Hump Back『僕らは今日も車の中』――6

「そっかー、花岡はうまくいったか」

「花ちゃん、がんばったねえ」

 深夜。車の中。運転席と助手席で、冷やかし混じりに二人が言った。

 高速道路は、平日の深夜だけあって、車通りが少ない。有紗の車が、前をのろのろ走っていたトラックをスムーズに追い越した。

「それからどうなの?」

 バックミラー越しに、有紗とちらりと目が合う。ハンドルを握る手はやっぱり、きれいなネイルが施されている。今日は上品なフレンチネイルだ。アクセントのラメやストーンがかわいい。

「どうも何も、なんてことないよ。たまに家に行ったり来たり、一緒にご飯食べたり、それだけ」

 きゃー、と助手席ののんちゃんが黄色い声をあげた。

 花岡との距離は、つき合う前とそれほど変わらない。隣に座ることすら、花岡は「隣行ってもいい?」と伺ってくる。まあ、最近の花岡は少しずつべたべたするようになってきたけど、これは恥ずかしいから言わない。

「やっぱかわいいなあ、そこ二人は」

 有紗は大人の笑み。

「わたしゃ嬉しいよ。幸せにおなり」

 うっうっ、とのんちゃんが泣きまねをする。

「惚気はないのかい、惚気は」有紗がせっついてくる。

「ないよ、別に。……てか、有紗がこんな時だし」

「こんな時だから、幸せな話を聞きたいんでしょうが」

「えー」

 そう言われてもなあ。話せることなんか、何もないし。

 自分が話題の中心に上るのは、なんだか気恥ずかしい。それに、必要はないんだろうけど、どうしても気を遣う。私だけが、その手の平穏を得られているというのは。

 有紗から連絡が来たのは、今日の夕方、日が沈み始めた頃だった。

 突然、バンドのグループLINEに有紗からのメッセージが来た。

『夜の海、行かない?』

 直後、有紗からスクリーンショットが送られてきた。隣の県の、ちょっとマイナーな海岸。『夜光虫が見えるんだって』と、有紗は言った。

『行きます!』というスタンプを、真っ先に送ったのはのんちゃん。

 何か訳ありなんだろうな、と思って、私も『行く』と返事をした。ちょうどバイトが休みだったのはタイミングがよかった。

 突発的な、車でのお出かけ。有紗の意図はなんとなくわかった。話したいことがあるのだろう。

 その予想は当たった。高速に乗り始めてしばらくして、「高倉と別れた」と有紗が言った。感傷的なものを少しも含まない言い方が、有紗らしかった。

 高倉さんの愚痴はかなり聞いていたから、正直、あまり意外ではなかった。エアコンの温度のことで喧嘩をしたとか、自分で行きたいって言った店の予約をしてないとか、それを指摘するとキレるとか。口論になるたびに、部屋の扉を強く閉めて出ていくとか。言動の端々がモラハラっぽいところもあって、心配に思うことも多かった。高倉さんは穏やかそうで優しくて、外面がいいだけに、余計にだった。モラハラする人の外面が良い、なんて腐るほど聞く話だ。

 有紗は頭がいいから、どこかで見切りをつけるだろうな、とは思っていた。想像よりも少しだけ長く続いたけれど。

 決定打は、有紗が好きな俳優が出てるドラマを見ていたら、「こういうのあんま見ないでほしい」「俺とそいつどっちが好きなの」と言われたことだそうだ。返答に困っていたら、「もういい」と出て行った。それで一気に冷めた、らしい。

「そんなの推しの方が好きに決まってるじゃーん!」

 のんちゃんの口調には憤りがこめられていた。

「ね。人間、人を試すようになったら終わりですよ」

 ちょうどトンネルに入って、有紗の顔にライトがいくつも横切った。そのたびに、耳に揺れるイヤリングがちらちらと光った。

「まあ、馬鹿な恋愛のひとつやふたつ、若いうちにしとかないとね」

 有紗の口調はやっぱり大人びている。……いや、もう大人なのか。有紗は六月に二十歳になっている。

「ってわけで、幸せな話聞かせておくれよ、ふみさん」

 先ほどとは打って変わって、にっこり笑顔の有紗。聞きたい聞きたい、とのんちゃんにもせがまれて、冒頭に至る。

「のんちゃんはなんもないのお?」

「わたし? ないない」

 のんちゃんは笑って、顔の前で手を振る。

 のんちゃんがモテること、私、知ってるんだけどなー。何か言いたくなったけれど、口をつぐむ。

 窓枠にもたれて、外の景色を眺める。高速道路だから、高い塀に遮られているばかりで、特に面白い風景もない。揺れに身を任せていると、振動が心地よくて、どんどん眠たくなってきた。

 その時、ポケットのスマホが震え、通知を知らせた。見ると、ケンさんからだった。

「げ」

「どうした?」

「ケンさんから通知きた」

「横川ぁ? そっか、バイト先一緒だっけ」

「そう」

 本当は今日、ケンさんとご飯に行く予定だった。けど、有紗が緊急事態だってことで、仮病で休ませてもらった。そうしたら、「大丈夫? なんかほしいものあったら家まで持ってくで」と、例のうさんくさい関西弁だ。

「それ、絶対、看病口実に家入ろうとしてるよ」

 ほんとあいつしょうもな、と有紗が言った。

「気を付けなよーふみ。あいつ、マジでろくでもないから」

「知ってる」

「男バレ時代も女バレのほとんどに告白してフラれたりしてるから」

「まじで?」

「えっ、ふみのバ先の先輩やばいね」

 のんちゃんが本気で引いてる。

「なんかあったら花岡に守ってもらいなー」

「うーん、どうだろ」

「ちょっと頼りないねえ」

 小さく笑いが起こる。おしゃべりをしながらも、瞼が重い。「ごめん、ちょっと寝る」と、私は頭を窓に預ける。昨日も夜勤だったから、まだ疲れが抜けてない。

「ついたら起こして」

「はいよー」

 気を抜いた途端、すう、と意識が遠ざかっていく。有紗とのんちゃんの会話が途切れがちに聞こえて、やがて私は眠りに落ちる。


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