『全部、好きだった ~レズ風俗の新人に高校時代可愛がっていた妹(スール)がいたので指名してみた~』プロローグ小説 花園神社の邂逅 ― 有明のつれなく見えし別れより…… ―

真鶴コウ

花園神社の邂逅 ― 有明のつれなく見えし別れより…… ―


 ――新宿。

 靖国通り沿い、観光客をかき分けながら少し早足で進む。

 噓っぽい日本文化をギラギラとまとい始めた歌舞伎町を横目に通り過ぎ、新宿区役所も過ぎるとすぐに小さな小さな森が現れる。

 そこが花園神社への入り口で、石造りの鳥居の下がお決まりの密かな待ち合わせ場所だった。


 待ち合わせの十分前。

 今日のお客様はカナカナ様、二十七歳、主婦。

 当店の上客リストにも載っている常連さん。

 ……にもかかわらず、本指名の嬢は作らず、新人を中心に毎回いろんな子を指名しているらしい。

 お客様指定のホテルで百二十分コース。

 少し慣れてきたとはいえ、やはりいつも初めての人と出会う前は胃がキュッと痛くなる。


 私の名前は岡野夕菜、二十六歳。源氏名は、ユナ。

 レズ風俗「らぶりーず」勤務三か月目の新人キャストだ。

 以前は塾講師をしていたが、高校の頃から片思いしている人を忘れるために心機一転、この世界に飛び込んだ。


 お客様の目印は、Anya Hindmarchの赤いハンドバックと黒のワンピース、胸までのロングヘア。

 人ごみの中から鳥居が見えてきたとき、「花園神社」と書かれた石柱の元にそのような人をすぐに見つけた。

 常連さんを待たせてしまっている! と思った瞬間、背筋がヒヤリとした。私は急いで駆け寄り、「カナカナさんですか?」と声をかけた。


 お客様のお顔を拝見するために、少し見上げる、自分の首の角度。

 振り返ったお客様のその瞳の色、微笑み。

 私の身体が、全部、全部、覚えている。


 目が合った瞬間、新宿の喧騒は一瞬でかき消え、私の時間は高校時代に力づくで巻き戻されてしまった気がした。


「……お姉、様……っ」


 喉から音を絞り出すと、何度も何度も何度も何度も口にした言葉がポロリとこぼれた。

 高校の頃から片思いをし、忘れたくても忘れられない愛おしい人。

 その人だった。


「やっぱりね」

 

 思考停止でその場に固まってしまった私に特に反応もせず、静かに笑うその人は、あの頃よりもすこし疲れた笑顔をするようになっていた。


「ど、どうして……」


 ――お姉様がここにいるのか。

 ――こんなサービスを利用しているのか。

 ――常連ってどういうことなのか。

 ――幸せな結婚をしたから私の前から消えて行ったのではなかったのか。

 ――私を、指名したのか。


 押し寄せる疑問が出口を見つけられず頭の中でぐちゃぐちゃになってしまい、それ以上話せなくなってしまった。

 その様子を察したお姉様はくすくす笑いながら、スマホの画面をこちらに向けて言った。


「これを見たの。……ほら。この太もものほくろ。あなたかなって」


「太もも……ほくろ? ……あ、宣材写真……!」


 その画面は私の勤務している「らぶりーず」の新人紹介の画面で、首から下のランジェリー姿で足を崩して座っている、自分の宣材写真であった。


「あなただったらいいなって、思ったの。本当に来るとは思わなかったけど」


 お姉様は日傘をさし、ホテルの方向へ歩き出した。私は意味をまだのみ込めないまま、急いで後を追う。


 あの頃も、そうだった。

 こんな風にうしろから、お姉様について回っていた。


 ホテルまでの道中、思い出話に花が咲く……ということは死んでも無いというくらい、空気はとても重かった。


 しかし、元来お姉様は無口な方だ。いつもお喋りな私の話をニコニコと聴いてくださっていた。


 ある時、あまりにも自分が一方的に話していることが気になって、お姉様に「うるさくないですか?」と聞いたことがあった。

 お姉様は一瞬驚くような表情を見せて、そして、

「夕菜はおしゃべりが上手だからとっても楽しいわ」と、目を細めながら頭を撫でてくださった。


 大好きな、お姉様。

 凛と静かで、優しくて……。

 こんな風になりたいとお姉様の背中を追いかけた。

 春も、夏も、秋も、冬も。

 この人は、私の青春のすべて。


 だけど、お姉様は高校卒業と同時に家の都合で結婚をして遠くへ行ってしまわれた。

 ちゃんと好きとも言えなくて。卒業式のあと、お別れの時にリボンを頂けただけだった。


 あの日から片思いを重ねた日々の分だけ、「もう、忘れなくては」という言葉が呪いのように私を縛り、締め付けてきたのだった。



 ……自分のことでパニックになっている私を余所に、お姉様はホテルに到着すると手慣れた様子でチェックインの手続きをし、私をエレベーターへ誘う。


 エレベーターが動き出し、少し照明が落ちる。二人きりになるとお姉様は細い腕で私を引き寄せゆったりと抱いた。


「驚かせてしまったかしらね。悪いようにはしないから……落ち着いて。ね」


 あの頃と同じ声の音色に、あれだけ荒れ狂っていた私の心の中の獣がスンと落ち着くのを感じた。私の心はすっかり飼いならされてしまっていて、それは今も全く変わっていないという事実に、少し驚いていた。


 部屋に入ると、普段使っているホテルよりもランクが高いというのが、一目瞭然でわかった。

 お姉様はいつも通りといった感じでカウチにカバンを置くと、キングサイズのベッドに腰を掛けた。まるで自分の部屋のような所作だ。


「飲み物はルームサービスを頼んでおいたから……すぐに、カウンセリング始めて頂いていいかしら?」


 その言葉で、やっとこれは仕事なのだということを思い出し、私は我に返ったような気がした。カバンから資料を取り出して、お姉様の前に椅子を引き寄せ座る。


 不器用な進行でカウンセリングを始めた。

 お決まりの質問をして、カウンセリング用紙の質問事項をひとつひとつ埋めていくうちに、少しずつプロのキャストとしての自分を取り戻していった。


 お姉様のご希望は、旦那様とはもう長いことセックスレスで、ストレスと性欲を発散させたいとのこと。

 今日はレズセックスよりもマッサージなど癒しプレイがお望みとのこと。

 お子様のお迎えがあるので、予約時間より少し早く切り上げる必要があること……。


 チクリと心を刺されつつ、なんでどうしては飲み込んで、私は仕事を全うすることにした。


「かしこまりました……。では、さっそくお風呂の準備を……」


 そう言って立ち上がろうとしたとき、お姉様はそっと私の手を取った。

 伝わる体温に指先がジンとする。

 気が狂うほどに求めていたお姉様に触れられて、心が悦んでいるのを必死に押さえつける。


「一緒に湯船につかる時間も大好きなのだけれどね、あなたも少し頭をクールダウンさせる時間がほしいだろうから、今日は一人で入るわ。ちょっとだけ……いい子に待っていて」


 お姉様はゆっくり立ち上がり、バスルームへ向かわれた。

 パタリと扉が閉まる音が広い室内に響き、一人になった私は自分を抱きしめうずくまる。


 お姉様と過ごした時間。

 取り残されお姉様を忘れるためにもがいたこれまでの時間。

 そして……これから起こるであろう、お姉様とのめくるめく時間……。


「今日は……」ってなに?

 明日もあるの? これからがあるの?

 勝手に期待してしまう心が暴れ出してしまいそう……!


 過去と今と未来が雪崩のように私に降り注いでくるような気がした。

 重くて苦しくて息ができない。

 こんな感情知らない。どう抜け出していいのか分からない。

 だけど……。


 だけど……嬉しいのだ。

 どんな形であれ、嬉しい。

 世間的にタブーと言われるであろう再会でも、お姉様がお元気で、またこうして会うことができた。


 私はお姉様に会えたことが、嬉しくて嬉しくて死にそうなのだ。


 

 部屋の向こうからくぐもったシャワーの音が聞こえてくる。

 その音に反応してか、自分のが濡れてくるのを感じる。


 私はそっとそこに指を添わせ、身体の方がずっと冷静だと思った。

 お姉様から逃げず、無駄に浮かれず、ちゃんと待ち構えようとしている。


 そう思うと、不思議とこんな運命も受け入れられるような気がした。

 小さく深呼吸を繰り返し、私は覚悟が決まるのを待っていた。


 私は……お姉様がバスルームから出ていらっしゃるのを、いい子に、待っている。




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『全部、好きだった ~レズ風俗の新人に高校時代可愛がっていた妹(スール)がいたので指名してみた~』

 トラック1へ続く…… → → →

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