第6話 彼らの距離感・1

 アウグストと出会った翌日。講義を終えて時間が空いたレジーナは、さっそく城内を探索することにした。

「台所や大広間……書庫もないわよね、きっと」

 人気のない廊下を歩きながら、レジーナは一人つぶやいた。

 世界の核は、レジーナの日常生活や公務に関わるような場所にはないはずだ。レジーナが何かの拍子で立ち入る可能性がある。少なくても、気まぐれで扉を開けてしまう可能性のある場所には置かないだろう。

 となると、あとは城門の上や城の上の階だろうか。庭のどこかというのもありえる。使用人が寝起きする棟も、普通は近づかない場所だから隠してあってもおかしくはない。

 どこを探そうか――――――――。

「……」

 少し悩んで、レジーナは庭を探すことにした。何も知らないときの自分なら、貯蔵庫に近づかないと考えたのだ。それにあの辺りには使用人の居住棟もあるから、下をざっと眺めるくらいはできるはずである。

 それから、約一時間後。

「つ、疲れた……」

 物陰の壁に手をつき、レジーナはぐったりと頭を垂れた。

 レジーナの捜索は不発に終わった。中へ入ることはできなかったが、貯蔵庫にも使用人の居住棟にも怪しい気配や影といったものは発見できなかったのだ。

 それに。

「あんなところでしないでよ……」

 貯蔵庫に近づいてみるも特に何も感じられず、ぐるりと一周してみようと裏手へ回ったところ、壁際の草むらに人が転がっているのをレジーナは見つけた。上半身は見えなかったが絡まりあう脚は激しく動き、押し殺した男女の声がレジーナのもとに届いた。

 あ、これは逃げよう。

 そう直感してレジーナは立ち去り――――何を見てしまったのか途中で理解し、悶絶した。十六歳なのだ。具体的なことはわからなくても、あの男女の甘い声が寝台でおこなわれるものであることくらいは理解できる。

 忘れ去りたくて使用人の居住棟へ向かうも収穫はなく、妖しい記憶を忘れることもできず。レジーナはうんざりしていたのだった。

「どうしてああいうのがあるのかしら……ここはまがいものの世界でしょう……?」

 現実世界ならともかく、この箱庭世界では不要な現象だろう。何故あんなものまでエリアスは再現してしまったのか。現実に似せようとするあまり、ああしたものも起こりえてしまうのだろうか。それならまずは、人物の顔を忠実に再現すればいいものを。

 経緯はどうあれとんでもないものの一端を見るはめになってしまったことについて、レジーナはエリアスに恨み言を言いたくなった。

 深呼吸を繰り返し、レジーナは思いだしてしまった男女の脚を頭の中から追いやった。あんなものは考えないに限る。そう、自分にはこの世界の核を見つけるという大事な仕事があるのだ。

 次はどこへ行こう。そうレジーナが考えていると、前のほうから足音がした。まずい。こんなところを見られては心配されてしまう。

 何でもないふりをしようと背筋を正し、顔を上げたレジーナはぎょっとした。

 なんと、昨日別れたばかりのアウグストがそこにいたのだ。どこから調達したのか、兵士の恰好をしている。

 嘘、とレジーナが驚いているあいだにアウグストは近づいてきた。レジーナは慌てる。

「どうしてここにいらっしゃるのですか。誰かに見つかったらどうするつもりです」

「レジーナ姫?」

 アウグストはきょとんとした顔をした。

 何がそんなに不思議なのか。レジーナが口を開こうとしたときだった。

 不意に、廊下の角の向こうから声が聞こえてきた。使用人たちが世間話をしながら近づいてきている。

「……」

 レジーナとアウグストは顔を見合わせた。何も考えず、近くにあった扉を開いて中へ逃げこむ。

 アウグストが部屋の扉を閉めて、数拍後。使用人たちが扉の前を横切っていった。人数が多く、なかなか途切れない。というより、足を止めて話しこんでいる。

 ああここも無駄に生々しい――――。

 またもや現実的な使用人の描写に、レジーナは嘆いた。しかしどうしようもないので、仕方なく部屋の中を見回す。

 二人が逃げこんだのは、長いあいだ使われていない部屋のようだった。高い位置にある明かりとりの窓から光が射しこんで薄暗く、調度や何かしらの道具がいくつか放置されている。元々は物置だったのだろう。

 二人が息をひそめて、しばらく。まとめ役らしい女性に促され、使用人たちはまた歩き出した。噂話に興じる声が遠くなっていく。

 やがて、辺りは静けさに包まれる。危機を脱したと理解し、レジーナとアウグストはほぼ同時に長い息を吐き出した。

 それからすぐ、レジーナはきっとアウグストを睨みつけた。

「どうして城にいるのです。待ち合わせは明日の夜と決めたではありませんか」

「この世界の核は、城下にはないようですから」

「どうしてそう言いきれるのです」

 レジーナが疑わしそうに問うと、実はとアウグストは切りだした

「こちらで姫に会う前からこの世界に潜伏し、城下を探っていたのですが……城下の造りこみは不完全です。城に近いところは現実かと思うほど忠実に再現されているのですが、遠くなるほど雑で、裏通りへ入ると人がまったくいなくなる。酔っ払いが捨てた空き瓶すらありません」

「魔法の構成式の効力が完璧には届いていない領域がある……と?」

「はい。城下の四方すべてにそのような部分がありました」

 城下町は城を中心とした正円の形をしている。城下のどこかにこの世界の核が置かれているのなら、四方のどこかくらいは城壁近くの裏通りまで人の行き来やその他の日常生活が再現されているはずだ。

「でも、私がエリアス様と一緒に城外へ出かけたときは、街道も湖もちゃんとありました」

「姫の前だからでは。ここは姫を囲うための世界ですから、普段は雑に造られた場所であっても詳細に描写されていくのではないかと。エリアスが同行していたのなら、なおのこと簡単でしょう」

「……」

 反論され、レジーナは黙った。確かにあのときはエリアスが一緒だったのだ。この箱庭世界の創造主なのだから、どうとでもできるだろう。

「ともかく、そういうわけで世界の核は城内にあると思って、まずは庭を探そうと考えまして。それでなんとか忍びこんでみれば、姫がそこにいるのを見つけたわけです」

 それより、と自分の経緯を説明し終えたアウグストは話題を変えた。

「姫、何故敬語に?」

「だって、夢で私はアウグスト様とエリアス様に敬語を使っていました」

「夢?」

 アウグストは目を丸くする。はい、レジーナは頷いた。

「アウグスト様が帰国なさって、隣国との小競り合いで活躍なさってからまた帝国に滞在するようになった頃のことです」

 そう、レジーナはほのかに笑んだ。夢で見たものを語りだす。

 起きてから何時間も経っているのに、まだ鮮明に思いだせる。槍の重み、タオルの柔らかさ、アウグストとエリアスの他愛もないやりとり。合間で抱いた感情。

 寝台の上で思い返しながら、これは自分の記憶なのだとレジーナは確信した。心――――魂がそう認めていたのだ。そうとしか言いようがない。

 レジーナから夢の内容を聞くと、ああ、とアウグストは視線を上に向けて頭を掻いた。

「そんなこともありましたね。それでそのあと、結局は三人で港へ行ったんでしたか……」

 懐かしそうに目を細めていたアウグストは、不意に真顔になった。

「……ちなみに。思いだしたのは、姫が十三歳のときの記憶だけですか?」

「? ええ、そうですけど」

 首を傾けてレジーナは答えた。なんだろう、この念の入れようは。

 レジーナが不思議に思っていると、アウグストは何故か安堵したような顔をした。

「アウグスト様? どうかなさいました?」

「いえ、お気になさらず」

 レジーナが不思議がっても、アウグストは即座に首を振った。

「姫が敬語でなくても、俺は気にしませんよ。敬語だろうとそうでなかろうと、姫が大層活動的であることには変わりありませんから」

「……余計なことを言う悪癖は、三年経っても直ってらっしゃらなかったようで」

 やっぱりこの人は王子じゃなくて、巷のならず者じゃないかしら。

 褒めているんですよとのたまう爽やかぶった笑顔に、レジーナは口の端をひくつかせた。この世界でのエリアスに対するような言葉遣いをしてしまい自室で慌てていたのが、馬鹿みたいだ。

 今夜の夢は、この人の弱みになるようなものだったらいいのに。レジーナは不穏なことを考えてしまった。

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