第10話『ソレもまた愛』
頭がボーとする。
お風呂でのぼせたからじゃない。全てガドルのせいだ。
あれから何があったか。
あの後、私は逃げるように浴室から出てしまった。
髪も乾かさず、身体を拭く事も忘れてネグリジェを体に当てて部屋に戻って来た事は覚えているのだけど。
思いだすのは浴室の中、ガルドの私を見つめる視線と送られた言葉。すこし思い返すだけで顔が熱い。
あんなもの反則なんてレベルじゃない。
と言うか、愛しているって?
そう言えば、今思えば彼は私となんで結婚したのかしら?
父からは取り付けたって聞いたけど。
ガルドからしても、体の良い相手が居たから私と結婚したと思っていたのだけど。もしかして何か違うのか?
そもそもガルドはなんで、今まで結婚しなかったのか。
死神騎士だから相手が居なかっただけと思ったけど、何か違う気がするのは私の気のせいなのか――。
考えていると、頭が痛くなってきた。こんな事考えるなんて馬鹿らしい。
だって私は元からガルドを殺すために此処に送り込まれた暗殺者なのだから、余計な事は考えてはいけないのだ。
何か、水でも飲みに行こう。
そう判断して、部屋を出た時だった。
私は目を疑う羽目になる。
部屋を出た時、私の目に映ったのは倒れ込んだ使用人達。
メイドは勿論、セバスもその場に倒れてピクリとも動かなかったのだ。
「セバス!」
私は慌てて彼を抱き起す。
一瞬最悪が頭をよぎったけれど、私が抱き上げると小さく声を漏らし生きているのが分かった。
「どうしたんですか?」
「うう、侵入者が――。旦那様の部屋に……」
この言葉に私は顔を上げる。
身体が勝手に動いていた。向かうは勿論ガドルの部屋だ。
彼の部屋の前に付いた時、目に入ったのは壊れた扉。
部屋の中からは何も聞こえず、ただ人の気配だけは感じ取れる。
嫌な予感がして、私は部屋に飛び入った。
部屋の中は荒れ果てていて、綺麗だった情景が噓のよう。
その中心で、私の目に映ったのは倒れ込むガドルと、その彼に刃を向ける見知らぬ人物の姿が映った。
気を失っているのか、ガドルはピクリとも動かない。
あの最強なガドルが?何故?
「ライト家のポンコツ御令嬢か」
私を見た時、男がポツリと言葉を零す。
瞬時に気が付く、この男は私と同じ暗殺者であると。
「俺はお前と同じ、とある高貴な方から依頼を受けた――」
「――!」
その事実を受け入れた途端、身体は自然と動いていた。
地を蹴り太ももに付けたナイフを握りしめる。
「え、ちょ、ま!」
男が何か言った気がするが気にも留めない。
振り上げたナイフを男の腕に振り下ろす。
相手は間一髪避けたが、逃がさない。
私は体勢をグルリと変えると、容赦もせず男に詰め寄り再びナイフを振り下ろした。
金属がぶつかり合う音がして、男の刃と私の刃がぶつかり合う。
目の前の男が僅かに安堵を見せたが、私は止まらない。
身体を捻らせ、今度は脚を使って男の頭にめがけて回し蹴りをお見舞いするのだ。
今度は、避けることも出来なかった。
脳天に私の白い足が直撃。男の身体は吹っ飛ぶ。
大柄の身体は軽々と宙を飛び、壁に衝突。手にしていた剣は地面に落ち。完全にノックアウトしただろう。
確認したのち、私は慌ててガドルに走り寄る。
「ガドル!ガドル!」
声を掛ける。
肩を揺さぶると、小さく唸る声がして眉毛が僅かに動いたのを確認した。
良かった。生きている。本当に気を失っただけの様だ。本当によかった。
それならば、後私がやる事は1つだ。
私はナイフを握りしめたまま、ガドルの傍を離れて暗殺者の男の元へ。
「起きなさい」
頬を張り飛ばせば男は目を覚ます。
一瞬ぼんやりした目で、私を映して、怯えた眼をしたのは直ぐの事。
実に腹が立つ。だってそうだろう。ガドルは私の獲物だ。
それをこんなポッと出の男に奪われかけるなんて。
私はナイフを握り殺気を滾らせ男の胸元を握る。
「主の元に帰って伝えなさい」
きっとその時の私は今までで、一番恐ろしかったと自分でも思う。
「この男は私の獲物。ガドルを殺していいのは、私だけなのですから――」
――。
「ガドル、ガドル!」
一連の騒動の後、私はガドルに声を変えていた。
今回は特別、膝枕をして優しく声掛けしながら揺さぶる。
「う、ん」
1分ほどしてからか、ガドルがゆっくりと目を覚ました。
水色の瞳が開いた所を見た時、心の底から安堵したのが分かる。
優しく彼の頬を撫でながら私は笑った。
「大丈夫ガドル?」
「う、ん。俺は――」
「侵入者に不意打ちを付かれたのよ?覚えている?」
私の問いに、ガドルはぼんやりと静かに頭を横に振った。
「あ、ああ。確か急に知らない男が目の前に現れて、な。――今日は少し体がだるくてうまく動けなかったんだ」
「……そう、でも無事でよかったわ」
ごめんガドル。多分、絶対にそれ私のせいだと思う。
効いていたのね、毒。普通は即死ものなんだけど。
少しで済む者じゃないんだけど、それも5回も盛ったんだけど。
改めてこいつが最強なのは良く分かった。
でも、今は――。
「本当に無事で良かったわ」
彼の手を取って頬に寄せて、私は心から笑った。
本当に、本当に彼が無事でよかった。
私を見て、ガドルの頬が赤くなるのが分かる。
ゆっくりと身体を起こし、もうどこにもいない侵入者を確認してから微笑む。
「もしかして、貴女が助けてくれたのか?」
「ええ、そうよ。驚いた?」
ちょっとおどけて笑ってみる。
私に合わせるように彼が優しく笑ったのは次の事。
「いや、驚かないよ。昔から貴女は強かったからな」
愛おしそうに優しく私の頬を撫でて彼は言う。
それは女性に対しては如何なのかしら?
そう思ったが、私を撫でる手が余りに優しくて何も言えなくなった。
「助けてくれてありがとう。コーラル。」
目を優しげに細めて、にこやかな笑みを浮かべたままに彼は言う。
この顔は反則だ。彼の手を握りしめて私も笑う。
「コーラル」
彼の顔が近づいて来たのは、それからすぐの事。
唇に伝わる柔らかな感触。温かな温もり。
一瞬身体が撥ねたが、その確かな温もりに私は自然と力が抜けていくのが分かった。
彼の腕が私を抱きしめる。その温もりが何より心地よくて、私は静かに目を閉じる。
少しだけ、唇に毒を盛れば今だったら任務を達成できたんじゃないかなんて、ちょっとだけ思ったりして――。
――。
「……」
朝、私は裸で目を覚ました。
ガドルの部屋。柔らかなベッドの中。
昨日の記憶がおぼろげなのだが。
また、ヤッたのか私。しかも昨日と違って、腰が痛い。
うん、昨日は更に激しかったものな。夫婦の営み。
でもさ、今思えばあの後普通にやれる?
口付けからの流れで自然と行なったけどさ。
アレかな?生存本能から来る自然な流れだったのかな?
命を脅かされたから、子孫を残したくなる本能がうずいたとか?
私も拒めなかったわけだし。
ていうか。
「にんむ、失敗だし……」
結局だ。私はまた任務を遂行できなかったという訳だ。
今、隣にガドルはいない。時計を確認したが、もうお昼の12時過ぎ。
彼はとっくに城に出社したのだろう。これで数週間は家に戻ってこないはずだ。
私に任務は其れまでお預けと言う事か――。
「はあ」
「……なにを溜息を付いている?」
大きくため息を付いた時。
部屋の入口からガドルの声が聞こえた。
「なにって、ガドルがいないので」
自然と出た言葉に、クスリと笑い声。
気が付いてももう遅い。
顔を上げた時、其処には濃い色の髪で水色の眼を持つ青年は静かに私の側に立っていた。
「俺がなんだって?」
「が、ガドルどうして!」
思わず声を上げるのは仕方が無い事だろう。
そんな私にお構いなしに、ガドルはベッドの端に腰かけて私の顔を覗き込んだ。
「休みを貰ったんだ。1週間ほど」
「え!?」
「新婚なのに、休みが1日しか無いのは可笑しいと思ってな。執務はしっかりとやるって条件で、貴女の側に居たくて休みをもぎ取った」
柔らかくはにかみ、私の指にキスを落としながらガドルは言う。
その言葉に、行動に、私の胸が高鳴る。大きな手が私の頭を撫でた。
「取り敢えず今日は、1日ベッドで過ごすか?貴女を抱いて怠惰に過ごすのも悪くない」
どうしてそうも簡単に恥ずかしい言葉を紡ぐ事が出来るのか。
私はベッドの中に潜り込んで真っ赤な顔を隠す。
「ど、どうしてガドルは其処まで私に優しくするの?照れてしまうわ!」
思わず自然と出た言葉。
これにガドルは小さく笑った。
「それは勿論。コーラル、貴女を愛しているからだ」
私に覆いかぶさり、顔を覗き込んで彼が言う。
「昔からずっと、貴女だけを見ていた。一緒になって良く分かったよ。俺は想像以上に貴方を愛しているのだと」
優しい声が耳元で囁かれる。
ズルいと言うのは本当にこういう事だ。
思う。なんでこの人は其処まで私を愛してくれているのだろう。
思う。この人が私の正体を知れば、どんな表情を浮かべるのだろうか。
思う。
――16年間、本当に一度もこの人に勝ったことは無いと。
「ずるいわ、ガドル」
ベッドから顔を出し、私はガルドに囁くように頬を膨らましていった。
大きな手が私を撫でる。薄い唇が、額に口付けを一つ。頬に一つ。そして、私の唇を奪う。
触れるような口付けかわし、ガルドは身を離して静かに笑った。
「仕方が無いだろう。今、俺はどうしようもなく幸せなんだから」
なんて。
なんだか答えになっていない答えの気がするのは私だけだろうか。
だが、私もガドルにつられて小さく笑う。
彼の首の手を伸ばし、抱きとめるように彼の唇を奪う。
幸せなひと時。
確かにこの時間は幸せと言うべきなのだろう。
今はこの時間を楽しもう。
でも、忘れないでガドル。
私は貴方を殺すために送られた暗殺者なのだから。
1週間も猶予が出来て本当に、良かった。
今度はどんな手で貴方を狙おうかしら。なんてね。
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