村にある唯一の教会。豊穣神の石像が飾られたそこには、旅の神官目当ての暇を持て余した村人たちが集っていた。


「初めまして、愛の神に仕えます神官です。愛の神ラハート様はこちらの豊穣神と同じ白の陣営となり、結婚や恋まじないで名前を聞いた事のある方もいるでしょう」


 ある者は神官の立ち姿に見惚れ、ある者は若さを胡散臭そうに睨む。またある者は響く声で語られる神の話に頷き、ある者はありがたそうに拝んでいた。

 普段教会に来ないアネットもそこにおり、信託者の姿をじっと眺め、発せられる息一つ聞き漏らさないよう集中している。


「今日は皆さんに馴染みある豊穣神のお話からしましょう。豊穣神ハルベスタは第二期、白き調和ハルモニアが我々対話する種族のために産んだ神の一柱です。畑や森の豊かな恵みをもたらし、さらに家畜の健康も守っていますね。ここオーツ王国で最も広く信仰されている神とされています」


 豊穣神ハルベスタ。アネットももちろん知っている神様。秋のお祭りは彼女に感謝するためにあるし、神父のおじいさんや父母も好んで語っている身近な神様だ。


「豊穣神は黒き神に属する飢餓と特に対立関係にあり、飢餓の使いとされる大ネズミや灰イナゴを退治する姿がよく描かれます。退治する姿では鍬や鎌を持つものが多いですが、中には土や木を魔法で出し追い払う姿も見られますね。飢餓を追い払う勇ましい姿の影響か、結婚したものの夫側に不当に扱われていた女性を救った話や魔物に襲われる母子の前に降り立ち助けた話も語られています。

 豊穣神の姿ですがオーツ王国ではこの像のように牛の獣人女性の姿とされていますね。牛の耳と角、豊満な体、手に麦穂を持っている。この三点がオーツ豊穣神の姿として好まれています」


 牛の角と耳を生やした女性神を見上げ、アネットは豊穣神の豊かな胸と自身の肉体を初めて比べた。男の人はアネットみたいなちんちくりんよりも豊穣神のような豊かな体の方が好きなのだろうか。アネットには想像でしか分からない。


 ――神託者さんもハルベスタ様やラハート様みたいに綺麗な人を沢山見てきたのかな。だって旅の神官様だもの、ここより栄えた場所を沢山通って来たに決まっている。


 アネットにとっての神託者は見た事ない不思議な青年でも、彼にとってアネットは沢山会ってきた村娘の内一人にしかすぎないだろう。特別な記憶に残る事もない、ただの風景画にある群衆の一人。アネットはちょっと魔法が得意で都会に憧れた、どこにでもいる少女なのだから。

 物思いをしている間に神託者の話は終わっていた。


 *


 神託者が滞在してからアネットは毎日教会に通い神託者の話を聞き、そうするようになって一週間が過ぎた。神託者は次の指示が来るまでこの村に滞在するようで、老人の話し相手や一労働力として段々村に馴染み始めている。


「アネット、明日荷物運びの手伝いできる?」


 夕飯時。母イザベルはスープ鍋を掻き混ぜながら決定事項を伝えるようにそう言った。父はまだ帰ってきておらず、しかしあと少ししたら帰ってくるだろう。


「はーい」


 荷運びの手伝いは時間がかかって面倒だが、母の言葉に断る事はできず間延びしただらけた声でアネットは返事した。アネットは魔法で車輪の回転をよくしたり木箱の重みを軽くさせたりできるため、こういう仕事を任される事は多々あるのだ。


「で、いつ、どこまで? あたし昼過ぎは嫌だけど」


 太陽が照って暑いし神託者の話を聞けないし、正午付近の時間帯だったらとても憂鬱だろう。


「朝起きてすぐ」

「うへぇ。めんどくさ」

「あら? でも運ぶ先は教会だから、憧れの旅の神官さんと話せるかもよ?」

「――っ!」


 教会。その単語を聞き机に伏していたアネットの背筋がピンと伸びる。口はぱくぱく開閉し、大きく開いた目でイザベルを見た。


「あ、憧れ!? なんで?」


 神託者を好きな事を知られるのはなんだか恥ずかしくて、アネットは誰にも――母にすらも――言ってなかった。そもそも話題にすら積極的に出してない。それなのに憧れと指摘され、動揺で疑問を叫ぶ事しかできなかった。


「アネット急に教会に通い始めるんですもの。それにお兄ちゃんがルートに行ってから元気なかったのが神官さんが来て楽しそうになってるし。これはもう、ねぇ?」


 返す言葉も見つからない。要素を言われ考えてみればバレバレだ。テーブルを叩いて羞恥心を誤魔化し、アネットは脱力するように上半身を伏せた。


「だからあたしに教会への仕事任せたの?」

「どうかしら」


 イザベルは曖昧に微笑む。見えた横顔では楽しそうに、兄やアネットと同じ水色の瞳が輝いていた。


「…………ありがと」


 呟いた言葉が母に聞こえたかは分からない。軽く足踏みし、皿を取るかとアネットは立ち上がる。


「神官さん物知りみたいだし魔法でも教えてもらったら?」


 手伝おうと伸ばした腕はイザベルの言葉に静止した。楽しそうな口ぶりから母は魔法の上達でなく仲の進展目的で言っているのだと分かる。


「や、迷惑だろうし」

「あっちはそう思わないと思うわよ。頼られる事で喜ぶ人だと思うの」

「それはお母さんの勝手な想像でしょ」

「自信はあるのよ。あの人お兄ちゃんに似てるじゃない」

「兄貴と? どこが?」


 アネットは兄と神託者が似ているだなんて考えた事もなかった。

 スープを皿によそい母は笑う。兄を自由に生きさせようと父へ告げた時の顔にそっくりだった。


「大好きな何かさえあれば、何されても嫌と思わない所」


 アネットの兄は優しかった。剣を振る事さえできれば他は鷹揚で、どんな労働もアネットの愚痴も受け入れていた。

 母は神託者も兄と同じ無関心ゆえの優しさの人だというのだろうか。


「でも仲良くなってもただの村娘止まりでしょ。もっと綺麗な人とかすごい人とかに会って忘れるに決まっている」


 何か言いかけた母の言葉は、父が帰ってきた事で聞けることはなかった。アネットの熱病は母にバレていたが、あの様子からすると父は知らないに違いない。

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