第9話『もうやけくそだ』

 

 もう、時間が無い。

 今現在、時刻8時半。

 私は自室で忙しなく歩き回り、考えていた。


 これから一体どうするべきなのか。

 あと半日も無い、この時間の中でどう動くべきなのか。

 今、ガドルはシソジュースを落とすべく入浴している筈。

 そう、だったら――。


 ――。


「ガドル、ちょっといいかしら」

「コーラル?いや、今はちょっと、後にしてくれないか?」


 思い立ったらすぐに動け。

 私はガドルの部屋へと来た。正確に言えば、ガドルの部屋にある浴室の前に。

 勿論。服は全て脱ぎ捨てて、髪を高く結い、タオル1枚で!

 勢いよく、私は浴室の扉を音立てて思い切り叩き割る勢いで開けた。


「背中を流させて!一緒に入りましょう」


 とびっきりの笑顔で、赤面する彼を、同じように真っ赤な顔で彼を見つめて。


「こ。コーラル!?」

「失礼するわね」


 大丈夫。大丈夫だ。

 彼の裸は昨晩見ているし、私の裸も十分なほどに見られている。恥ずかしいなんてない。

 そして、私の最後の作戦はこうだ。

 実に簡単だ。背中を洗うと言って、油断させて近づく。

 そして無防備に私に背中を見せた時、頭を強打してやる!


 後始末、後のいい訳だって考えてある。

 一緒にお風呂に入ろうとしたら、ガドルが照れて足元の石鹸に気づかず踏んづけて転んでしまったと。


 ほら、完璧だ!

 私の考えに間違いはない!

 もうやけくそに近い気がするが、この際どうだって良いわ!


「じゃあ、ガドル!背中ながさせてもらうわね!」

「あ、ああ。頼む……」


 ガドルは無防備に私に背中を見せる。

 作戦通りよ!これで後は、このトンカチで頭を強打するだけ――。


 そう、馬鹿みたいに浮かれていた私は足元にあった石鹸に気付くことなく。


「あ」

「――。コーラル!」


 つるりとした感触があったと思いきや、次の瞬間見えたのは浴室の天井と、高く跳び上がったトンカチだった。


 ――。

 ――。

 ――。


 思わずなのか目を閉じてしまった私に何が起こったか分からず。

 来るだろう痛みに必死に我慢していたのに、いくら待っても痛みはない。


 おそるおそると、目を開ける。


「コーラル!大丈夫か?」

「あ……」


 当たり前と言うべきだったのか、当然と言うべきなのか。

 倒れた私の目に一番に映ったのはガドルの心配そうな顔。

 必死になって、今にも泣きそうなぐらい辛い表情を浮かべて。

 手に持つトンカチがアンバランスでちょっと笑えて来る。


「……ガドル、私」

「石鹸をふんで倒れかけたんだ」


 皆まで言わなくても。

 そんなの唯私が恥ずかしいだけじゃないか!


 思わず顔を覆う。

 ――失敗した。また、失敗した。


 しかも今度のトンカチはなんて説明すれば良いのだろう。

 もうどうしようもなくないか、コレ?

 何をどう責め立てられようとも、言い訳の術が無いのだが。無いのだが。


「ご、ごめんなさいガドル。えっと、そう、その――」

「……」


 顔を覆い、頭を抱え悶絶していると、クスリと笑う声が聞こえた。

 え?笑われた?

 恐る恐ると、顔を覗き込ませると見えるのはガドルの優しげな表情。

 彼は私を抱き起すと、優しい声色で言う。


「このままだと風邪を引く。一緒に風呂に入ろう」


 この状況で、このどうしようもない状況で。彼はそんな事を言った。


 ――。


 温かなお風呂。大きそうで、小さな浴槽。

 私はガドルに背を向けて、彼に抱きしめられる形で一緒にお風呂に入っていた。

 お湯の温もりと言うか、ガドルの体温がじかに伝わって来てこそばゆい。

 その中で、私たちは何も互いに語ることなく、抱き合いながら身体を温めるのだが。


「あの、ガドル……?」


 この沈黙に耐え切れず。私は口を開いた。

 先程から心臓の音がうるさい。同じように、もう一つ、張り裂けんばかりの心臓の音が耳元で聞こえる。

 それは間違いなく彼の音だ。


「今日は、大変な1日だったな」


 爆発しそうな音の中、彼は変わらない口調で静かに私に言った。

 私を抱きしめる手に力がこもるのが分かる。


「新婚1日目で、こんなにも楽しい日々を送れるとは思わなかった」


 大切な物を扱う様に、私の首元に顔を埋めながら。

 心から楽しかったと言わんばかりな声色。


「やっぱり君と結婚して本当に良かったとおもうよ」


 思わずと、私は振り返り彼を見た。

 言葉を失う。

 目に映った彼は心から本当に幸せそうな顔をしていたから。

 こんなにも私は彼に迷惑をかけ、剰え何度も殺そうとしていたと言うのに。

 彼は気が付いていないと言うの?そんなことあり得る?

 そんな優しくて幸せに満ちた顔、普通出来る?


 私の顔が真っ赤に、熱くなっていくのが良く分かった。

「私もよ」嘘でも良いから、言わなくちゃいけないのに言葉が出ない。

 ただ無言で恥ずかしくて顔を彼の腕に埋めるので精一杯。


「だが、今回のような事はコレきりにして欲しいな」


 耳元で囁く声。今回?今回の事とは?

 暗殺の事?やっぱり気が付いていたのだろうか?

 今回は特別に追う目に見るって事?そう思っていた矢先。耳元で彼は言う。



「こんな大胆な行動――。理性が保てなくなる。貴方の事は大切にしたいんだ」

「――!」

「なのに滅茶苦茶にしたくなる。だから俺を煽るのは止めてくれ。――貴方を、心から愛しているから……」


 そ、そんなテレ顔で、囁きボイスで。

 ずる過ぎませんか、ガドル様。



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