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私はほんと都合の良い時にだけ「神様助けてください!」って思うタイプですね。でも、小さい時から「お天道様が見てる」みたいなのはずっとあって、誰も見てないからちょっとくらいは良いかなって思う時でも「いやお天道様が見てるんだよな」ってなったりしますね。いまは「そんな姿を子ども達に見せられるか!?」って感じですけど。『お天道様=子ども達』。親としてね。手本にならんとですから。
あとはまぁ、誰がどんな神様を信じてても信じてなくても良いけど、自分と考えが違うからってそれを否定したりするのはいかんよなって思いますね。別の世界で暮らしてるなら良いけど、近くで生活するんだったら、お互いにそこは大事にしないとと、『サトコとナダ』って漫画を読んで改めて思いましたね。
作者からの返信
>誰がどんな神様を信じてても信じてなくても良いけど、自分と考えが違うからってそれを否定したりするのはいかんよな
そう!そこなんです。
「キリスト教でもないくせにクリスマス祝ってんじゃねーよ」とか言うのはおかしいんですよね。お祭りなんだし、菓子業界やスーパーなんかはそれが無いと売れないんだしさ。
無宗教の人は多いと思いますけど、無神論の人はそこまでいない気がします。縁起を担ぐ人も何かに祈る人もそれを信じていると言う事ですから。日本人は決まった宗教の固執する人がその宗教関係者以外以外には少ないと言うだけなんですよ。
それに意識していないと言うだけで、私達は宗教儀式を当たり前のようにしているものです。例えば、食事の前の「いただきます」とかね。いただきますが仏教由来だと分かったからって嫌だからやめようってはならないでしょう。生活に浸透しているんですねえ。
そもそも、色々な宗教関係のお祭りを喜んで受け言えれている時点で無神論じゃないです。無神論って全ての宗教を無意味なものとして忌み嫌う連中の事ですから。日本人は無宗教であり、信仰心は結構厚いんですよ。
作者からの返信
無宗教と無神論を一緒くたにして書いちゃいましたね💧
無宗教というんですが、その割には迷信深い面もありましてね。言霊信仰と怨霊信仰は根強いですよ。不幸なことが起こることを想定する(言葉にする)のを嫌うから契約が下手で、死んだ人のことは基本的に悪く言わない(某Jの人は今ボコボコですが)。特に自殺したらそれで叩くのをやめるというのは、贖罪済みと考えてるというよりは、祟り神になったら嫌だからじゃいかなという。
キリスト教、イスラム教、仏教みたいな「制度宗教」を信じてないだけで、単純な先祖崇拝と汎神論は根深いところで信じてるフシがあります。
作者からの返信
先祖崇拝と汎神論はもう血の記憶ですね。DNAに組み込まれてる感じ。
自分が「○○教」という自覚がなく、ただ「ご先祖様が見ていそう」とか「祟られそう」とかそういう恐怖みたいなものですかね。
祭になると「うぇーい!」って国籍関係なくなっちゃうんですけどね。
下で兄も言っていますけど、自分は寺の家系なのに無宗教です。
けど案外そういう人って、多いと思います。同じく寺の家系の親戚や、現住職の娘である従姉妹なんかは、お経が読めません(^_^;)
しかし宗教は無理にやるものではなく、なんとなく信仰するくらいでいいのかなーって思います。
宗教戦争を見ていると特に(-_-;)
誕生日ケーキ、自分も食べてなかったー!
昔はワンホール一人で食べれてましたけど、今はもう無理ですね(ヾノ・∀・`)
作者からの返信
寺の家系なのに無宗教、それでいいと思います。
だって家と自分は別物だもん。
聖戦ほど馬鹿馬鹿しいものは無いなと、無宗教派は思っちゃいますね。本人たちには死活問題なんだろうけど。
来年はワンホール食べたい!
(実は無月兄弟の誕生日に限りなく近いです)
そっか…14にもなれば酸いも甘いも味わってるもんね、誕生日くらいじゃ騒がないよね。
ちなみにうちは毎年クリスマスイブに、寿司とチキンとケーキを食べる『THEバチ当たり日本人』です。
宗派は…何だっけ、何だったかな~、ナントカ真教みたいな感じのお寺さんです。()
作者からの返信
本当はクリスマスと誕生日にはケーキ食べたいんだけど、忘れてんの。
うちの実家もなんか仏教っぽいけどよく知らんのよ。