訳解らん女

『俺の家』に引っ越しして来て早一ヶ月。開業した【北嶋探偵事務所】は閑古鳥が鳴いている。

 よく考えたら、こんな隣との家が離れている俺の家が探偵事務所をしているとは、近隣の方々には思いも寄らないだろう。

「むぅ、仕事を適当に決めた事が仇になったか」

 仕方ないので、俺は現在パチプロをしている。

 まぁ、食っていく分には何とかなるだろうが、やはり俺の長年の夢である【探偵】を捨てる事は出来ない。夢と言うには大袈裟すぎる程うっすい理由だが。

 俺はパチンコを打ちながら、色々と考える。

「おっ、当たった」

 取り敢えず考えるのは後回しにしよう。ラッシュを継続させなければならないからな。

 しかし、毎日こんな調子でいつも考えが中断させられるなぁ……

 フッ、気が付いたかな?

『毎日こんな調子で考えが中断』て事は、俺は毎日パチンコでラッシュを引いているって事さ。気が付いた奴は探偵になれる素質があるぜ?


 ふう、今日も勝ったな。

 俺は探偵事務所に客が来ない間(つまりは引っ越ししてからずっと)パチンコで生計を立てているのは先程も言った。

 日当10000~30000円の生活だ。

 因みに既に45万は勝っている。生活には困らない。

 が!!

 やはり探偵はやりたい。

 俺の憧れ『浮気調査』を職業としたいのだ!!

 え?何故浮気調査だって?

 それはな……

 他人の粗探しが大好きだからさ。

 言っただろ?うっすい理由だと。

 しかしながら客が来ないと言う状況は流石にマズイ。

 明日あたりに新聞に広告でも入れるか。

 俺がプラプラ歩いて帰っていると(因みに一番近くのパチンコ屋まで徒歩で2時間はかかる)……

 え?電車か車で行けって?

 おいおい……生活が不安定なのに、余計な金は使えないだろ?

 ともあれ、そんな事を考えながら俺が家に辿り着くと、俺の家を鋭い眼光で眺めている女を発見した。

 ほほう……もしかして依頼者か?

 俺は小躍りしながら女に近付いた。

 俺の小躍り近付きを察したのか?女は俺の方を向く。

「いらっしゃい。仕事の依頼かな?」

 俺は女を頭の先から足の爪先まで万遍なく見る。

身長155くらいか?歳は20歳前後か?細身で胸は……うん。いいや、触れるのはよそう。腰まで長い髪。黒い髪だ。いい匂いがするなぁ……足はほっそり。美脚だ。そんで顔が可愛い。

 その可愛い顔から鋭い眼光が俺に向けられる。

 もしかして俺に一目惚れしたか。

 仕方無いなぁ……まあ、俺に惚れる事はおかしな事じゃない。俺は超カッコイイのだから。

「……あなたは『あの家』の人?」

 ほうほう。この家の事を聞くって事は、やはり依頼者か?

 依頼者ならば接客せねばならない。

「ああ、そうだ。依頼なら中で聞こう。さぁ、入りな」

 決まった!!ハードボイルドっぽい口調!!さながらハリウッドスターのようだぜ!!

 俺は女を見た。羨望の眼差しで俺を見ているに違いないと思って。

「依頼?『あの家』に入れ?何の事か解らないけど、『あの家』に入るのは断るわ」

 女は何故か半ギレして、俺と俺の家を交互に睨んでいた。

 依頼者じゃない?じゃあ、何故俺の家に来ている?

 考えろ!!考えるんだ俺!!

 探偵としての勘を働かせろ!!ジッチャンの名に賭けて!!

 因みに俺のジッチャンは普通の農家なのは内緒だ。

 女は俺に質問してきた。

「あなた、『あの家』に入居してどれくらい?」

「あん?約一ヶ月だな」

 女は驚く。

「一ヶ月!?一ヶ月も『あの家』に住んでいて、何とも無いの!?」

「特には何とも無いが」

「『あれ』はどこにいるの!?ハウスキーパーの!!」

「生憎と家政婦を雇う余裕は無いが」

 女は『信じられない』と言う顔をして、俺を見ている。

 さて、キーワードが出たな。

 俺の家を眺めていた。入居して一ヶ月に非常に驚いていた。家政婦の存在を確認してきた。

 以上を踏まえ、推理する……


 まさかこの女………!!俺の嫁になりたいのか!?

 恐らくこの女は、俺をどこかで見た時に一目惚れしたに違いない。

 俺に尽くしたい女……しかし、若い自分は料理や洗濯が出来ない……

 俺の後を付けて来た女は、俺の家がデカイのを確認。

 こんな立派な家に住んでいるなら、家政婦くらい雇っているだろうと推測した。

 つまりは自分に家事のスキルが無くても嫁に来れると判断したに違いない!!

 しかし、入居して一ヶ月。

 引っ越ししたばかりの俺には家政婦を雇う金が無い。なので少々落胆したと。

 くっ、完璧な推理だ。ジッチャンの名に賭けたのは間違い無かった。

 先程も言ったが、俺のジッチャンは普通の農家だがな。

 ニヤけていると、女が俺に言ってきた。

「一ヶ月も住んでいて、無事なのは信じがたいけど……『あの家』から出て行きなさい。無事な内にね」

 ん?出て行きなさいとか言ったよーな?

 俺の耳がおかしくなったのか?

 何故俺の嫁になりたい女が、俺を家から追い出そうとする?

 く!推理するにはキーワードが足りない……っ!!

 俺が苦悩をしていると、女が徐に自己紹介してきやがった。

「私は 神崎かんざき 尚美なおみ。霊能者よ。『あの家』に住み続けていては、あなたはいつか必ず死ぬ…無事な内に引っ越ししなさい」

 神崎 尚美か。

 顔だけじゃなく、名前も可愛いんだな。こんな可愛い女が俺の嫁に来たいとはなぁ。俺もツイてるぜ。

 って!!

「家から引っ越せだと!?」

 我に帰った俺は大声を出した。

「ええ、『あの家』は化け物が棲んでいるの。化け物は沢山の人を殺しているわ。あなたも今は運が良いのか解らないけど、いずれ……」

 神崎と名乗った女は、申し訳なさそうに俯きながら話した。いやいや、どんな顔をされてもだ。

「アンタ……今会ったばかりなのに、嫁に来たいとか出て行けとか、一体何がしたいんだ!?」

 女は酷く驚く。

「嫁に来たいって、一言も言っていないけど……」

 そうだった!!

 まだ女は俺の嫁に来たいとは言って無かった!!

 これは俺にプロポーズさせる作戦なのか?謎は深まる……!!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 この人『あれ』と一ヶ月も暮らしていて、何も無い訳?

 私はマジマジと『あの家』の所有者を見る。

 探偵とか言っていた割には、ユニ〇ロのジーンズやシャツが似合う青年?

 歳は……20代後半。顔は……二枚目半と言った感じ。私の主観だけど。

 パチンコの帰りのようね。景品とおぼしきお菓子が入っている袋にパチンコ屋さんの名前が入っているわ。

 結構、う~ん、そこそこいい男だとは思うけど、なぜ『あれ』は手を出さないの?

 疑問が広がる……

『あれ』は確かに『あの家』に棲んでいる。禍々しい負のオーラが『あの家』からほとばしっているから解る。

『あれ』の存在を知らないようだし、操られている感も無い……

 どっちにしても、『あれ』を葬る為に『あの家』に入らなければならない。

 私は思い切ってお願いしてみる事にした。

「ねぇ、あなたの家に入れて貰えないかしら?」

 私の突拍子の無いお願いにポカンとする男……さっき断ったばかりなのに、この切返しの速さに、少し警戒されるかしら……


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 家に入れてくれ?嫁に来る気満々かこの女!!

 しかしだな、確かに顔は可愛いが、いや、胸は置いといてもスタイルだっていいが、相性ってのがあるだろう?

 まずは友達からってのが理想の俺は、この女の積極性に怯んでしまった。

「家に入れてって……はぁ、はい……」

 何を了承しているんだ俺は!?あの女のいい匂いに負けてしまったのか!!

 その通りでグゥの音も出ないがな。

 どころで、グゥってどんな意味なんだ?

 まぁいいか、今はそんな疑問をよぎららせている場合では無い。

「入ってもいいが、何も無いぜ?」

 女はコクンと頷いた。

 成程……ただ俺と一緒に居たいと言う訳か。なかなか従順な性格らしいな。

 俺はここで思い出した。まだ俺はこの女に名乗ってはいない。これから一緒に住むのだ。ダーリンの名前が解らないんじゃ不憫すぎる。

「俺は北嶋……北嶋 勇だ。これからよろしくな」

 右手を差し出す俺に不思議そうに首を捻りながら、女……神崎か、神崎も俺に握手を返してきた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 北嶋さんか……これから宜しくって意味が良く解らないけど、『あの家』に入れてくれるのは有難いわ。

『あれ』が今どうなっているのか、是非知りたい。

 北嶋さんが一ヶ月『あれ』と暮らしていて何ともなっていない理由が解るかもしれないし、もしかしたら『あれ』の弱点も発見できるかもしれない。

 私は北嶋さんの後をついて行く。

 玄関の鍵を開け、扉を開く。

「じゃあ入りな」

「お邪魔しま………っ!!?」

 玄関を開けて直ぐに『あれ』が立っていた!!

『あれ』は北嶋さんを凄く恐ろしい目で睨んでいる!!

 喉から吹き出ている血が泡まみれとなり、常にヒューヒューと音を出しながら、じっと見ている!!

「…………っ!!」

 余りの形相にかなりの緊張をした。全身の筋肉が硬直したような感覚。

「?どうした?入らないのか?」

 北嶋さんが不思議そうな顔をして私を見る。

「……視えないの?」

「?何がだ?」

 北嶋さんは目の前の『あれ』の存在を全く感じていない様子だった。

『あれ』は怒りの眼で北嶋さんを睨んでいる。歯を食いしばって悪鬼の如く睨んでいる!!

 後ろにいる私の存在など気にも止めず、ただただ北嶋さんを睨んでいる!!

「……お邪魔します」

 北嶋さんは『あれ』を普通にすり抜け、普通に歩いて行く。

 北嶋さんの後を追う『あれ』……

 北嶋さんは台所のテーブルに着席し、私に缶のお茶を差し出した。が……

「……テーブルのご飯、食べないの?」

 そう、テーブルには肉のガーリックソース焼き、ウナギの蒲焼き、トロロ芋が出来立てのように並んでいる。

「飯なんか何もないが……腹減っているのか?」

 北嶋さんにはテーブルの食事が見えないらしい。

『あれ』は必死に北嶋さんの目の前で、目を剥いて怒っていた。


――ナゼタベナイ!?ナゼミエナイ!?ナゼカンジナイ!?


『あれ』が北嶋さんに訴えている。

『あれ』は北嶋さんに気付いて貰えるよう、必死で、気付いてくれない北嶋さんに 怒っていたようだった。

 私は『あれ』に対するリサーチを少し思い出してみた。


『あの家』に入った人間は一部の例外を除いて死んでいる。

 最初の大量の死者を出した『三島氏殺人事件』の僅かの生き残りが口々に語った事が、新聞に報道されるや否や、瞬く間に都市伝説と化し、この話に信憑性が薄れて来てはいるけど、私の調査は以下の通り。

『あの家』に入った人間は女が浴室で、男が二階の部屋で死ぬ。

 女は身体中に包丁で刺され、男は犯されて衰弱死する。

 男は殺される前に、精力が付く食事を食べさせられる。

 殺人するのは某ジャイ子に似ているぽっちゃり以上の体格の若い家政婦の霊。

 霊の後ろに暗闇があり、暗闇の中には犯された男達が泣きながら助けを求めている。

 浴室には殺された女が虚ろな表情で立っている。等々。

 都市伝説は更に『霊は高速道路で犯す男を物色する』とか、『実は霊は男』とか色々語られているが、私は知っている。

 私の親友が浴室で刺されて死んでいたのを。

 あの時一緒に『あの家』に入った男の子達が二階で衰弱死していた事を、メディアで、そして霊視で知っているのだ。

 そうだ、あの時、私に『あれ』を再び殺せとお願いしてきた人は?

 私は『あれ』の背後を注意深く『視る』……

 背後には暗闇が広がっていて、そこに取り込まれたであろう男の人達が泣きながら、喚きながら一心不乱に手を伸ばしていた。調査通りだ。

 その遥か奥にあの人がいた。皆が必死に手を伸ばしている中で、一人……いや、二人?

 ただ腕を組み、鋭い眼光で『あれ』を睨んでいる。


(来ました。『あれ』を再び殺す為に、力を付けて『この家』に来ました)


 念話にて対話を試みるも、私に気が付かないのか、ただただ『あれ』を睨んでいる。

 気を引くのも一苦労……って事?『あれ』の支配力が強すぎるのか?でも、何故二人だけ助けを求めていないの?

 私が考えていると、私の目の前に缶コーヒーが置かれた。

 顔を上げると、そこには北嶋さん。

「お茶じゃなくコーヒーがいいんだろう?理由はお茶のプルトップを開けようともしなかったからさ」

 得意満面に、俺の推理はどうだ!みたいに言った。

「ああ、ありがとうございます……」

 缶コーヒーのプルトップを開けた。またプルトップを開けずに放置していると、次の飲み物が出てきそうだからだ。

 コーヒーを飲みながら、『あれ』の様子を伺う。

『あれ』は北嶋さんに何度も語り続けていた。


――キヅケ!!キヅケヨ!!ナンデミエナイノ!?ワタシニキヅイテヨォォォォオオオオ!!


『あれ』の必死の呼び掛けにも応えずに北嶋さんは普通に、本当に普通にただお茶を飲んでいた。

「あっ!」

 私は小さな悲鳴を挙げる。

『あれ』の背後の暗闇から無数の手が北嶋さんの身体中を掴んだのだ!!

 いけない!連れて行かれちゃう!!

 精神を集中させた。術を発動しようと。

「どうした?いきなり拝んだりして?気分でも悪いのか?」

 北嶋さんが私の精神集中を邪魔するよう話掛けてくる。

「邪魔しないで!あなたの為に……ん?」

 上手く言葉が出てこない……北嶋さんは手など普通に振り切って、いや、通り抜けて私の傍に来たからだ。

「そ、そんな?」

 手は北嶋さんを掴めず、バタバタとしている。

「北嶋さん……あなたは何者なの?」

 多くの人間を殺してきた『あれ』。多くの人間の魂を捕り込んでいただろう暗闇。全てが北嶋さんには無効なのだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「何者かって?フッ、探偵さ」

 俺は青い顔をしている神崎に笑いかけた。

 やはり缶のお茶から缶コーヒーへのチェンジがよほど驚いたのだろう。正に図星をつかれた!と言う顔だ。

 ふふ、驚くな驚くな。こんな事は序の口さ。

 俺はタバコに火を点けて、煙越しに神崎の表情を伺う。

 やはり妙に顔色が悪いな?仕方ないな……

 超優しい俺は神崎に促す。

「気分が悪いなら少し横になるといい。ベッドを貸してやろう」

 ハードボイルドなのに優しさもある俺。

 ふふふ……神崎、更に俺に惚れているな……罪な男だ俺は……

「二階の寝室はまだいいです」

 ん?何を言っているんだ?

「寝室は一階の四畳半の部屋だが」

 神崎は驚いて声を張る。

「寝室は二階じゃないの!!?」

 何をそんなに驚いているか知らんが……まあ、寝室を二階にしなかった理由は実はある。

 二階に登るのは面倒だからだ。それに一階には風呂もトイレもあるのだ。二階を寝室にして風呂やトイレに行きたくなったら移動時間が多少嵩かさむだろう?ならば最初から一階に寝ればいい。効率重視の男、それが北嶋 勇なのだ。

 因みに二階の二部屋は何も無い。単なる空き部屋だ。

「二階の部屋で寝たいのか?」

 二階に布団を運ぶのは正直面倒だが、二階に寝たいのなら仕方ない。布団くらいは運ぶさ。

 ハニー神崎とのこれからの甘い生活の為ならば、な。フッ……


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


『この家』に入居した男性は例外無く二階を寝室としている筈。

 なぜ北嶋さんは二階を寝室にしなかったの?見えない感じない事はそんなに凄い事なのかしら?

 改めて北嶋さんの存在に驚嘆した。

「北嶋さん、お風呂はどうしているの?」

 浴室には女の霊が立っている。

 違和感無くお風呂に入っているのか、凄く興味が沸く。

「風呂?ふっ……くっくっくっ…」

 何故か笑う北嶋さん。そして徐に立ち上がり、私の手を引いた。

「いいぜ、一緒に入ってやるよ」

 言い終えたと同時に、私の右拳が北嶋さんの顔面に思い切り突き刺さった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「ぐはぁ!!?」

 神崎に一緒に風呂に入りたいとせがまれ、それを了承した途端、俺の顔面に凄まじい衝撃が走った。

 鼻血がドボドボ出ている……

 この女、グーで殴りやがった!!

 信じられねぇ!!自分から誘っておいて、パンチを放ち拒否するとは!!何て訳の解らない女なんだ!!

 俺は鼻を押さえながら、神崎に恐怖を感じた。

 更に産まれて初めて女にグーで殴られ、混乱している。

「……失礼、でも冗談でも、そんな事を初めて会った女性に言わない方がいいわよ」

 冗談て!お前が誘って来たんだろうがよっ!!

 俺はティッシュを丸めて鼻に突っ込む。

「じゃ゛あ゛……な゛ぜさそっだ?」

 鼻がティッシュで塞がっている状態なので、多少言葉がおかしく聞こえるのは愛嬌だ。

「?何を言っているか、意味が解らないけど……?」

 意味が解らないだと?意味が解らないのは俺の方だ!!

 あれか?可愛さ余って憎さ百倍ってやつか?

 って、何故憎まれなきゃならないんだ!?

 俺は鼻からティッシュを取り出す。鼻血が止まったようだからだ。

 しかし、微かな衝撃にも反応しそうな状態……またグーで殴られないよう、慎重に対処しなくては……

 俺は神崎に対してかなり気を張る。

『ピーン』と言う音が聞こえてきそうだ。因みに『ピーン』は気を張る音だ。

 俺は初心に戻り、神崎に質問する事にした。

「お前、一体何をしに『俺の家』に来たんだ?」

 まあ俺の嫁になる気なのは間違い無いだろうが……な……

 フッ………


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 そう言えば、北嶋さんは見えないのだ。

 見えない、感じないのだから、『この家』の『あれ』の話は解らないだろう。

「北嶋さん、信じられないかもしれないけど、『この家』は人を何人も殺した化け物が棲んでいるの」

 私は北嶋さんに、自分が調査した話や、自分が『この家』で体験した話を淡々とした。

「『この家』の現在の最後の犠牲者は、『この家』を管理していた佐藤不動産の店主……心臓麻痺だったそうよ」

 佐藤不動産の店主は、日記みたいな物を綴っていて、いつか『あれ』に自分が殺されるであろう事を予測していたらしい。

 日記には、自分が『この家』に携わってからの死人の数や名前が綴られていた。

 私が一番信用出来る資料として、遺族から借りたのだ。

 遺族も『この家』の『あれ』に怯えているようで、これ以上『あれ』には関わりたくない。店主が亡くなった今でも、『あれ』は私達に恐怖を与える。『あれ』を倒せるならば、出来る限りの話はします。と協力してくれた。

 日記をすんなり借りられたのは、そのような経緯があったからだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 俺の家に化け物が棲んでいて、入った人間が死んでいる。

 神崎は化け物を再び殺す為に俺の家に来た、と。

「悪いがな、信じる事は出来ないな」

 俺がこう言うと、神崎は落胆していた。

 フッ、自分の本心……俺の嫁になりたい事を恥ずかしくて隠すと言う行為……でっち上げのお化け話で俺に近づいて来たのはお見通しだぜ。俺の洞察力を甘くみるなよ?

 それに俺には霊感があるのだ!!

「俺には霊感がある。幽霊がいるなら、俺にも感じる事が出来る筈だからな」

「北嶋さんに霊感が?」

 神崎が食い付いてきた。余程自分の嘘がバレたく無いのだろう。

 俺は得意満面で話す。

「あれば小学生の時だ。俺が夜遅く友人の家から帰宅している最中、ふと空を見上げると、オレンジ色の物体がだな……」

 そこまで話した俺の顔面に再び衝撃が走る。

「ぶはあああああ!!」

 塞がった鼻血が再びドボドボと吹き出る。

「それは……UFOよっ!!」

 神崎の右拳が俺の鼻血の返り血で赤く染まっていた。

 一日に二度も女にグーで殴られた俺!!今日は厄日だったのか!?

「北嶋さん……冗談を言っている場合じゃないのよ!あなたの横で『あれ』が今でも恐ろしい形相で睨んでいるんだから!!」

 俺の横に?

 鼻血を流しながら、右左を見る俺……

「な゛に゛も゛な゛い゛が……」

 鼻血が鼻を塞いでいるので、多少言葉が変なのは愛嬌として……幽霊がいるとか化け物がいるとか、それよりもだな、目の前のお前が一番恐ろしいわ!!

 上を向き、首をトントンと叩く俺。どうやら鼻血は止まった様だ。我ながら素晴らしい回復力だ。

「取り敢えずだ!!グー殴るのはやめて貰おうか!!」

 当然の要求である。

「ああ……失礼」

 何だかグーで殴った事を何にも感じていない様子だが、まぁいい。良くないけど。

「じゃあ、その化け物は何故俺には見えない?今まで散々人を殺して来ているんだろう?」

 俺が質問すると、神崎が立ち上がる。

 ビクッとする俺。

「失礼……トイレを貸して貰えます?」

 トイレか……ビビらせるなよ、全く……

 安堵してトイレの場所を教える超優しい俺。紳士故トイレくらいは楽勝で貸すのだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 トイレに行く私。先程のコーヒーでトイレが近くなってしまったのだ。

 トイレのドアを開け、目を剥く。

「嵌められた!!」

 トイレのドアを開けた私の目の前にはシャワーがあった。

 北嶋さんに執着しているとは言え、『あれ』は私の存在を知っている!!

「く!」

 ドアを急いで閉じて振り返る。

「っ!逃がさないつもり!?」

 振り返った先にもシャワーがある!!

『あれ』は私を殺そうとしている!!

 シャワーからお湯が出た。

 私は少しだけ下がる。

 ドン!と脚に何かに当たった。この感触は……人間?

 目を後ろに泳がせて見てみる……

 身体付きがガッシリとした……中年女性?

 身体中に穴を開けられ、倒れていた。

「もう『あれ』の領域に居るのね……!!」

 緊張する……『あれ』と直接対決する時が、いよいよやってきた!!

 私の右側に、何か気配を感じる。咄嗟にそちらを見る。

 新婚さんか?若い女性が、身体を洗っている最中だった。

『あれ』の襲撃に対し、身体を緊張させている私に『あれ』は次のビジョンを見せた。

 そのビジョンは私の心を激しく乱す事になった。

「はっ!!」

 私の目の前に懐かしい顔があった。

「晶子………!!」

『この家』に侵入し、『あれ』によって殺された私の親友……

 晶子は私と同じように驚き、いや、恐れていた。

 晶子の視線が私の視線に切り替わる。

「晶子!晶子逃げて!!」

 私は意味が無いと知りつつ、晶子の幻に向かって叫んだ。

 晶子は『あれ』の姿を見て、失禁していた。

『あれ』が晶子に包丁で襲い掛かる!!

「晶子!!晶子!!いやあああああああああああぁああああ!!」

 晶子は何度も何度も何度も何度も包丁に突き刺されていた……

『あれ』は歪んだ顔で笑いながら何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も晶子に包丁を突き刺していた……

「晶子!!晶子ぉ……………!!」

 私の顔はぐちゃぐちゃに濡れていた。

 私は『あれ』が過去の出来事を見せられて、完全にあの時の私に戻されていた。

『あれ』は包丁を持って私に近付いてきた……

「いや……いやよ……晶子……晶子を返して………」

『あれ』の接近にただ首を振り、ただ怯えている……

『この家』に乗り込んだ時の『覚悟』が完全に折られていた。

『あれ』は酷く醜い笑みを浮かべながら私に包丁を突き刺そうと振り被った。

「いやああああああああああ!!」


 ガチャッ


 私に包丁が突き刺さる寸前に浴室のドアが空いた。


「北嶋……さん……」

 ドアを開けたのは北嶋さんだった。私は心の底から安心してしまい、また泣いてしまった。

「北嶋さぁん!!わああああああああああ!!!」

 北嶋さんに抱き着き、大声で泣く私に怪訝な顔を向ける。

「トイレはここじゃないぜ。つか何故泣いている?漏らしたのか?」

 私は泣きながら北嶋さんの顔面に、本日三度目のグーを思いっ切り入れた。

 北嶋さんは「ぐがああああああ!!」とか言いながら、大量の鼻血を出して踞ってしまった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「何しやがるんだバカ野郎!!顔が変形してしまうだろうが!!責任取って嫁になれ!!」

 俺は余りの激痛にうずくまり、とんでも無い事を口走ってしまう。

 しまった!俺からプロポーズする形になってしまった!!

 俺は女が恥じらいながら「……好き……」とか言うのがツボなのにだ!!

 くう!名探偵北嶋一生の不覚!!

 激しく後悔している俺を他所に、神崎は本気でワンワン泣いている。略して本泣きだ。

 つか泣きたいのはこっちだろ。一日に三度も女にグーで殴られたんだから。

 厄日か?朝のニュースの占いじゃ、一位だったって言うのに厄日か!?

 じゃあテレビの占いはハズレって事になる訳だ。こうなりゃテレビ局に抗議の電話を掛けなければ気が済まない。

 俺は鼻を押さえて立ち上がった。

 指の隙間から鼻血がボタボタと零れ落ちている。

「北嶋さぁん~!!わあああああああん!!わあああああああん!!漏らしてないもん!!まだだもん!!わあああああああん!!」

 神崎の可愛い顔が涙と鼻水でグシャグシャになっていた。

 俺は若干引いた。

 つか、まだ漏らしていないと言う事は漏らしそうだったのか?じゃあセーフじゃないか?何で泣く?

「取り敢えず顔を拭け」

 首を捻りながらそこいら辺にあったタオルを神崎に渡した。

「ううっ……ヒック……ヒック……このタオルどこにあったの?」

 泣きながらタオルの所在を確認するとは意外と冷静だ。

 俺は床を思いっきり指差した。

「ヒック……ヒック……雑巾?」

 なんという失礼な女だ!!

 女に雑巾で顔を拭けとは言わない!!流石に俺も黙ってはいられない!!

「バカ野郎!雑巾な訳ないだろうが!雑巾候補だ!」

 そう、俺は余ったタオルを雑巾にしようと、床に放置していたのだ。

 床を拭いていない為に、まだ雑巾では無い。ぎりぎりセーフだ。

 俺の怒りの叫びに、神崎は静まる。

 ふっ、どうだ?グゥの音も出まい!

「雑巾候補……つまり……雑巾じゃないのよぉ!!」

「ぷふわっ!!!」

 神崎が雑巾候補を握り締め、再び俺をグーで殴った。

 鼻血の量が尋常じゃなくなった。

 俺は大量の鼻血を押さえるべく、神崎にお願いした。

「すまないが、雑巾候補を返してくれ!!鼻血が止まらない!!」

 俺のお願いに快く応じた神崎は、俺に雑巾候補を渡す。

「悪いな」

 俺は雑巾候補で鼻を押さえながら思った。

 これ雑巾だろう!!と!!

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