第8話『ミネストローネは如何?』

 


 河原を離れて屋敷に戻ったのは夕方の頃だった。

 皇子は別荘に泊まるとかで、別れ帰宅。

 ずぶ濡れの私達を見て、執事のセバスさんも使用人の皆さんもソレは驚いていた。

 慌てて私は幼いころから私に付くメイドのアンに連れられ、部屋に。


「さっきはごめんなさいガドル。ずぶ濡れにしちゃって」

「いや、楽しかったから良い。貴女も早く着替えてこい。風を引かれたら大変だ」


 白々しく謝れば、ガドルは無表情ながらもすんなり許してくれた。

 やっぱり女には弱いのかな。普通は怒りそうなものだけど。


「ありがとう、ガドル」


 とりあえず、感謝の言葉を述べて置き、私は部屋へ。

 温かなお風呂を入れて貰い、体を温めてから翠のドレスに着替える。

 髪を乾かして貰いながら、私は鏡越しにアンに話しかけた。


「夕方は失敗したわ」

「そうですか。どうするおつもりで」


 静かに話せば、アンは冷静になって返してくる。

 もう言わなくても分かると思うが、彼女アンも暗殺者だ。

 幼いころに私の実家に引き取られ、厳しい訓練を受けて来た。ベテラン中ベテラン。

 私よりもずっと仕事を積み、むしろ私なんかより優秀な人材である。私の代わりに仕事をやって欲しいぐらい。


「どうするも何も、夕食にもう一度勝負を仕掛けるわ」

「そうですか。何か手伝えることは」


 だが、そう人生は上手くはいかない。

 父も含めて必ず私に今回の仕事を完遂させるらしい。


 それぐらい私も分かっている。

 だから、私は1枚のメモを出す。


「これ」


 アンは私からメモを受け取ると、眼鏡の奥で黒く鋭い眼を細くさせた。


「分かりました。料理長には奥様が昼のお詫びを旦那様にしたいと仰っていると伝えておきます。お嬢様は30分のち食堂へ。――準備は怠らないよう」


 小さく頭を下げ、部屋を出て行ったのは直ぐの事。

 扉が閉まる音を耳に立ち上がる。さて、大体の準備はアンがしてくれるだろう。コレから私も準備に取り掛からなくてはならない。

 私は折角着替えたドレスを脱ぎ捨て、身軽な姿へと。下着姿であろうと、関係ない。

 そのまま部屋のバルコニーへと向かい、外へと飛び出した。


 ――。


「さて、準備完了」


 それから30分後。

 私は再びドレスと更にはエプロンを纏って、今キッチンに立っている。

 そんな私の目の前に広がるのは、トマト、ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ。

 そして水仙の球根、鈴蘭の球根、トラフグにトリカブトの粉末――。つまり、全て猛毒である。全部自分で集めて来た。大変だった。


 何をするかって、見て分るだろう。

 ガドルの為に愛を込めて、毒料理を作る事である。4度目の正直!


 いや、だってもう之しか考えられないんだもの。

 暗殺は大体力業か毒だ。その内、力業は全て意味がなく聞かない。

 そうなれば非力な私はもう、毒を頼るしか無い訳だ。


 他にも拳銃と言う手があるが、残念。今日1日で取り寄せられる物じゃない。実家から持ってくるべきだった。でも、そもそも私拳銃の扱い下手なんだけど。

 なので、私の手段は毒一択なのである。泣きたい。


 でも私だって考えた。

 既に製薬済みの毒は聞かなかった訳だが、其れなら私が一から作った毒ならどうだろう。

 毒の成分100%。殆どが毒で構成された猛毒ミネストローネを食べて貰う計画である!


 勿論料理は出来る。淑女のたしなみ。暗殺者のたしなみだ。

 ここの屋敷のシェフにはアンが話を通してある。笑顔ですんなりと許してくれるとか、本当に善人だと思う。


 心でアンに感謝を、シェフに謝罪しながら私は気を張り巡らせながら調理を進めていった。

 普通の食材はそのまま使い。猛毒球根はみじん切りにして、摺り下ろす。

 フグはくちばしと目を取った後そのままミンチに。此処に、みじん切りと摺り下ろした水仙の球根、そしてトリカブトの粉末を混ぜ入れて魚団子の完成。

 コレをベーコンの代わりにスープに入れ込むのだ。


 10分煮込めば良い香りの猛毒スープの出来上がり。

 ぱっと見は真面目に美味しそう。

 片付けを終えたら、コレを皿に二人分とりわけて、ベルを使ってアンにガドルを呼び行って貰った。

 勿論、スープを残すなんてヘマはしない。


 私は一足先にダイニングに向かう。

 大きくて長いテーブル。普段なら一番先の遠い席に座るが、今日は無礼講。

 ガドルが座る席の隣――。一番近い席に腰を下ろして旦那様を待つのだ。


 ただ、此処で言っておきたい。

 出来れば此処にはもうガドルは来てほしくない。

 と、言うのも実はアンに頼んでガドルに傷薬を届けて貰ったのだ。

 ハブ毒をたっぷり混ぜ込ませた、猛毒傷薬を――。


 蛇毒とは傷口から体の中に入って死に至らしめる猛毒。

 特にハブ毒は強い。なんの毒か分からないのであれば解毒剤だって意味も無いのだから。

 今、部屋でガドルが苦しんで居る事を切に願おう。本当に最低な妻だな、私……。


 よくよく考えたら、ガドルはこんな私を嫁に受け入れてくれた方なのに。

 立場が立場じゃなかったら、本当は――。


「コーラル」

「が、ガドル」


 あ、いや。やっぱり心配する必要も無かったようだ。

 ガドルは僅かな笑みを浮かべてダイニングの入口に立っていた。

 はぁ、知っていたけど。


「ガドル。傷は大丈夫?」

「大丈夫だ。薬ありがとう。良くなったよ」


 白々しく問う。

 だが、ガドルは平然とした面持ちで私に微かに笑い掛けながら言った。

 しかも私の薬はしっかり使ってくれた様子。

 それでピンピンしているのだから、本当に化け物じゃないのか、コイツ。


 不信感を押し隠す様に私は笑う。


「話を聞いた。今日は貴方が料理を作ってくれたんだろう?」

「ええ、簡単な物で申し訳ないんだけど。ミネストローネを作ったの」


 無理矢理笑顔を作って彼の前に毒入りミネストローネを置く。


「実に美味しそうだ。ありがとうコーラル」


 ガドルは余り表情を変えないながらも上機嫌の様子。

 それが最後の食事になる事を切に願おう。

 2人一緒に神に感謝の祈りを捧げ、ガドルはスプーンを手に取る。


 彼が掬ったのは猛毒肉団子。

 大きく口を開けて、ガドルは肉団子をパクリと頬張った――。


「うん、上手いよコーラル」

「ほんと?嬉しい」


 ガドルはよほど気に入ったのか、パクパクとミネストローネを、肉団子を食べ進めていく。

 私はソレを内心ハラハラした面持ちで見つめていた。

 この毒、今までの即効性の毒と違って遅効性の物だ。はやくて30分はかかる。

 それまで、じっくりと、私も緊張の面持ちで待つしかない。


「――。それでね、お父様たら……」

「……ああ、面白いな君の父君は」


 ――10分


「……俺の両親は――」

「そう、でも優しい人だったのね」


 ――20分


「ふ……君はやっぱり面白い。一緒になれて本当に幸せだよ、コーラル。」

「……え、ええ、本当にね」


 ――30分


 嗚呼――。

 やっぱり効かなかった……。


「コーラル!?」


 ガシャン、音を立てて私は肘を付き頭を抱えた。

 どうして?どうして?どうして?どうして毒が効かない訳?

 私にはコレぐらいしか対抗する手段がないって言うのに。


 もうどうしろって言うのよ!


 私は心から取り乱す。

 とりあえず、取り敢えず考えろ。

 時間が無いのだ。明日になればガドルは城に行ってしまう。

 そうなれば私の暗殺の機会はぐっと減る訳で、むしろ完遂できる確率は0に近い。

 だから、だから、今すぐどうにかして――。


「そうだわ、ちょっと待っていてガドル!」


 その時だった、私の脳裏に一つの作戦と言うかモノが浮かんだのは。

 私は走って自室へ。鞄の中から、瓶を一つ取り出す。

 ガラスの小瓶。華を模した金色の蓋が付いた赤い液体が入った小瓶。


 コレは、この液体の中身は

 我らライト一族が自ら精製した、強力な薬品である。

 一度触れば皮膚も肉もぐちゃぐちゃのドロドロ。骨まで溶かす劇薬。


 そうつまり、コレをガドルの頭から被せてやるのだ。

 流石にコレを被って無事な奴はいまい。

 中身は適当に、そう、シソジュースとでも言っておけばいいのだわ。


「ガドル!これ、私が作ったシソのジュースよ!ちょっと、飲んで見ない?」

「……。ああ、貴方が作ったモノならなんでも。それよりも大丈夫なのか、コーラル?」

「ええ、大丈夫よ!さっきはガドルとの時間が幸せ過ぎて立ち眩みしただけ!」

「コーラル――」


 赤面できているのも今の内よ、ガドル!

 さあ、これをくらえ!


「キャア、アシガモツレタワー」


 完璧な演技、完璧なタイミング、空いている瓶の蓋。私の身体はぐらりと手に持つ瓶をガドルへと向け倒れる。

 ガドルは驚愕の眼差しと表情。倒れる私に手を伸ばし、跳び掛かる液体を避けると言う事はしようともしなかった。

 ただ、倒れ込む私を受け止めようと手を伸ばしている。きっとそうなのだろう。相変わらず、この男は優しい。

 最後にアンの姿が映った。ほら、これで良いんでしょ、アン。やり遂げたわよ。


 私の身体がガドルの腕で受け止められる。

 目の端で赤い液体がガドルに掛かるのが見える。作戦は成功の様だ。

 今朝と、夕方と変わらないたくましい大きな腕。もうこの腕に抱かれることも無いのか、少しだけ寂しく感じ――


「大丈夫か、コーラル!」

「え?」

「セバス!来てくれ!」

「は、はい旦那さま!」


 だけどと言うべきか、やっぱりと言うべきか、頭から真っ赤な液体でずぶ濡れになって。

 それでもドコも異常の無いまま、溶けているどころか火傷1つ追っていないガドルは私を抱き起して

 何食わぬ顔でセバスに私を託した。


「大丈夫ですか、奥様!」

「え、ええ、大丈夫です。ガドルが受け止めてくれたから!」


 私を支え、心配してくれるセバス。

 でも私からすればそれ処じゃない。

 慌てふためくセバスを押しのけて、私はガドルに視線を飛ばす。


 目に映ったのは頭から上半身迄真っ赤になったガドルの姿。

 でもどれだけだ、やはりどこも解けていない。

 眼元は押さえているが、ピンピンしている。


「が、ガドル!」


 私は目元を抑えるガドルが気になって慌てて駆け寄った。

 目元を抑えていると言う事は、もしかしたら、いや完全に眼の中に薬品が入った可能性がある。

 そんなもの失明どころの騒ぎじゃない。いや、違う、なんでこの男は溶けていないんだ!


「コーラル、近づくな!」


 近づこうとした私にガドルが叫んだ。

 止まる足、もしかしてアレか?被ったモノが薬品と気づいたか?当たり前だ。

 だったら今の私はこれほどまでに無い程、危険な状態ともいえる。

 気が付けばアンの姿が消えていた。一足先に逃げたと言う奴か。でも私は逃げない。

 此処まで来てしまったのなら、確認しなくては気が収まらない。


「ガドル!」

「奥様!」

「ガドル、目がどうしたの?見せて!」


 私を抑えるセバスを振り切って、私はガドルの元へ。

 ずぶ濡れの彼に抱き付く様に縋りついた。コレで、私の手が爛れようが知った事じゃない。

 だって、まだ作戦は成功して無いのだ。ここは何も知らなかった奥様を演じて、全てをアンのせいにしてでも彼の側に居なくてはいけない。それが私の決断だった。


 ――。

 ――。

 ――。


 アレ?ガドルに縋りついたんだけど、手、痛くない。

 ちょっとネバつくだけで、全然痛くない。

 自分自身の手を見る。真っ赤で、痛くなくて、良い香りがして?――良い香りがして?


「コーラル。だから近づくなって言ったろう。貴女も汚れてしまうじゃないか」


 目の前でガドルが言う。

 赤くなった髪をかき上げて、見えるのは変わらない鋭い水色の瞳。

 なんだ、大丈夫じゃない。心配して損した。解けている様子も傷ついている様子もない。

 て、なんで?なんで怪我して無いの?


「が、ガドル、大丈夫なの?」

「ああ、ジュースを被っただけだ。少々はちみつか?ベタベタするがそれだけだよ。目に入ったから少し痛いが」


 少しの間。

 私は一瞬ガドルに言われたことが理解出来なくて、自身の手を見た。

 恐る恐ると匂いを嗅いでみる。

 手元の瓶を見れば、ラベルが貼ってあって「perillaシソ」も文字。

 あ、これ確かにシソジュースだ。


 思えば私の鞄の中にはいつも飲むシソジュースの瓶も確かに入っていたんだった。

 色も全く同じで瓶の形も同じだったから、うっかり間違えて持ってきてしまったらしい。


 私はその場でへなへなと座り込む。

 手作り特製毒スープは効かず、シソジュースと劇薬を間違えるとか痛恨のミスどころじゃない。


 ああ、もう本当に。

 私ってやつはポンコツである。


「それより貴方が無事でよかった」


 ガチで純粋に声を掛けてくれるガドルの視線と言葉がさらに痛い。


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