SHISYAMO『春に迷い込んで』――5

 五月の頭。いつの間にか新歓の期間が終わり、私は正式にサークルのメンバーになった。

 最初の活動は、「懇親会」。新入生と先輩とが勢ぞろいし、顔合わせをかねた、要するに飲み会だ。

 懇親会は夜七時から。バイトの予定だったけれど、店長に頼んでずらしてもらった。ギリギリまでバイトをし、メイクを直し、いかにも学生御用達っぽい安い居酒屋へ向かう。入り口には既に人が集まっていて、すぐにそれだとわかった。

「あ、文緒ちゃあん!」

 見たことのある眼鏡の女の子が、こちらを見るなり手を振った。私も手を振り返すと、彼女はますます大きく手を振る。無邪気だ。

 なんだっけ、名前。……ああ、そうだ。「のんちゃん」だ。

 傍でしゃべっていた同期のグループ――もうグループできてるのかよ――が、声につられてこちらを向く。男の子が二人と、女の子が一人。男の子の方は、一人はこげ茶の髪とピアスの明るそうな子、もう一人は黒髪でおとなしそうな子。その中に一人混じった女の子は、オフショルとミニスカートでしっかりキメてる、背が高い子だ。

 あのオフショルの子、先輩と喋ってるのをよく見る気がする。あの子も「のんちゃん」と同じ、すぐに集団に馴染めるタイプなのだろう。男子とも仲良さげなのがすごいな、と思う。私は高校が女子校だったからか、男の人にはなんとなく気後れしてしまう。

「文緒ちゃんって言うんだ、新歓よく来てたよね」

 オフショルの女の子がはきはきと訊いた。うん、と私は頷く。最初はこの子のこと、先輩だと思っていた。一年生だと知った時は驚いた。堂々として世慣れた感じや、垢ぬけ方が、とても同期だとは思えなかった。

「有紗です。よろしく」

 すっと差し出された手には、きれいなネイルが施されている。

 お洒落な子なんだな。私は手を握り返し、「文緒です」と名乗った。「知ってるって」と有紗はおかしそうに笑った。

 有紗。私の好きなバンドのボーカルと、名前の音が同じだ。偶然の一致だとわかっていても、少しだけどきりとする。

 それから、傍にいた二人の男の子も自己紹介をした。茶髪ピアスの方が千葉淳介、大人しそうな方が花岡礼と名乗った。花岡くんは千葉くんに「花」と呼ばれていた。本人は恥ずかしそうに千葉くんを小突いていたが、まんざらでもなさそうだった。

「文緒ちゃんはなんて呼べばいい?」

 有紗が首を傾けると、イヤリングがしゃらりと鳴った。

「ふみ、がいい。『文緒』ってあまり好きじゃなくて」

「そう? 素敵な名前だと思うけどな」

 人を褒めるのに慣れている感じがする言い方だった。一方褒められ慣れていない私は、返事がなんともぎくしゃくしてしまう。

「そうだ。一年生の分、あたしが集金してるんだ。もらっていい?」

「ああ、うん」

 鞄の中を漁り、財布を取り出す。三千円。貧乏学生にはなかなか痛い出費だ。

 とはいえ、初めての飲み会らしい飲み会だ。不安もあるが、少しだけ楽しみでもある。

「来てる人、先に店入っちゃってー」

 別で集金をしていた先輩が、こちらに向かって呼びかけた。ベージュのウェーブの先輩は、新歓本祭のライブに出ていた人で、なんとサークルの会長らしい。

「じゃあ、あたし集金あるから。また後で話そ」

「ふみちゃん、一緒にはいろー」

 いつの間にか「ふみ」を習得していたのんちゃんが、私を手招いた。



 がやがやとした喧騒の中。

「決まった?」と、のんちゃんが私を覗き込んだ。

「私、ウーロン茶」

「ええー、せっかくなんだから飲もうよお。一人だけで飲むの寂しいよお」

「どうせ千葉くんあたりが飲むでしょ」

「あ?」千葉くんにすごまれる。

「飲まないの?」

「飲むに決まってる」

「ほら」

「でもでも、男の子と女の子だとやっぱ違うじゃん」

 のんちゃんが上目遣いでこちらを見つめてくる。

 ひとまず飲み放題のメニューを眺めなおした。あれこれ目が迷う。カタカナばっかりのお酒の名前はわからないものばかり。そのくせソフトドリンクのメニューは少ない。

「でもさ、未成年飲酒」

 大学のオリエンテーションでダメと言われたばかりだ。

「カタいよ、ふみちゃん。大学生になったらみんな飲んでるよ。お兄ちゃんなんて、十六くらいから飲んでたもん。無茶しなきゃ大丈夫だって」

 話し声の飽和する中でも、のんちゃんの声は不思議と耳に届く。

「最初ビールの人―?」仕切っていた先輩の声に、「はい!」と、元気よく手を挙げたのは千葉くん。

「花は?」

「おれ、ソフドリ。アルコール無理なの。においでも酔う」

「うわ、無理すんなよ」

 千葉くんのその優しい発言は、少し意外だった。

「文緒ちゃんは?」と先輩。

「私、ウーロンハイで」

 ええい、ままよ。私は腹を決める。のんちゃんにそそのかされるまでもなく、お酒にはちょっと興味があったのだ。無茶だけしないように気をつけよう。

 のんちゃんがカシオレを、花岡くんがウーロン茶を頼んだ頃、遅れてやってきたメンツと、集金を外でしていた面々が揃った。そわそわしながら飲み物を待つ間に、からあげやフライドポテトや卵焼きといった、大きなお皿が次々と届く。全員の飲み物が揃うまでにはじれったいほどの時間がかかり、その頃には目の前の料理のにおいで、すっかりお腹が空いてしまった。

「それじゃあみんな、今日は少しでもいろんな人と話して仲良くなって帰りましょう~! 乾杯!」

 会長が音頭をとって、みんなが一斉にグラスを打ち合わせる。サークルについて触れないのは、万が一問題が起こった時の責任回避をするためらしい、とのんちゃんが耳打ちしてくれる。

 ウーロンハイをちょっとだけ飲んでみた。思ったよりお酒って感じの味。

 それからは、節操のない飲み会の始まりだ。狭い居酒屋はほとんど貸し切りで、すぐに喧騒に満たされる。

 有紗は先輩たちの中で楽しそうに話している。男の先輩に小突かれて、笑いながら肩を叩いたり。率先しておかずを取り分けたり。いわゆる「コミュニケーション能力」の権化ぶりに、私は遠くから他人事のように感心する。

「有紗ちゃん、すごいよねえ」

「のんちゃんも大概すごいじゃん。すぐ馴染んでる感じ」

「有紗ちゃんの方がすごいよ。だってさ」

 言葉の途中で、のんちゃんは「あ」と手で口を覆ってしまう。

「そこまで言って焦らすー?」

 私はグラスを傾ける。

 いつもより人との距離が近くなってしまうのは、きっと、お酒のせい。

「んー、まあいいか、けっこう知ってる人いるし」

 のんちゃんはそれから、私の耳元に顔を近づけた。カシオレの甘いにおいがふわりと鼻を掠めた。

「有紗ちゃん、高倉さんとつきあってるんだって」

「えっ」

 高倉さん、って確か、ミニライブでベースのうまかった人。

 いくらなんでも早くないか。びっくりした私とは裏腹に、千葉くんも、花岡くんまでも、しれっとした顔をしていた。知っていたみたいだ。

「早くない?」

「高校同期なんだっけ? 有紗ちゃん、一浪してるから。千葉くんとも同期なんでしょ?」

「そーそー、高校同じ」

 ビールをもう半分空にした千葉くんが割り込んでくる。てことは、千葉くんも浪人組か。思ったより多い。

「俺と、有紗と、高倉と、あと一個上の横川さんって人と、同じ部活でさ。四人でよくつるんでた。有紗がここ受けたの、高倉の追っかけだぜ。アツいよな」

「ふうん。何部?」

「男バレ。有紗はマネージャー」

 マネージャーなんだ。世話焼きの有紗には似合うけど、なんだか勿体ない気もする。有紗の身長なら、バレーの選手でだって活躍できそうだ。

 ウーロンハイを舐めながら、ふと違和感がよぎる。

 横川。どこかで聞いたような。

「横川さん……って、下の名前『ケン』だったりしない?」

「そうそう、本人も『ケン・ヨコカワ』とか言ってな! ……つかなんで知ってんの?」

「バイト先同じ」

「マジで⁉」

 千葉くんが勢いよく身を乗り出してくる。その傍らで花岡くんがびくっとしていた。

「留年して二回目の二年生だって」

「マジかあいつ、うける」

 千葉くんはお腹を抱えて笑う。声が大きいのはお酒のせいだけではなさそうだ。

 先輩に向かって「あいつ」「うける」とは。全く尊敬されていないのがケンさんらしい。なんて思いつつ、遠くで高倉さんとじゃれる有紗を見やる。言われてみれば、確かに距離感が妙に近い。

 千葉くんも有紗も一浪、ということは、歳としては私たちより一つ上だ。高校まで、一つ上って問答無用で敬わなきゃいけない存在だったのに、今は平気でタメ口で話している。大学って不思議なところだな、と思う。

「千葉くんたちはここ出身なの?」

 そう尋ねたのんちゃんは、心なしか頬が赤くなっている。早くも酔っているようだ。

「そう。地元の大学そのまま進学組って感じ」

「じゃあ実家暮らし?」

「俺は一人暮らし。有紗は実家」

「そうなんだ。――ねえ、ふみちゃんは、どこ出身なの?」

「……私?」

 傍観者を決め込んでいたら、急に話題を振られた。

「埼玉」

「へー、近いね」

「のんちゃんは?」

「わたし、長野」

「お、じゃあ花と同じじゃん」

 壁の華を決め込んでいた花岡くんが、ぱっと顔を上げる。共通の話題を見つけた二人は、それから地元トークで盛り上がり始めた。

 出身地、なんて、いかにも大学生の関係構築の第一歩っぽい話題。あちこちの新歓でもクラスでもさんざん聞かれた。これが飛び火して家族に行かなくてよかった、と思う。もしそうなっていたら、面倒なことになっていた。悪意はないのだろうけど、みんな、両親が揃っている前提で話をするから。

 トイレに立つと、周りの人がぞろぞろとはけてくれた。一個しかないトイレは順番待ちで並んでいて、私が用を済ませて戻る頃には、ずいぶん時間が経っていた。

 そしてその頃には、私のいたはずの輪がどこにもなくなっていた。

 のんちゃんは女子の先輩たちと混ざっていて、千葉くんは花岡くんを伴って他の一年生男子に絡みに行っている。テーブルの隅に、ぽつんと私のグラスらしきものが置いてある。

 唐突に地面がなくなってしまったような不安。

 賑やかな話し声が、さっきとは違う温度感に聞こえる。

 一人の場所で一人でいるより、大勢いる場所での一人のほうが堪える。

 私はもと居た場所に戻り、体育座りをした。宴会の席の端っこは、みんなの楽しげな様子がよく見えた。「やっべえ!」と千葉くんの大きな声が聞こえる。あのへんは盛り上がってるんだなあ、と思う。

 はあ、と一つ溜息が出た時。

 ポケットの中のスマホが震えた。

 着信。この時間だと、たぶん母だ。

 私はうるさい店から静かな外に出る。ドアを隔てていてもうっすらと賑わいが伝わってくる。外に逃げられた安堵半分。母の相手をする憂鬱半分。

「もしもし?」

「ちょっとー、なんですぐ出ないのよ」

 母はご立腹の様子だ。

「ごめん。飲み会」

 正直に答えると、母は「ええっ?」と声を尖らせた。

「お酒なんて飲んでないでしょうね」

「飲んでないよ」

 私は涼しい顔で嘘をつく。

「ならいいけど。ハメはずしすぎないでよ。あんた昔から、流されやすい子なんだから」

「はいはい」

「はいは一回!」

「はあい」

 それからもぐちぐち小言は続く。じゃあそろそろ戻らなきゃだから、と言って、適当なタイミングで電話を切った。

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