SHISYAMO『春に迷い込んで』――6

 ますます私の居場所はなくなったんだろうな。少し憂鬱な気持ちで戸を潜った時。

「あ、ふみいたー! 帰ったのかと思った!」

 入り口の方で立っていた有紗が、私を手招いた。

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 自分が呼ばれるなんて、気にされているなんて、思っていなかった。ぱちぱちと瞬きをする。

「今から自己紹介するって! ほら、座って!」

 促されるまま、花岡くんが作ってくれた隙間に入った。

「えー、じゃあ、有紗ちゃんの言った通り、今から一年生から順に自己紹介をしてもらいます!」

 会長が話し始めると、おしゃべりの声がにわかに静かになった。

「一年生は一人一芸すること!」

 え。

「マジすか⁉」

 大きな声で訊いたのは、千葉くん。私も正直同じ気持ちだ。

「マジです。ここの伝統だからねー、先輩たちはみんなやってきたんだよ」

 えー、とどこからともなくブーイング。

「えーじゃない! ほら最初、千葉淳介!」

「俺っすかあ⁉」

 先頭を切ってブーイングをしていた千葉くんが指名される。千葉くんはすぐに腹を決め、「っしゃあ」と言って立ちあがった。「おおっ」と先輩たちが煽る。

「千葉淳介、理工学部、好きなバンドはワンオクです!」

「よっ淳介!」

 さっき千葉くんに絡まれていた男の子が、囃し立てる。

 千葉くんはそのままの勢いで、高校生の時に流行った芸人のモノマネをした。大声だけで無理やり押し通したモノマネは、正直そんなに似てはいなかったけれど、めっぽうウケていた。

 次に指名されたのは、隣に座っていた花岡くん。花岡くんは「ええ……」と戸惑いながら立ち上がり、どことなく落ち着かない様子で自己紹介を始めた。学部は千葉くんと同じ理工学部。好きなバンドはKANA-BOON。なんだかしっくりきすぎて笑ってしまった。花岡くんは確かギタボ志望だけど、邦ロックのハイトーン系のボーカルっぽい雰囲気がある。髪型もちょうどマッシュっぽいし。

 花岡くんは「おれ、指の関節がすごく曲がるんです」となんとも言いがたい芸を披露した。確かに親指が気持ち悪いくらいぐんにゃりと曲がっていた。先輩たちは盛り上げてはくれたが、苦しい雰囲気を察したのか、花岡くんは恥ずかしそうにさっさと座り込んでしまった。

 そうこうしている間に、私の番だ。億劫な気持ちで立ち上がる。

「えーっと……秋田文緒です。文学部です。好きなバンドは……」

 迷っている間の時間の経過が、やけに遅く感じる。

「yonigeです。先輩たちのステージを見て入ろうって思いました」

 大きな歓声が上がった。「ほんとお⁉」と会長は嬉しそうに口元に手を当てた。

 これで芸免除にならないかなー。……ならないっぽい。

 我ながら、特徴のない人間だ。人に披露できる芸なんかない。

 苦肉の策として、私は思い切って自分のグラスを持ち上げた。

「特技とかないんで、一気飲みします」

 さっきよりも大きな歓声と拍手。ああ、大学生って馬鹿だ。自分も含めて。

 何やってんだろ私。後には引けず、ウーロンハイのジョッキを口につけようとした時。

「ふみちゃん、こっち。それおれのジョッキ」

 花岡くんが、ちょいちょいと袖を引っ張った。

 ウーロン茶とウーロンハイだから間違えていたみたいだ。「ごめん、ありがと」とジョッキを受け取り、今度こそ口をつけた。

 一口飲んだ瞬間、あれ? と思った。

 お酒のにおいがしない。

 動揺を表に出さないようにしながら、一口、二口と飲み込んでいく。次第に拍手とコールが聞こえてくる。イッキ、イッキって本当に言うんだな。

 全部が飲み終わる頃には、お腹がたぷたぷになっていた。拍手の中で座り込む。心配そうな目をしたのんちゃんと目が合った。

 次はのんちゃんの番だった。萩島のどか、という本名を始めて知る。心理学部。好きなバンドはチャットモンチー。芸は似顔絵描きを披露し、居酒屋のうすっぺらいペーパーに上手に会長の絵を描いていた。

「ありがと」

 盛り上がりを背に、花岡くんに話しかける。途端、花岡くんは肩をびくっとこわばらせ、ああ、と小さく呟いた。

「ウーロン茶と替えてくれたんでしょ」

「だって、ふみちゃんが無茶言うから。一気なんて」

「うん。だから助かった」

 花岡くんはいたたまれなそうにして、もじもじと目を伏せてしまった。



 自己紹介、一年生のトリは有紗だった。倉持有紗。国際学部、と言った途端、「おお」とどよめきが広がる。うちの大学で一番偏差値の高い学部だ。頭いいんだな。好きなバンドはフジファブリック。高校生までピアノをやっていたので、今のところキーボード志望だけど、ギタボもやってみたい。とのこと。

 有紗の一発芸は絶対音感だった。先輩がピアノアプリで弾いた音を、正確に当てていく。途中までなら私もついていけたけど、有紗は半音を含んだ四つの音の和音まで正確に当てた。

 一年生のエースは間違いなく有紗だな、と思う。



 そのまま時間までだらだら飲んで、食べて、飲み会はお開きになった。まだお皿に残っている料理が勿体ない気がするが、あいにく私はお腹がいっぱいだった。私の分のウーロンハイを無理に飲もうとした花岡くんは、首元まで真っ赤になって、千葉くんにえらく心配されていた。

「ふみちゃん、大丈夫だった?」

 店を出るなり、のんちゃんに声をかけられた。

「うーん。まあ」

「よかったあー! ふみちゃんお酒強いんだねえ」

 こうも正面から感心されると、なんだかいたたまれない。けど、花岡くんの気遣いを無駄にしたくはなかったから、私は「まあね」と格好をつけた。

 あの一気飲みで、私は度胸のある奴として一目置かれたらしい。私に今まで話しかけてこなかった一年生の女の子たちからも、どこかハイテンションに話しかけられた。女子校時代、王子様枠になったイケメンな女の子が、取り囲まれてちやほやされていた様子を思い出した。

「文緒ちゃんって面白いね。」

 女の子の一人(咲ちゃん、だったと思う)がそう言い、傍にいたもう一人(翠ちゃん、だっけ)が「わかる」と頷いた。

「もっと怖い感じの人だと思ってた」

「そうなの?」

「だって金髪だよー?」

「そうそう、最初先輩かと思ってたし」

「マジか」

 思わず笑ってしまう。そういえば、同じことを有紗にも思っていたな。

「ふみちゃんは愛想ないからねー」

 のんちゃんはけらけらと笑って、私の肩にもたれかかった。

 べろべろに酔っているくせに、さらっと核心をついてくる。

「自分の殻をしっかり作ってるっていうか、身構えてる感じがしたもの」

「……緊張してただけだって」

「ほら、緊張って伝染るから」

 言って、のんちゃんはひひっと引き笑いをする。

「にしたって、飲み会の一発芸で一気するような人がさあ……ふふっ……そんな緊張してたんだ」

「うるさいわい。のんちゃん、飲みすぎ」

「そんな飲んでないよお、素面、素面」

 すぐに嘘とわかる嘘をついて、のんちゃんが突然「あっ」と声を上げた。

「これからうちで二次会しない? 来る人おー?」

「はあああーい!」

 と、元気よく割り込んできたのは千葉くん。「花もいくよな?」と肩に手をまわされた花岡くんは、「ああ、うん」と遠慮がちに頷く。二人につられて、男子たちもちらほら寄って来る。

 二次会、という言葉に吸い寄せられて、ぱらぱらと集まって来る同期たち。私もその中で、ひっそりと手を挙げた。

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