26 情事の宿で 前編
部屋には白いシーツを綺麗に張られた、大きなベッドがある。
窓にかかる青いカーテンが乾いた風に揺れ、通りの匂いを運んでくる。
『シークレット・リトリート』の室内は清掃がいきとどいており、心地よい風を二人に届けていた。
個室を仕切る壁は、厚めの紙と布が重ねられて出来ているのだが、不思議なことに防音が完璧にできるものだった。
ミハエルは、ゆったりと二人掛けソファーに腰をおろした。
この宿は、なりゆきで何度か利用したことがある。緑のチュニックをまとった庭師の女性は、慣れない感じのようで壁際に立ち腰に手を当てている。
「俺は忙しいんだ、早く済ませてくれ。まあ、その姿のままなら、ひとばん相手してやってもいいぜ」
「おかえりなさい、ミハエル。予想通り正面から堂々と帰って来たわね。変な偽名を使っていたようですけど・・・」
「お前にせよサンヤにせよ、けっこう簡単に見つかっちまうんだな、俺って」
「配下に見張らせていましたからね。第二騎士団も、なかなか優秀な動きでしたわ」
女性は右手人差し指の指輪を天にかざし詠唱をとなえた。やがて周囲は強烈な白い光につつまれる。
そしてその姿は、聖堂騎士団長を務める司祭長へと変わってゆく。
光の中から歩み出たマシロ・レグナードは、ミハエルのとなりに寄り添うように深く腰を下ろした。
「王都の街中で、貴方とは堂々と歩けないのよ」
「変化呪法か、それ魔術師が使うやつじゃないか?」
「魔導具の力のひとつです。魔術師でなくても、身につけるだけで使えるわ・・・かなり高価なものですが」
教会組織の人間は、魔術をはじめ魔導具すら禁忌と考え異端視する。しかし、彼女はそうではない、役に立つものは何であれ取り入れる柔軟性をもっている。
「帰還早々あんたに捕まるとはな・・・。なりゆきまかせが俺の生き方だが、そろそろ考えものだな」
俺のつぶやきを無視するかのように、マシロはさらに体を寄せてくる。
「本題に入るよわよ、率直に言うわね。第二騎士団の師団長ミハエル・サンブレイドは死んだことになっているの、『私の指示』で」
「やっぱりあんたが絡んでいたのか・・・、面倒ごとはやめてくれ」
「私は、近いうちに反体制ゲリラと手を組み革命を起こします。私がそうするように仕向けているのです」
「はぁぁぁ? さらに面倒くせえ、・・・何だよそれ」
「混乱をおこして、王国と教会組織の上層部を暗殺します。もちろんこれらは、反体制ゲリラにやってもらうんですけど」
「自分は手を汚さねえってか。もう、何ともいえねえな」
マシロの横顔をみつめる。
無表情のようにみえて、その奥には刃のような意志を感じる。
「そこから私の聖堂騎士団と、ミハエルの第二騎士団で反体制ゲリラを制圧しましょう。
邪眼水晶核を守り死んだはずの貴方の活躍は注目をあつめるでしょうね。
そして、私達ふたりは王国を守った英雄になるの」
「反体制ゲリラを暴れさせて、それを鎮圧するって話か」
「私が大司教の座につき、貴方を宰相補佐官に任命します。領地や貴族としての爵位は私が準備しますし、第二騎士団も宰相近衛兵として再構成しましょう」
「俺が宰相補佐官だと? なれるわけないだろ、頭の悪い俺に政治なんてわからねえよ」
「大丈夫です、貴方にはそれだけの器があります。宰相には息のかかった者を送り込みますから、実務は少しづつ勉強してください」
「そういった問題じゃない、断る。俺の夢はプチトマト農園の大規模経営なんだ!」
突如、マシロの声が怒気をはらむ。
「却下する。どうしてそんな呑気なことを・・・。貴方は私と新しい国を作るのです、戦禍のない世界は私と貴方の望むものではないのですか?」
マシロの鋭い目が、美貌をさらに際立たせている。
(戦禍のない世界か・・・)
彼女のいう事が、空想ではないことは分かる。
戦争のない平和な暮らしは民の願い、いや一部の人種を除き、ほぼすべての王国の人間の望むことだろう。
「もし、貴方が私に協力できないというなら、貴方は・・・死んだままでいてもらいます。第二騎士団は私の配下に取り入れます。貴方には刺客を送りますので、確実に死んでもらいます」
「ひねくれてやがるな! 俺が手に入らないなら殺すってか? ・・・殺るなら、今テメエの手でやれよ」
彼女のいう事は、おそらく本気だろう。もちろん、むざむざ殺されはしないが。
マシロは目を閉じると、頬を俺の肩にすり寄せてくる。
体には、彼女の柔らかさと体温が、きめの細かい法衣を通して伝わってくる。
そして、こう告げてくる。
「レヴァント・ソードブレイカーを、ふたたび刺客として差し向けます。死んでください、ミハエル」
(なんだと・・・?)
◆ ◆
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