第3章

チャットモンチー『世界が終わる夜に』――1

「先輩たち、本当に本当にお世話になりました。このサークルは、あたしたちがきちんと引き継いでいきます。過去の先輩方の偉大すぎる背中を、精一杯追いかけていきます。どうか優しく見守っていてください」

 役職者七人の中心に立った有紗が、大きな花束を会長に手渡す。ありがとう、と会長が花束を受け取った瞬間、同期や後輩たちから、わあっと大きな拍手が起こった。この空気感を味わうのはこれで二度目だ。来年は、私たちが送られる側になる。

 各々が感傷に浸ったり涙ぐんだりしている中。役職者の列のはしっこに立ちながら、たぶん、私だけが落ち着かない気分だった。

 背中に受ける視線が重い。

 同期である二年生は、途中で増えたり減ったりで、今は十四人。中心的なメンツは変わらないままで、なんとかやってきた。一年生は少し多めで、二十二人。これから計三十六人と、四月から入る新入生たちを含めたサークルを、私たちで運営しなければならない。

 有紗が会長を務めることには誰も異論がなかった。副会長は例年男女ひとりずつ、これは千葉くんとのんちゃんが務めることになった。私の所属する照明係は、一番サークル歴の長い二年生が私だったので、なんと私は照明係の長になってしまった。不安しかない。

 そんなことをぼやいた日、「おれだって似たようなもんだよ。有紗たちみたいに人望で選ばれたわけじゃなくて、消去法」と、花岡もぼりぼり頭を掻いていた。花岡は高倉さんから引き継いだPA長だ。PAっていうのは音響のことで、言わずもがなライブの要である。花岡は歴代PA長の中で一番覇気がないと、もっぱらの噂だ。「本当なら千葉のほうが適任なんだけどなあ……副会長だからなあ……」「おれは所詮千葉の代わりだよ」「こんな情けないPA長じゃみんな嫌だよなあ」と、花岡は私以上に卑屈で、ちょっとめんどくさかった。

 だけど、責任感をもって仕事をまっとうするところとか、後輩たちに優しくて人気があるところとか、なんだかんだとリーダーシップがあるところとか、適任だと思う。私がそう言うと、花岡は「そうかなあ」と照れつつ、ころっと機嫌を直した。単純なやつだ。

 大きな花束を抱えた会長が、マイクを渡される。

「今までついてきてくれてありがとう。君たちの作るこのサークルが、今から楽しみです」

 会長の言葉は短く、シンプルだった。

 この瞬間、会長は元会長になり、私たちの最後の一年が始まった。


「うーん、もうちょいこっち、真ん中を暗幕の中心に合わせて、そう、おっけー」

 私の指示に合わせて、男子陣が照明を置く。

「ふー、重お」「きっつ」口々に言いながら、男の子たちが手をぶらぶらさせる。下手したら私より頼りになる、しっかり者の後輩男子たちだ。

「まだまだあるよー、はい次!」

「ひええ、ふみさん鬼っす」

 音を上げる後輩たちを見てにこにこしていたら、ますます「ドS!」とか「鬼畜!」とか言われた。

「いいよなあ、ふみさんは運ばないんだから」

「ふうん。じゃあ長変わる?」

「いや、いいっす……」

「じゃ、運ぼっか」

 にっこり。笑顔を作ることが、このサークルに入ってからちょっとは上手くなった。後輩の扱い方も、少しずつ心得てきた。

「ふみ、もうスピーカー置き始めていい?」

 小走りで来た花岡が、尋ねる。

「たぶん大丈夫」

「おっけえ」

 花岡はせわしなく踵を返し、ステージの上のセッティングを指示し始めた。「はあい、花さん」とハートマークのつきそうな口調で、後輩たちはきびきび働いている。

 ふー、と息をついたとき。

「板についてんなあ、照明長」

 PA卓を組んでいた千葉くんが、にやっとしたまま冷やかしてきた。

「全然。手探りだよ。あとは先代の猿真似」

 立って指示を出すだけなのは気楽なようで、思っている以上に難しい。効率のいい采配を考えないと、準備全体が滞る。この立場に立ってから初めてわかることが山ほどあって、わからないと気づいたこともたくさんあって、頭はずっとぐるぐる混乱している。

 初めての、私たちの代が主導のライブ。私はリーダーぶるのに必死だ。

「そうは見えねーけどな」

「ありがと」

 応えたとき、「ふみさあん」と声がした。「この辺でいいっすかあ?」という問いに、腕で丸をつくる。

「ふみさん、次、何すればいいですか?」

 今度は後輩の女の子が訊いてくる。「じゃあ、これ運んで、つなげといて」と適当な線を渡す。「場所分かる?」「はい、大丈夫です!」

 まったく、頼りになる後輩たちだ。ありがたいことに、全然手がかからない。

 ……ただ一人を除いて。

 まっすぐなロングヘアの、たいそうな美少女。深窓の令嬢とでも言いたげな雰囲気の女の子が、不機嫌そうにスマホを見ている。耳にはイヤホンまでして。

 仕事する気、ゼロ。

「琴音ちゃんも、これつないでもらえるかな。場所は志乃が知ってると思うから」

 声をかけても、さっき線を渡した志乃が「こっちだよお」と手を振っても、琴音ちゃんは反応ひとつ示さない。

 ねえ、準備中だよ。あなた以外みんな働いてるんだよ。

 そう言いたくなるのをぐっとこらえ、辛抱強く話しかける。

 肩を叩くと、琴音ちゃんはやっとイヤホンを外した。めっぽう迷惑そうな顔で。

「なんですか。聞こえてるんですけど」

「これ、つないできて」

「私、練習あるんで」

 馬鹿野郎、練習あるのはみんな一緒だよ。

 なんて言うこともできずにいるうちに、琴音ちゃんはまたイヤホンを耳にさしてしまう。

「あのさあ……」

 声をかけようとしたら、琴音ちゃんはふらっと去ってしまった。「長だからって偉そうにしないでください」と捨て台詞を残して。

 ひらりとなびいた黒髪が、遠ざかる。

 私はしばらく固まっていた。なにあれ。怒りを通り越して、呆れた。

 はーーー、と長い溜息が漏れる。

「ほっとこ。勝手にさせときなよ」

 ぽん、と肩に手を置かれたと思ったら、有紗だった。

「有紗にしては甘いこと言うね。そうしたらますますやらなくなるでしょ、あの子」

 そうしたら、次に入ってくる後輩たちにも悪影響がある。出演者はしっかり準備を手伝うのが暗黙のルールだ。善意で成り立っているこの仕組みは、一人が放棄すればなし崩し的に崩れる。

 有紗は真面目だから、もっと怒ると思ってた。意外に思っていたら、有紗はきれいな笑みを崩さぬまま続けた。

「どうせ手伝ったって、あの子は戦力外でしょ」

「そうだけどさあ」

 あの子がまともに仕事をしているところは、一回も見たことがない。

「じゃあいいじゃん。それで居場所が無くなるんなら自業自得だし」

 有紗は怖くなるくらい笑顔のままだった。

 前言撤回。有紗、めちゃくちゃ怒ってる。


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