第5話 科学の融合
話が逸れてしまったが、コウモリの逸話の中で、
「卑怯なコウモリ」
というイソップ寓話の話があると言ったが、前述までの話は、コウモリの生態に関したところで、この話は、
「結果的に、コウモリの生態系がどうしてそうなったのか?」
ということを証明するかのような話であった。
このお話は、まず、
「獣と鳥が戦争をしている」
というところから始まるだった。
どちらにも、ついているわけではなかったコウモリは、鳥にあったら、
「自分は羽根があるので、鳥だ」
といい、獣に対しては、
「自分は、毛深いので、獣だ」
といって、うまい具合に立ちまわっていた。
しかし、そのうちに、両者の戦争が終わると、それぞれに対してうまく立ち回ったコウモリの態度がお互いにバレてしまい、両方から疎まれる結果になったのであった。
それで、コウモリは孤独になってしまい、暗くジメジメした洞窟の中で暮らすようになったというのが、このお話だったのだ。
目が見えないのは、きっと、暗いところにいて、目が退化してしまったか何かではないかと思われる。
「暗いところに住んでいて、目が見えない」
というエピソードを、こういう話で作り上げるというのが、実にイソップ寓話だと言えるのではないだろうか?
考え方によっては、どこか聖書に似ていないこともない。さりげなく、教訓を織り交ぜるところなど、日本の昔話にも言えることであるが、
「一体誰が、こんな話を思いつくのだろう?」
と思えるのだ。
話が一つであるなら分かるが、これだけたくさんの話を作り上げるわけなので、意外と、いろいろなところに伝わっている話を、つなぎ合わせて、まるで
「短編集」
というような形で作り上げているのかも知れない。
いわゆる、
「口伝」
という形で伝わった話が、おとぎ話になり、寓話と言われるものになってきたのではないだろうか?
そういう意味では、
「中には、本当の話もあるのかも知れない」
と思えるから不思議だ。
「本当のことは、たくさんのウソの中に紛れ込ませる」
という言葉もある。
要するに、
「木を隠すには、森の中」
というではないか。
つまり、
「ウソばかりの中にこそ、本当のことが隠されている」
といえるのだろう。
だから、ウソを見抜く力は、本当を見抜く力でもある。
「コウモリという動物は、どこまでの逸話として本当なのだろうか?」
と考えさせられてしまう。
ある意味、コウモリという動物は、他の動物に比べて、
「これほど人間臭い動物もいないのではないだろうか?」
とも思える。
「悪がしこいというのは、褒め言葉なのか、それとも、揶揄する言葉なのか、コウモリにとってはどっちなのだろう?」
と思えるのだった。
コウモリ自身、
「生き残るためには、仕方のないこと」
だったのかも知れない。
どちらにも、見えるということは、どちらにも近いということであるが、逆に言えば、
「どちらでもない」
ということになる。
それだけ、決定的に、それぞれの動物に比べて弱いということになるのだろう。
だから、どちらを相手に喧嘩をしても勝てるわけがない。
かといって、どちらかについてしまうと、いずれ、相手とは違うということがバレてしまい、殺されるか、追い出されるかするだろう。
何しろ、
「相手方のスパイではないか?」
と思われるからだ。
そう思われてしまえば、殺されても仕方がないだろう。
スパイ行為というのは、今の時代の戦争でも、かなりの重罪になる。スパイ行為をしてしまうと、国際法上の身の安全が保障されないことになるからである。
人間の世界でもそうなんだから、獣や鳥と言った動物の世界で、許されるわけなどあるはずもない。
そんなことを考えていると、
「生き抜こうと必死なコウモリを、卑怯だと言えるのだろうか?」
と考えてしまう。
しかし、戦争をしている当事者たちにとって、生きるためとはいえ、自分たちを欺いたのは、許されることではない。当然、鳥や獣から、無視されて、暗いジメジメした世界に追いやられても仕方のないことだろう。
こんなコウモリのジレンマを、文学作品として描くと、一つの物語にまることだろう。寓話の世界でも十分に成り立っているが、それは、コウモリや動物の形を借りて、人間世界の中での、
「人間らしさ」
を描いたのが、この寓話で、
今度は、人間社会の中で、例えば、人間が作り出したロボットが、獣や鳥のような身体の機能を有し、戦争をしていて、身体が不完全で、鳥にも獣にもなりきれないロボットが苦悩している様子を描いていたのだ。
その様子は、次第に、鳥か獣のどちらかが、人間でいうところの、
「正義か悪か」
ということになり、コウモリはその中途半端性から、
「悪にも正義にもなり切れない」
というものであった。
だから、正義か悪かで揺れ動き、精神的に中途半端なために、生き残るため、どちらにも加勢をしないと、生き残ることのできないという、いわゆる、欠陥製品でもあった。
ただ、能力的には、どちらの特徴も有しているので、
「コウモリロボットは、使いようによっては、利用できる」
として、生き残りのために、必死になっているコウモリロボットを利用しようと考えていた。
一匹だけでは、一対一の戦いに敗れるコウモリも、集団で行動する、同じ数の、複数による合戦では、負けなしだった。
それだけ団体戦では、自分たちの特徴を生かすことができて、負けを知らない。
それだけ団体戦のように、ひしめいて戦う分には、目が見えないという特性を生かして、混沌とした戦場において、敵味方の区別も簡単について、混乱することなく、戦いに慢心できるのだ。ある意味、
「やつらは、団体戦をするために生まれてきたも同然だ」
と言われるのだが、まさにその通りであろう。
団体戦というのは、考えたり、躊躇すると、急に怖くなったり怖気づいてしまったりする。
しかし、コウモリロボットにはそれはなかった。
猪突猛進というやり方は、いかにも、先遣隊として突進する一番隊にふさわしいと言えるだろう。
鳥や獣についていた先遣隊としての、コウモリロボットが、まず緒戦で戦うことになる。それは、ある意味相打ちを意味した。
その間に、後ろで本隊が体勢を整える。それが、緒戦での作戦だったのだ。
あの寓話は、あくまでも、
「コウモリが、自分が生き残るために、卑怯な手段を使って、生き残りをかけたために、バチが当たって、あのような孤独で、辛い環境に追いやられた:
ということを書いているようだが、拡大解釈をすると、逆に、
「コウモリは、卑怯ともいえる方法ではあるが、自分の生き残りのために、必死に考えて、力のない自分をいかに守るかという課題を見事にクリアした」
ということも言えるのではないだろうか。
だから、孤独で寂しい場所で、暮らさなければいけない環境になったが、決して滅びることもなく、自分たちだけの世界で、繁栄し、目が見えなくても、超音波を使って、自分の位置を知ることができるという、少なくとも人間にはない超能力を用いることで生き残っているではないか。
そういう意味で、
「卑怯なコウモリ」
という話は、それぞれの解釈によって、正反対の意味として読み取ることができる。
もちろん、読んだ人間が、どのような生活環境にあるか、そして育ってきた環境、さらには、持って生まれた性格だったり感情が、解釈するのに、いろいろな影響を与えているに違いない。
コウモリというものが、実際にどういう動物なのか、今ははかり知ることはできないが、人間にはなく、そして他の動物にも見られない特殊な部分が多いことはよく分かったのだ。
ただ、コウモリというのは、鳥と一緒で、皆同じところにいて、集団で動いているように見えるが果たしてそうなのだろうか?
もし、コウモリに感情があるのだとすれば、コウモリ一匹一匹に個性があり、
「俺は、他の連中と同じでは嫌なのだ」
と思っているとすれば、どうなのだろう?
そもそも、その性質上。つまり、今の環境になった理由を、描いたといってもいいといわれるイソップ寓話でも、まったく違った解釈ができるではないか?
そうなると、コウモリも皆、集団で動いているように見えて、実は自分の性格で生きているのではないか、
一匹ごとに違った性格を持っていて、ただ、その習性から、他の動物には、皆同じに見えてしまう。
それは、言葉を話せないという意味で、コウモリだけに言えることではなく、他の動物にも、その可能性はないわけではない。
ただ、他の動物の可能性が、限りなくゼロに近いようにしか思えないことを考えると、コウモリという動物の可能性は、人間とまではいかないが、かなり高いものではないかと思うのだった。
「コウモリの性格が分かるようなものか、言葉があるとすれば、それを解読できるようになれば、人間にとって、大きな一歩となる発明となるのではないか?」
と、そんな風に考えたのが、長治だった。
彼が、そんな発想に至ったのは、まだ十歳にもなっていなかった、小学生低学年の頃だった。
もちろん、漠然としたもので、
「コウモリって、他の動物と違って、不思議なところが多いよな」
という感覚を持っていた。
だが、それは漠然としたもので、その頃はまだ、
「卑怯なコウモリ」
という話すら知らなかったのだ。
その話を小学5年制くらいの時に聞いて、まるで、目からうろこが落ちたような感覚となり、
「いずれは、コウモリを中心として、生物研究の道に進みたい」
と思うようになっていた。
小学生の理科の授業でも、生物的なものにいつも興味を持っていて、中学に入ると、生物の授業が結構楽しかった。
生物個別の話というよりも、遺伝子だったり、生理学的なものであったり、それまで知らなかったり、興味のなかったことにも、それぞれ興味を持つようになってきた。
そして、生物学の観点から、大いなる発明ができるようになれば嬉しいよな・
と感じていた。
長治は、中学、高校と結構勉強し、K大学の理学部で生物学の研究をするようになったのだ。
一年生の時から、研究熱心で、成績もよかったので、四年生になる頃の就活の時期に、ゼミの先生から、
「大野君の研究熱心さには、一目置いているのだが、どうだろう? この研究室に残ってはくれまいか?」
と言われたので、
「それは、光栄なことです。お世話になります」
と、望んでいた通り、大学院に進み、そのままこの研究室で研究ができる環境を手に入れたのだった。
ここでは、生物の生態や習性、それだけにとどまらず、工学部、それも、ロボット工学に精通している人がいて、彼らとコラボのような形で、お互いに情報共有を行う形で、研究を進めてきた。
おかげで、長治も、ロボット工学について、いろいろ勉強できているので、ありがたいことでもあった。
それが、
「自分の生物学の研究を進めていくうえでの意義」
というものに結びついてくるということを考えると、自分の研究がいかに役立っているかということを考えるようになっているのだった。
長治は、コウモリの研究が中心であったが、それ以外の動物の研究もしていると、工学部とのコラボの観点から、ロボット工学というものに、興味を持つようになっていた。
そもそも、ロボット工学というのは、ずっと前から発想はあった。
実際のロボットのようなものは、日本でも江戸時代から、
「からくり人形:
という形で存在していて、19世紀の世紀末では、万博などに、ロボットの原型となるようなものを出展までしていたというではないか?
たら、科学が発展していく中で、
「ロボット工学」
と、
「タイムマシン:
というものの開発はなかなかうまく行かないのが現実であった。
昔は、
「電子計算機」
と言われたコンピューターというものの発達の激しさから比べれば、前述の二つは、まったく進んでいないといってもいい。
「タイムマシン」
の場合は、
「タイムパラドックス」
なるものが目の前に立ち塞がっている。
タイムパラドックスというのは、
「時間、あるいは、時空の矛盾」
という言葉で言い表せるのではないだろうか?
例えば、
「自分が、過去に行って、自分の運命に携わることに関わってしまい、自分の人生を変えてしまったりすると、自分の運命が変わってしまい、タイムマシンを作る自分が存在しないことになる」
という発想である。
タイムマシンを作れないのだから、過去に行くことができず、未来を変えることはできない。
ということになると、運命が分かることはないので、タイムマシンを作って過去にいく運命のままとなる。
そうすると、運命を変えてしまうことになり……。
これが矛盾の堂々巡りが繰り返される。
ただ、それは平面を見ているからで、実際には、高さや深さが存在するものだとすれば、螺旋階段のようになっていて、それが上昇しているのか、下降しているのかによって、同じところをクルクル回っているわけではない。
一歩間違えれば、
「負のスパイラル」
なのかも知れないが、逆に、
「上昇気流に乗っている」
ともいえるのではないだろうか?
そんなことを思っていると、タイムマシンの開発が結界に阻まれて、先に進まないのも仕方のないことだろう。
しかし、最近では、そこに、マルチバース理論という、パラレルワールドな考えが生まれてきたのも事実だった。
パラレルワールド自体は、今に始まった考え方ではない、マルチバース理論は最近言われ出したことだが、これも、パラレルワールドの発想なくして生まれてくるものではなかったであろう。
つまり、同じ時間の同じ次元に、実は無数に世界が広がっているという考え方である。
時間というものは、未来が現在になり、そして過去になっていく。現在という時間が一瞬なだけで、
「未来も過去にも、それぞれに無限の世界が広がっていることから、現在だけが、一瞬なのではないか?」
といえるのではないだろうか?
今こうやっている次の瞬間には、何が起こるか分からない。これが一種のパラレルワールドというものだ。
発想としては、宇宙の広さや質量から考える、理論物理学の発想から始まっているのだが、元々は、パラレルワールドと理論物理学とは別世界の発想で進んできたはずではなかったか。
それを一緒に結びつけることで違う見え方が出てきたことで、生まれてきた世界。それが、
「無限に広がるパラレルワールドだ」
といっていいのではないだろうか?
マルチバース理論は、パラレルワールドを理論物理学の世界から、考えた新たな世界ではないかと思えるのだが、どうなのだろう?
とにかく、いくつもある学問を、その学問の中だけで考えるのではなく、連携させることで見えてくるものもあるに違いない。
生物学と、物理学であったり、心理学を応用することで、ロボット開発などに役立てることができないかということも考えられているのだった。
タイムマシンと理論物理学、特に、
「アインシュタインの、相対性理論」
などは、理論物理学の要素をしっかり含んでいて、
「理論を解決し、証明できるものは、理論物理学に相違ない」
と考えていた。
ただ、アインシュタインの発想が、彼の存命中に解決できなかったのかと考えると、彼には一つ、今考えられていることと少し違った考えがあった。
それは、宇宙の存在についてであるが、
「宇宙というものは、拡大し続けている」
というのが、今の一般的な通説であるが、アインシュタインはどうやら、
「宇宙は決して変わるものではなく、不変のものである」
と思っていたようだ。
柔軟な考えで、
「宇宙は絶えず同じ大きさだ」
という考えが、ひょっとすると、目の前にある結界を解き明かすことができなかったのかも知れない。
それだけ自分の発想に自信を持っていたということなのかも知れないが、それだけ、宇宙というもの、そして理論物理学の限界を自らで設けているように思えて仕方がないのだろう。
長治の場合は、自分の中の生物学は、アインシュタインの考えとは違い、絶えず膨張している宇宙という発想と同じで、ある意味、限界を感じないようになっていた。
しかも、アインシュタインがいくら天才であり、頭の構造が皆と違っているのではないかと思っていたとしても、自ら限界を作ってしまったことで、それ以上にはなれなかったのではないかと考えたのだ。
だから、長治の考え方の中で大きなものは、
「決して自分の発想に限界を定めない」
というものであった。
長治は、そう考えることによって、ロボット工学への考えにも踏み込んでいけるような気がしていた。
というのは、
「パラレルワールドやマルチバースという考えが、タイムパラドックスに対しての一つの答えを出していると言えるのではないだろうか?」
という考えを、自分なりに応用して、
「自分の研究がいかに正しいものとして仕上げるか」
ということを、考えるようになったのだった。
ただ、この考えも、応用すれば、
「ロボット開発」
にも使うことができる。
ロボット開発において、難しいと言われるのは二つあり一つは、
「ロボット工学三原則」
というものと、
「フレーム問題」
と言われるものだ。
ロボット工学三原則というのは、昔から言われている、
「フランケンシュタイン症候群」
と呼ばれるものの考え方に似ているもので、
「理想の人間を作ろうとして、怪物を作り出してしまったことにより、人間が危機に陥ってしまう」
という物語をリアルの考えた考え方である。
つまり、
「ロボットを作ってしまうと、人間を殺したり、支配したりして、人間に害を加え、人間にとって代わるような世界がやってくる」
だから、人間はロボットの中の人工知能に、
「人間を傷つけてはいけない」
「人間に逆らってはいけない」
などという三原則を織り交ぜたものを入れ込む必要があるというのだ。
しかし、この三原則は、事情によって、優先順位を決めておかないと、大きな矛盾を生じてしまう。例えば、
「人の命令には絶対に服従しないといけない」
ということを組み込んでおいて、その人が、
「自分の気に食わない相手を殺せといえば、ロボットはどうするのか?」
という問題である。
「人を傷つけてはいけない」
という規則もあるからだ。
きっとロボットは動けなくなるだろう。
だから、この場合、
「人のいうことに服従しないといけない。ただし、人を傷つける命令には従ってはいけない」
というような、但し書きによる、優先獣医である。それが、いろいろなパターンが考えられるので、
「本当に三原則だけでいいのか?」
という問題が出てきて、先に進まないのだ。
もう一つの、
「フレーム問題」
というのは、
「ロボットは、人間のような状況判断ができない」
ということだ。
ロボットは、組み込まれた可能性やパターンについては、人間よりも、瞬時に判断することができるが、それ以外の可能性が考慮されていないと、勝手に無限の可能性を考える。それは、人間には当たり前にできている。パターンわけというものが、ロボットにはできないのだ。
つまり、フレームごとにパターンを入れ込むという形である。
例えば、洞窟の中に入って、何かを取ってくる時、普通なら、中に何か危険なものがあればどうしようということを考えてしまうに違いない。しかし、ロボットはそれ以外の、まったく関係のない、
「急に色が変わったらどうしよう?」
というありえない可能性まで考えてしまい、無限ループに嵌りこんでしまい、動くことができない。
「では、ロボットにも、いくつかのパターンに分けて、理解させればいい」
ということが考えられるが、考えてみれば、分子は無限なのだ。
分母がいくつであろうが、得られる答えは、どこまで行っても無限なのだ。これを、
「フレーム問題」
というのだが、この問題を解決しない限り、ロボット開発は先に進むことはないのであった。
この二つの問題が結界となって、ロボット開発に、のしかかってきているのだ。
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