ある探偵のクロッキー
存思院
嗜みとしての武術に関して
畢竟怠惰傲慢奇才にして退屈を憎み、事件を愛する類の探偵は身辺に華々しく死体でも舞っていなければただの狂人である。狂わないために古い泥沼の底の底のヘドロでつくったカクテルのような非日常にくらいつくわけだが、すると身に危険が生じる。要するに。
「私はね、生きるために武術もやらなきゃいけなかったのだよ」
「そうですか」
事件の合間のこういう時間に、まさしく退屈に殺されかけている探偵どのは七杯目のモヒートを氷まで食べつくすとぽつりぽつり話し始めた。
「それで、先生を探した。私の天才的な頭脳が、或る達人を臨済宗の寺に見出した」
「その方に教わったのですか」
「いや、それが、まあ学生だからぎり許されるかなと思って、いきなり殴りかかってみたのだけれど、拳が届く前に、いや確かに顔面に触れた、その瞬間あとに、私は床とキスするはめになったのさ」
探偵は懐かしむような顔で唇に手を触れた。
彼女によると、達人は笑いながら南無観世音菩薩、と一言こぼしたらしい。
なぜ観音なのか、武とは何か、尋ねると老人は……
「『それお前さんが観音さんで、その拳が南無なのだ』、なんて云う」
「はあ、禅問答ですか」
「君、この意味がわかったとき、私はそのまま武術の達人になったのだよ」
百戦錬磨の探偵は、延命十句観音経を三遍唱えて八杯目のモヒートを注文した。
彼女の拳は、いやに綺麗だ。
ある探偵のクロッキー 存思院 @alice_in
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