二章

翌朝、妙にすっきりとした気分で目覚めた。

なんだか良いことがありそうだ。

相変わらずの朝の支度と通勤をへて職場に到着した。


「佐枝さん、おはようございます」

同僚の小島 菜緒が挨拶して来る。

「おはよう、今日はなんか大きい企画考えないとね」

「そうですね、私は特にアイディアないです。

館長が何か考えてそうですけどね」

「面白いアイディアだとといいね」


そんな話をしていると、館長が事務室に入って来た。

「おはよう、今日はみんな早いな」

「そうですね、なんかタイミングが合ったみたいで」

少しの雑談をおえて、本題に入る。


「次の小ホールでの企画についてなにか良い案はあるか?」

「この前は写真を展示したので、今度は絵画はどうでしょうか」

「絵画ねぇ」

「まぁ、順当にいくとそうなりますよね」

「それか、違う写真家の作品展示シリーズにするか」


館長がしばらく考えたのち、こう発言した。

「私は、好きな絵画があるんだ。あたってみよう」

「へぇ、どんな方が描いているのですか?」

「平山郁夫という画家だ」

「あ、知っています。

巡礼みたいな作風の方ですよね」


小島 菜緒の彼氏でもあり同僚の山口 隆である。


「山口、若いのによく知っているな」

「はい、僕、絵は好きなんです。

この画家の青とオレンジの使い方が好きでして、なんか神秘的なんですよ」

「確かに、多く使われているな、目が覚めるように鮮やかな使われ方をしている」

「佐枝はしっているか?」

「いえ、今から調べます」


私は、プレゼンに違う画家の資料を集めていただけに、知らない画家の名をだされたので一瞬戸惑った。


検索すると、そこには、青の世界が広がっていた。

パソコンの画面越しにも関わらず、なんて美しいのだろう。

それが第一の感想。

タクラマカン砂漠だろうか。

楼蘭だろうか。

敦煌だろうか。

その砂漠を隊列を組み行く商隊にも見える。

背景には、神殿だろうか?

廃墟だろうか?



月の明かりと星空を頼りに列をなし進む一行。

遠近法をうまく使っているようだ。

これは、見る人によって感想や見る観点が違うかもしれない。

プロフィールを調べると、平和への祈りが強い方であるようだ。


「館長、良いですね、賛成です」

「僕も、一度ゆっくりと見てみたいんですよ」

「小島はどう思う?」

「私は皆さんが良ければ良いと思います」

「決まりだな。今回は私に任せてくれないか?」

「はい、お願いします。」


こんな感じの流れで会議は30分もしないうちに終わってしまった。


けれど、私の心の琴線に平山郁夫という画家、そして、砂漠、平和への祈りというキーワードが色濃く残った。


新しく何かを得るということはとても新鮮で心の芽吹きの時でもある。

単調な毎日に少し彩りを添えるこの瞬間が好きだ。



私は平山郁夫さんのプロフィールを見ながら、昔読んだ本をぼんやり思い出し彼の人生にリンクさせていた。


読んだのは、小学生の時だった。

長い長い夏休み。

本屋に行くと、そこにはたくさんの夏の本たちが所狭しと並んでいた。

当時何を思いその本に惹かれ手に取ったのかは忘れてしまったが、おそらく本の薄さと表紙の青の美しさだったのだろう。

このころはまだ本と言う世界に特別興味があったわけではない。

けれど、本の持つ独特の香りや肌触りは好きだった。

一瞬で退屈から私を救い出してくれるところも。


記憶でリンクさせた本は、確かアルケミストだ。

全てをおいて旅先での多くの人の出会い、不思議な体験と得た感動、そして結局、彼は宝とは自らの環境と心の中に見つけることができると悟るような内容だった。

そこには幻想的なロマンと古代吟遊詩人が語るような、心震える懐かしさにも似た不思議な空気が揺蕩っていたと記憶している。



彼の絵への情熱と執念が結実し、シルクロードやタクラマカン砂漠への巡礼を通し、日本の画を昇華された人生は、どこか似ているのではないかと思った。

自然と興味を持った。

彼の絵を近くで見てみたい。

何を感じ表現したのか、手探りでもいいから彼の感性を手繰り寄せ自分も感じてみたい。

そして想像の中で彼の世界観と話をしてみたいと思った。



それから一週間はあっという間だった。

今週は仕事があるのでラジオをリアルタイムでは聞けないが、今はインターネットにいろいろな情報が上がっていたり、録音もできる時代だ。

それを楽しみに淡々と仕事を続ける。

次の展示の補佐についたり、大ホールを埋めるための催し物としてどんな方に演奏を行ってもらうかなどを企画しながら、同時に日々の業務も遂行する。


何とか、一日を終え帰宅する。

ラジオ情報を検索すると、彼の情報がコアなファンにより上がっていた。

目を通すよりも先にラジオの録音を聞かなきゃいけないと思った。

約45分ほどの番組だったと思う。

メインパーソナリティーの彼の感性が自由に遊んでいる様な話し方と、流行の音楽で構成されているようだ。


一見、優しい、または、易しいという世界程多くの知識と経験が必要だ。

難しい知識を分かりやすく、人に噛み砕いて楽しく伝えたり理解してもらう為には、また自己にも深い理解と経験が必要だから。



彼の声は高くもなければ低くもない。

ただ聞き取りやすい話し方ではあるし、興味を引く話をしてくれる。

あまり退屈はさせない人だなと感じた。

今、彼の趣味はバッティングに向いているらしい。

日々のストレスをひたすらボールを打ち込むことで発散させているらしいことを冗談交じりに伝えている。

やはり人違いなのかもしれない。

が、なんとなく人好きにして面白そうな人なので聞き続けることも悪くないと感じた。

そして、テンポよく進み話題が次に移った。



「リスナーのツナ缶ちゃんからのメッセージの紹介」

「最近、私は学校でなじめず周りの子と何もかも一緒に行動しなければいけないことについてけません。

けど、浮いてしまうのもいやで。

私にはやりたいことがあるんです。

できたら、なるべくそっちに時間を費やしたいのです。

誰にも秘密ですよ?

爽さんだけに教えます。

私、小説家になりたいんです」


そして、しばらく間があってから彼が喋りだす。

「この電波に乗ったから、もうFMを聞いてる人にはバレちゃったね」

「この際、バレたんだから堂々といこうよ。

まず、俺に夢を打ち明けてくれてありがとう。

夢を持つこと、まっすぐ真摯に向き合うことができてるツナ缶ちゃんはとても凄いよ。

ツナ缶ちゃんみたいな一本木で自立した子には少し学校生活は窮屈かもしれない。

けれど、どんなことがあったとしても、書き続けて欲しい。

それがいつかの君の力になり、いつか君を救うよ」


なんだか、まじめだな、この爽って人。

なんというか、気持ちが熱い。



「俺はね、その作者が見せるいろいろな顔やその時々で感じることを記録している世界を表す本の世界が好きだよ。

いつかツナ缶ちゃんの作品を、ここで紹介できることを願ってるよ」


ありきたりなお祈りの文言で閉じるのか。

なんか若い人の人生を、この人の一言が少なからず左右してしまうことが、大人となって乾いた今の私には何とも言えないもやもやを残す。

なぜなら、このツナ缶ちゃんが作家になれるか、書き続けられるか、夢を温め続けられるのかの保証もないのだから。


次の話題に移るのかと思えば、彼はそのまま語りだす。

「俺の大切な友人に作家希望の子がいたよ。

まだ若くて大学を卒業して働いてたんだけど、日常に燻っていた子が。

俺もまた大学を卒業して就職したけれど、夢をあきらめきれなくて飛び込んだこの世界。

君に何をしてあげられるわけじゃないけれど、少しの想い出話ならできるよ」


妙な引っ掛かりに胸がざわざわとする。


「その子とは匿名アプリで出会った。

俺も就職先で燻ってた時期だった。

何となく同じ境遇で似た者同士が出会ったんだろうね。

でも、彼女は一つ譲れない確固とした夢を秘めているような子だった。

そして、独特の感性をもっていて俺に書いていた詩を見せてくれたんだ。

まだ、書いていてくれることを願っているよ」


私の勘は当たっていた。

偶然のタイミングなのに、偶然は必然なのか。

自然と目頭から涙が溢れ頬を伝っていた。

長い時を経て見つけた、彼を。


この過去の私自身のようでもある、ツナ缶ちゃんに感謝したくなった。



少なからず彼は私の事を大切な友人だとは思っていた。

まだ甘い夢の中に眠っていてもいいのだろうか。

現実が私を起こしに来るまでは。



この感情をどう表現していいのかを、私はまだ言葉を選べない。

ただ、この5年という歳月は現実であり、彼と重ねた気持ちは少なくとも一方通行ではなかったと感じる。

多くの疑問、少しの心のしこり、怒り、悲しみ、色々な感情があるけれど、今も心の奥底にあるのは彼に会いたいという気持ち、会って確かめたいことが沢山ある。

ここからどこへ行こう。

どうしたらあなたと会えるだろう。




私は心の衝動に突き動かされた。

初めて彼のSNSを見ることにした。

2014年より始まっているようだ。

一番最近の更新は一昨日だ。

ラジオで話していた通りバッティングセンターでの写真。

少しレトロな感じの作りの場所で、緑の金網で仕切られたブースの風景。

点数の的の様なものと、速球が出てくるマシーンの写真。

160㎞に挑戦していたようだ。



『こんにちは

今日はバッティングに来ている。

ここのところ運動不足で、体を動かしたくなった。

ここは時速180㎞までマシーン対応、俺も180㎞に挑戦した。

しかし、豪速球が全く見えずかすっただけで手がしびれた。


ここで俺は考えた。

気持ちよくカンカン打ちたいってことで移動、160㎞へ。

気持ちいい、フルスイングが決まった瞬間白球が気持ちよく飛んで行った。

癖になりそう。

また必ず舞い戻る』


笑顔の顔文字交じりで書かれている。


人の文章を読むときは、どうしてこんなにドキドキするのだろう。

共有感を分けてもらえたような、秘密基地に忍び込んだような、そんな気持ちになる。

少しずつ読んでいく。

私が知らなかった彼の時間が、密に私の中で動き出し繋がり始める。

まるで止まっていた時計が動き出したかのように。


色々な項目別に記事が並んでいる。

仕事・バイク・旅・雑記・思いの箱。

思いの箱とは何だろう?

気になった。


なんだか、これは個人の趣向の話になる。

例えば、この現状を例えるならば、大好きなものを先に食べるだろうか。

それとも、最後に食べるだろうか。

私は落ち着きがなく少し変わっているので、普通のものを食べながらちょこちょこ大好きなものをつまみ食いするタイプ。


だから、日付の新しい順に読み進めながら、この思いの箱をたまに挟んで読んでみることに決めた。

記事は、基本的に読みやすい構成になっており長くはない。

言いたいことを端的にユーモアを交えて言うタイプ。

変わっていない。

月日は重ねても彼の書く文章の癖はやはり残っているものだなと感じる。


そして、次の記事へと読み進めてゆく。


『今日は静岡の伊東まで海を見にバイクで走った。

沈む夕日が大きくて、ただ感動した。

風も気持ちいいし、海鮮丼も旨かったし、こんな贅沢な時間は久しぶりだった。

久々に汚れた心がすっきり洗われた気がした。

また明日からも生きていける』


懐かしい、昔もよく海の写真を送ってくれた。

夕日が沈む砂浜の写真。

青い波がたつ静かな海の写真。


そこにはいつも彼の姿は写ってはないけれど、海にいる人々もたまに写っていたりする写真もあった。

人の趣味って変わらないんだな。

相変わらず、バイクで海まで走り眺めることが、彼にとっての息抜きであり心を静める方法。



そこまで読み、感慨にふけっていると、突然、携帯が鳴った。

「もしもし?」

「歌奈、久しぶり、急なんだけどこれから会えないかな?」

「うん、いいよ。

じゃあ20時にいつもの駅前のスタバで」


学生時代から続く友人の弥香からだ。

なんだろう。

結婚の報告かな、それとも仕事に行き詰ったのかな。

弥香は基本的に滅多に私には弱みを見せない。

と言うより、一人で解決して事後報告と言うことがよくある。

飲みに行ったり、食事したり、映画を観にいったりはあるが、非常に男性脳に近い間柄なのかもしれない。

あまり甘え合ったり、愚痴りあったり、合コンなど共に行ったことがない。




久々に友達と会う、いつもより気合を入れてオシャレをする。

黒のミニドレスに少しラメの効いた黒のパンプス。

メイクも落ち着いた淡いピンク系のパーリーなアイシャドーに、少し跳ね上げたアイラインを引く。

少し濡れたような潤みを演出するピンクのルージュをぬる。

そして、一番好きなアイテム、青や黄色や白やピンクの粒上の良い香りのするフェイスパウダーをブラシで顔にさっとぬると、顔に4色の偏光がみち光を放ち艶っぽくなる。

急に夜の香りを身に纏う。

髪も巻いてフワッとまとめてトップを引き出すか、このまま黒髪のストレートロングで行くか迷った。

けれど、このままストレートロングでいく事に決めた。

私らしいから。



電車を乗り継ぎ、8駅目、二人の大学のあった駅のコーヒー店で待ち合わせ。

久しぶりだな、学生の帰った時間帯ということもあり、わりと店内は落ち着いているように感じた。

店内には落ち着いたやわらかい色で照らされ、適度のガヤガヤした喋り声が響いている。

珈琲の香ばしい香りが空間に漂っている。

私は珈琲が好きだ。

だからこの空間にいるのも好き。

なんだか少し上質な大人になれた気分がするからだ。


待ち合わせの10分前には着いてたい派の私と時間ぴったし派の弥香。

今日もそれぞれの特徴があらわれている。

とりあえず、先に注文して待って居よう。

スターバックスラテを注文した。

私は、甘くなくて苦いだけでもない濃いこのラテがお気に入りだ。



携帯を眺めていると、弥香が来た。

一見すると優しそうな外見をしている。

中身はさっぱりとしていると思うが、本人は中身に毒もあるし非常に女なのだと主張する。

毒はもちろん私の中にもある。



やわらかなフレアスカートと軽めのジャケットを羽織り、いかにもオフィス帰りの服装だ。

弥香が私を見つけて、笑顔で軽く手を振ってくる。

そして、私は予測する、

きっと、弥香はいつものカフェモカを注文するだろうと。

こちらに、珈琲をもってにこやかにきた弥香に聞く。

「なにを注文したの?」

「いつものカフェモカのトール」

「本当に私達変わらないというか、進歩がないよね」

と私が笑うと、


弥香が、

「じゃあ、私の番。

当ててあげる、ラテのトール」

「正解」

そういうと、しばらくはお互いの近況を話し合った。

私は相変わらずのイベントスタッフで、今度の企画の話をした。

そして、生命保険会社に勤める弥香はひとしきり会社のデキル人の驚きの仕事の仕方や成績の上げる努力を見たという報告をしてくれた。

異業種である彼女から聞く多くのお金が動く世界の話は、私に風穴があくほど新鮮で面白かった。



そして、空気が温まったところで彼女に聞く。

「どうしたの? 」

「うん、実はね、私不倫してるの」

「え? 弥香が? どうして? 」

突然の告白に、私は目が点になってしまった。


私の知っている弥香は、少なくとも不倫に溺れる女ではなかったと記憶している。

やはり、環境が激しくなると生物として刺激を求めていく事になるのか。

または、分別を失う程の恋にまた彼女も落ちているというのか。

どちらにしろ、聞いていかなくては。



恋には魔が潜んでいる。

うまくコントロールしなくては、自分が飲み込まれてしまう。

私は、昔ある映画を観た。

古い映画に出ていた魔女はこう言った。

「胸がドキドキして、世界が逆さまに見えたらそれが恋だと。

気を付けないと転んでしまうよ」



昔、私が作った詩が脳裏によみがえる。



ある魔女が言っていた

くるくる回って立ち位置を見失うと

全てが足元から崩れると


きっと今の私は

長いスカートとブーツをはいて

くるくるまわっている

足を引っ掻けて転ばないように

気を付けながら、目が回っている


どうせなら春めく人生をと希求する

ただ、私は私の未来を安全なものにする



どうか、彼女の恋に、そして私の恋に一つの答えが降りますように。



私は胸に何かが詰まったような気がした。

「一緒に春めく世界に行こうよ」

と喉まで出かかったが、その声を飲み込んだ。


とりあえず、私はゆっくり聞くことにした。

彼女はそれを望んでいる気がするから。


「どんな相手なの?」

「会社の上司。上司っていっても5歳上」

「どんな経緯かきいてもいいの?」

「私はずっと寂しかった。彼氏以外の男なら誰でもよかった」

「彼氏とは今どうなの?」

「続けてるよ。あいつも別に女いるから」


そういうと煙草を吸いたいのだろう、指がイライラと動いているのを見る。

表情が憂いを帯び、眉間に皺を寄せてゆく。

弥香、どうしたの? そう思った。

けれど、その思いを今は飲み込むしかない。


そして、絞り出す。

「そう」

弥香は、苦悶の表情を浮かべている。

「ねぇ、知ってる? 愛なんかなくてもちゃんと人間はヤレるんだよ。

私の寂しさや孤独を彼はちゃんと吸い取って埋めてくれるの」


私は、ただ聞いている。

「弥香、わかったから。聞いてるいるよ」

珍しく強気な彼女の双瞳に涙が溢れている。

弥香は、尚も止まらない。

「歌奈、あんたは? 」

「え? 」

「あんたは、なんで私に何も打ち明けて来ないの?

今更べったりも重いけど、でも少しくらいアンタの悩みを軽くしてやれることくらいできたのに。

私はずっとずっと寂しくてたまらなかった」


尚も、続く。

「ずっと、あんたがだんだん思い詰めていく感じ、黙り込んで暗くなってく。

私はだまって見てた。

それも苦しかった。

私の価値って何なの?

決して心の中に私を入れない。

人間、綺麗なとこだけが全てじゃないんだよ」

そして、弥香の涙がとめどなく溢れる。


「どうして? どうして誰も私の中には誰も残らないの? 」

そういうと、とうとう彼女は涙を溢れさせ心の痛みを叫んでいる。

私を全身からわかってよ、愛してよと叫んでいた。


彼女もまた愛を乞う人だった。

必死に精神のバランスを保とうとしている。

彼女の涙に、声に私はどう答えたらいいのだろう。

同時に、自分の器の狭さが嫌になった。

彼女を追い詰めていたなんて。

私は彼女に語るしかないのだろうと思った。


どちらも似ているのだ、人を信じることが出来ないわけではない、

ただ不器用なのだと思う、人一倍。

彼女も私も再生しなければならない。

ただ、そう感じた。



私は、何も言えずバックからノートを取り出した。

そのノートを彼女に見せることにした。




その羽の色はあまりにも鮮やかで

私は直視できずにいる


コバルトブルーを携え

夜行の中でも鉱石のように光を放つ


私の空間にとどまってはくれないか

まだ飛び立つにははやいだろう


蜜から蜜へ

それがおまえのさだめ

蜜のあわれというのか


だが、それさえも疲れた時は

どこかで羽をそっと閉じるのだ


露から露へ

それがおまえの生と死への根源

命のあわれというのか




「これ、私が書いた詩なの」

弥香は、静かに言った。

「詩? そんなの書いてたんだ。悔しい、今まで知らなかったことが」

私は、続ける。

「うん、これね、なんで見せたかっていうと、私達に必要な気がして。

私は、言葉をうまく人に声に出して器用には意図を伝えられない」

弥香は、すかさず頷く。

「うん、その辺はすごくわかる。

歌奈は言葉が足りないし、かといって喋るときは直球すぎる」

私は、ただ苦しくなる。

「うん、だから、そういう時。

伝える事に失敗したなと思うと、ノートに世界観を投影させて気持ちを支えてきた」

弥香は、ただ寂しそうに言った。

「そうなんだ」

「うん」



私は、自分のことをポツポツと喋り始めた。

家庭が小さいころから落ち着かず、人の愛情を感じにくい事。

反面、少しの優しさを受ければ人よりも多感に感じてしまうこと。

弥香を友として一番信頼している事。



そして、多分一番聞きたいことであろう悩みの源泉、恋について。


それを打ち明けるには、心に抱えていることは謎に満ちている事。

長い長い夢のような、霞のようなものなのかもしれなくて誰にも話せなかったこと。

打ち明けるには、少しの勇気がいる。

何を、どう打ち明ければ良いのかわからない。

いざ言葉にしようとすると、自分の頭の中さえ混乱の渦の中に飲み込まれる。

  

弥香が、私の狼狽に気づいたようだ。

けれど、何か言おうと彼女もまた言葉を選ぼうと考えこんでいる。

私は、重い口を開いた。


「弥香、人生って希望がないと生きていけないと思わない?」

「え? 何? 急に?」

「うん、彼、私が想っている人は私にとってそんな人なの」

「希望? 」

「そう、暗い樹海の中を手探りで生きていかないといけないとして、もといた安心な場所の道すら見つからないとして、その時、何を頼りに生きていけばいいのかがわからないの」

「彼は、私の樹海でもあり、希望でもあるの」


弥香の表情が少し曇った。

「そんなに深刻に思い詰めてるなんて思わなかった。

どういうことか順を追って話してくれる?」

「その樹海は深くて、どこが入り口でどこが出口かさえ見えない」

「歌奈?」

「ごめん、でも樹海の森は変化するの、私に寄り添ったり冷たく突き放したり、もう私には何もわからない」


そういうと、私は深いため息をついていた、きっと声が震えていたのだろう。

弥香は怪訝な、けれど心配そうな瞳で私をしっかり見つめてくる。


「歌奈、ごめん、急に踏み込んで良い事じゃなかったのかも知れない。

けど、心配なの。

できたら心に抱えている事のすべてを教えてほしい」

弥香の優しや伝わる。

「うん、なんとか言葉にしてみるよ」



私は、喋り始めた。

「彼と私は、アプリで出会ったの」


「は? なにその出会いは? 」

不意を突かれたのか、緊張が緩んだのか、弥香の表情が崩れる。

私は、躊躇いながら話し出す。

「うん、最初は他愛のない会話だったの。普通にありふれた。

けれど、彼はどんどん私を導いていっては、突き落とすの。

出口の見えない暗い穴に」



少しの間があった。

「うん、携帯に連絡が来ては、プッツリ途切れるって言ってた人だよね? 」

「そう」

「歌奈、しっかりしなよ。

あれから何年経つと思ってんの。

貴重な20代をそんなわけのわからない携帯メールと、わけの分からない男に左右されてどうするのよ!」


少しの寂しさと、至極当たり前な意見。

きっとこれが正常な人の反応。

「でも、私はそこから囚われて離れられない」

 そういうと、自分でも気づかないうちに泣いていたようだ。


一拍おいて弥香が尋ねる。

「いったい何がそんなに歌奈をとらえて離さないの?」

その答えが弥香を失望させることは分かっていた。

けれど、こう答える事しかできない。

「わからない。でもきっと愛しているのだと思う」


弥香の表情はますます心配そうな、怒りを含んだかのような複雑なものに変わっていた。


「歌奈、わかった、これから私になんでもいいから書いて。毎日、毎日。

彼の代わりでもいいし、心と頭を整理するためでもいい。

思ったこと、感じたことを書いて送ってほしい。

一緒に解決しよう?私も歌奈も」


弥香の直接的な物言いと、直情的な優しさが嬉しかった。

私を現実と夢の狭間から救い出してくれる、一筋の蜘蛛の糸のような、そんな存在なのかもしれない。

私は、この糸に掴まることにした。

「ありがとう、そうするね」




弥香と別れ家路についた。

とりあえず、自分の気持ちを落ち着かせようと思った。

ホットレモネードを作る。

この温かい飲み物がホッと心を癒してくれる。


今日は弥香と久々の夜遊びを楽しむはずだったのに、どうしてこんな話になったのだろう。

けれど、心の中の感情の塊を一人で抱えなくても良くなったことに、安堵と少しの不安を感じていた。

これからも、弥香と友情を続かせることができるのかな。


けれど、もうなるようにしかならないだろう。

ただ、お互いを救いたい気持ちはある。

そして弥香を信頼している、これは真実。

その気持ちがあれば、どちらになろうともうどちらでも良いような気がした。

人を信じて裏切られるか、救われるか。

一連托生の関係ではあるが、結局、結果を背負うのは自分達自身なのだ。




私は、過去の携帯とノートを取り出した。

頭を整理しなくてはいけない。

人に想いをつたえる約束をしたのだから。



過去の携帯を開けば、彼と私の想いが溢れんばかりに詰まっていた。

あの頃には、私があまりに幼くて理解しきれなった彼の言葉の意味が、あの頃より鮮明に雄弁に語りかけるようになっていた。

きっと、彼は私に伝えたかった事が沢山ある。

そのどれもが、疑問形の後に止まっている。

もしかして、言えなかった気持ちがこの後に続いていたのかな。

それとも、書いたまま何らかの事情で送れなかったのかな。


いつもいつも伝えたい事、伝えなきゃいけない事の核心に迫るとプツリと連絡が止まっている。

それほど、不自然に止まっている。

そして、次に繋がるときには必ず彼の精神年齢が上がっているように感じる。

一回り成長して大人びてくる。

私はというと訳がわからず、けれど、連絡が途切れたことについてキツく咎めることもなく、一つ前の止まったままの返事の続きを書いている。



どう考えても不自然なのだ。

それはなにか気付いた。

時間の流れだ。

そして、それは互いに会いたいと伝えあった後必ず起こっているようだ。

時の神が時空を操り二人を会わせないように邪魔をしているかのようなそんな不自然さを与える。


彼と私は生きている時間が少しずつずれていっているのか。

タイムラグが生じている。 

ただ、にわかには信じがたい。

けれど、そう考えるならば、ただ事実として連絡が途絶えたり繋がったり会えなかった事にも説明がつく。

なんて、我ながらあり得ないな。

妄想が過ぎていると感じているが、一方で確かめたくなった。



2014年12月25日


「歌奈、俺今アメリカのアリゾナにいる」


そういって、どこまでもどこまでも赤く続く道に、斜めから差し込む強烈な陽光。

そこから見える赤い大きな岩肌の写真が送られてきた。

そして、ひと際際立つ大きな赤岩の塊が近くに写っているもう一枚の写真。


「アメリカ? 凄い!旅って感じだね。この赤い岩はなに?」

「これはベルロックっていうんだよ」

「大きいね、赤くて、巨人の上半身みたい」

「そうかな。調べたら、現地語では、『大地からブクブク泡立つ岩』って意味もあるらしいよ」

「かわいいね」

「もうこっちにいると、自然が何もかも大きすぎて360度どこまでもパノラマの大自然なんだよ。

自然の中にポーンと体ごと投げ出された感じ」

「いいな、昂、羨ましい」

「それで、俺がこっちに来た日に大きい雹の塊が降り出してもうそのサイズが信じられない」

「へぇ、日本で見たことないね」


そして、何枚も何枚も岩の写真、空の写真、大パノラマの写真を送ってくれる。

その中の一枚に気になる写真を見つけた。

空の雲が翼を広げた大きな鳥の姿にみえた。


「ねぇ、昂、私この前読んだ本にね、ネイティブアメリカンの部族って自然の中に神や聖霊をみるんだって

載っていたよ」

「そうみたいだね」

「私、昂の写真の中に良いものみつけたよ」

「へー、どれ?」

「空、大鷲が翼を広げてる。

これって確か聖霊の歓迎のサインだったと思うよ」

「そうなのか、確かにここはすごく気持ちが良くて、温かいものを感じて体が軽い。

なんかそう言われると嬉しいな」

「いつか、歌奈にも本物を見せて空気を味わわせてあげたい」

「うん、待ってる」

「帰ったら、会いに行く」



2015年1月1日


「あけましておめでとう、今年もよろしく」

「あけましておめでとうございます、こちらこそ」

「帰ってきた? いつ会える? アリゾナのお土産待ってます」

「アリゾナ? いったよ、あそこはすごく気持ちがいいんだ。

どこまでも伸びる道が続いてて、大自然が息づいてる」

「そうだね、一度いきたいな」

「うん、今じゃないと行けなくなってくるからね」

「楽しみだな」

「歌奈、今年は寒いね、体冷やさないようにしなきゃね。

じゃあ俺ツーリングに行ってくるよ」

「楽しんできて」



こんな感じなのだ、会話が噛み合っているようで噛み合っていない。

この時も私は、確かに傷ついたはずだ、会う予定だったのに。

どうして何事もなく約束を忘れたふりをしているんだろうと。

悲しかったが、何故か言い出せなかった。



私は、ふっと気になった。

この2015年1月1日の気温を調べてみよう。

この年、最高気温が15度。

むしろ冬にしては暑いように感じる。

彼は確かに書いている、今日は寒いねと。

冬だから、たんに寒いと書いているの?

けれど、やはり引っ掛かりを覚えた。

どうしてこの時違和感を覚えなかったのだろう?

早速ノートに違和感を一個ずつ拾い集めていこうと書き込んだ。




今日は、なんだかとても疲れてしまった。

泥のように眠れそうだ。

鈍い足取りでメイクを落としたくて、シャワーを浴びに行く。

シャワーを少し熱めに設定する。

この水がザーザー流れる音はあまり好きではない。

けれど、肌に触れるこの人肌にも似た温度に安心する。


まず、メイク落としで顔を洗い流す。

長い髪を濡らして汚れを洗い落としたら、シャンプーの良い香りに包まれる。

いつもの慣れ親しんだ私の空間にかえってきた感覚だ。

ボデイーソープを泡立て、腕から手のひらまで伸ばしてゆく、そして首から胸とだんだん下がっていく。


私の体も一つ年を取るごとに確実に変わってきていると、最近感じるようになる。

なめらかだった肌にはくストッキングが引っかかる、そして胸の形も少しずつ変わっていくように感じる。

まだ私は若いだろうか、価値はあるのだろうか。

そんな愚痴にも似た感情まで、きれいさっぱりと泡ごと洗い流す。

30分ほどでシャワーを済ます。

髪を適度にタオルでゴシゴシとふき、ビールをのむ。

最近、お酒を飲む量増えたな。


 

この日は、この窓の景色も、鈴虫の鳴き声も私を癒してはくれなかった。

そして訪れる浅い眠り。








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