SHISYAMO『春に迷い込んで』――8
八月上旬。初めてライブに出演した。
平均的に、一年生はこのくらいからライブに出始める。のんちゃんや有紗は、すでに先輩たちから誘われていたらしく、六月くらいからちょくちょくライブに出ていた。有紗はキーボードのテクニックが凄まじく、のんちゃんのドラムもリズムがしっかりしていた。のんちゃんは大学から始めたらしいのに、先輩たちもお墨付きの上手さだった。噂によれば、月に二回、大学近くにあるドラム教室に通っているらしい。
なんとなく出遅れた気がしつつ、迎えた八月。私を含めた、多くの一年生が初陣を迎えた。
千葉くんと花岡くんの二人も、先輩と一緒に組んだクリープハイプのコピーで、そろって初舞台だった。千葉くんは経験者らしく貫禄のあるリードギターを披露し、花岡くんは初めてなりに一生懸命ギタボをやっていた。花岡くんはやっぱり、邦ロックの高いボーカルが似合う。
「『HE IS MINE』やろうって言ったのおれじゃないから‼」
すれ違うなり、花岡くんが慌てて弁明する。何のことかと思ったが、すぐに思い当たるものがあった。たぶん、観客が一致団結して、「今度会ったら」というフリに「セックスしよう‼」って叫んでいたやつ。 男子大学生の剥き出しの性欲と悪ノリの極み。たぶんもともとそういう歌なんだろうけど、変なサークルに入っちゃったなあという気分になったのを覚えている。
恥ずかしがる方が余計に恥ずかしい気がするけどなあ。律義に照れちゃうのが花岡くんぽい。ちなみに、あれをやろうと言い出したのはドラムを叩いていた会長らしい。会長はギタボもできるのにドラムもできるんだからすごい。
千葉くんたちの次が、私が先輩と組んだバンドだ。ベーシストが去年引退してしまったのことで、ベースをやってみないかと誘われた。先輩たちは楽器を買いに行くところからつきあってくれた。
初心者だってことで迷惑をかけないよう、それなりにリキを入れて練習をした舞台は、緊張のせいであんまり記憶がない。けど、同期も先輩も「うまかった」「初めてには見えない」と褒めてくれた。
「今年の一年はみんな上手いねー」
会長が何かの拍子にそう言っていたのも、自分のことみたいに誇らしかった。
だけど、各々の「上手い」は、所詮どんぐりの背比べだった。
有紗が一人で舞台に立った時、みんながそう実感させられた。
高身長の有紗は、舞台上でさらに高いヒールを履いていた。だけど彼女は、ヒールに負けずにまっすぐに立っていた。舞台上で堂々と立つ有紗はかっこよかった。
肩からぶら下げたアコースティックギター。きれいな赤色の爪の先に、擦り切れたピック。弾き語りだ。だけど、みんなが置いている譜面台を、有紗は置いていない。暗譜しているんだ、とわかって、目を見開く。
「よろしくお願いします」
そう一言告げ、マイクを歌声が通った瞬間、周りの空気が一変するのがわかった。
端的に言えば、流れる時間の密度が濃くなった。力強く、それでいてハスキーで、少し抜けるところがある。ちょっと癖のある声だけど、それが歌に乗った瞬間、全てが彼女の存在感の強さに変わった。
優しくて、全く外さないギターの音。初心者のはずなのに、有紗はセーハのあるコードも完璧に鳴らした。まるでCDの音源を聞いているみたいな、完璧な調和。うっとりと聞きほれてしまう演奏だった。
あまりに完成度の高い演奏に、最後の音が鳴ってしばらく、みんな唖然としていた。有紗が小さくはにかんだ瞬間、スコールのような拍手が防音室中に鳴り響いた。
ただでさえ別格だった有紗の演奏は、最後の曲でさらに図抜けた。最初のワンフレーズで、あ、と思った。私は思わず立ち上がりそうになって、慌てて膝を手で押さえた。
よく知っている曲。受験の時、気分が落ち込んだ時、何度も何度も聞いた、私の特別好きなアーティストの、特別好きな曲。
全身の血が高揚感をのせて巡っていくのがわかった。心臓は強く脈打っているはずなのに、心臓の音なんか聞こえなかった。彼女の歌声以外の全てが聴覚から排除された。呼吸も忘れて聞き入った。
どこか憂いのある歌い方が、まるであの人の歌い方そっくりだった。歌詞の緩急のつけ方も、間の取り方も、声の吐き出し方も同じ。今までの歌だってものすごく上手かったけど、比べ物にならないくらい、ハマっていた。有紗もこの歌が好きなんだって、すぐにわかった。
――これって。
春の風のような、あたたかくて、優しくて、少し切ない響き。
最後の一音が終わって、みんなが拍手をし始めた時も、しばらく動けなかった。ふと我に返って、それまでの遅れを取り戻すように、手が痛くなるくらい拍手をした。
「有紗!」
照明が上がり、彼女がステージから降りた途端、私は思わず有紗に駆け寄っていた。
泣きそうだった。心臓が早鐘のように打っていた。
私は一つ呼吸をして、声を一気に吐き出した。
「一緒にバンド組もう!」
有紗のギタボが聞きたい。有紗の隣でベースを弾きたい。有紗と一緒にあの人の曲をやりたい。
ぐるぐると渦巻く思いが、私をかき乱す。
もちろん、と微笑みながら言われた瞬間、涙がこぼれそうになった。私は今、人生で一番幸福だと思った。
有紗が楽器を片すのを手伝って、すぐにのんちゃんを呼びに行った。「のんちゃん!」と血相を変えて叫ぶ私に、のんちゃんは何事かという顔をしていた。
「私と、有紗と、のんちゃんとで組もう! スリーピースガールズバンド!」
時間が、止まった。
周りにいる人たちが、こちらに注目しているのがわかる。緊張と恥ずかしさで顔が熱くなった。のんちゃんの返事を待っている間、時間がとてつもなく長く感じた。震える手を必死で握りしめた。
「やっと誘ってくれたね」
のんちゃんがニカッと笑いながら言った。あの満開の花々みたいな顔で。
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