佐藤不動産

 不動産を営んでかなりの年月が経っていましたが、遂に!私のお店にもビッグな物件が舞い込んできました!!

 裏が山なのと、周りに民家が無いのを考えても、これ程の物件を管理する事になろうとは、長年不動産屋をやってきて良かったです!!

 私はルンルン気分で、『あの家』へと向かいました。

 多少のリフォームを施したりしなきゃなりませんからね。それを確認する為です。

『あの家』がウチに転がり込んできた経緯は、正直良く覚えていませんが、これも縁です。

 到着してから、逸る気持ちを押さえて玄関の開錠をしようとしました。


 え?


 何か強烈な視線を感じました。

 私は辺りを見回します。

 誰も居ません。気のせいか……

 多少の不安を感じながらも、私は『あの家』の中に入ってしまいました。

 入ってしまった?

 何故かその時はそう思ったのです……


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 来たわ――

 私は死んでしまったから、身体が無いの。

 だから、『この家』の管理を適当に選んだ不動産屋に任せたの。

 フフッ、ニコニコしちゃって……

 油ぎっているメタボのハゲチャビン……

 あなたはまだ生かしてあげる。

 私の理想の男を連れて来るまで……

 あなたは私に男を紹介し続けなきゃいけないの……

 さぁ……早く快楽を共にする男を連れて来なさい……

 私は天使のような唇で無邪気に笑ったの……♪


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 常に誰かの視線を感じながら、確認を終えた私は、早速『あの家』を広告に上げました。

 あれ程の物件ならば、高額で売却できます。

 しかし、何故か私は相場よりも、かなりの割安で広告を上げてしまったのです。

 当然ですが、直ぐ様物件を見たいと言う夫婦が現れました。

 結婚3年目の若い夫婦です。

 渡辺さんとおっしゃいましたか。

 渡辺さん夫婦は、一目見て『あの家』を気に入り、直ぐ様購入を決意されたご様子でした。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 初めてのマイホーム。中古だけど、こんな立派なお家が、あんな値段で手に入るなんて、人生最大のラッキーだわ!!

 ダンナは言っちゃ悪いけど、そんなに高給取りじゃないから、マイホームはまだまだ先だと思っていたのに。

 私はこの幸福に喜びが隠せないでいた。

「ふぅ、引っ越しも大変だな……」

 ダンナがタンスやらベッドやらを運んで汗まみれになっていた。

「ああ、お風呂入っちゃって?」

 お得な買い物とは言え、買ったのは家。少しでもお金を浮かそうと、ダンナがトラックを借りて来て、自分達で引っ越しする事にしたのだ。

「ああ、そうするか」

 ダンナが私の前でいきなりすっ裸になる。

「ちょっと!ちゃんと脱衣場で脱いでよ!!」

 そう言いながら、私はダンナの身体を見る。

 ボディビルを趣味とするダンナは筋肉隆々。相変わらずいい身体だわ。この身体が良くて結婚したようなものだからね。

 そう、私は筋肉フェチなのです。どうでもいい情報だけど。

 ダンナがお風呂に入っている間、私は寝室にした2階の部屋に、荷物を片付けに来た。

 窓から裏山……ってか、杉が見える。

「花粉症、大丈夫かなぁ……」

 私は軽度ではあるが、花粉症だった。くしゃみくらいしか出ないけど、やはりいい気持ちはしない。

 不意に窓から誰かの姿が見えた。

「えっ?」

 慌てて窓を見つめる。

「……誰もいない………ってか、いる訳ないじゃない!ここは2階よ?」

 自分に突っ込みを入れながら、気のせいだと思った。

 何か言い様の無い不安に駆られた私は、足早に寝室から出て行った。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 結婚しているんだぁ?

 まぁ、何でもいいけどね♪

 篤さんと仰ったかしら?ムキムキの身体……とっても美味しそうね♪特に引き締まった尻が私好みよ♪

 私は夜が待ち遠しくなったわ♪

 しかしその前に……

 あの女、祐子って言ったかしら?

 あんな素敵な旦那さんが居て、幸せそうね……

 まぁ、知ったこっちゃないか♪

 篤さんは貰うし、あの女は殺すだけだし♪────

 私はこれから起こる、楽しい事を想像しながら、無邪気に笑っちゃったの♪


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 ダンナはまだお風呂に入っている。

 なんだろう?さっきから強烈な視線を感じる……

 何やら落ち着かない……

「どうした?ボーッとして?」

 我に返る。

「あ、ああ、何でもないの」

 今お風呂から上がったダンナは何かキョトンとした顔をこしらえる。

「そうか、お前も風呂入れよ。何か汗びっしょりだぞ?」

 ………本当だ…

 Tシャツが汗で透けていた。何でこんなに汗を掻いているの?

「?どうした?具合でも悪いのか?」

 心配そうに私の顔を覗き込むダンナ。

「あ、ああ!大丈夫大丈夫。そうね。サッパリして来ようかな」

 私は慌ててお風呂に向かう。心配かけちゃったかな、と少し反省して。

 脱衣室で服を脱ぐ。いやだ……汗でベタベタする……一体どうしたって言うの?

 シャワーのコックを捻った。

 暖かいお湯が身体に降り注ぐ。シャワーを顔に当てていたその時……

 私の目の前、いえ!私の頭の中にいきなり映像が流れた。

 え!!何!?何なの!?

 頭の中に流れた映像……後ろ向きにシャワーを浴びている女性の姿……

 え?どういう事?

 シャワーを浴びている女性は、40代くらいの筋肉質の女性。

 今度こそ驚いた。

 そのシャワーを浴びている場所がこの家のお風呂だったからだ。

 今、私が浴びているシャワーを、あの女性が浴びている?

 何が何だか解らない!!

 ただ、心臓の鼓動が激しくなる!!

 その時シャワーを浴びている女性がいきなり崩れ落ちた。

 何?何があったの?

 女性の足元が真っ赤に染まっていく……

 私は叫びたいのに叫べなかった事に気付いた。

 声が出ないのだ。

 お風呂場から駆け出そうと思っても身体が全く動かない。

 女性の背中に包丁が突き刺さっているのが見える。

 女性が顔を上げて私を見る。

 まるで『刺したのはお前か』と言っているような形相で私を見ている!!

 違う!違うわ!私じゃない!!

 首を振ろうとした私だが、しかし、やはり身体は動かなかった。

 腿から暖かいものが流れ落ちる。

 私は恐怖のあまり失禁してしまったのだ……

 目を瞑る事も、らす事も出来ない……

 そんな私に構わずに、映像はまだまだ続く。

 包丁が女性の身体を刺しまくる。

 顔に、腹部に、胸に……

 女性がもう動けないのにも関わらず、その包丁は刺すのをやめなかった。

 ギャアアアアア!!

 私は声にならない悲鳴を上げた。

 やがて包丁は刺すのをやめる。

 シャワーのお湯が女性の身体を洗い流している。

 女性の身体には、

 穴

 穴

 穴

 穴

 穴……………

 酷い……何故こんな酷い事を……

 涙が私の顔をグシャグシャにする。

 不意に女性の顔がアップになった!!

 心臓が一つ、大きく鼓動する。

 それに倣うように映像が切り替わる。

 映像には犯人とおぼしき人影……

 どうやら滅多刺しに遭った女性からの視点に切り替わったようだ。

 包丁を握ったまま、返り血を浴びているその姿……

 少し小太りのジャイ子、と言った感じ……

 その某ジャイ子は、凄く醜い顔でゲラゲラと笑っていた……

 この女が、この人を刺し殺したのだ。

 私は恐怖よりも、怒りの感情が高まった。

 その時何かおかしな音が聞こえてきた。

 

 ………ヒューヒュー……ヒューヒュー……コボッ……ヒューヒューヒュー……ゴボッ……ヒューヒュー……ゴボボツ………


 何?何なの?笛を吹いているような音?

 途中途中で、何かが吹き出すような音は?

 聴覚が研ぎ澄まされているのが解る。

 その音は私の背後から出ている……?

 何なの!?何なの一体!?

 怒りに満ちたさっきの感情が、一気に恐怖に支配される。

 その時気が付く。

 身体が?身体が動く?さっきまで全く動かなかったのに?

 しかし、それは更に恐怖を増す事になった。

 身体が動く事によって、音がする背後を振り向く事が可能になったからだ。

 どうしよう……振り向きたくない……

 だけど、あの音が私のすぐ後ろまで来ていた。

 

 ……ヒューヒュー……ヒューヒューヒュー……ゴボッ……ヒューヒュー……ヒューヒューヒューヒュー…ヒューヒュー……ゴボボツ……

 

 どうしよう……どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう……

 不意に音が止まる。

 居なくなったの?

 背後をゆっくりと振り向く……

 ゆっくりと……ゆっくりと……

 私の背後……

 すぐ後ろに……

『あれ』がいた……!!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 ………はっ!!

 ついウトウトしてしまった。

 風呂から上がった俺は、引っ越しの疲れからか、居間で横になり、そのまま眠ってしまったのだ。

 時計を見てみると一時間近くも眠ってしまったようだ。

 起き上がり、台所へと行った。

 どうやら飯は出来ているようだ。

 しかし、妻の祐子の姿が見えない。

 風呂場からシャワーの音が聞こえる。

「飯作ってから、またシャワー浴びに行ったのか?」

 先程、風呂に行った筈だが……

 あまり深く考えず、テーブルを見てみた。

「なんだこの飯は?トンカツにウナギ、それにとろろ芋?」

 俺はボディビルが趣味なので、食事に気を遣っている。こんな高カロリーの食事はまず食べない。

 祐子もそれは知っているし、勿論今までも作った事はない。

 買い物に行った時に安いヤツ選んだから、こうなったのか?

 引っ越ししたばかりだから、当然ながら、倹約をしている。

 この食材が安かったのならば、仕方無い事か。

 俺は祐子を待たずに、それを食べた。

 普段ならば、そんな事は絶対にしない。なぜこの時は祐子を待たずに飯を食ったのか?

 それは俺にも解らなかった。


 酷く油っぽい食事だった。

 俺は半分も食べる事が出来なかった。

 祐子は料理上手で、あんなに味の濃い、油っぽい食事を作る事はない。

「どこか具合でも悪いのか?」

 心配になり、風呂場へ行こうとしたが、シャワーの音がしていなかった事に気が付く。

「あれ?上がったのか?いつの間に?」

 それにしては、足音もしなかったような?

 やはり気分が悪くて、寝室に横になっているのだろうか?

 俺は二階へと行った。寝室に決めたのは二階だったのだ。

 きっと祐子はベッドに横になっているのだろう。

 可哀想に、あまりに酷いようなら、病院に行かなきゃな。

 俺は寝室のドアに手を掛ける。

 ………何だ?

 この言い様の無い、不吉な感じは?

 まるで核施設にすっ裸で入るような感じ……入ったら、二度と生きて出て来れなくなるような……

 馬鹿馬鹿しい。どうかしている。

 俺は首を振り、不吉な感じを振り払う。

 ドアノブを捻った。

 ………暗い?

 あまりの暗さに電気を点けた。

 なんだ?電気をつけても暗いな?

 目を凝らして見る。

 ベッドの布団が盛り上がっている。

 やはり、祐子は気分が悪くなり、横になっているようだ。

「おい、大丈夫か?」

 俺は祐子に向かって手を伸ばした。

 

 ガッ!!

 

 俺の手を、力一杯掴んできた祐子。だが……

 冷たい。なんだこの冷たさは?

 冷水を浴びたように、身体が氷ついたような気がした。

「おっ……あ、あまり酷いようなら、病院行くか?」

 俺の問い掛けを無視するように、祐子が俺を力一杯ベッドに押し倒してくる。

「お、おいおい……何だよ?どうしたんだ?」

 笑顔で祐子に向かって話かけた。

 しかし、あまりにも暗いために、この至近距離でも祐子の姿が良く見えない。

 俺は目を細めた。

 ……違う?祐子じゃない?祐子よりも小太りな……

 喉から 何か溢れているのか?

 凝視し、それを見る。

 そこには裕子じゃない全く違う女がいた。

 その女は喉から血を吹き出させて、俺に向かって酷く醜い顔で歪んだ笑いを見せていた!!

「うああああああああああああああああ!!!!?」

 力一杯叫んだ。思わず目を背けようとしたが、その女から目が離せなかった。

 喉から吹き出ている血が泡立っている。そこまで細かく見る事が出来る程、目が離せなかった。

「ななななな!!何だお前!?祐子はどこだ!?」

 小太りの若い女。 その女は、醜く笑いながら、俺の唇に自分の唇を重ねてきた。

「何をしやがる!!やめろ!!やめてく……づっ!んつつあっ!!」

 舌を絡めてきた小太りの女。力一杯一杯振り払おうと試みたが、『それ』は俺の力を嘲笑うように、俺をしっかりと押さえ付けていた。

 いや違う。俺の身体が動かないのだ。

 金縛りにあったように、身体が動かなくなっていたのだ。

「げぇっ!げぇ!げほっ!!」

 舌を絡められた口の中が、酷く気持ち悪くて、俺は嘔吐してしまった。

 そんな俺の様子などまるで意に介さずに『あれ』は俺を、自分に挿入させた……!!

「やめろ!!やめてくれ!!もう勘弁してくれ……っ!!」

 俺の上で腰を振る『あれ』は、快感に酔いしれているのか、終始醜く、わらっていた……時折ヒューヒューと笛を吹くような音を出しながら……

 俺は……

 この化け物の中で……

 果ててしまった……

『あれ』はまだ俺の上に乗っかり、ヒューヒューと、時々ゴボッと血を吹き出させながら腰を振っていた。

「……もうやめてくれ……」

 精一杯に声を絞り出して犯すのをやめてくれと懇願する。

 しかし、『あれ』は汚らしく笑いながら、腰を振るのをやめはしなかった……

 祐子……

 お前はどこにいるんだ……?

 この化け物に殺されてしまったのか……?

 俺の思考を読んだのか、『あれ』は妖しく笑う。


――心配しないで……あの女より……快楽を与えてあげるから―


『あれ』は確かにそう言った。

 何度も何度も俺の上で腰を振りながら……

 俺の頬から涙が伝った。

 祐子は、妻は、この化け物に殺されたのだと、確信を持ったからだ……


『あれ』の中で、何度果てた事だろう……

 俺はいつしか考える事をやめてしまった……………


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 ああ……美味しかったわ♪

 あれから1週間…

 篤さん、もう動かなくなっちゃった♪

 ご飯も食べずにするからね♪

 もう、篤さんたら♪そんなに私の身体が気持ち良かったのかしら♪

 寝食を忘れて営んでいると、『人間』なんて、簡単に死ぬものね♪

 いいのよ……大丈夫……

 永遠に私と一つになりなさい……

 これからは、ずーっと一緒よ……♪


 私は私の男、篤さんを、私の元に呼び寄せる事に成功した。

 私の悦び……私を愛した男と、肉体的にも精神的にも永遠に一つになる事……

 女はそのまま放置するけどね♪

 永遠にこの家の中で彷徨さまようがいいわ。

 私は天使のような清らかな微笑みを零す。

 私の使命は私『を』愛した男達と永遠に快楽を共にする事……

 そう、私の行いは慈悲なのだ。慈愛なのだ。

 だから私は天使と同格なのだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 警察官がいっぱいいます……

 私も、参考人として、現場検証に立ち会わされる事になりました……

 加山という刑事が、私に質問してきます……

「佐藤さん、この家には、隠し扉みたいな物があるのですか?」

 不可解な質問に訝むも素直に答えます。

「い、いえ、そんな物はありませんけど」

 加山氏が怪訝そうな顔をしています。

 私は気になり、聞いてみました。

「あ、あの、何でそんな事を?」

 加山氏は、躊躇とまどっていましたが、教えてくれました。

「……死亡推定時刻は、まだハッキリとは断定出来ませんが、死後1週間以上は経過しています」

 ?それは先程別の警察官に聞きましたが……?

「あの、それが何か……?」

「……ここは角地の上、他の民家と離れてはいますが、それでも多少の人通りがあります」

 何を言いたいのか解りません。

「この家は、玄関は勿論、窓と言う窓には全て鍵が掛かっていました。鍵を使うドアなどの鍵は、この家の持ち主である渡辺さんのポケットや財布の中で全て発見されています」

 私は黙って聞きます。時々頷きながら。

「電気も点いていなかったこの家……ですが、月明かりから解ったようで、2階の寝室部分に、女が居たらしいのですよ」

 私はあまり驚きませんでした。

 その女を知っているような気がしたのです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 妙だ。密室殺人を連想させたのに、不動産屋があまりリアクションをしなかった。

 俺は警察署で煙草を吹かしながら、書類に目を通す。そろそろ煙草もやめなきゃな。世間の目が煩い。それは兎も角だ。

 渡辺 篤。勤務態度は良好。人当たりも良く、人に恨まれるような事は無し……夫婦間のトラブルも無く関係は極めて良好。妻の祐子も、似たようなものらしい。

 あの祐子に大量にあった包丁の刺し傷は、恨みによる犯行と見て間違いないと思う。でなければ、あれ程包丁を突き刺す必要は無いだろう。

 篤は寝室にて衰弱死……大量の精液が検出されるも、相手が見つからない。

 通行人が見たと言う女だとは思うが、同僚や友人、上司などにも心当たりは皆無。

 ストーカーのイカレた女の犯行か?そんな女ならば合鍵くらいは簡単に作るだろうな。

 それにしても……不動産屋は女の存在を知っていたような気がしてならない……

 目を瞑りながら考え事をしていると、携帯に着信が入った。

 事件が明るみになった今では、可能性が薄いだろうが、『あの女』が一応来ると予測して、若い者を張り込ませていたのだ。

 部下の鳩山からだった。

「おう鳩山。どうした?」

『かっ!加山さん!!来ました!!女が来ました!!いえ、現れました!!』

 何か慌てているような?しかも、『来た』を訂正して『現れた』とは?

「おい?どうした?落ち着いて話せ」

『山崎さんが!山崎さんが犯されています!!あの女は初めからあの家に居たんです!!山崎さんがヤバい!!』

 山崎は鳩山と同様に俺の部下で、柔道で代表候補にもなった程の腕っぷしだ。その山崎が犯されただと?

 いや、『犯された』とはどういう事だ?それに『初めから居た』とは?

「お前の言っている意味がイマイチ解らんが、女が居るのは事実なんだな?取り押さえろ。応援も今送る」

『無駄です!!応援は無駄なんですよ!!来たら皆死んでしまう!!うゎ……来た……こっちに来たあ!!』

 何だ!?一体何が起きたんだ!?

 俺は電話に向かって叫んだ。

「おい!鳩山!!どうした!?山崎は無事か!!」

 その時、電話の向こうから応答があった。

『……もしもし……』

「鳩山!!山崎はどう……」

 ……誰だ?鳩山じゃない。山崎でもない……女?女の声か?

俺は耳を澄ました。

『……………………………………ヒュー…………ヒュー…………ヒューヒュー…………ヒューヒュー……ヒューヒューヒュー……ゴボッ……ヒューヒュー……ゴボボッ……ヒューヒューヒューヒューヒューヒューヒューゴボッヒューヒューゴボッゴボボッヒューヒューヒューヒュー……ゴボボッ!!』

 笛を吹くような音、時々混ざる何かを噴き出している音!!

「貴様!!山崎と鳩山をどうした!!」

 俺は震えていた。怒りに震えていた……訳では無い。

 恐怖で震えていたのだ。何故電話向こうの女に怯えているんだ!?

「今から行くから待っていろ!!」

 電話を乱暴に切った。

 しかし、この言い様の無い恐怖は何だ?

 まるでまるで、檻の中の飢えた虎に向かって行くような感覚……身体中が震えて止まらない。

「加山さん、今よろしいですか?」

 不意に俺に話しかけて来た男、鑑識の今川だ。

「後にしてくれ。今から行かなきゃならなくなった」

 今川を避けようと、身体を反転させたその時、今川が俺の肩を力強く掴んだ。

「今……どうしても今!!聞いて貰いたいんです!!」

 今川は、青い顔をしながら、小刻みに身体を震えさせながらも俺を止める。

「どうした?真っ青だぞ?」

 今川は苦笑いをしながら返す。

「加山さん、人の事は言えませんよ」

 どうやら俺も青い顔をしているようだった。

「……解った。手短に頼む」

 俺は立ったまま今川を促す。今川は青い顔をし、苦笑いを浮かべながら話した。

「……衰弱死した男のベルトから指紋が検出されました。ベルトからですよ?ドアノブや壁からじゃないですよ?はっきり言ってしまえば、ベルトからしかこの指紋は検出されていないって事です」

 興奮気味で回りくどい言い回しをする今川。

 俺は結論を言うよう促そうとした。しかし、今川はそれをさせず、喋り続ける。

「その指紋は前科があった女の指紋です。しかし、その女が渡辺夫妻を殺す事は不可能です」

 ガタガタ震えている今川。血の色が全く見えないくらい真っ青になっている。

「おい?具合でも悪いのか?」

 俺の心配を他所に、今川は続ける。

「加山さん、一年前くらいに女が4人を殺した事件、覚えていますか?いや、覚えて無いでしょう。私も何故か今まで忘れていました。しかし、あの事件は加山さんも覚えている筈。ウチの管轄の事件だったんですからね」

 一年前?女が4人を殺した事件?

 俺は記憶を辿った。しかし、何となくではあるが、『そんな事件があったかも』程度しか思い出せない。

 焦れったい言い回し……山崎や鳩山の状況が気に掛かっている今の状況、苛立ち、今川に背を向ける。

「悪いが、あまり時間が無いんだ。帰って来てから聞くから待っていてくれないか?」

「鈴木真奈美……」

 俺の踏み出した足を止めたその名前……!!

「鈴木…真奈美…?」

 今川の震えが先程より多くなっていた。

「鈴木真奈美だと?あいつは襲おうとした男に殺された筈……!!」

 俺は言葉を飲み込んだ。

 馬鹿な!何故今まで気が付かなかった!?

『あの家』で殺人があったのは、今回で二度目だ!!いくら担当では無いからと言っても忘れる筈が無い!!

 いや、そんな事は重要じゃ無い。あの事件、俺達は決して忘れる事は出来ない。

 鈴木真奈美の名を聞いた俺は当時の状況を一気に思い出した。

 鈴木真奈美は『あの家』の所有者、三島信之助により、正当防衛にて果物ナイフで喉を刺され、死んだ。

 現場検証が一段落して、『あの家』を立ち入り禁止にしたにも関わらず、三島は『あの家』に何故か侵入、次の日遺体で見つかる。

 当然ではあるが、再び『あの家』にて現場検証を開始するも、警察官や検視が、次々と変死する……

 当時の担当、笹本という刑事は俺の同僚だった。

 笹本は、よく言っていた。

「次は……俺か……」

 不思議に思い、聞いてみた。なんだそれは?と。

「『あの家』には鈴木真奈美がまだ居る……警察官は鈴木に殺されたんだ。上にも言ったが、相手にしやしねぇ……!このままだと全滅しちまう!!」

 諦めと怒りが入り交じった叫び。

「はぁ?鈴木真奈美が居る?幽霊にでもなったか?」

 俺は苦笑いしながら、そう、苦笑いなのだ。『あの家』に入った警察官や検視が既に4人死んでいたからだ。

 鈴木の呪いか、はたまた三島の怨霊か、と、警察署では既に噂になっていた。それにも関わらず上は単なる偶然と片付けていた。無論、俺もそう思っていた。

 笹本が死ぬまでは……


「おい!!どうした!!おい!!」

 電話に大声で叫んでいる笹本。

「どうした?顔色が悪いぞ?」

「最悪だ……林が……!!」

 林……笹本の部下で、よく「俺は霊感が強いんすよ~」と自慢していた。

『あの家』の異様な気配をいち早く察したのも林だった。

「林がどうした?」

「林が……掴まった!!」

「何!?犯人にか!?」

 笹本はゆっくりと立ち上がり、俺を見る。真っ青な顔を拵えて。

「加山……林はもう駄目だろう。俺もじき死ぬだろう。俺が死んだら、俺のパソコンを開いて俺の日記を読んでくれ……」

 笹本は死を覚悟していた。

「何を馬鹿な!!林を助けに行くぞ!!」

 立ち上がろうとした俺を止める笹本。

「俺で最後にするんだ!!もう、誰も犠牲にはしない!!」

 寂しそうに笑うその顔には、恐怖を怒りで打ち消そうともがく笹本の悲壮な覚悟が見え隠れしていたように思えた。

「最後ってお前……」

「タダじゃ死なねぇ。相討ちには持って行くさ」

 笹本のその言葉が、俺が最後に聞いた言葉だった……

 翌日。笹本と林が『あの家』で遺体で発見された。

 衰弱死だそうだ。

 笹本を発見した若い刑事、小笠原が、その日の夜に刑事を辞めた。

 俺は小笠原を捕まえて、話を聞こうとした。

「いきなりどうしたって言うんだ?刑事を辞めるなんて」

「……俺はまだ死にたくありませんから……笹本さんも逃げろと言っていましたし……笹本さんの指示みたいなもんですよ」

『あの家』に関わった刑事や警察官が、大量に辞めていたのは知っていたが、笹本が指示していたと聞いて驚いた。

「笹本の指示だと?一体どう言う事だ?」

 小笠原は無言で、コピーした手帳を俺に手渡した。

 笹本が発見された時に、警察手帳が転がっていたらしく、小笠原は隠れてコピーを取ったらしい。

 笹本の遺言を、『あの家』に関わった警察官全てに教える為に。

 そのコピー分の最後の一言……『警察を辞めろ』と書かれていた。

「『あの家』に入った人間には、この一言で充分解るんですよ……」

 小笠原はそう言って警察署から出て行った。

『あの家』に関わった人間が、殆ど辞めて行った。小笠原もその一人に過ぎなかった。

「そう言えばパソコンの日記を見ろとか言っていたな」

 俺は笹本のパソコンを開いた。

 笹本は毎日日記をパソコンに書いていた。何の事は無い日常から、重要な用件に至るまで日記に書いていたのだ。


 ―〇月〇日

 三島が死んでいるのを発見

 目を見開いて、まるで化け物を見ているような表情で息絶えていた

 心臓麻痺か?それにしても、なぜ入ったんだ?そんな非常識な事をする人間には見えなかったが


 三島が死んだ日付だ。やはり何の事はない、普通の日記のようだ。俺はそのまま読んで行く……


 ―〇月〇日

 何だ一体?捜査から3日間で二人も死んだ?

 林がうるさいくらいに怯えている。捜査員にも動揺が広がっている。

 二人には外傷も無し。衰弱死?二人もか?

 この家には何かしらのウィルスでも充満しているのか?


 ―〇月〇日

 検察の大木が死んだ。衰弱死だそうだ。前日まで元気だったのに衰弱死だ?有り得ないだろう?

 林が仕切りに鈴木がこちらを見ていると騒いでいる

 ふざけているようには見えない

 この家には何かいるのは事実

 言い様の無い不安が大きくなる

 まだ続くのかもしれない


 確か、上層部に笹本が申し出たのもこの日だったか……俺はそのまま読み進める。


 ―〇月〇日

 見た!俺も見た!

 小太りの女だ!!鈴木だ!!こちらをニヤニヤしながら見ている

 いや、こちらでは無い。若い警察官を見てニヤニヤしていやがる

 林が鈴木に見られていた奴が死んでいくとか言った

 ならば鈴木を捕まえるまでだ

 鈴木を捜した。しかし、見つからない

 だが、常に視線を感じてはいる

 鈴木が一連の騒動の要なのは確信したが、そもそもあれは鈴木では無いだろう?死んだのだから。誰だ一体?

 他人の空似にしては似過ぎているような気がするが


 ―〇月〇日

 鈴木に似た女に見られていた若い警察官が、昨日鈴木真奈美に犯される夢を見たらしい

 夢精もしたらしい

 あれはやはり鈴木真奈美だったのか?

 林があれはこの現場の人間を全て犯すつもりだと言っている

 犯す?意味が良く解らない

 俺は霊魂の存在を否定していないが、果たして霊魂にそんな事が可能なのか?

 しかし、若い警察官は生きている

 死ぬ人間と死なない人間がいると言う事か?


 鈴木真奈美……

『あの家』で三島に襲い掛かり、返り討ちにあった女だ。

 鈴木は確か、同僚の安達とマネージャーの高野、それと高野のアパートの隣の主婦を殺害した女……

 調べによると、鈴木は凄い妄想癖があり、男の全てが自分に気があると思っていたらしい。

 マネージャーの高野の家の屋根裏に住んで、高野を観察していたようだ。

 狂っている女……

 鈴木真奈美……

 忘れてはいけない名前のようだった……


 ―〇月〇日

 若い警察官が死んだ

 遺体は『あの家』にあった

 第一発見者は俺と林

 鈴木真奈美に犯された夢を見たと言ってから4日後の事だった

 次は俺の番だ

 何故なら、鈴木真奈美が俺を見てニタニタ笑っていたからだ

 俺は俺が死んだら警察を辞めるよう、現場の警察官に促した

 皆無言で頷いた

 さて、俺は何日持つのやら、だ

 林が喚いている

 何でも鈴木は林に手招きをしていたようだ

 林の番か俺の番か

 なるべくならば、俺を殺して欲しい

 何より林は若い

 まだ先があるからだ


 笹本が『次は俺の番』と呟いた日付だ。

 やはりあいつは死ぬのを覚悟していたんだ……


 ―追記

 この日記を見るだろう所轄の仲間達

 俺達警察は生きている人間相手しか有効では無い

 死にたく無かったら、警察を辞めろ

 上には何を言っても無駄だ


 林……笹本……

 俺は……なぜ今まで忘れていたんだろうか……

 笹本が死んだ翌日、上の方から『三島は自殺』と事件について片付けられていた。

 みんなこれ以上『あの家』に関わりたくなかったのだろう。

 みんながみんな、それを納得した。いや、無理やり飲み込んだ。

 笹本が命を賭けて『あの家』から手を退かせてくれた事……

 何故俺は忘れていたのだろうか……


 翌日、山崎と鳩山が『あの家』で死亡していた。

 死因は……いや、解っている……聞かなくても解っているんだ。

 この日、担当の警察官が殆ど辞めていった。

 今川も辞めた。

「命あっての物種ですからね。加山さんには申し訳無いですが、私も妻子がいますし、自分一人の命じゃないんですよ」

 解っている。誰も責めはしない。

 そして俺は署長室にいる。

 署長と30分程、押し問答して出てきた俺は今日付けで警察を辞めた。

 俺は部下を守れそうも無い。

 笹本みたいに死をもって上を説得しようとする度胸も無い。

 この事件も暫くして自殺と判断されるだろう。

 それまでに何人死ぬかは俺には、もう解らない。

 俺は、俺達は死んだ人間には敵わない。

 俺はあちら側に逝く前に逃げるという選択をした、情けない刑事だ。

 もうこの街には来る事は無いだろう。俺はその日に、住んでいるアパートを引き払った。

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