ぬいぐるみ 中編


「帰るか? 坊の腕のソレを剥がすだけなら、いつでもできる」

「……それは、ダメだ。僕が出会って、見届けることを決めたんだ」


 びっしりに並んだ門が、一斉にキィキィと音を立てて開閉を始める。


 ――ナンノオト? ナンノオト?

 ――ダレ? ダレ?


 垣間見えた敷地は、夏に大量の手に遭遇したに満ちた淀んだ空間に似ていた。

 人影らしきものはなく、門の開閉の音と声だけが聞こえる。

 ゴクリと唾液を呑み込もうとするけれど、口の中は渇いていた。

 そんな僕を一瞥し、こしあんは呆れたように笑う。


「今さら臆しおって、甘ちゃんめ。係わったらこうなることは分かっていただろう? 近所の住人も気になっていたのだ。開いたり閉まったり、見たいのか見たくないのか……矛盾しておる」

「どうにかできるの?」


 こしあんの冷静な態度に、少し落ち着きを取り戻す。

 僕にはどうにかできる力はないから問う、すると相棒は鼻で笑った。


「そこまで呆けたのか? 何もすることなどない。坊がしてきたことは、子どもらしく飴をなめることだろう」

「……相棒、怒ってる?」


 無視された。どうやら、夏が終わっても持って帰った厄介事に不満があったのは、ばぁちゃんだけではなかったようだ。


 大人しく飴を舐めると、ぶどう味だった。

 甘く、やさしい香りが鼻から抜けていく。

 気持ちは落ち着くが、状況に変化はない。むしろ激しく興奮しているかのように音が大きくなる。

 ばあちゃん、市販品を渡したんじゃない?


「ぶどう味なんだけど、普通の」

酒種さかだねか。大人しく舐めておれ」


 しばらくすると、さっきまでの喧騒が嘘のように静かになり、門も動かなくなった。けれど、数が元に戻ったりはしていない。見える景色は同じまま。


「静かに……なった?」

「文字通り醒めたのだ、好奇という酔いからな。入り口の数が増えて紛らわしいが、引き込もうとしてくるわけではない。行くぞ」

「……うん」

「それにしても、これだけ注目されておるのに近場の鬼ババまで何も聞こえてこんのなら、まだ事が起きていないか間もないのか……。目的が果たされて間もないのか……」

「こしあん、静かになっただけでどこに入ったらいいのか分からないんだけど」


 思案に耽るこしあんの独り言を遮るように声を掛けると、


「ワシに聞くよりそれに聞け」

「……そっか。ねぇ、どこを通ったらいいの?」


 ――イタイ、イタイ


 僕が問いかけても、ぬいぐるみは痛いと繰り返すだけで行先を示そうとはしなかった。その様子をこしあんは不機嫌に舌打ちする。なんだかんだ、ばぁちゃんとこしあんは似ているなと最近思うのは、あの二人の付き合いが長くなったからだろうか。


「呼んだのはそっちだろうに。まぁいい、坊、そやつが一番反応する門を探せ。先の騒ぎを静めるまで時間をかけた、また飴を舐めておれ」

「なるほど」


 僕が頷いて飴をまた口にすると、今度は前回も食べた梅味だった。

 味わう余裕が出る効果の味。

 冷静さを保つための味が、ばぁちゃんにとっては梅なんだろう。


 味わいながら、塀にびっしり現れた門の前を歩く。腕にしがみついたぬいぐるみの反応を確認すると、同じように並ぶ門の一つで過剰に力を込めてきた。そこは最初こしあんが示した家とは離れていた。


「騒がれる前と場所が違う……」

「この前の島と同じだな、現世とは違う場所。よっぽどウミガメは坊に期待しているのか……狭間の掃除は人間の領分ではないぞ」

「こしあん、僕はウミガメのために来たわけじゃないよ」

「呼ばれたのなら同じだ」


 こしあんの警告の響きに緊張しながらも、僕は門をくぐる。


 ――……タダイマ


 平坦な呟きは、聞き流しそうなほど小さく、感情は見えない。

 



 

 家の中は荒れ、物が散乱していた。靴は玄関に一足も無く、廊下に靴の足跡がついており、リビングらしき部屋に続く扉のガラスは割れ散らばり、廊下には倒れた洗濯カゴからタオルや衣服が飛び出していた。

 外部から強盗が押し入ったのか、地震でも起きたのか。ひどい有様だ。


「坊、土足で上がれ」


 警戒を促すよう、こしあんは鋭い口調で指示した。僕も家の中の様子に緊張しながら頷く。

 理由は分かっている。臭いだ。


「……お邪魔します」


 恐る恐る口にするけれど反応はない。

 しんと静まりかえった家に、僕が踏むガラスの乾いた音だけが響く。

 ガラスの割れた扉を開くとそこは広いリビングで、誰も居ない。

 ただ、ことだけは、むせ返る鉄のにおいが嫌というほど僕に突きつけてきた。


 ――イタイ


 部屋に呼応するようにぬいぐるみが告げる言葉は、だんだん弱くなっているように感じられた。


 テーブルが倒れている。

 大型のテレビの画面に穴が開いている。

 カーテンが閉められた状態で、半端にレールから外れている。

 ゆったりと三人は座れそうなグレーのソファーの生地が引き裂かれ、そこに置かれていたと思われるクッションの中身が散乱している。

 倒れた観葉植物はまだ緑のままだ。

 ノートと色えんぴつが転がっている。描いてある絵を確認するとデッサンはかなり上手くて、子どもが描いたものではなさそうだった。


 夫婦だけだったのか、家族なのか。僕には判断できない。

 ぬいぐるみだけ、この空間で幼さを連想させる。


 ぐちゃぐちゃなリビング。でも確かに生活があった家。

 そのどれもに赤黒い染みが、飛び散った形で色を付けていた。

 何があったのか想像できない、想像したくない光景。

 まだ臭いも残る光景。

 起こったであろう悲劇に呼吸が浅くなり、視界が明滅して思わずしゃがみ込んだ。


「坊! お主が挫けることはならん」

「……分かってる。大丈夫」


 こしあんの叱責に深く息を吐き、袖口で鼻を覆い呼吸する。そのまま慣れるまで待った。

 ここが現実か幽世か僕には分からないけれど、植物が枯れない、臭いも消えないくらいの時間しか経っていない。もしかしたら染みは乾いているけど、昨日のことかもしれない。


 何かできるかもだなんて思い上がりで、勘違いだった。

 僕はウミガメの贈り物をまだ甘く考えていたのかもしれない。



 ――……イタイ



「この子、何か起きたときにここに居たのかな? 傷ついたりはしていないみたいだけど」

「……さぁな」 


 この家で起こったことと、ぬいぐるみの繋がりを考えるけど何も分からない。子どもが持ち主だとばかり思っていた。


 ――イタ……イ……イタ……ィィィ


 思案していると、ぬいぐるみが僕から降りて、痛いと呻きはじめる。

 お腹の部分ぱっくりと裂け、ゴトリと何かが落ちる。ぬいぐるみは倒れ、ブルブルと痙攣した。


「これ……何だろう」


 小型の音楽プレーヤーみたいだ。

 ぬいぐるみを気遣い一度撫でると、間もなく落ち着きじっと僕を見る。


「これのせいでってことなのかな?」

「……」


 こしあんは答えない。さっきから考え込み、たまに周りを見回していた。


『俺が一生懸命働いている間、外に男作ってやがって!』

『そんなことしてない!』

『じゃあさっき出て行ったのは誰だ!』

『それは……』


 ――ドン! と大きな音と悲鳴が響く。

 手にしたプレーヤーから、いきなり声が流れ出した。音量に驚く。

 録音機能で記録されていたのだろう。男と女が言い争いをし、男が興奮して辺りを殴っているようだった。

 痛い! と鈍い音と声が聞こえる。

 胸が重くなるような音声だけれど、さっきのこしあんの言葉を思い出す。


『あなたはいつも! そうやって力で抑えつけて! あの子だってたくさん傷ついてるの! もうやめて! 出て行ってよ!』

『偉そうに! お前が裏切るからだろうが!』


「くだらん男だ。まるで周りが見えておらん。」


 吐き捨てるようなこしあんの言葉に被さり、悲鳴と怒号、最後に大きく叩きつけるような音が聞こえ、静かになる。


『……あぁ……! あぁ……アハハハハハッハハハハ!』


 見えなくても、何があったかは分かった。

 その後ドンドンと階段を上る音や廊下を歩く音が響き、どこだ! と、何かを探す男の声。しばらくすると大きな足音が男の息切れと共に戻り、部屋を荒らしたであろう音の後、ズルズルと何かを引きずる音が遠ざかっていき、再生は終わった。


「ひどい……」

、ね。坊、それは知ったからだ。その辺から聞こえた報道や噂程度ならそうはならん」

「そんなこと……」

「吞まれるな。見失うな。変えられもしない起こったことのために来たのではない。なら、坊は今ここに何をしに来ているのだ?」

「……この子の、痛みのため」

「そうだ。……チッ、少しワシの後ろに下がっておれ」


 こしあんが僕とテレビがある間に滑り込むように移動し、鋭くひと声鳴く。

 床に散らばっていたガラスやえんぴつが浮かび襲い掛かってきていた。

 こしあんの声が空間に透き通った金色に光るヴェールを生み、防ぐ。


「なに!?」

「ただの残滓だ。見られてないかバタバタと家中を駆けていただろう。先程の音声でその思念が膨らみ動いておる。問題ない」


 ふるりと尾を振り、こしあんの視線の先には残滓が具現化し人型の影になったモノが立っていた。真っ黒に塗りつぶされた


 ――オマエガワルイ……オマエノセイダ……


「ふん。大方を力でねじ伏せておったのだろう。相談に通いでもしたことを逢引きと捻じ曲げただけじゃないのか? 不仲だったか興味はないが、離れた原因に己を省みない愚か者め……向かってくるのなら容赦はせん」


 こしあんの体勢は、吠えるためのものだった。

 凛――。満ちるのは、音。

 咆哮はなく、静かな鈴の音とそよ風が吹いて、影は居なかったかのように消えた。部屋に散らばった物もなく、残ったのはぬいぐるみと、握ったプレーヤーだけ。


「強き念とはいえ、たかが一人の残滓が大勢の民の顕現たるワシに勝てる道理などない。まぁ、残りカスに何を言ったところで無意味だがな」


 つまらなそうにこしあんは鼻を鳴らす。

 さっきまで動かなかったぬいぐるみが、よろよろと廊下に向かい階段の前で僕らを見ていた。


「坊、上だ」

「うん」


 ぬいぐるみのあとに続き僕たちは二階に向かった。


 ――タダイマ


 さっきも聞こえたもう一つの言葉が意味するものが何なのか、僕には分からなかった。


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