新しい始まり

 吹きゆく悠々なかぜは、さらに薄くなり、案山子かかしの冠飾りもかぜと舞うのを止む。

 かぜはついにとまった。

 

 ササッ…

 ふたたび揺らぎ始めた枯草こそうは、客の来訪をしめしている。

 この瞬間、カルタは転生を成した。

 

 畑の作物のあたりで騒ぎ立てた鳥たちは、今度こそ人が居るのを察し、空へ飛び離れた。

 

「私が、案山子ではないのを気付いたのか。霊鳥れいちょうたち。」

 

 なるほど。先の野鳥は、生身を持った生き物ではないようだ。

 

 カルタが地球側で転生をしたのは、夕暮れの時。この異世界でも、同じ時間帯であるようだ。

 それがまさしくいまという時。

 風はあれども、揺るがない電信柱。車は流水かのように道路に走り行き、新幹線はどこまでも駆け馳せ、人はみな帰家きかを急いでいる。

 しかしここは異世界、車もなければ、新幹線も存在しない。

 あるのは、果てしなく連なる夕焼け雲と、起伏を止まない連峰と、地平の向こう側に続く草生えが豊かな野畑。

 

「思い芳しう」

 

 風はなけれども、思いは遥々はるばるからかけ参じたようだ。

 

 こうしてカルタは、一人の来訪者として、遥か彼方からやって参った。

 

 

 カルタは何者かというと、彼は道士である。

 かろうじて、道士である。

 道士として働かなければならないのは、ひとつの仕事だけがある。

 身の修行。

 

 若し人間全体の欲求を分けしきって見ると、それはあたかも三階建ての宿屋のようである。

 一階目は物質的な欲求。

 二階目は精神的な需要。

 そして、三階目は心霊的な探求。

 ある人は一階目で休憩を為した。

 脚力の良い人は二階目で休息を取りたい。そういった人は、大抵は生活にゆとりがあり、実物にこだわりが少ないのである。小説家、画家、役者は凡そこの部類に準ずる。

 精神的なすべての望みを実現なされたら、つぎに新たな子がその人の体に産まれる。それはまるで夢の醒めさとる時、冴え切った精神のたけり。若しくは悩み悩んで、思い詰めた時、一瞬として轟く雷鳴かみなりが、心を晴らした時に等しい。俗語で言うとつまり悟りの境地に至った時である。人間は肉体かつ精神上すべての願望を叶えたのち、はじめて霊的なものが体のなかに実るのである。精霊の宿りし身を心で感じ取り、注意深く手入れをする。しかしその養分はどこから汲み取れたのであろう。

 

 修行。

 身の修行を通して、心霊を培い育てる。

 実際、その境地に至った人間は、大体出家のみちを選ぶ。

 時に、お坊さんと成るより、俗世に留まりたい人は、仙人となり、道士と呼ばれる。

 これはその人たちの称号でも、固有的な名前でもない。こう彼達を呼ぶ人がいる、それだけである。道士、渡人わたりびと、修行者。実際いろんな呼び方が存在する。

 

 そこに、カルタが足を踏み込んだ。

 それだけである。

 もしどこが不足があるだとしたら、それは多分、修行の年月である。

 カルタはまだ若い。

 あらゆるものに動じない覚悟があったにせよ、それを実証する場がないのである。

 磨きが足りないのである。

 こんな彼であるこそ、今後立ち向かう必要のある困難は、多分運命に刻まれている。

 

「ひとまずは、川のあるところへ向かおう。村はその近くにあるかもしれない。」

 

 それも、この物語の始まりである。

 

 

 *

 フーレアは、勇士。

 強いて言えば、魔法士である。

 彼女は、百戦錬磨の強者つわもので、これまで数えきれないほどの戦いを身の上にした。

 しかし、彼女は兵士ではない。

 彼女の生まれた国に、兵士という概念は存在しなかった。

 だからこそか、その国ももう、この世界に現存しない。

 そんな彼女が、家族なる家族、家族なる友人、家族なる国を、最後まで守り切った。

 殺されなかったのは、手練れの強さも、運が良かったのもある。

 敵と戦ってる最中だが、気づけば本拠地はすでに無虚に呑み込まれ、荒地と化した。

 結局、親族も、友人も、国も、だれ一人も救えなかった。

 それが彼女の経歴。

 すなわち命運。

 

「いろはにほへど、ちりぬるを」

 

 彼女の好きな歌だ。

 遠き向こう側の国から伝わってきた歌だと。

 

「わがよたれぞ、つねならむ」

 

 彼女はその戦いの終わる時から、ずっと旅をしていった。

 今はある辺鄙村に定住している。

 

「ういのおくやま、けふこえて」

 

 そして今の彼女は、川岸で体を清めている。

 川水で。

 

「あさきゆめみじ、よいもせず」

 

 彼女は、いつも夕暮れの時間で川辺で休憩をとる。

 そして、体に纏うきぬを柔らかくとりはがし、肌を露出させる。

 彼女の肌膚きふは、黄色おうしょく人種特有の肌色で、鮮やかな色はしない。

 極端に白くなければ、そのうち黄色っぽくもない。

 どちらかというと白いだが、血色のある肌である。

 

 つぎは、長髪をほぐし、自然の状態にさせる。

 彼女は、戦士とはいえ、魔法士であり、体つきがマッシブに見えない。極端に細くもなければ、ぜい肉の含んだ肉体でもない。

 軽く手で髪を撫で過ぎ、耳の邪魔にならないよう後ろにする。

 尾の部分が尖った耳は、彼女が亜人種であることを示している。

 精霊エルフである。

 

 そして、身体を水に没し、そのまま目をとじ、空を仰ぐ。

 

「よろづなる御神様、よかる日とならむずるのきけり、めぐるはありがたきや」

 

 その声は、鈴のごとく。風とともに涼しい感じが、川にあるすべての霊にとどく。

 

 長い髪は、水面に漂う。

 水は、柔らかい精霊の体をさらっと、さらりとかする。

 また、フーレアは、水によって清めた腕を伸ばし、夕陽が指の隙間からさし通ったのを見つめる。

 そして、胸をさする。胸から、腹、太もも、最後はあし。

 すべてのよごれが、舞のような動きによって、水によって流される。

 

 彼女はまだ、しばらく居続けたいようだ。

 

「けふおさおさすまさざらば、心掛くるものと、歌ひつつも」

 

 もう一度身体を緩めたいか、フーレアは歌いながら水の流れと舞う。

 今度はきちんと、脇の下から、ゆっくり手でさすった。

 繰り返した戦いで自然にできた腹のくびれも、気を使わなければなりません。

 手で、のったり、おへそまで繋いだ線をこする。

 指で、ゆったり、寛骨の部分を撫でまわす。

 つぎに細心を払うところは、足指でありますね。

 足のすきまに、手で本来あるべき清潔さになるよう、細やかに作業をする。

 親指から小指、すみずみまで、きちんと清める。

 

 最後の最後は、ふたたびまぶたを閉じ、空を仰ぐ。

 その時…

 

長亭ちょうていがそと、古道こどうが傍ら、くさ茫茫とし天をか連なりぬ。夜風やなぎぬぐいて残らぬ笛の声、夕陽山てらせてまた山なり。我が見るに、こぞしかる光景であらずや。」

 

 声を聴きして、フーレアはその元に顔を向ける。

 

てんなるはて、地なるすみ知交ちこう半ば零落す。はてはていずこや、かなしきひとよ。」

 

「此処なり。ご不便なところを見かけてしまい、申し訳ありません。る美しき光景、見惚れ落ちる所存である。」

 

成程なるほど。そなた、何故こが地に?」

 

「実のところ、今夜下宿の場所をか、探し求めています。川辺に人の気配こそ感じとれ、ここに至ったのが所以ゆえん精霊エルフ女子にょしよ。」

 

「分かり申しつ。しからばその村がわたりにてまたるるを。」

 

「お心得て居ります。」

 

 

 これも、この物語の始まりである。

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