第7話 目が覚めたら

水音が聞こえた気がした。

すぐ近くで、水につけた布を絞った時のような音。

目を開けたら誰かにのぞきこまれた。


「お嬢様?」


「……?」


「っ!まさか、本当に!」


バタバタと誰かが走っていった音がする。

誰だろう。部屋の中で走るような侍女はいただろうか?

中央貴族みたいな薄い栗色の髪に緑色の瞳。

お母様と同じくらいの年代の侍女が私を見て驚いた顔をしていた。


よほど驚いたのだとしても、部屋から走って出て行くなんて。

あとで侍女長から叱られなきゃいいけど……。


……動けない。

目は開いたけれど、身体は少しも動かない。

痛みはない。だけど、動かせない。どうして?

麻痺毒にでもやられた?


少しして誰かが走って部屋に飛び込んできた。

こんなに騒がしくして大丈夫なんだろうか。

寝ている私をのぞきこんできたのはさっきの侍女ではなく、

お義父様と同じくらいの年代の男の人だった。

令嬢の寝室に入って来るなんて!侍女はなにしているの!?


「……本当だ。目を開けている。

 私がわかるか?リディ」


リディ?私に呼び掛けているのはわかるが、その呼び方は?

視線を合わせたら、男性はぽろりと涙を流した。

大人の男性の涙なんて初めて見る……青色の目が溶けたみたいで綺麗だ。

なんておかしな感想だけど、それくらい不思議に思えた。


身体つきや顔立ちから考えるとこの人は中央貴族だと思う。

たしか銀髪って中央貴族の中でも高位貴族なんじゃなかった?

動けない私の髪を撫でて喜んでいるように見えるけれど…。

どうして、私が寝ているところに高位貴族の男性が来るんだろう。


「リディアーヌ、あぁ、本当に……」


女性の声もして、見たら男性の隣に女性もいた。この人も知らない人。

金髪青目で華奢でとても綺麗な女性。この女性も中央貴族の夫人に見える。

この人もどうして私を見て泣いているんだろう。


「すぐにトマスが診るから。あぁ、無理はしなくていい。

 そのまま、落ち着いて……」


「ええ、大丈夫よ。あぁ、神様に感謝を……」


ついに祈り始めてしまった女性にどうしていいのかわからない。

というよりも、本当に指一本動かせない。


二人に囲まれるようにされ、ようやくここで私は寝ている理由に思いついた。

私は魔狼に襲われて……首を噛まれた。ひどい怪我したのかな。

死んだと思ったのに助かったんだ。だから動けないのかも。


ギルバードとカミルは無事だったんだろうか。

私が助かったのなら大丈夫なんだと思うけれど。

この人たちに聞きたくても声が出ない。

くちびるも動かせない。


開けていた目もすぐに閉じた。開けているだけで疲れてしまったから。

目を閉じて、眠ったら、次に開けた時は違う男性がのぞきこんでいた。

今度は金髪に緑目の若い男性。ひょろりとした身体に長い髪。

魔術師が髪を伸ばすとは聞いたことがあったが、医術師で髪が長いのはめずらしい。


「……本当に。聞こえていますか?リディアーヌ様」


私はそんな名前じゃないけれど、と思いながらも一度瞬きする。


「あぁ、ちゃんと聞こえているようですね。

 私は医術師のトマス・マーラーと申します。

 マーラー家はこのラルエット侯爵家で代々医術師をしております」


ラルエット侯爵家?ラフォレ辺境伯から少し離れた領地だったはず。

中央貴族の中でも力のある家。隣国の王族が降嫁しているはず。

そうだ……銀髪は隣国の王家の色でもあった。あの男性は王族の血をひいているのか。


ラフォレ辺境伯よりも格上だし、私は連れ子なので、ますます身分が違う。

どうしてそんな高位貴族の屋敷にいるんだろう。

ラルエット侯爵様が私を助けてくれたのだろうか?


……いやあの場所はラルエット侯爵家とは反対側の方向にあったはず。

どうしてこんな離れた場所に保護されているんだろう。


「いいですか?リディアーヌ様は産まれてからずっと眠っていました」


え?眠っていた?

産まれてからずっと?

何の話をしているんだろう。


真面目な顔をして話し続けるトマス様に、何度か瞬きを返した。

疑問があると言いたかったのだけど、トマス様にはうまく伝わらなかった。

聞いているという返事だと思われたのか、うなずいてまた話始める。


「今、リディアーヌ様は五歳になったばかりです。

 つまり、五年間ずっと眠り続けていました。

 リディアーヌ様の意識が戻るかどうかはわかりませんでしたが、

 侯爵様はいつか目覚めるはずだと懸命に治療法を探していました。

 もしかしたら先日、希少な薬草を煎じて飲ませたのが効いたのかもしれません……。

 まさか、本当にお目ざめになられるとは。女神の祝福かもしれませんね……」


五歳になるまで目が覚めなかったリディアーヌ様。

そんな大変な病気もあるんだ。

でも、どうしてそんな話を私にするんだろう。


その疑問を解決するのはずっと後のことだった。

私が寝台から起き上がるまで一年。

声を出せるようになったのは二年後だったのだから。


鏡を見たら、さらさらの銀髪と澄んだ青い目の幼い少女がいた。

五年も寝たきりだったせいで、少しでも無理をすれば熱を出して倒れてしまう。

小柄で華奢で病弱。青白い顔なのに唇は赤く、熱のせいで目は潤んで見える。

マリエルとは真逆の容姿……中央貴族の令嬢らしい少女だった。


短い赤髪で大柄な身体。病気など一度もしたことのないマリエルではなく、

リディアーヌ・ラルエット侯爵令嬢になってしまっていた。

マリエル・ラフォレはあの時魔狼に襲われ亡くなって、

どういう理由なのか、この身体に入り込んでしまったようだ。



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