第3話『初夜』


 「……」


 あれから一夜。

 私は何時もより、ふかふかなベッドの上で目を覚ました。

 煌びやかな部屋の中、朝焼けの光が部屋を照らす。


 私が纏うのは産まれてこの方来たことのない柔らかなピンクの絹のネグリジェ。

 下着は着けてなくて、隣には裸ですやすやと眠る私の旦那様。――標的。


 今私はこの標的と初夜と言う奴を共にしたわけなのだが。

 ぶっちゃけいう。


 ――滅茶苦茶よかった。


 本でしか読んだことしか無く、経験も勿論ない私だったけど。

 これほどまでに気持ちいいんだと思える程、良かった。何こいつ、テクニシャン?


 痛みなんて全くなかったし、凄く気を使われて優しかった。

 戦場で死神とか言われているくせに、だ。

 そもそも途中から記憶無いし、でも服着ている時点で着せてくれたみたいだし。

 ぼんやりした記憶の中で、なんか頭撫でられた気がするんだけど、気のせいだろうか。

 いや、それは別にどうでも良い事だ。忘れてしまおう。


 それよりもコレからどうするべきか、だ。

 ぐっすり眠る標的と言う名の旦那様をながら思う。

 もういっそ、この無防備な身体にナイフを突き立ててやろうか。

 正直今はソレが一番楽なのだろうが、流石にそんな簡単な事をしてしまえば家に迷惑をかける処じゃない。

 やるなら夜が良い。強姦に見せかけてと言う奴だが、果たして死神に通用するだろうか?


 まあ、今朝は別の方法で行くとしよう。


 私は柔らかなベッドから出て、部屋の入口に向かう。

 そっとスキマを開けて見てみれば、思った通りと言うか部屋の外にポツンとティーセットが置いてあった。

 実は先程は戸を叩く音で目を覚ましたのだ。直ぐに使用人が来たと察したし、声も掛けた。

 使用人が中に入らなかったのは、気を利かせての事だろう。


 主人の部屋から奥方の声が聞こえたら、流石に誰も入って来ない。

 現に使用人はティーセットを置いて去って行った訳。


 私はニヤリと笑う。

 使用人には悪いが、このティーセット使わせてもらおう。


 胸元から小さな薬瓶を取り出して笑う。

 瓶に入っているのは劇薬だ。

 それも昨日とは別の更に強力な毒薬。


 昨日のアレは体性が有れば、私のように無事なモノが多い。

 だが、コレは違う。この毒薬は私だって呑む事が出来ない、絶対に体性が出来ない代物。

 コレを、ティーポットに一瓶全部入れてやる。もう一度言おう、一瓶全部だ!コレで死なないモノなど絶対にいない。確信できる。


「旦那様。ガドル。朝ですよ」


 準備を整え、私は何食わぬ顔で眠る標的ガドルの身体を揺らす。

 暫くして小さな唸り声と共に、ガドルは水色の眼を覚ました。


 大きな体をのそりと起こし、ぼんやりとした瞳。

 流石に昨日の今日で疲れているらしい。此処で新妻がお茶を入れれば、迷いなく飲み干す事だろう。


「おはよう、ガドル。……良い朝ですよ」


 頬を少し染めて、手を頬に当てて。

 我ながらに良い演技。

 

 コレで初夜を迎えた普通の新妻の雰囲気を醸し出せただろう。

 赤らんだ顔を隠す様に手で覆い、にやり。


 少しの間、ガドルは私を見た。


「――おはよう」


 まずは挨拶。

 また少しの間、頭を掻く。

 

「からだ」

「はい?」

「身体、大丈夫か?――痛い所とか?」


 起きて一番の会話が私を気遣うのかい。なんて死神らしくない。腹立たしいけどきゅんとしたわ。

 いや、確かに昨日激しかったですものね。心配するのが普通かもしれない。

 けどお陰様で気怠さはあるモノの、身体の痛みは無いです。

 

「この通り、大丈夫です。其れよりも紅茶を飲みましょう。折角用意して下さったんですもの」

「お前が淹れてくれるのか」

「はい。旦那様に粗相がない様にと教育されてきましたから」


 身体の方は本当に別に何ともない。其れより今は紅茶なのだ。

 コレでも伯爵令嬢。そして暗殺者。嫁ぎ先で失礼なこと無い様に、何処へ潜り込もうとも大丈夫なように一通りの教育を受けている。

 紅茶を入れるぐらいは完璧だ。空気を含ませるための高さとか、お茶の温度と入れる時間、すべて把握している。


 ティーカップに紅茶を淹れて、ガルドに差し出す。

 勿論自分の分を用意することを忘れない。流石に夫だけの分を用意するのは可笑しいだろう。

 そして、この場で夫だけ死ぬと言うのも、そんなの犯人を名乗っている様なモノだ。

 私とて其処まで馬鹿じゃない。


 父には暗殺完了まで帰ってくるなと言われた。元より帰るつもりなんてさらさらない。

 つまりだが、ガルドが死ぬときは私も死ぬときである――!

 

 さぁ、ガルド。

 紅茶を飲むが良い。

 安心しろ、お前が死ぬ時は私も死ぬ時だ。


 ガルドが疑いもせず、私の差し出した紅茶を受け取る。

 寧ろ何故か、微妙に嬉しそうなガルドを尻目に私は勝ち誇った笑みを一つ。


 長かった。長かった。

 本当は昨日のうちに仕留める筈だったのに。

 無駄に一日を費やしてしまった。


 むしろこの時を何年待ちわびたか。

 積年の恨みを文字通り味わうが良い。


 そんな事を私が想っているとも露も知らず。ガルドが一口お茶を飲む。

 喉を鳴らし、その身体に紅茶が流れ込んだのを見て、私は「勝った!」と思わずガッツポーズを心の中で取った。


「……」

「……」

「……うまいな。中々の腕だ」

「……ありがとうございます」

「……」

「……」


 ――なんで死なない?


 私は己の眼を疑う。

 思わず目を擦り、何度もガルドの姿を見る。


 ベッドの上、静かに優雅に紅茶を飲み進める彼の姿。

 その様子から苦しむどころか、何の違和感も感じていない冷静沈着な男の姿。


 いや、本当になんで死なない?間違えた?もしかして。

 思わず紅茶を見る。確かめようにも、無味無臭だし。今この瞬間に確かめたりは出来ない。

 下手したら私だけ死ぬ。任務も達成できてないのに。


 いや、なんで死なないの。

 私の手違い?命からがら飲んでみる?

 高い確率で私だけが死ぬ。なんで死なない。


「どうした。コーラル?」


 私の気など知る由もなく、旦那様は顔を覗き込ませて問いかけて来た。

 どうしたも何もあなたが死なないので、困っているだけです――。なんて言えるはずもなく私は静かに笑った。


「いえ、じ、じつはやはり体調が悪くて!!紅茶の匂いが、その、きつくって!」


 下手な言い訳過ぎるだろう。

 ガドルは少しの間、紅茶をまた一口飲みながら「ああ」と小さく呟いた。


「そう言えば、いつもと少し匂いが違うな。初めての紅茶だ、種類でも変えたのか。後で言っておこう」


 嘘だろ、無味無臭だぞ?

 どう嗅いでみても唯のアールグレイだよ。

 

「い、いえ。お心遣いありがとうございます」


 なんにせよ、コレは薄皮一枚だが助かったのか?

 私は紅茶を飲むガドルを尻目に、ティーカップを机の上へ。

 いや、まだ大丈夫。大丈夫だ。何度も言い聞かす。


「……新しい紅茶を淹れさせようか?」

「い、いえ。こうして旦那様が美味しそうに飲む姿だけで十分ですわ!」


 再び紅茶を口に含み呑む彼を見つつ。何とか心を落ち着かせる。

 大丈夫。大丈夫だ。まだ時間は十二分にある。時間にして後24時間。


 新婚と言う事で彼の執務が無くなった時間。

 明日になれば彼はまた、忙しく城に行って仕事の毎日となり暗殺の機会がぐっと減るだろう。

 その為にも今日中には殺さなくてはいけない。


 私は必ず、今日何としてでも彼を殺す。

 そして初めての仕事を達成した喜びのままに死にゆこうと決めたのだ。

 胸元できつく拳を作る。


「どうした。コーラル?やはり体調が悪いのか?」

「いいえ!大丈夫です」


 さあ、最初の一回目は失敗だった。

 でも次は失敗しない。そう心に決めて、私は今日と言う一日に挑む。


「それよりガドル。紅茶もう一杯如何?」

「……ああ、貰おう」


 とりあえず。確認の為にもう一杯飲んでもらおう。

 と言うか、休日一日だけってブラック過ぎない?

 


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