午後の鐘が鳴る頃になってようやくヘルマンはダニエルから解放された。最初は面倒だったダニエルの質問攻めだが、中々に聞き上手で終盤は話す事が楽しくなっていた気がする。途中でダニエル達の事も知れたし悪くない会合だった。

 例えばクリスタリア魔法都市の話。

 クリスタリアはオーツ王国の北センタル王国にある、魔法を学び高めるために作られた都市だ。ヘルマンも妹が「私は都会に行きたいの!」とクリスタリアにある学校を目指していたため概要は知っている。けれどクリスタリアの風景とか学徒が何しているかは今日聞くまで何も知らなかった。

 研究に没頭し日々研鑽していると思っていたのだが、課題に追われたり人間関係でギスギスしたり、案外彼らもヘルマンと変わらないらしい。

 一部の変人はヘルマンが想像するようにストイックであるようだが、箔を付けるため通う貴族や才能のありそうな魔法使いの卵だとかが大半で、魔法を極めようとして入学している者は多くないらしい。反対にクリスタリアの学徒以外でクリスタリアにいる大人は魔法を極めんとする人が多いだとか。

 二人も特に魔法を極めようとしてクリスタリアに入らなかったようで、ダニエルは魔法の鍛錬ついでの人脈作り、ラファエラはスカウトされて入学したが手に職がつけばどうでもよいと割と俗的な目標だ。

 ダニエルとラファエラはクリスタリアにいた頃から仲が良いようで(ラファエラは「こいつが勝手に関わってくるだけで別に仲良しじゃない」と言っていたがヘルマンはそれでも仲良しに思えた)、八割以上のクリスタリアの学徒が修行の場所(クリスタリアの学校では卒業前に二年学校外で修行する期間がある)に迷宮都市ラビュリスを選ぶ中、他の学生を避けたラファエラはルートを選びダニエルもそれに付いてきたらしい。


「私あいつら苦手なの。それに迷宮で一攫千金とか性に合わないし」

「オレはラファエラと仲良くしておきたいからな。優秀な奴は好きだしラファエラとは話していて楽しい。ラビュリスでの人材発掘は別にいつでも行けるだろう?」


 こんな話ができる程度には打ち解けたと思う。そして当日頑張ろうとなりようやく解放されたのだ。



「……大ネズミ、斬れるかな」


 ちゃんと自分が戦えるか、初めての依頼はこなせるか。少し不安でドキドキする。

 ヘルマンの足は、この街に着いた時みたいに浮ついていた。


「……あれ?」


 歩く最中。一つ、ぽつんと見慣れぬ店があった。

 周りにも店があるのに孤立しているような、妙な雰囲気を帯びた店。レンガ壁も木の扉も他と変わらない。見慣れた様式なのに作り物めいたちぐはぐさを感じる。店に窓は無く、何の店なのか示す看板すらも無かった。


「……」


 人々の騒めきが遠くなる。ヘルマンが足を止めても流れる人達は気づかない。

 ヘルマンは店の扉に手を掛けていた。


「あら、貴方は初めましてね」


 女の声。


 紫のヴェールで目を隠した女が一枚板のカウンター向こうに座っていた。長い黒髪が緩く波打ち、髪を漉く白い指がオレンジの灯りに映える。

 店のテーブルや棚には色々な物が置かれていた。カウンター奥には剣や槍、盾や鎧などが飾られている。ガラス瓶に詰まった夜空色の木の実、貝殻でできたネックレスがテーブル上に飾られ隣には貝のオルゴールが置いてある。

 天井からぶら下がった色ガラスの灯りも、床に敷かれた複雑な模様の絨毯も、ヘルマンがまるでどこか異なる世界に迷い込んだような、そんな見慣れぬ物だった。


「あ、あの。えぇっと、ここは?」


 入り口で立ち尽くすヘルマン。店主は赤黒い唇を笑んだ形にし艶やかな声で答える。


「ここは不思議な物を置いているお店よ。妖精が見える花冠とか、どんな鱗も貫く槍とかね」


 店主が紹介するのはまるでおとぎ話に出てくるような品々だ。

 外見が煌びやかな品に由来を付け騙しているのではあるまいか。街になれ緩んでいた警戒心がうっすら湧いてくる。


「信じていないでしょう?」

「はい」

「いいのよ信じなくても」


 そう感じるのが当然のように女店主は笑う。


「そうねぇ。これとか、貴方にどうかしら?」


 手招きされ、おそるおそるヘルマンはカウンターに近づいた。緊張感か警戒心なのか腰にある剣に手が触れる。


「これは【猫隊長の瞳石】という名前の石」


 カウンターにコトリと緑色の石が置かれる。

 石は楕円形に膨らんでいて、黄色がかった半透明の緑が頭上の灯りを反射し瑞々しく輝いていた。黄緑の石の中央に黒の線があり、確かに猫の目のように見えなくもない。


「宝石、ではないですよね?」


 どこからどう見ても金持ちではない自分に勧めるのだ。これで高いやつを出す店だったら逃げてしまいたい。


「ええ、勿論。貴方に売るなら……パーン銅貨三枚でいいわよ」

「三パーン?」


 パーン銅貨は一枚で(オーツ王国の物価では)最低限のパンが買える貨幣だ。

 この店で、パン三つ分の石。

 想像していたより何倍も安く、ヘルマンのピンと張った緊張の糸が緩む。


「これを持っているとね、ネズミ系の存在と戦う時に少しだけいい事が起きるの」


 ネズミ。これからヘルマンが対峙するのも魔物であるがネズミの分類だ。

 店主はそれを知ってこの石を出したのか、それともただの偶然か。


「どうかしら?」


 ヴェール越しに店主の瞳がこちらを見上げる。その様は一匹の豹のように艶やかだった。


「……買います」


 オーツ王国だからネズミ退治は何度もやるだろう。これも何かの縁だとヘルマンはパーン銅貨を三枚払う。

 石を渡す店主の唇は妖しく笑んでいた。


 


 ヘルマンが店から出ると元の街にいた。いつしか消えていた人々の騒めきが戻ってくる。


「あれ」


 後ろを向くと、さっきまで店だった物は消えていた。代わりに路地がある。そういえば、記憶ではここは南門への近道で店などなかった。

 夢だったのかと鞄の中を確認したが、店で買った【猫隊長の瞳石】はちゃんとそこにあった。


「都会ってこんな店もあるのか……?」


 街の人が聞いたら「そんな事あるか!」と返すだろう。だが幸か不幸かヘルマンの疑問に答える者はいない。

 ヘルマンは「そういうものか」と一人で納得し、少し不思議な気持ちで街を歩いたのだった。

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