見えない男

 え………?

 なんで…私の男達が全て…私の傍から離れていくの?

 あの男達は私の傍に居たくて居たくて堪らない筈の男達……

 眩しい光に包まれながら、微笑みながら昇っていく私の男達を唖然としながら見送っていた。

――し、信じられない……

――しかし……事実だ……よな?

 私に逆らってばかりの二人の男達も唖然としている。

 あの女ですら、まるで奇跡を目の当たりにしている様子……


 危険だ――

 北嶋さん……いいえ、『あの男』はきっと私を滅ぼすだろう。

 私は『あの男』に包丁を持って近付く。

 私と『あの男』の距離が、ほぼ無くなったその時、『あの女』が私に気が付いた。

「!!北嶋さん!!右に、直ぐそこに『あれ』が!!」

 しかし『あの男』は見えない……

 さようなら……少し惜しいけど、男はまた別から見つけるわ。

 私は『あの男』に包丁を突き刺す。


 ぎゃっ!!


 顔に痛みを感じた!!

 何?何が起きたの?と、取り敢えず起き上がらなきゃ……

 起き上がる?なんで?何で私は倒れたの?

『あの男』から少し離れて倒れている?

 え?まさか………?

 私は顔を押さえ、その信じられない出来事を理解しようとした。

 嘘でしょう?

 今起きた出来事は俄かに信じ難い。

 私に逆らってばかりの二人の男も、あの女も全く理解し難いといった表情だ。

「当たった?」

 当たった?……そう、『あの男』は私にパンチを浴びせたのだ!!

「え?ええ……ええっ!?」

 あの女は状況が飲み込めない……いや、そんな状況すら見た事が無いだろう。

 私と『あの男』を何度も何度も見直している。

「じゃ、化け物はどうしてる?」

「え?『あれ』は北嶋さんから1メートルくらい離れた所で倒れているけど……」

「うし!!」

『あの男』は一歩前に出て――私の顔面に蹴りを入れた!!

――うっ!!はっ!!ぎゃっ!!ま、待って……ぎゃっ!!!

 何度も何度も蹴りを浴びせられる?

「おい、化け物ダメージ受けているか?」

「え?はぁ……そ、そうね………」

 あの女も未だに信じられないのか、『あの男』の問い掛けに生返事ばかりしていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 私は奇跡を見ているの?

 霊を拳で殴り倒し、更にはキックを入れている?

 人類史上初の奇跡、いや、無茶苦茶!!

「な、なんで触れられるの?」

「見たからイメージ掴めたからな」

 見た?『あれ』を?

「い、いつ見たの?」

 北嶋さんは『あれ』に蹴り入れるのをやめずに言う。

「写真を見ただろ?化け物の写真だよ。あれで化け物がどんな顔か解ったしな」

 あのクローゼットから出て来た写真?

『あれ』が北嶋さんに存在をアピールしようと、どこからか持って来た写真!!

 聞いた事がある。

 強いイメージは現実になると。

 例えば梅干しを想像しただけで唾液が出るとか、火の点いていないタバコに熱いと感じ、火傷までするとか……

 北嶋さんは『あれ』の写真を見て、『あれ』を具現化した?

 だからあの時、写真を見ながら怖い顔を、いや、集中していたんだ……より具現化にする為に。

 なんと言う凄い人……

 いや、なんと言う単純な人なんだ!!

 北嶋さんは相変わらず『あれ』に蹴りを入れ続けていた。

――はがぁ!!

『あれ』は力を振り絞り、北嶋さんの蹴りから逃れた。

「気をつけて!!『あれ』は離れてしまったわ!!」

「なに?生意気な……どこにいる?」

「左斜め下……あ!危ない!!」

『あれ』は北嶋さんに包丁を突き刺そうと、突っ込んで来た。

 包丁が北嶋さんのお腹に突き刺さる!!

「き、北嶋さん!!北嶋さん!!」

 私の目の前が真っ暗になる………


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 ふふ!!遂に殺った!!

 私の包丁が『あの男』の脇腹に突き刺さった!!

 全くとんでも無い男だった。天使の如きの私に散々蹴りを入れるなんて、これは天罰ね!!ギャハハハハハハハハハハハハハハハどうっ!?

 私の顔面に再び激痛が走った。

『あの男』のパンチが私を捉えたのだ。

――フガッ!!……ま、まあいいわ……どのみち致命傷………はあ???

 脇腹に突き刺した筈の包丁がすり抜けている?

 血の一滴すら出ていない……

 何故!?

 私の疑問をあの女が代わりに訊ねる。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「ほ、包丁が突き刺さっている筈なのに、何とも無いの?」

 包丁は北嶋さんの脇腹に突き刺さった……いや、通り抜けていた?

「そりゃ、見えないもんに殺傷能力なんて無いだろ?」

 実にあっけらかんと答えた!!

「だ、だって北嶋さん『あれ』を殴れるじゃない?」

「包丁は見ていないからな」

 ずるい!!何と言うご都合主義なんだ!!それでは不公平じゃない!!

 私がそう言おうとするのを、北嶋さんが続きの言葉で止めた。

「奴等……霊は自分から触れるのに、こちらから触れないだろう?テレビでよく手足引っ張られたとか言っているだろう?ならば逆もアリだろ」

 自信満々で答える北嶋さん。その笑顔が、してやったり!な顔をしている。

「あ、ああ……成程……そ、そうね、そうか……」

 イマイチ納得出来ないが、それで納得するしか無い。

 現に『あれ』は北嶋さんによって多大なダメージを受けているのだから。

 霊に直接打撃を与えるという奇跡、いや、珍事。

 北嶋さんには北嶋さんなりの理由があるのだろうが、やはり私には理解し難いが、『あれ』が打撃に苦しんでいる事実……

 もう奇跡でも珍事でも何でもいい!!

「北嶋さん!!もう一歩前!!」

『あれ』が見えない北嶋さんをナビする事に徹底しよう!!

「おし!!」

 北嶋さんは一歩前に進み、蹴りを沢山沢山沢山放った。

――いや!!がっ!!もうやめ……ぎゃっ!!

『あれ』は必死で逃れようとするが、『この家』は私が張った結界の中。寝室から出る事は叶わない。

 寝室の端から端に転げ回って逃げている。

「もうやめてと言っているけど?」

 無抵抗でボコボコに蹴られている『あれ』に多少同情してしまう。

「じゃ、化け物はやめてくれっつった男を解放した事があるのか?」

 私は高野さんと加山さんを見た。咄嗟も手伝ったのだろうが、二人とも首を左右に振った。

「やめた事無いみたいよ?」

「ふん!!」

 北嶋さんは『あれ』を再び執拗に蹴り続けた。

『あれ』には多少同情するが、これも因果応報と思い、そのまま見ている事にした。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 何も無い空間に攻撃し続ける俺。少しばかり飽きてきた。

 神崎が右だ左だとナビするもんだから、それに従って蹴り続けていたのだが……

 俺は神崎に訊ねる。

「化け物はどんなになっているんだ?」

 せめて半殺しまで追い込んでいたら少し休むか。死んでいる奴に半殺しってのもおかしな話だが。

「『あれ』は泣きながら許しを乞うているけど……」

 泣きながら?

 つまりは泣く余裕があると言う事か!!

 いい加減飽きて来たが、そんな余裕があるならば、まだまだ追い込まなければならない。

 しかし、疲れて来たのも事実。

 俺は暫く考えた。蹴りを入れながら。

「化け物はこの部屋から出られないんだよな?」

「え、ええ……結界を張っているから、寝室から出られないけども……」

 つまりはここに監禁しているようなもんか。

 俺は決意した。

「よし。休憩したら、また追い込んでやる。コーヒーでも飲むか」

 俺は寝室から出て行った。

「え?ええ……そ、そうね……」

 神崎も釈然としない表情ながら、俺に付いて来た。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


――ううう………ヒックヒック……うわあああああぁぁ…………

 泣いた。

 私が私になってから、私に出来ない事は何も無かった。

 全て私の思うが儘、幾多の男達を私の傍に導いて来た。

『あの男』は そんな私を……私をぶん殴るという信じられない暴挙を行っている……

――悔しい……悔しいよぉ……わああああああぁぁぁぁ………

 泣いているその直ぐ傍で、私に逆らってばかりの二人の男、高野と加山が私を哀れみの目で眺めていた。

――何よ!!そんな目で見ないで!!

 泣いて腫れている顔など見せたくない。私はいつでも男にとって天使で在りたいから。

――終わりだな

――結局、俺達は何も出来なかったが……

 二人の男は私が『あの男』によって滅ぼされると思っている様子……


 冗談じゃないわ!!

『あの男』!!この私を……天使の如く清らかで慈悲深い私を!!!!

 悪魔め………!!

 天使が悪魔に敗れる事は決して有り得ない事を教えてあげましょう!!

 私は二人の男を私の全てを使い、取り込む事にした。

――俺達を取り込んで尚挑むというのか

――化け物が!!どうにもならん事は幾らでもある!!かつての俺達のようにな!!

 ごちゃごちゃ煩い………!!

 あなた達は私の傍に居ながら、常に私に逆らって来たわ!!屑の魂でも、少し位は役に立って貰わなければ!!今までの寛大だった私に今こそ借りを返しなさい!!

 私は二人の男を捕り込む。

――ふん、いいさ。どうせ滅びが希望だったのだから

――あの男に共に滅ぼして貰おうじゃないか!!

 二人の男は抵抗すら無く、易々と私に取り込まれた……

 私の……

 私の力が……

 今まで以上になったような気がした………

 今ならあの女の小癪な真似をぶち破れるかもしれない!!

 寝室から出ようと試みる。


――ぁぁぁぁ………


 身体が……見えない壁にぶつかっているようで……前に進めない……


――くそ……くそ!!くそが!!ちくしょう!!がああああああああああああああああああああ!!!


 バチンと不愉快な音が聞こえたのと同時に、私の身体が寝室から出た。


――ハァハァ……『あの男』…………………殺す!!!


 私は久し振りに本気で殺意を覚えた。

 今までも殺意が無かった訳では無いが、これ程明確な意志は、私が私になってから、恐らく初めての事だった……!!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 パチンコの景品で取ったコーヒーを美味しそうに飲む北嶋さん。

「ふう。一仕事した後のコーヒーは旨いな」

「一仕事って……」

 ま、まあまあ、落ち着く意味で私もコーヒーを戴く。

「で、でも、相手はもう生きていないのよ?どうやってやっつけるつもり?」

 そう、『あれ』はこの世の者では無い。打撃で倒すのは不可能だ。

 私が然るべき所に還して、それで初めて終わりとなるのだが……

「そんなの、何回も何回も殴って自分から許しを乞わせればいいだろう?」

 呆れたと言うか、豪胆と言うか……

『あれ』に打撃を喰らわせて、何とかするつもりのようだ。


 ドン!!ドン!!バリバリバリ!!


 何?今の音?

 私は音のする方へ目をやった。

 二階?『あれ』が暴れているのか……えっ!?二階から暗い塊が一階へと降りて来た!?

「ま、まさか……」

 凍り付いた。『あれ』が私の結界を破って一階へ降りて来ているのだから!!

「き、北嶋さん……」

 立ち上がって、『あれ』の動向を伺う。

「『あれ』は……ここに来ようとしているわ……」

 尋常じゃない汗の量……止まらない身体の震え……

 単純に『あれ』に恐れを抱いたのだ。結界を壊すなんて予想もしていなかった……

『あれ』は悪霊として、かなりの位置に行ってしまったのか……!!

「ふ~ん」

 呑気にコーヒーを啜る北嶋さんにちょっとガクッとしたが、直ぐに気を取り直す。

「マズイわ、逃げましょう!!一旦引くわよ!!」

 このままではこちらが殺される。

 それ程迄にパワーアップしている狂気がこちらにやって来る!!!

「なんで逃げるんだよ?」

 きょとんとして訊ねて来た!!緊張感が全く無い!!いや、今更だけど……

「結界を破るまでの悪霊になったの。改めて策を練らないと危ない……」

 しかし北嶋さんは聞いちゃいないとばかりに立ち上がる。

「俺の家に居座っているクソ女が。この機会に叩き出してやるか」

 北嶋さんは辺りを見回す。

「キョロキョロしないで、早く出ましょう!!」

 掴んだ手を振り払い、北嶋さんが逆に訊ねた。

「化け物はどこにいる?」

 あれ程パワーアップした『あれ』にも、やはり北嶋さんには感じなかったようだった。

 来る!!

 北嶋さんを殺しに……

『あれ』が来る!!

 身体の震えが止まらない………!!


 ……ヒューヒュー……ゴボッ……ヒューヒュー……ゴボボッ……ヒューヒュー……ヒューヒュー……ヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒュー!!!!!


「あ、あああ………」

 先程までの『あれ』を遥かに凌駕する邪気。纏っていた暗闇すら霞む程の暗黒の塊!!

 目を見開き喉から大量の血を吹かせ、その血で自身の裸体を深紅に染め………

『あれ』が私達の前にやってきた!!!

 北嶋さんは相変わらずキョロキョロしている。あれほどの負ですら北嶋さんには気が付かないようだが……

『あれ』は北嶋さんの目の前に近付き、歯を剥き出しにして北嶋さんの顔に、その荒く、禍々しい形相を突き出す……!!


――コロス……!!コロス!!コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス!!殺ス!!!!!


 こ、こんな化け物……どうやって倒したらいいの!?

「おい、化け物はどこだ?」

 私が答える前に『あれ』が答えた。


――テメェノメノマエダァァァァァアアああああああああああああああ!!!


『あれ』が包丁を突き付ける。

「!北嶋さん!!真正面よ!!」

 北嶋さんは『あれ』に殴り付け……られない!!躱した!?『あれ』が北嶋さんのパンチを躱した!!

――ギャハハハハハハハハハハ!!ケイジヲトリコンダノハセイカイダッタ!!ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!!

 刑事を取り込んだ?加山さんか!

 加山さんのスキルが『あれ』にそのまま反映されているんだ!!

「当たった?」

 私が答える前に、再び『あれ』が応える。


――アタッテネェヨカス!!ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 むう、どうやら化け物は先程より機敏になっているようだ。

 化け物は確か裸だと言っていたな。

 つまり襟首捕まえてぶん投げる事も出来ないと言う訳だ。

 う~ん、う~ん、う~ん、う~ん……考えろ……考えるんだ俺!!化け物を的確に捕らえる方法を考えるんだ!!ジッチャンの名に賭けて!!

 何度も申し訳無いがジッチャンは農家なのは内緒にしてくれ。

 ん?そういやジッチャンが言っていたな。山の中で熊と出くわして、ぶん投げた話。

 ジッチャンは耄碌もうろくジジイなので、話半分に聞いていたが……

 まあ、熊も裸だしやってみるか?

 俺は神崎に指示を出す。

「化け物が突っ込んで来たら合図してくれ」

「え?ええ……」

 よし、後は化け物が突っ込んで来ても良いように体勢を…

「来たわ!!」

 え?もう?

 俺は体勢どころの騒ぎじゃなく、化け物が突っ込んで来たであろうと仮定し、イメージで化け物の足を払い、化け物がつんのっめったであろうと仮定し、化け物の背中を思い切り押した。

 更に化け物が顔面から倒れたであろうと仮定し、化け物の背中に馬乗りになった。

 イメージプレイは……

 俺の十八番なのはトップシークレットさ!!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


――ヒャハッハッハハハハハハハハ!!シネヨオオオオオオオオオオ!!!

 私は『あの男』の腹部目掛けて包丁を突き刺すように動いた。

 前傾姿勢、つまり体重を乗せた状態だ。

「来たわ!!」

 遅い……遅いわ……

――ヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!

 包丁が『あの男』に突き刺さる。しかし……

――クソガアアアアア!!ヤッパリササリヤガラネエエエ!!ムカツク!!ムカツクナアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!

 私が刺せないもどかしさに苛ついていると、『あの男』は私の脛を思いっきり蹴った。

――イテェェェェェェ!!ナニシヤガ……

 そして私の背中に思いっきり拳を叩き付けた。

 私は倒れてしまった。しかし直ぐに起き上がろうとした。だが、背中に重しがあるかの如く、起き上がれなかった。

 私は自分の後ろを辛うじて見た。

『あの男』が憎たらしい顔をしながら、私に乗っかっているじゃないか!!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 俺は今、化け物の背中に馬乗りになっている筈だ。

 じゃ、後頭部ぶん殴るか。

 俺は化け物の後頭部をイメージ!!

 ぶん殴る!何度も何度もぶん殴る!!

 端から見たら、エアぶん殴るだな。いや、化け物はみんなには見えるんだっけか?

 まぁいい、とにかくぶん殴る事に専念しようか。

 更には化け物の髪を掴み、そのまま引っ張り、床に叩きつける様をイメージ!!

「おら化け物が!!もう一回死ねよ!!ああ!?」

 化け物が恐怖に歪む顔をイメージする俺。

 これもエア脅しだな。まぁ、あれこれ考えるのは探偵の性……

 そうだ!俺は今日から『心霊探偵』を名乗ろう!!

 心霊に苦しむ依頼者を救う正義の探偵……まさに俺の天職と言えないだろうか?

 神崎に霊視してもらい、俺が幽霊をフルボッコにする。

 夫婦心霊探偵だな。

 おおお!!そう考えたら俄然やる気が出て来たぞ!!

 自然と唇が緩む。

 イカンイカン!!ハードボイルドはポーカーフェイスが基本だ!!

 しかし、俺は薔薇色の未来を想像し、顔のにやけを止める事ができかった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 北嶋さん……笑いながら『あれ』を攻撃している……はっきり言って引く。

『あれ』は髪を引っ張られ、何度も何度も床に顔を殴打されている。

 北嶋さんはニヤニヤしながらそれを実行している。

 時折死ねや!! とか言っているし……

『あれ』はパワーアップしたにも関わらず、ただ泣き叫んでいた。

 私の背筋が寒くなる。


 怖い……


 北嶋さんが怖い……


 北嶋さんの本性が垣間見えたような気がする。私はそんな北嶋さんにグーで顔を何度か殴ってしまったのだ。

『あれ』が滅びたら、次はもしかして、私の番……?

 頭を振って否定する。

 ううん、そんな事は無い!!北嶋さんは『あれ』相手だからこそ、必死で戦っているんだわ!!

 そんな事を考える私に『あれ』が何か言って来た。

 耳を傾ける……

「え!?今何て!?」

 私は信じる事が出来なかった。

『あれ』は私に『たすけて』と懇願してきたのだから……!!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 私の……私の顔を何度も叩きつけている『この男』……笑いながら、何度も殴っている『この男』……


 怖い!!


 もうイヤ!!何故私がこんな目に遭わなきゃならないの?

 私はただ、私の傍に居たい男達と平和に仲良く暮らしたいだけ!!

『この男』も私の傍に居たいから『この家』に越して来たんじゃないの?

 わあああああ!!もうイヤ!!やめて!!助けて!!

 私は何度も『この男』に懇願した。

 しかし、『この男』は私が見えない。私の悲痛な訴えは、『この男』には届かない……

 誰か!私を『この男』から救って!!

 あの女に届くよう、私はあの女にお願いしていた。

 助けて!!もう殴られるのはイヤ!!私を『この男』から解放して!!

 私の叫びが届いたのか、あの女が私を驚きの表情で見た。

 見ていたなら、気が付いたなら『この男』を止めて!!

 最初は憎むべき存在のあの女が、今は救いの女神に見えて仕方なかった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「北嶋さん、ストップ!」

 私の停止で北嶋さんがピタリと拳を止めた。

「どうしたんだ、いきなり?」

 肩で息をしながら北嶋さんが聞いてきた。

 激しく殴っていたつもりなのだろう。存在を感じない北嶋さんは空気を殴っているような物だから。

「……今、話を聞いてみるから少し待って」

 そう、『あれ』は私に助けを求めて来たのだ。

 俄かに信じられないが、『あれ』は確かに北嶋さんから逃げ出したいと思っている。

 私は精神を集中させた。もしも罠なら、再び北嶋さんにGOサインを出さなければならない。しかしGOサインって……自分が何様なのか心苦しすぎる!!

 だけど北嶋さんだけが頼りなのだから……

(どうした?私に何か言いたい事があるのか?)

――もう……殴られるのはイヤ……私を助け……

『あれ』が泣いていた。

 確かに気の毒ではあるが、自分は何人も人を殺して、更には自分に縛っていた。

(お前の罪は重い。北嶋さんから逃れたくば、然るべき所に行くしか無い。私にはそれしか彼に進言できない)

――然るべき所……?

『あれ』が首を傾げる。

(……あなたの在るべき所……そこは……地獄)

 私の言葉を聞いた『あれ』は明らかに表情を豹変させた。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 地獄!?

 ふざけるんじゃないわよ!!地獄に行くのはあなた達の方でしょうが!!

 私は私の傍にいたい男達を導いて、快楽を与えただけ。感謝されこそすれ、怨まれる筋合いは無い!!

 私の憤りを感じたか、あの女が『あの男』に目で合図をした。

 ゴッ!!

――ぎゃあ!!

 あの女の合図で『あの男』が私にパンチを浴びせる。

(あなたは殺し過ぎた。留まるのも地獄、還るのも地獄)

 還る!?私が還る場所が地獄だと言うのか!!無礼な女が!!

 ゴッ!!

――ぎゃっ!!

 くっ……信じらんない……こいつ等は人間の情を知らないのか!?

 私がどれほど男達に感謝されているか知っているのか!!

 ゴッ!!

――ぷぎゃあ!!

 ううう……もう後頭部も顔面も痛くて痛くて……出てくるのは涙と鼻血……

 こんな屈辱……初めてよ!!

 私は取り込んだ二人の男を少しだけ表に出した。

――この二人がどうなっても良いと言うの!?

 あの女の顔が露骨に曇る。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 高野さん、加山さん?

『あれ』の背中から二人の顔が出ていた。

 人質か!?なんて卑怯な奴……いや、だからこその悪霊か。

 悔しさのあまりに奥歯を噛み締める。

「どうかしたか?」

「『あれ』の背中から高野さんと加山さんが顔を覗かせているの……人質のつもりよ。これ以上『あれ』に手を出したら、二人はどうなるか……」

 二人を助ける術を考える。

「背中?ここらへんか?」

 北嶋さんは『あれ』の背中から少しだけ顔を覗かせている二人の頭をガシッと掴み、そのままズルルルル~……と、二人を『あれ』から引き抜いた。


 え?


 引き抜いたあああああああああああああ!!?

「抜けた?」

「はああああああああ??抜けた???何で?何でも有りなの???」

 北嶋さんの両腕に高野さんと加山さんがしっかりと抱えられている!!

――えええええ!?

――えええええ!?

 二人同時にすっとんきょうな声を上げた。

――はああああああああああ!?

 しかし一番すっとんきょうな声を上げたのは『あれ』だった。

「じゃ、お前達も還りな」

 北嶋さんが高野さん加山さんを上に放り上げた。

 高野さんと加山さんは……両手を合わせ……笑い、泣きながら……眩い光に包まれて……昇って行った………

「還った?」

「え、ええ……安らかな顔をして逝ったわ…」

 数々の奇跡、いや、珍事を敢行していった北嶋さん……驚きを超えて呆れてしまう。

「いやいや、感謝はしなくていいんだぜ?パートナーの仕事を手伝うのは当然の事さ」

 親指を立ててニカッと笑う北嶋さん。パートナーってのが少し引っ掛かるけど……

「いよいよ『あれ』一人になったわ……今なら『あれ』を躊躇なく葬れる!!」

 精神を集中させる。


『あれ』の周りに炎が立ち上る!

「何やってんだ?」

 勿論北嶋さんには炎が見えない。

「ちょっと黙ってて!!」

 精神集中を切らしたくない私は、言葉が少し強くなっていたようだ。

「は、はいっ!!」

 妙に緊張した北嶋さんが少し可哀想だった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 いやよ!!いや!!焼かれる!!何この炎!?私の身体を包み込むわ!!!

 熱い!熱いわ!やめて!私が一体何をしたと言うの!!

『あの男』に馬乗りにされながら、私の身体が炎で包まれていく。

――やめて!!二人して卑怯よ!!私は……私は!!!

 徐々に灰になっていく私……だが意識だけはハッキリとしていた。

 証拠に馬乗りになっている『あの男』が何故か背筋をピンと伸ばして緊張しているのが解る。

――あああ……熱い……熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!がぁああぁああああああああああああ!!

 渾身の力を込めて、『あの男』の馬乗りから脱出した。

 転げ回るが炎は消えない。容赦なく私の身体を焼き続ける。

 こうなれば……せめて道連れに…!!

 私の目があの女に焦点を定める。

――女ぁぁぁぁ!!貴様だけでも殺してやるううううううううううあああああああ!!

 私は吠えた!!

 女は私から目を逸らさずに印を組み、呪文のような言葉を唱え続けていた。

 炎に包まれた私は、あの女に向かって首を締めようとし、近付く。

――死ね!!死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!

 私の手があの女の首に掛かる瞬間、右脇腹に強烈な痛みが走り、ぶっ飛ばされた。

――あああ……な、なにがあったの?

 脇腹を押さえ、顔を上げる。

「蹴り当たった?」

『あの男』が私の前に立ち塞がっていた!!

 何故!?私が見えない筈だ!!あの女も今は私に集中している!!私の位置が解る訳が無い!!

 そう考えている間にも、どんどん炎は私を焼いていく…!!

――あああああ!熱い!痛い!助け………

 だんだんと灰になっていく私の身体……

 私の意識もだんだんと遠退いて行く……

――ぎゃあっ!?

 半身以上灰と化し、意識すら無くなっていく私の顔面に『あの男』が蹴りを入れる。

 なんて男だ!!どこまで追い込むつもりなんだ!!鬼かあの男は!?

「当たった?」

 最後の最後まで……適当な男だ!!

 私は『あの男』にやられっぱなしだった。

 私の身体、私の意識、殆ど失われている。

 せめて『あの男』に一度でもいいから反撃をしたかった。

『あの男』は相変わらず私が見えていない。

 あの女の方を見て、何か言いたげだが我慢しているような感じだった。

――あああああ……あぁぁぁぁ……ぁぁぁぁ……

 私の身体が完全に灰となると同時に、私の意識も完全に無くなっていた。


 私は


 あの女と『あの男』によって全てを失ったのだ…


 男達も……清らかな身体も……純粋な心も……私の存在そのものも、全て………


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


『あれ』が居なくなった…

 大量に人を殺した『あれ』は、遂に然るべき所へと行った。

 疲れた……流石に疲れたわ……

 私がガックリとしていると、北嶋さんは何も無い空間……『あれ』が灰と化した場所に、何回が蹴りを入れていた。

「北嶋さん、終わったわよ……」

 私は北嶋さんに向かって微笑んだ。

「終わった?化け物は居なくなったのか?」

 北嶋さんが辺りを見回す。

「ふふ……元々北嶋さんは見えないじゃない……」

 私は久しぶりに心から微笑む事が出来た……

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