Hump Back『僕らは今日も車の中』――5
「あ、来た来た、ふみー!」
私を一番先に見つけたのはのんちゃんだった。いつかの飲み会の日と同じ。私もひらひらと手を振る。
「ふみ、実家から来たってマジ? 埼玉だろ?」
ぷかぷか煙草をふかしていた千葉くんが、目をまんまるにして尋ねる。指先から投げ捨てられた吸い殻が、水の入ったバケツの中に落ちて、じゅっと音を立てた。
そっか、千葉くん、こないだ二十歳になったから、もう合法的に酒煙草ができるのか。
「うん。でも近いし」
「そのまま実家泊ればよかったじゃん。無理に来ることなかったのに」
「来たかったから」
「俺らのこと大好きかよ」
「そうだよ?」
「うわ、はっず」
自分で訊いたくせに、千葉くんはそんな風に毒づく。「ふみが好きなのは千葉じゃなくてうちらだから」と、すぐさま有紗が反撃をした。
「よかったの? お母さん置いてきて」
なんて優しいことを言うのは、やっぱり花岡。
「連れてくるわけにもいかないでしょ」と言うと、花岡は「そっか」と笑った。
みんな、それ以上のことは聞いてこない。やっぱりここは、居心地がいい。
夜の児童公園は、安らかな静謐さに満ちている。スマホのライトで照らされたこの辺りだけ、やけに明るく、眩しい。
虫の声がきれいだった。そうか、まだ猛暑日ばかりだけど、もう秋の虫が鳴いているのか。
今日は最悪だと思っていたけど、案外悪くない日だったかもしれない。
そんな風に感慨に浸っていたら、「そうだ、お酒買っといたんだ。ふみ、ストゼロでいい?」と、のんちゃんがいい笑顔で缶を取り出した。
「うわ、なんで?」
しかもロング缶。
こんな強いお酒は飲んだことない。せいぜいチューハイとかレモンサワーくらいだ。
「だってふみ、お酒強いでしょ? ふみが潰れるところ見てみたいなって」
「ねー」
のんちゃんと有紗がニコニコしながら顔を見合わせる。
さらっと腹黒いことを言ってくれる。
「大丈夫?」「無理すんな」と男子勢。優しくされるのもなんだか癪で、私はのんちゃんからストロングゼロの缶を受け取り、プルタブをあけた。
口をつけ、一気に傾ける。「げっ、マジ?」と千葉くんがぎょっとした顔をした。そのまま一同に、はらはらしながら見守られた。半分ほど飲んだところで、さすがに限界が来て、口を離した。
「ふみって時々、妙に思い切りあるよねー」と、発起人のくせにのんちゃんは青ざめている。
まずい。ちょっと引かれたかもしれない。
微妙な空気になったところで、「とにかく花火やろ花火!」と、有紗が流れを変えてくれた。
各々が缶と花火を一本ずつ持った。車で来た有紗と、お酒の苦手な花岡は、ソフドリ。
千葉くんが最初に、自分の花火にライターで火をつける。しゅうぅぅぅっと音を立てて、黄緑色の火花が上がりだす。煙の臭いが一気にたちのぼり、風下の花岡がくしゃみをした。
それからは、もらい火。火のついた花火が増えるたびに、色とりどりの火花が公園の夜を彩る。花火の爆ぜる音。燃え尽きる音。新しく火を点ける音。「案外燃えるの早いねえ」「あとでみんなで線香花火やろうぜ、今日の酒は最初に落ちた人の奢りな」「えー」「あっ火つける方向間違えた」「あはは、花ちゃん、うける」「いえーい二刀流ー」「こらっ千葉振り回すなっ」「あっち」「大丈夫?」「うわ、ふみサンダルじゃん」「マジごめん」
たくさんの言葉が、火花と一緒にはじけて、消える。
花火に次から次へと火を点け、バケツの中に燃えがらが溜まっていく。様々な彩色が満ちている視界は、なんだかライブの時の照明を思い出す。
「やっべ蚊に刺された」
「千葉くん、虫よけ貸そうか?」
「刺されてから借りても意味ねー」
「これ以上は刺されないかもよ」
「そっか、じゃ借りる」
ちょっと遠くで、千葉くんとのんちゃんが話しているのが見える。その隣には、有紗からおっかなびっくりもらい火をしている花岡。腰が完全に引けていて、思わず笑ってしまう。
花火と一緒に、私の憂鬱も少しは燃えて消えたみたいだ。いつの間にか胸の痛みが消えていた。嬉しくて妙にお酒が進んで、そんなに飲んだ記憶はないのに、缶はいつの間にか空だった。
残りの花火は、いつの間にかどんどん少なくなる。ネズミ花火に火をつけた千葉くんが、足元でバチバチなって焦って、のんちゃんに笑われている。
薄く煙った視界の中。火花に照らされたみんなの顔が眩しかった。
たぶん、今年最初で最後の花火だ。
「最後の花火にー、今年もーなったなー」
有紗の好きなフジファブリックの歌詞が、気づくと口をついて出た。私もきっと、この光景を、何年も覚えている気がする。なんて思いながら口ずさむ。クサいな、我ながら。酔ってるのかもしれない。
「何年ー経ってもー思い出してしまうなー」
有紗もつられて歌ってくれた。それから千葉くんも大声で乗っかって、のんちゃんのかわいらしい声と花岡の声ものっかって、酔っ払いの大合唱になった。
ひととおり歌ったら、お腹の底から笑い声が出た。楽しくて、楽しくて、涙が出そうなほど笑った。
「これ、ふみ酔ってるよな?」
千葉くんが有紗に耳打ちするのが聞こえた。
「じゃ、火、つけるぞ」
各々がしゃがんで、自分の手の先の花火を見つめる。せーので火をつけて、橙色の光の玉が大きくなっていくのを見つめる。
ぱちぱちと、細かな火花が散り始めた。「おお」とどこからともなく声が上がる。
今日のお酒の奢りをかけた線香花火。みんなが固唾をのんで、行く末を見守っていた。火花は大きくなったり小さくなったり。聞こえるか聞こえないかのかすかな音をたてて、様々に形を変える。やがて火がだんだんしぼんで、最後にぱちぱちっと大きくなって、火の玉になって、ゆっくり、落ちる。
「あっ」
と最初に声をあげたのは、花岡だった。
予想通りすぎる結果だ。「おれ今月機材買ったから金欠なのにい」と、ひんひん言いながら花岡が財布を取り出す。
全ての花火が終わって、バケツに残った燃えがらと、硝煙のにおいだけが辺りに残った。
「よーし、帰るか」
と、最初に立ち上がったのは千葉くん。
「バケツはわたしが片しとくねー」
続いてのんちゃんが立ち上がる。
「おー、さんきゅーな」
「いいえ、なんのなんの」
のんちゃんが笑うと、暗がりの中でも、小さなえくぼが見える。
そのまま、缶なんかのゴミは有紗が回収して、ぼちぼち解散となった。私だけみんなと方向が違う。このまま一人で帰ろうとしたら、「花岡、送ってってやんな」と有紗が言った。
「おれえ?」
「夜道で女の子が一人は危ないじゃん」
「有紗は?」
「あたしはほら、車だから」
そうか。有紗は実家暮らしだから、車で来てるんだっけ。さっき思い出した気がするのに、すっかり忘れていた。やっぱり酔ってるのかもしれない。
免許合宿でも有紗はエースだったなあ、なんてことを思い出す。有紗は一人暮らしをしない代わりに、親から車をもらったらしい。一度乗せてもらったことがあるが、有紗は運転もうまい。
「花ちゃん、ファイト!」
「話すことあるんでしょ、がんばれ」
花岡に言ったらしい言葉は、こっちにも筒抜けだけど。聞こえないふりをして、歩き出す。
「ふみ、ふらふらしてない?」
戻ってきた花岡は、心配そうに、転びそうになった私の肩を支えた。
「大丈夫、だいじょーぶ。ほら、スキップだってできる」
「やっぱふみいつもより酔ってるよね」
「そんなことない、素面しらふー」
じゃあねー、とそのまま解散になり、帰路は私と花岡だけになった。「花ぁ、がんばれよー!」と千葉くんがこちらに手を振って、花岡があっかんべーをしていた。
そして、会話が途切れた。
さすが、同期の中でもとびきりのコミュ障二人だ。まるで会話がない。しばらくそのまま歩いた。最初は気にせずふんふん歩いていたけど、さすがに途中から気まずくなる。
サンダルがかぽかぽ鳴る。ぐんぐん歩いていたら、いつの間にか花岡が後ろの方に遠ざかっていた。
「ねえー」
ぐるん、と振り向く。鞄がそれに合わせて揺れる。
「話したいこと、あるんでしょ」
水を向けると、花岡がびくりと肩を強張らせた。
私が止まると、花岡も止まった。数メートルの距離。閑静な住宅街。
心臓の音が、やけに近い。この緊張は、私のだろうか。それとも、花岡の。
「ふみ」
花岡の声は、かすれて、弱々しい。
「なあに」
「好き」
その声は、かすかだったけれど、確かに届いた。
いつもはすぐ目をそらす花岡が、泣きそうな顔をしながら、まっすぐこちらを見ていた。
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