で、居心地がよかった。有紗と花岡に続いて、私も手を挙げる。

 練習。準備。ライブ。片付け。飲み会。目まぐるしいし、大変なことも多いし、だけどやっぱり楽しい日々。

 こんな日常が、ずっとずっと続くんだと思っていた。

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