第11話 世界に刃を向ける者

 足音をひそめ、窓から射しこむ月光に照らされながら廊下を速足で歩いてどれほどか。やがて、レジーナとアウグストの前に塔が見えてきた。

 二人は柱の陰に隠れ、そっと様子を窺った。月光のおかげで、暗がりの中がそれなりに見える。

「守衛はいない……?」

 暗がりに目を凝らし、レジーナは眉をひそめた。見たところ、兵士がいるようではない。

「いたらいたで、気絶させればいいだけです。行きましょう」

 さらりとアウグストは言うと、ふらりと柱の陰から出た。レジーナがえ、と思っているあいだに渡り廊下を駆けていく。

 本当に王子らしくない人だわ。

 エリアス様がならず者と言っていたのも納得ねと呆れつつ、アウグストのあとを追おうとレジーナは走りだした。

 ――――いや、追おうとしたときだった。

「レジーナ」

「っ」

 背後から聞こえた優しい声に、レジーナは肩を跳ねさせた。足が止まり、振り返る。

「エリアス様……」

 いつのまにいたのか。影の中にエリアスが立っていた。レジーナは思わず数歩下がる。

 エリアスは寂しそうに眉を下げた。レジーナが下がったぶんだけ近づいてくる。

「そんな他人行儀にしなくても。エリアスでいいと言ったじゃないか」

「いいえ、貴方はエリアス様です」

 レジーナは小さく首を振った。

「そして私はエイオニル帝国の皇女。エリアス様は私が十三歳のとき稽古場で、経済を学ぶなら港へと誘ってくださった。十五歳のときは雨の中、庭にいる私を探してくださった……そうでしょう?」

「……」

 事実を突きつけると、エリアスは悲しみを顔に浮かべた。レジーナがこの世界の真実を知ってしまったと悟ったのだろう。

 直後。

「っ」

 力の波が渡り廊下から放たれた。レジーナが首を横に向けると、真っ白な力の刃がエリアスめがけて飛んできている。

 その背後には剣を抜いたアウグストがいる。力の刃はアウグストが生んだのだ。

 エリアスは驚きもしなかった。

「壁よ、遮れ」

 その一言で、エリアスとレジーナを包む半透明の壁が生まれた。力の刃を遮って消える。

 エリアスのそばを離れないと駄目だ。レジーナはアウグストのほうへ逃げようとした。しかしエリアスの腕が腰に回り、抱き寄せられる。

「駄目ですよ、レジーナ姫。あんな粗暴な輩のところへ行っては」

「姫を騙して誘拐した奴に言われたくないな」

 二人の前で足を止めたアウグストは言った。

「敵相手ならともかく、姫や帝国の者たちに信用されてるのを逆手にとりやがって。それのどこが王子だ」

「自分の望みのために周りを出しぬくのは、君も得意だろう?」

 エリアスは冷ややかに言った。

 レジーナはエリアスの腕から抜けだそうと身をよじった。けれどエリアスの腕の力は強く、逃げられない。

「エリアス様、もうやめましょう。こんなことをして現実から逃げても、何も変わりません」

「いいえ、変えられたではありませんか。ここが私たちの新しい現実です」

「変えたんじゃなくて、逃げたんだろうが。姫をこんなところに閉じこめて記憶を封じて、自分の願望垂れ流しのでたらめを教えて。現実は何も変わってない」

 あざ笑うようにアウグストが言った。

「さっさと姫を解放して、この世界を壊せ。皇帝陛下とて事を荒げたくないはずだ。今ならまだ、寛大な処遇をしてもらえるだろうさ」

 それとも――――。

 そこで言葉を切り、アウグストの笑みの色が変わった。殺しあっても構わないと言い放ったときの、獰猛な獣の表情が浮かぶ。

 アウグストから放たれる気配が場の空気を震わせた。一層硬く、冷たいものになる。

「……殺しあいを好むとは、本当に粗暴だね。君は」

 エリアスの表情と声音に憎しみが混ざった。レジーナが見たことのない表情になる。

「いいさ、望むところだ。今度こそ私の前から消えてもらうよ」

「――――!」

 駄目だ。これでは二人は――――。

「清き殻よ、姫を守れ」

 レジーナがやめさせようとする前に、エリアスが魔法を発動させた。途端、レジーナの周囲を白い球体が包む。レジーナの視界は一面の白だ。

「エリアス様……!」

「まあ、殺しあいなんざ姫にお見せできるものじゃないからな」

 白い壁の向こうからアウグストの声が聞こえてくる。ほんの少し、安堵を含んだような。

 アウグストはレジーナを助けるつもりがないのだ。理解し、レジーナは血の気が引いた。

「駄目です、二人とも! 戦っては」

 二人を制止しようとしたレジーナだったが、それ以上叫ぶことはできなかった。

 エリアスの魔力とアウグストの魔力が膨れ上がった。二人の詠唱が終わるのと同時に魔力がぶつかりあうのが、様々な音や壁を揺るがす衝撃を通して伝わってくる。

「アウグスト様! エリアス様!」

 壁を叩いてレジーナは叫んだが、無駄だった。二人が戦うたびに生まれる音や波動は、すでに渡り廊下から離れてしまっている。

「どうして殺しあうのですか……」

 膝から力が抜け、レジーナは悲痛な声で呻いた。

 どうしてあの二人は殺しあうのを躊躇わないのだ。レジーナはまだ記憶の一部しか思いだせないけれど、二人は過ごしてきた日々を覚えているはずだ。その中で築いた絆の果てが、どうして殺しあいなのか。

 嘆いている暇はない。この檻を出て、二人を止めなければ。

 レジーナは腰に提げた短剣を鞘から抜いた。足を開いて踏ん張り、思いきり壁に突きたてる。

「っ」

 硬い感触がレジーナの手のひらに伝わってきた。けれど壁にひびは入っていない。せいぜい傷が入った程度だ。

 一体どうすればいいのだろう。レジーナは歯噛みした。

 レジーナは魔法が使えないのだ。武器だけでこの壁を壊さなければならない。なのに、その武器ではまったく歯が立たないなんて。

 もっと強い武器が今ここにあれば――――――――。

 そこでレジーナは唐突に、疑問を覚えた。

 エリアスが言っていたではないか。

『君が望むなら、どんな場所へでも連れて行ってあげるよ』

 あのエリアスが、レジーナが想定外の場所へ行きたいと言いだしたときに無理だと首を振るとは思えない。レジーナの望みを叶えることを喜びとする人なのだから。

 なら、あとからこの世界の景色を追加したり書き換えたりすることができるはずだ。

 それはエリアスにしかできないのかもしれない。レジーナは魔法についてよく知らない。

 でももし箱庭世界を創った者以外でも、強く望めば物を手に入れられるのなら。

「――――っ」

 短剣をしまい、レジーナは両手を握って強く願った。

 武器が欲しい。この壁を打ち壊す力を、どうか――――――――。

 それだけをレジーナが一心に願っていると、唐突にからんと金属が落ちる音がした。

 剣だ。レジーナは顔を輝かせて剣を拾いあげた。

 身が一般的なものよりも少し細いその剣は、白い柄を握るとレジーナの手に驚くほどよく馴染んだ。壁に目を向けると、何を考えずとも身体が剣を構える。

 魂に刻まれた記憶がそうさせているのだ。この剣もきっとそう。現実世界で普段から使っているものが、忠実に再現されたに違いない。

 これならいける。壊してみせる。

 レジーナは壁を睨みつけた。身体が自然と動く。

「っ」

 壊れろ、と強く願いながらレジーナが剣を壁に突きたてると、切っ先が当たったところを起点に青白い光が壁に走った。壁は壊れこそしないものの、小さなひびが残る。

 もう一度だ。レジーナは再び剣を壁に突きたてた。それでもまだ壁は壊れず、ひびも広がらない。

 だがレジーナは剣を壁に突きたてたままだった。壁を貫こうと全身に力を籠め、強く足を踏みしめる。

 私はこんな壁の中にいたくない。この世界にいたくない。

 もっと広い世界で生きていたいの――――!

「壊れてっ……!」

 願いも我が身の重みもすべて剣に注がんとばかり、レジーナは前のめりになった。

 レジーナの願いに応えるように壁のひびが広がった。青白い光が壁全体を駆け抜け、高い音をたてて真っ白な檻が崩壊する。

 城の廊下に足をつけ、レジーナは息をついた。すぐ気を引き締めて辺りを見回す。

 アウグストとエリアスは、別棟の屋根の上で戦っていた。エリアスが魔法で攻めていて、アウグストは防戦一方だ。それでも少しずつ近づきながら、エリアスの隙をうかがっているのが遠目にも見てとれる。

「っ」

 彼らのところへ行こうと首をめぐらしかけ、レジーナは思いとどまった。今からあそこへ行く経路を探し回るのは時間の無駄だ。そのあいだに移動するかもしれない。

 レジーナはきびすを返し、塔の中へ入った。階段を駆け上がっていくほど不思議な気配が強まってくるのを肌で感じ、やはりここだと確信する。

 扉を勢いよく開いて部屋の中へ入ったレジーナは、思わず息を飲んだ。

 そこは、無数に床に転がる鉱物などがぼんやりと色とりどりの光を灯す不思議な場所だった。光には誰かの視点で様々な場所や人々が映しだされ、時に揺れたり回転したりしている。

 映しだされているものの多くは、様々な年齢のアウグストやエリアスとの日々だ。その他には厳めしい顔をした年嵩の騎士や、レジーナによく似ているがもっと凛々しい美貌の女性の姿も少なくない。

 剣術指南役のカリレッティ。エイオニル帝国皇帝である母――――。

 レジーナは一瞬、自分が何をしにきたのか忘れた。

 色とりどりの光は唐突に、強烈な光を一斉に放った。混ざりあって部屋を真っ白に照らす光の中、レジーナの脳裏をたくさんの記憶が駆け抜けていく。

 母に見守られながら、カリレッティに剣を教わっていた昼下がり。

 木の陰で真っ暗な目をしていたエリアスの頭を撫でた秋。

 アウグストの出陣を聞き、いてもたってもいられず手紙を書いた夜。

 三人で海へ出かけて、靴も靴下も脱いで砂浜へ走っていこうとして二人に止められた夏。

 レジーナを形作る記憶たち――――――――。

「――――っ」

 封じられていた記憶が洪水となって押し寄せ、叫びだしたい衝動がレジーナを襲った。剣を落とし、震えだした我が身を抱きしめる。

『姫。私はずっと前から貴方を愛していました』

 美しい植物園があるからとエリアスに誘われ、郊外へ出かけた昼。二人きりになった植物園の奥でそう想いを告げられ、レジーナは戸惑った。

 十六歳になってもレジーナにとってアウグストとエリアスは、年上のよき友人でしかなかったのだ。三人でいるのが楽しくて、結婚はまだ先のことだからと考えないようにしていた。

 だから今この場で貴方に応えることはできません――――と己の能天気さを悔やみながら、レジーナは頭を下げるしかなかったのだ。

 けれどエリアスはそれで満足してくれなかった。自分の何が不足なのかと悲痛な表情でレジーナを問い詰めてくる。興奮しきった彼をレジーナは必死に宥めようとした。

『どうして私を選んでくださらないのです。アウグストは駄目です。あの男は姫を危険にさらしてしまう』

『エリアス様、アウグスト様もエリアス様も私にとって同じくらい大切な方。エリアス様の想いに今応えられないのは、私がエリアス様をよき友人と思っていただけのこと。アウグスト様を選んだからというわけではないのです』

『では、どうしてアウグストをいつも頼るのです。姫はいつでも彼を頼ってばかり。私を顧みてくださらない!』

『エリアス様、どうか落ち着いてください……!』

 だが、エリアスにレジーナの声は届かなかった。

 そして――――――――。

 箱庭世界へ来る直前の記憶を辿って、レジーナの目から涙があふれた。

 あの丘で自分は、エリアスの想いに応えていればよかったのか。しかしレジーナは彼に友情しか抱いていないのに、彼への愛を語るのは不誠実だ。彼だってそれは望まないだろう。彼が欲しいのは、友愛ではないのだから。

 どんなにレジーナがエリアスに大きな影響を与えていたとしても、どう行動するのか最後に決めるのは彼自身だ。

 あの丘の上の結末は、レジーナにはどうしようもなかったのだ。

「――――っ」

 しゃくり上げながら、次々とあふれる涙をレジーナは眦が痛くなるまでぬぐった。震える手で剣を拾う。

 塔の外からいくつもの音が聞こえてきている。衝撃が塔を揺らしている。アウグストとエリアスの殺しあいは、まだ終わっていない。

 終わらせなければ。そのために自分は、ここまで来たのだから。

 自分はエイオニル帝国の世継ぎ、レジーナ・ディ・エイオニルなのだから。

 封印から解放されたレジーナの記憶の具現である鉱物は失せた。部屋には宙に浮いた、きらめく濃紺の身に金の金具がよく映える万年筆だけが残される。

『エリアス様はたくさん勉強するんでしょう? だから万年筆がいいと思ったのです』

 確か、十一歳くらいだったか。何か贈れば好意を伝えられるはずと、初めてエリアスに贈った品だ。侍女を連れてお忍びで城下へ下りて、専門店で選んで買った。

 まだ濃い闇が見えていた彼は少し驚いて、それからはにかんだ表情で喜んでくれた。

 レジーナとエリアスの絆の証。この箱庭の核に、なんて相応しい形だろう。

 レジーナは剣を構えた。エリアスと過ごした日々が瞼の裏に浮かび、また涙がこぼれる。

「……さようなら、エリアス様」

 これが私から貴方への、最後の贈り物。

 死んでしまった貴方に、滅びという眠りを贈りましょう。

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