第7話 彼らの距離感・2
俺のことはともかく、とアウグストは話の路線を戻した。
「姫が一部でも記憶を思いだしたのは、俺の首飾りの効果でしょうか」
「だと思います。この世界で今まで夢を見たことはなかったですし。魂が現実のものに反応しているのかもしれません」
だからレジーナは今、アウグストの首飾りを腕に絡めて持ちだしている。ドレスの袖が長いので、こうすればぱっと見にはわからないのだ。
「それでこの世界の核を探しているうちに疲れてしゃがみこんでいるところに、俺がやってきたというわけですか」
「そんなところです」
レジーナは視線を横に逸らした。どうか深くは聞かないでほしい。
さいわいレジーナの様子を気にしたふうもなく、なるほど、とアウグストは納得した顔で一つ頷いた。
「となると、城内で姫が行きそうにない……姫の自室から近い場所に世界の核はあるのかもしれませんね」
「部屋から近い…‥ですか?」
レジーナが目を瞬かせると、ええとアウグストは頷いた。
「エリアスが姫の状態を知っているのなら、姫の意識がなるべくはっきりしないようにしておきたいはずです。世界の核を貴女の行動範囲の近くに置いて、隠しながら姫の意識に影響を強く与えていたのではないでしょうか」
思いつく場所はありませんか、とアウグストに問われ、レジーナは眉をひそめて考えた。
レジーナの部屋の周囲にあって、物を隠せて、それでいてレジーナが近づく可能性が低い部屋――――。
レジーナは目を見開いた。
「西側……私の部屋の近くに見張り塔が一つあります。そこの部屋なら、この世界の核を隠しているかもしれません」
この箱庭世界でレジーナは、城の塔からの転落事故で記憶を失ったことになっている。そのためレジーナは塔や塔の屋上へ行かないよう、エリアスや医師から何度も言い含められていた。城の屋上から城下を眺めたいと思っていたが、安易に好奇心で立ち入って彼らに知られれば色々と面倒になる。レジーナは行かないようにしていた。
そうやって立ち入らないよう仕組まれていたのは、エリアスが何か隠したかったからではないだろうか。そうレジーナが推測すると、アウグストは顎に手を当て頷いた。
「ありえますね。普通、転落事故があったからといって城主の立ち入りを禁止する動きになるとは思えませんし。エリアスが出入りしていれば、確実なのですが……」
この世界はただの箱庭ではなく、大勢のまがいものの人間が動き回る世界だ。顔を完璧に構築できなくても、レジーナに女侯爵だと思いこませるための動きはさせないといけない。そのために手入れが必要であってもおかしくない。
レジーナは今更ながら、エリアスが自分と会っていないあいだどうしているのか知ろうとしなかったことを悔やんだ。彼の行動範囲がある程度わかっていれば、どこに世界の核があるのかもっと正確に推測できるだろうに。
「じゃあ、私が行って確かめてみます」
「駄目です」
後悔をひとまず脇に置いてレジーナが言うと、アウグストは却下した。わずかな迷いもない即答だ。
レジーナはむっとした。
「どうしてですか? アウグスト様が城内を歩き回るわけにはいかないでしょう? エリアス様に見つかってしまうかもしれないですし」
「それならそれで、好都合です」
レジーナの抗議をアウグストは鼻で笑いとばした。
「あいつもこの世界で異変――――誰かの侵入があったことくらいは気づいているはずです。姫の危機に俺が大人しくしているとは思っちゃいないでしょうし。だったら妙な小細工で妨害される前にあいつと会って、勝負を決めるほうが楽です」
口の端を上げ、アウグストは言いきった。その途端、獰猛な気配が彼の全身から立ち昇る。
二人が殺しあうさまを想像して怯えたレジーナは、思わずアウグストの服の裾を掴んだ。
「どうして殺しあおうとするのです。アウグスト様はエリアス様が嫌いなのですか?」
「……」
レジーナが恐れているのを表情から読みとったのか。アウグストは荒々しい気配を引っこめた。長い息を吐く。
「……嫌いではありませんよ。気に食わないことはたまにありますが、地位や職業で人を差別しないし、文句を言いながらでも馬鹿騒ぎに付き合ってくれるいい奴です」
「それなら、どうして」
「姫をこんな世界に閉じこめたことには、本気で腹がたってますから。……それだけは絶対に許すことができません」
言葉と共に、アウグストの目に怒りがにじんだ。この男は本当に、レジーナのことでエリアスを殺そうとしているのだ。
けれどまだレジーナは納得できない。レジーナが十三歳のとき、二人は敬語もなく軽口をたたきあう仲だったではないか。いい奴だと評価もした。なのにレジーナの魂を閉じこめたから殺しあうことになっても構わないなんて、絶対におかしい。
「駄目です。絶対に駄目。私が塔へ行きます」
「姫」
「この世界の兵はまがいものなのでしょう? いくらアウグスト様が変装していても、世界にとっての異物だと気づくかもしれません。そうなったら、エリアス様にも伝わるでしょうし……アウグスト様とエリアス様が殺しあうのは、嫌です」
アウグストにはっきりレジーナは言った。
あの東屋の前で感じた胸の高鳴りや心に響いた言葉がある。記憶の欠片を夢で見た。今のレジーナにとって、アウグストは昨日会ったばかりではない。もしこの人がレジーナを現実へ連れ戻すためエリアスと戦って死んでしまったら、自分はこの世界で一生後悔し続けるに違いない。
「このあとか明日の昼に、塔の前まで行くだけです。中に入ったりしません。外から見てどんな様子だったのか、ちゃんと明日の夜にお伝えしますから」
だから塔へ行かないでください。レジーナは繰り返し、アウグストに懇願した。
見つめあうこと、数拍。
長い息を吐き、ああもうとアウグストは頭を掻いた。
「……わかりました。塔のことは姫に任せます」
「!」
「ここで引かないのが姫ですからね。俺たちが殺しあわないようにとエリアスに直談判なんてされたら、とんでもないことになる」
ぱっと顔を輝かせるレジーナとは反対に、アウグストは嫌そうだ。こういう発想になるあたり、現実世界のレジーナがどれほどお転婆だったかわかろうものだ。
けれどレジーナは構わなかった。ともかく塔で二人が鉢合わせし、殺しあう事態は避けられそうなのだ。
ですが、とアウグストは言葉を続けた。
「くれぐれも、エリアスに見つかるようなことだけはしないでください。もしあいつに見つかって怪しまれたときに、現実世界に帰りたいだのと言いだすのも」
「わかってます。もし見つかったら、なんとかしてごまかします」
「できるとは思えませんので、そもそも見つからないようにしてください」
「……」
期待の欠片もない返答が返ってきて、レジーナはいらっとした。もちろんレジーナとて、エリアスの勘の鋭さに敵う気はしないのだが。それでもその言い方はないだろう。
「アウグスト様は意地悪です」
「姫と俺の安全に関わることだから、念押ししているんです。姫はエリアスと戦うなんて無理でしょう。俺だってさせる気はありません」
「……」
「でもあいつは姫をこの世界に閉じこめ自分だけのものにするためなら、なんだってします。この世界では姫の婚約者の座におさまっていると聞きましたし」
吐き捨てるようにアウグストは言う。彼にとってはそれもまた、エリアスへの嫌悪の理由なのだろうか。
アウグストは不意に、レジーナをまっすぐ見た。激しい眼差しは、レジーナが曖昧な答えをすることを許すとは思えない。
まるで猛獣のような――――。
「姫。エリアスとは何もなかったですよね?」
「何もって」
「あいつが姫に何かするとは、あまり考えられないですけどね。ですがあいつはもう一線を超えている。……姫に何をしてもおかしくない」
「っ!」
「姫。……エリアスは紳士でしたか?」
どうですか、とアウグストは押し殺した声音で語気を強める。
アウグストがどんな返答を望んでいるのか、レジーナはすぐ理解できた。あの忌々しい場面が瞼によみがえり、頬が赤くなる。
「あ、あるわけないでしょう! エリアス様は紳士です」
アウグストが向けてくる疑惑の眼差しを、レジーナは真正面から見返した。あの優しいエリアスを侮辱されたのも、自分が純潔ではないと疑われたのも猛烈に腹だたしい。
睨みあって、数拍。アウグストの顔から感情がすっと消えた。
「……それなら、いいです。無礼なことを言ってしまいました」
アウグストは淡々とした声音で謝罪すると、顔をそむけた。肌をひりつかせる緊張感が消え、辺りに気まずい空気が残る。
「頭を冷やしてきます。……塔のことはお願いします」
レジーナと顔を合わせず言うと、アウグストは足早に部屋から出てしまった。レジーナは止める暇もなく、唖然とするしかない。
わけがわからない。なんなのだ。どうしてアウグストは急に、こんな無礼でおかしなことを言いだしたのだろう。
感情が消える刹那、アウグストの顔には己を恥じる色が見えた。さすがに己のおかしさを自覚したのだろう。だったら最初から言わなければいいものを。レジーナは余計に腹がたった。
私、本当にこの人と仲がよかったのかしら。
レジーナは不思議に思えてきた。十四歳の記憶でも所々で失礼なことを言われていたし、懐く要素がある人とは思えない。
幼い頃の自分は、アウグストの何を好ましく思ったのだろうか。
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