第6話 冷凍保存
そんな長治が、ある時、気になったものに、
「冷凍保存」
というものがあった。
SF小説などでよく見られることであったが、世の中には、不治の病というものがいくつもある、時代によって、医学の発展によって、少しずつ、不治の病は解消されていった。
結核であったり、脚気などがいい例である。脚気など、その病気自体は、ほとんど耳にしなくなったり、結核というものも、たまに流行するという話も聞かれるが、ほぼ聞かなくなったといってもいい。
結核などは、昔は予防接種がインフルエンザ並みに毎年、
「打ってください」
と言われてきたが、最近では、予防接種なども聞かなくなった。
流行しても、特効薬があるということもあり、手術どころか、薬の投薬くらいで治るものとなったのだ。
戦後は、ストレプトマイシンから始まって、どんどん、結核の特効薬も発達したことで、流行も抑えられてきた。
今は、不治の病とまではいかないが、ここ数年、世界中で大パニックを引き起こした、大パンデミックと呼ばれるものも、そのうち、
「ただの風邪」
と言われるくらいになるだろう。
「マスクをすることが当然」
という毎日が来るなど、誰が想像していたことか。
少し流行が収まりかけていた時、政府の方で、
「屋外でのマスクの着用を必要としない」
などということが言われた時も、
それまでの無能といってもいいくらいの政府の政策だったにも関わらず、国民は、あれだけ、政府の対応に、不満を漏らしていたにも関わらず、
「マスクをしなくてもいい」
と言えば、こぞってマスクをしなくなっていった。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
というのは、まさに。このことなのだろう。
そんな中でも、
「まだ、マスクを外すのは怖い」
と言っている人も結構いた。
それは、政府に対しての不満から不信感に繋がっているという人もかなりいることだろう。
しかし、それよりも、それまでずっとマスクをはめて暮らしていたのに、
「急にマスクを外してもいいと言われても」
といって、戸惑っている人も多いという。
というのは、
「マスクをすることで、人に自分の本心を見られないという利点があったのに、マスクを外してしまうと、人から考えを盗み見られるようで嫌なのだ」
という人がいるということである。
特に、女性が多いという。
「まるで裸を見られているような気がする」
という人もいるくらいで、確かに、マスクをするのが当たり前だと思っていたのに、急に外していいと言われると、
「表に出るのに、何か重要なものを忘れてきたような気がして、実に気持ち悪い」
と感じている人も多いということだった。
その思いは結構な人が思っているようで、
「政府に不信感を抱いている人よりも、むしろ多いのではないか?」
と言われているほどであった。
確かに、政府のいうことは、すべてが後手後手に回っていて、しかも、その理由のほとんどが、
「自分たちの都合によるもの」
だっただけに、
「誰が、政府のいうことなど聞くものか」
と思っていた。
しかし、そうは思いながらも、それは、
「生きていくうえで、息苦しい」
と感じる方に、向かっていたからであり、伝染病も一段落し、早く経済復興、あるいは、かつての息苦しくない生活に戻れるかというのを、心待ちにしていた人にとっては、これまで不信感しかなかった政府であっても、
「やっと政府がまともなことを言い出した」
と手の平を返したかのように、政府を擁護し始めた。
そんな情けない国民を見ていると、
「なるほど、あの政府にして、この国民か」
と情けなくなってくる。
確かに、政府は、
「自分たちの都合:
で、この日本を引っ掻き回した挙句、パンデミックを抑えられなかった。
もっとも、今回のパンデミックは、未曽有の大流行で、全世界で、その正体が分からないため、必要以上なまでの、抑え込み政策に入った、
「どこぞの国」
もあったが、そこは、やりすぎとしか言いようはないが、それ以外の国では、流行を抑えることができなかった。
しかし、あれだけ抑え込みをした、
「どこぞの国」
でも、それだけやっても、抑えることができなかったことでも、
「結局、誰がトップとなって、政策を打ち出しても、結果は一緒だったのではないか?」
ということに変わりはないだろう。
それを思うと、
「結局、自分たちの都合で動いても同じではないか?」
と国民は、そう感じるかも知れない。
ただ、それを国家として、政府が政策に使うというのは、ありえないことで、政府に対しての不満は残るものの、制限がなくなるということには、手放しで喜ぶという人がほとんどなのも、無理もないことだろう。
ただ、これは、あくまでも、
「今回のパンデミック」
に限ったことでしかないのだ。
今後、世界で、また流行るであろう、
「未知のウイルス」
に対して、同じ対策で言い訳はない。
「そう、パンデミックの時代はこれからであり、今回の大流行は、まだまだプロローグでしかない」
と感じている人が結構いて、そういう人が危機感を持っているのだが、ほとんどの国民は、
「これで、悪夢は去った」
と思うことだろう。
そして、またすぐにやってくるであろうパンデミックに対して、
「また同じことをすればいい」
という安直な考えの人もいるかも知れないが、
「今度は、最初のウイルスよりも、もっとひどいものなのか、それとも、少しずつでも、軽いものになって言っているのか?」
そう考えることで、
「なぜ、そんなことを考えたのか?」
ということを思った時、それが、
「無意識のうちに、パンデミックのスパイラルが起きてきているということを、自分たちで認めているのだ」
ということなのだと、分かるようになるのだろうが、その時に、この日本がどうなっているか、他人事のように考えれば、見ものだというものだ。
それも、もちろん、自分がその時に、生きていればということである。
「世の中なんて、しょせんは、そんなものだ」
といえるのではないだろうか?
今の国民のほとんど、いや、政府の人間でも、
「これは、まだパンデミックというものの序曲でしかないのだ」
ということに気づいていないだろう。
たったひと時の安らぎは、ただの気休めでしかないのだった。
だが、そのうちに、これからどんどん発生してくるウイルスの中には、結核や、がんにも負けないほどの大きな病気が待ち構えているに違いない。
それこそ、
「令和の不治の病」
と言われるものの誕生ではないだろうか?
だから、前述で、
「不治の病は。どんどん医学の発達で少なくなってきている」
とは言ったが、
「いずれはなくなる」
とは一言も言っていない。
むしろ、減るとも限らないではないか。
「不治の病が減るスピードよりも、不治の病の方が増えるスピードが速かったとすれば?」
と考えれば、容易に想像のつくことである。
そんな不治の病を治すには、どうすればいいか?
これは、昔からSF小説などで言われていた、
「肉体の冷凍保存」
という方法である。
もちろん、希望者を募ってのことであり、肉体と一緒に、記憶や頭脳までも、冷凍保存ができるようになれば、不治の病が治る頃に、未来の人間に、冷凍保存を解いてもらい、そこから新しい人生の続きができると考えればという、まさに小説でしかできないような発想であった。
もし、これを現実的なものとして考えた時、どうなるだろう?
それらの開発が果たしてできるかどうか?
というところから始まり、それが可能となれば、今度は、山積みになっている問題が、果たして解決されるかということである。
まずは、数十年後に不治の病というもののその病気が不治の病ではなくなったと仮定した場合。
「どうして不治の病ではなくなったのか?」
ということから、考えなければいけない。
まず考えられることとして、
「その病原菌が死滅してしまっている」
ということ。
これであれば、冷凍から目覚めても、大丈夫であろう。
しかし、不治の病と言われる菌は残っていて、特効薬ができた場合。
これも、前者と同じであろう。
しかし、特効薬による解消ではないと考えた時、それは、
「人間が、肉体を捨てて、サイボーグのような肉体を手に入れることで、病と決別する時代になっていた」
という場合である。
果たして、冷凍保存されていた頭脳や記憶をサイボーグが受け入れられるかどうかである。
サイボーグに変わることができる人間が限られていて、サイボーグになれなかった人は死滅してしまったので。人口が減った。だから、冷凍保存していた人をサイボーグ化させて、できるものであれば、そこで労働人口を保たせようというもので、生き返ることができたとしても、過去からよみがえった人間は、しょせん、その時代では奴隷でしかないとすれば?
そんなことを考えていると、
「生き返ることが、本当によかったのだろうか?」
ということになる。
もちろん、記憶も心もそのままに再生されるのだ。どちらかだけということでは、再生はできないのだ。
「俺たちは、こんな時代のために、何とか生き抜こうと思い、冷凍保存されたわけではないのだ」
と考えると、それこそ、昭和の頃にあったSF映画を思わせるものになるのではないかと思うのだった。
そういう意味で考えると、
「冷凍保存」
というのは、諸刃の剣のようなもので、
「死ぬも地獄、生きのこるのも地獄だとすれば、死んだ方がマシだった」
といえる時代が来るとは、誰が感じることであろうか?
そんな話は、あくまでも、冷凍保存ができるようになってからの話だと思っているかも知れないが、そんなことはない。もし冷凍保存ができるなどということが、マスゴミや世間にバレると、ちょっとした社会問題になる。
まず、政府やメーカーには、
「いつ、そんなことができるようになったんだ?」
というクレームが絶えないだろう。
政府批判をしたい連中にとっては、格好の餌でもある、
まず、人権問題団体から、クレームが上がることだろう。
「人間を冷凍保存するということは、その人の尊厳を奪うことでもあり、イメージとしては、安楽死と同程度お問題ではないか?」
と考えるからである。
このまま生きていても、植物人間となった人は、助かる見込みもなく、ただ、生かされている状況を望むだろうか?
しかも、その医療費は莫大なものだ。家族は、借金をしながら、生きているか死んでいるか分からない人間を生かして生かしておかなければならない。
また、この人が、数年、いや、数十年経ってから、ふいに目覚めでもすれば、そこはカルチャーショック、知っている人はおらず、いきなり自分は、何十年も経って、年を取って生き返るわけである。頭の中は、時間が経っていないのに、身体と、まわりは年数がたっているわけだ。こんな形で目を覚まして、
「よかった。よかった」
となるだろか?
「あのまま死んでいた方がマシだった」
ということになりかねないのではないだろうか?
それを思うと、
「生きるということがどういうことなのか?」
ということを思い知らされるだけである。
そういう意味では、
「冷凍保存による延命」
というのと似ている。
それを、人権問題団体が、一番に声を挙げるのではないだろうか?
ただ、大っぴらにはいえない。
これを問題にするということは、
「尊厳死に対しても言及することになる」
というわけである。
一つだけでも、答えが見つからないのに、もう一つが問題になるということは、これほど大きな問題というのもないということだろう。
もし、人権団体が声を挙げなかったとしても、実際に今の世の中で、
「不治の病」
で苦しんでいる人も少なくはない。
「うちだって、冷凍保存させてもらいたい」
といって、殺到するだろう。
ただ、実際に、できるようになったとして、費用も問題、機械の確保、さらに、患者の家族との話し合い。
さらには、死んだ場合の責任の所在。たぶん、冷凍保存を依頼した時点で、手術の時のように、不慮の事故があったりした場合、冷凍保存を行う側の責任は一切問わないなどという誓約書は書かせることになるだろう。
半日で終わる手術でさえ、そんな誓約書が必要なくらいである。
もっとも、実際に死んでしまえば、そんな誓約書など、紙切れ同然で、訴える人は訴えるのであろうがである。
そんなことを考えていると、いつ自分が植物人間になるか、あるいは不治の病に罹るか分からない。本当は皆、心の準備が必要なのではないだろうか?
冷凍保存に関しては、実際にできていない。やはり、できたとしても、前述のような社会的問題が解決しないと、先に進まないからだ。
これは、ロボット開発における、
「ロボット工学三原則」
であったり、
「フレーム問題」。
さらには、タイムマシン開発における。
「タイムパラドックス」
であったり、
「マルチバース理論」
などというものと同じであろう。
「開発できたものを、この世に晒す前に、直面するであろう問題は、解決しておかなければいけない」
ということである。
それを思うと、人間にとって、何が大切なのかを思い知らされることになる。
確かに、一番大切なのは、命である。
「命あってのものだね」
とは言われるが、だからと言って、風前の灯火になった命、回復の見込みは限りなくゼロに近いと言われる命。それと比べるものといえば、その人間の尊厳と、家族の尊厳の問題である。
確かに家族は、患者には、
「助かってほしい」
と思うに違いない。
しかし、実際には、助かるかどうか分からない命のために、自分の生活を完全に犠牲医することになるのだ。
「もういい加減、自由にしてやってもいいじゃないか?」
と周りの人はいうだろう。
まわりの人から見れば、本人も家族もどちらも苦しく、この先、不幸になる道しか見えないのであれば、そう思うのも当然のことである。
そんな中において、医者お立場としては、
「助かるかも知れない命が1%でもあれば、救うのが医者の勤めであり、日本では安楽死は認められていないので、もし、生命維持装置を医者が外せば、殺人罪ということになるかも知れない」
と言われる。
最近では、その時々の事情で、判例は変わってきているようだが、基本的には安楽死は認められていない。
だから、生命維持装置を外せば、その時点で、殺人としての容疑がかかるのはしょうがないことであろう。
それを分かっていて、医者にどこまで勇気があるかである。
医者としては、家族から頼まれることもあるだろう。
ただ、実行犯が医者というだけで、殺人教唆には変わりない。
当然、家族は本当は生き返ってほしい気持ちはあるだろうが、そのために、残った家族全員が不幸になるというのは、理不尽である。
「あの人だって、そんなことを望んでいるんだろうか?」
と、植物人間となった人は思うだろう。
それが、安楽死の問題である。
しかし、
「冷凍保存」
という問題は、それに比べれば、かなりいいことではないだろうか?
なぜなら、
「人の命を助けるため」
ということだからである。
放っておけば、必ず死ぬという状態の人の延命である。倫理的には、かなり違う。
しかし、問題は、数十年後に生き返った時である。
自分の死っている人は、十年以上も年を取っていて、その間の歴史を持っている。
それは、自分の知らないものであり、その間に、知っている人は変わってしまったかも知れない。
結婚を考えていた人が、すでに結婚していたり、そもそも、相手は、自分よりも数十歳上なのだ。下手をすれば、同い年だった人が、自分が冷凍された時の親と同い年になっているかも知れない。
その間の時間を、果たして埋めることができるだろうか? ハッキリ言って不可能である。
なぜなら、
「その人も、今一緒に時を過ごしているわけで、相手との距離は相手が、冷凍保存されない限り、縮まることはないのだ」
そんな状態になって、生き返ってきたとして、果たして、幸せだと言えるだろうか? その時死んでおいた方がよかったのかも知れない。これから生きていかなければいけない自分の人生に、果たして自分で責任が持てるのだろうか?
それを考えると、
「神が定めた運命に逆らっても、ロクなことはない」
といえるのではないだろうか?
そんな中で、冷凍保存の方法は、シークレットであったが、どこから漏れたのか、方法について、ウワサが流れるようになった。
そのウワサとして、上がったのは、方法というよりも、その場所の特定であった。場所が特定されたことで、その方法が明るみに出たといってもいい。
それが、樹海の奥にあると言われた、長治の屋敷だった。
そこは、通称、
「コウモリ屋敷」
と言われていたが、その場所は、以前から、
「何か怪しげな研究をしているのではないか?」
ということで、警戒はされていた。
今から二十数年前にあった、ある宗教団体の、
「テロ活動を思わせる」
あの時は、毒ガスを開発し、それを公共交通機関でばら撒くというもので、田舎の村で、大きな工場を作成し、地元住民が、立ち退き運動を行っていたが、結局、警察も公安も動かなかったことで、未曽有の大惨事を招くことになった。
警察も公安も、何と言っても、
「何かが起こらないと動かない」
いや、
「動けない」
ということから、どうしようもなくなってしまったのだ。
だが、そも宗教団体の方では、警察の行動を必要以上に気にしていて、どうやら、警察内部にスパイがいるようで、その人の情報で、
「近いうちに、組織の工場に、立ち入り捜査が入る」
ということが情報をして入ったようだ。
その情報を手に入れた教祖を中心とした首脳陣が危機感を感じ、
「何とかしないといけない」
ということで、立ち入り捜査を少しでも、遅くするためと、警察内部を混乱させるという目的のために、
「交通公共機関で、毒ガスをバラまく」
という非常手段に訴えたのだ。
実は、彼らには、
「毒ガスを撒く」
という意味での前科があったのだ。
毒ガスを撒くことで、少しは時間稼ぎができるだろうが、捜査を受けるのは時間の問題だったはず、それでも、強行したというのもおかしな気がするが、彼らなりに計画があったのだろう。
前科の方も、自分たちに別件で捜査が及びそうだったということで、毒ガスをバラまいたのだったが、そのせいで、警察が交通機関で毒ガスばら撒き事件の犯人が、その宗教団体だと思うに至るのは一瞬だったことだろう。
結局前科の方の犯罪があったから、疑われることに繋がったわけで、前科自体も、どこまでは本気だったのかということが分からないだろう。
そんな宗教団体は、結局、ごまかしていたが、逮捕されてしまい、数年前に、教祖を始めとした、首脳陣のほとんどは、死刑になったのだった。
そんな事件があったことで、やっと我が国でも、テロ集団に関しての法律もできて、今では、もう少し捜査権限は強くなっているだろう、
しかし、今回の話は、
「不治の病を治療する」
という意味なので、別に悪いことではなく、むしろ、医学の発達という意味で、いいことに分類されるべきことではないのだろうか?
ただ、変なウワサがどこから流れたのかというと、その理由が分からないだけに怖いものがある。
「長治自体が流したのではないか?」
という話もあったが、あくまでも可能性という話で、理由に結びつけるには、無理があるのではないだろうか?
「俺にとって、何のメリットもないことだ」
ということになるだろうが、
「それを何とか理由付けて、犯罪に結び付けよう」
と考える人がいるに違いない。
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