【ランベリーによる暦本】 一

 停車した馬車に、やっと着いたかと痛む尻をさすってジョンベリー兄弟は立ち上がった。ランベリー達が長い間馬車に揺られようやくたどり着いたのは、領主館を中心に畑や果樹園広がる長閑な村。

 画材やら何やら詰めた荷物鞄を持ち、馬車から降りたランベリーと兄ジョンブールはうんと体を伸ばす。


「いいか弟よ。腹が減っているだろうが僕たちはまず依頼主様に会わなければならない。だから大人しく僕の後ろをついて来いよ」

「へいへい、分かってますよオニイサマ。言われなくとも揺れの気持ち悪さで食欲なんざわかねぇよ」


 ランベリーとその兄ジョンブールは、ジョンベリー兄弟として知られる画家である。兄ジョンブールは教養豊かで神話や歴史の意匠に詳しく、そろそろ成人を迎える五つ下の弟ランベリーは頭は悪いが卓越した技術を持っていた。

 ジョンブールと共にこの仕事に参入したランベリー、二人はかけだしを抜け出し軽い信頼と知名度がある程度。まだまだ伸びしろの見える若い二人は現在、地方の領主シャルル・ポミエから絵の依頼を受け、彼が暮らす領主館までやって来た。


「お、ご婦人方が集まってらぁ」


 談笑する女性を見つけふらふらと井戸へ進路を変えたランベリー。ジョンブールは慣れた様子で後ろ襟を掴む。


「ぐえ」

「こら。今は依頼優先だ」


 ランベリーは極度の女好きではないが、綺麗な女性を見つけると向かってしまう質があった。

 ジョンブールが街で依頼や儲け話を探している間、ランベリーは娼婦や旅芸人等の女性のスケッチを安い紙に描き、酒場などで売る事で小銭を稼いでいる。それゆえ金になりそうな女性がいないかと人だかりを見ると探しに行ってしまうのだ。

 ジョンブールとしては俗的なそれらを描くなら神や神話を描いて欲しいのだが、ランベリーによる美人画の収入が馬鹿にならないため黙認している。ランベリーは女性を描きたいから描いているのではなく女性を描いた方が売れるから描いているのもあった。厳つい男でも獣でも、描く必要があれば喜んで彼は描く。



「初めまして、この度そちらの主に依頼をされましたジョンベリー兄弟でございます」

「ああ、シャルル様が絵を依頼した。どうぞお通りください……ステファニー、この二人を客室に案内しなさい。シャルル様が言っていた画家の二人だ」

「わかりました!」


 今回の依頼人の館に辿り着き門番に名を告げれば、連絡は通っているようですぐ二人は中へ通された。快活な若いメイドに案内される。ランベリーがメイドに何か言おうとしたが、きっとモデルの依頼だろうとジョンブールは力強く手を握って黙らせた。


「こちらになります! 時間になりましたらお呼びしますのでお待ちください」


 部屋を出たメイドが扉を閉め、二人は用意された部屋で荷物を解く。

 旅装束からちゃんとした服に着替えているとランベリーがはしゃいだようにジョンブールへ言った。


「俺たち相手にこんないい部屋を恵んでくれるなんて。こりゃどんなに仕事が長引いてもよさそうだなぁ!」


 綺麗に整ったベッドや美しい木目の書き物机、ちゃんとしたお客様のための客室。こんな部屋なぞジョンベリー兄弟程度の画家には普段用意される事はない。使用人部屋や宿、作業場で寝泊まりするのがほとんどだ。


「そうだな。だが、いい待遇だからといって調子に乗りすぎるなよ」

「もちろん。お偉いさんとの会話は全て兄さんに任せますよ」


 失礼にならない程度身支度を整えていれば、依頼主と会う時間になったようだ。事前に二人が知らされているのは依頼はサロンに飾る絵で、飢餓を退ける豊穣神の姿を描いて欲しい事のみ。後は詳細を依頼主と擦り合わせつつ、兄が会話で要求や好みを引き出し流行を取り入れつつ構図を作成すればいい。最後はランベリーが兄の描いた台本通りに神や物や自然を描けば完了だ。



「よく来てくれた。君達が噂のジョンベリー兄弟だね」


 応接間に案内されると、口髭を蓄えた細身の男が椅子に座り二人を待っていた。彼が依頼主のシャルル・ポミエだろう。ランベリー達の父親と同じくらいの年齢だろうか。少年のような瞳と整った口髭のアンバランスさが独特の魅力を出している。


「初めまして、この素晴らしい館で栄えある神の姿を描かせていただきます事を光栄に思います。はい、私どもがポミエ公よりご指名されましたジョンベリー兄弟、兄のジョンブールとこちら弟のランベリーでございます」


 すらすら挨拶する兄。隣のランベリーはいつも通り丁度いいタイミングで一礼した。兄がソファに座ればランベリーも座り、世辞やら社交辞令やら世間話が繰り広げられる。この時間はランベリーにとってとても退屈な時間で、でも兄と共に顔を見せておかなければ自分で挨拶しなければならないからさぼる事もできない。

 ランベリーは二人の会話を、適当に聞き流しながら部屋の物を眺める事で気を紛らわせた。


「はは、噂通り弟さんは私の相手は退屈か」


 兄とポミエ公の話が盛り上がりそうになった一拍前、欠伸を嚙み殺したランベリーに気付いたのかポミエ公は面白そうに苦笑する。ヒュッと兄が息を呑む音が聞こえた。


「すみません! こいつ絵以外はからっきしで」

「構わんよ。君はこういった話は退屈なんだろう? よし、なら私の娘の話し相手には興味あるかい?」


 ジョンブールはランベリーの後頭部を掴み頭を下げさせる。兄の顔は白く掴んだ腕は震えていた。ポミエ公は祖父が孫をあやすような声でランベリーに語り掛ける。頭を下げたまま、ランベリーは、何か言わなければと話し方に気を付けながら口を開いた。


「それは、楽しそうでございますですね」

「うんうん、マリーもきっと一人で退屈しているだろうからね。じゃあカロリーヌ君、彼を案内してやりなさい」


 お前は何もするなと普段ジョンブールに言われているが、今は兄の言いつけを守るよりポミエ公の言う通りにするのがいい気がする。ランベリーは席を立ち、部屋に待機していたメイドの後をついて行った。

 失礼な事をするなよとジョンブールが視線で語っていたが、ランベリーはそもそも何が失礼じゃないのか分からないのでそれらしく頷くだけにした。

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