ウミガメの贈り物 秋
つくも せんぺい
ぬいぐるみ 前編
ウミガメの贈り物。
僕が暮らすこの海辺の町では、砂浜に流れ着くモノを総じてそう呼ぶ。
物語の一節のような呼ばれ方。だけど、僕のばあちゃんは常々僕に警告する。
ウミガメはモノに宿る観念を拾い運ぶだけ。
良し悪しも、人間の善悪も、彼らには関係ないのだと。
◇
海辺の砂浜を撫でる朝の風が乾きはじめて、秋の訪れを感じさせる。
とは言っても、まだ陽が昇りきったら暑いけど。
毎朝だった砂浜のゴミ拾いも、海に来る人が減ったこともあり、町内での交代制に変わった。
人の足が遠のくと、自然と流れ着くものも減る。だから僕が当番じゃない日に何かあってもわからないわけで。
やっと夏が終わる。毎年ばあちゃんが疲れたように漏らす言葉にも、もう慣れた。
お盆の時期は忙しいからねと知らん顔して労うと、ジトッとした視線を向けられるけど、忙しいのは何も僕のせいだけじゃないから無視することにしている。
ゴミは落ちているけど、何か違和感を感じるようなこともないし、手紙が入っていたりもしない。遊泳地を示すネットが差してあるポールまで来たから、後は拾ったゴミを袋をまとめてトラックに積めばおしまいだ。
多分今年はもう終わったかな?
なんて、僕自身も暢気に考えていた。
ペットボトルのキャップらしき物がポールの根元に落ちていて、手を伸ばす。
つまんだ瞬間、突然砂からザッと何かが飛び出し、僕の腕をつかんだ。
「――ッ!」
あまりの驚きに声が出ず、振り払おうと腕を上げるが離れない。
大きくはないけど、振り回せないくらいには重い。砂でざらざらした何かは、すごい力でしがみついてくる。
「痛っ!」
砂が肌に押し付けられた痛みにやっと声が出た時、それはピクリと僕の声に反応し、力を緩めて砂浜に下りた。
ここで逃げずに確かめることが、いつも僕が厄介事に巻き込まれる原因なのかも知れない。
でも、僕の痛みに反応して素直に離れた存在が気になった。
ひざ下くらいまでの大きさ、二本足で立っている。
少し冷静になってよく見ると、砂だらけで少し湿った、くまのぬいぐるみだった。
汚れているだけで、状態はきれいだ。
――イタイ。
今度は僕の足にギュッとしがみつき、その子は言った。
◇
「……」
言葉にならない。ばぁちゃんの顔にはそう書いてある。
視線は僕の足にしがみついているくまのぬいぐるみに向けられ、しばらくじっとその子を見つめ、深々とため息を吐いた。
「まだ暑いとはいえ、もう夏じゃないんだがね」
いつものように外で掃き掃除をしていたばぁちゃんは、日々量が増えてきた落ち葉と足にしがみついたその子を見る。
「ゴミ拾おうとしたら、砂から急に出てきたんだ。ウミガメが運んだわけじゃないんじゃない?」
「まだ何も言ってないよ」
「それに、この子歩くんだ。だから捨てられないよ? 寺にも入れたし、危険もないでしょ? ついて来たってことはお願いがあるのかも。何とかしてあげられるかもしれないよ?」
「まだ、何も言ってないよ」
「……カワイイって思った?」
「はっ倒すよ」
眉間にしわが刻まれていくばぁちゃんを見ていられなくて、考えもなく口が動くけど、やっぱり逆効果だった。彼女が目を逸らしたくなる表情に変わっていくにつれ、足から伝わる感触が強くなる。もしかしたら、この子もばぁちゃんが怖いのかもしれない。
――イタイ。
何度目かのぬいぐるみの訴えに、ばぁちゃんはぴくっと眉をひそめた。
「まだ夏のつもりなのか知らないが、またごちゃごちゃしたモノを連れてきたね。これ、どうすんだい?」
「それが……痛いしか言わなくて。でも……痛がってるからさ」
「高校生にもなって、拾った犬猫でもないんだよ。持ち主を探すにしろ、その人形を祓うにしろ、どうにかしようにも、何も分からないアンタじゃできないんだろ?」
「……ならどうして僕が呼ばれたり、変なものが見えたり、声が聞こえたりするのさ」
僕は小さい頃から、人が聞こえないような声が聞こえたり、見えないようなモノが見えた気がしていた。でも、気がしたってくらいで、成長するにしたがってそれも無くなっていった。
ただ、ウミガメの贈り物から受け取るメッセージだけは、いまだにハッキリと僕に何かを求めてくる。
声、文字、モノ、メッセージは色々なカタチで。
別に、僕は特別な存在になりたいだなんて思ってない。
確かに気づいたら悪いことになっていることの方が多かったし、めちゃくちゃ怒られる。
でも、聞こえる声は、書かれた言葉は、いつも何かを必死で訴えてきているような……そんな気がしているんだ。
「たまたまさ」
そんな僕を、ばぁちゃんは呆れたように断じる。
「アンタがお人よしだから、ウミガメに体よく使われているだけ。そのぬいぐるみが何にせよ、この前みたいに見届けることが正しいとは限らないんだよ?」
「それでも……持ち主の元に帰りたいのかも知れないでしょう?」
足元のぬいぐるみを見て、もう一度決意を言葉にする。
僕だけじゃ無理なのも、ただのわがままなのも分かっているけど、力を借りないと進めないから。
「だからその考え方がもう呼ばれているって言うんだ」
ばあちゃんが何度目も分からない深いため息を吐く。めんどくさそうにぬいぐるみを睨み、
「持ち主、ねぇ。こしあん、居るんだろう? アンタが見な」
そう不機嫌そうに、居候の名前を呼んだ。
◇
「まったく……
「そう言わないでよ。今は旬のさつまいもが入るから、いもあん団子なんてどう?」
「……うらごしを入念にするんだろうな?」
こしあん。きつねのようなモフッとした、こしあん和菓子しか食べない妖怪で、自称カミサマ。
お供えを食べようとしたところをばぁちゃんに捕まって、それから和菓子目当てに居候している、カミサマ? だ。
僕たちはいま、ぬいぐるみに残ったニオイを辿っている。こしあんの鼻で。こうしているとただのきつねなのは言わないでおく。
「この子は、ぬいぐるみの中に何かいるの?」
「中というよりは、どちらかと言えばワシに近いか」
こしあんの尾が八の字を描きふるりと振られる。最近気づいたのだけれど、これは何か説明する時の仕草だ。簡単な内容だと良いなと、口には出さない。
ぬいぐるみは足だと歩きにくいと伝えると、いまは腕によじ登ってくれている。
少しだけど意思の疎通がとれることが、こしあんと同じではある。
「坊がよく口にする魂というものは本来は循環するもので、絶対数が決まっているのだ。人も虫も獣も含めてな。ほぼ、坊がいままで出くわしたモノも含めて残滓か、ワシと同種だと言っていい。もしその理から外れるならば、もっと大きく影響が出ているものだ」
「そう、なんだね。絶対数って……聞いたことないんだけど」
「そうだ。人間が増えすぎて恐ろしほど他の生物が絶滅しただろう。種に永盛は有り得ん。人間もいつかはかつての恐竜のようにテコ入れがあるだろう」
なんだか小さなぬいぐるみの話のはずが、理解が及ばない大きな理の話になり、僕は理解を諦める。分かったことは、このぬいぐるみが誰かの残滓が宿ったものではないだろうということだけ。
「なら、こしあんはいったい何なの?」
「神だ。といっても、人間の信仰があるから顕現できるのが、神をはじめ超常と呼ばれる存在なのがある意味皮肉だがな」
「人が居るからこしあんが居るの?」
「当然だろう。思念が産んだ存在、神も妖も霊も、そんなものだ」
つまらなそうにこしあんは答える。行きついた先の理が、自分にとって面白くないものだからか、僕がぼーっとし始めたからかは分からない。
「なら、この子もカミサマ?」
「人間の名付けを使うなら
「……なんだか、僕がマンガなんかで知った幽霊や神様とは違うね」
「変わらんさ。人間がそう想えばそう成るのだからな。さて、着いたぞ。この家だろう」
話を切り上げ、こしあんは赤い屋根の家の前で止まった。
海沿いの一軒家で、浜辺の景観を損ねないように屋根の色以外は同じデザインで建てられた家が並んでいる区画。海風を避けるために、大人の身長よりも高いブロック塀で囲われている。
門の前に立つと、ぎゅっとぬいぐるみの力が強まった。
――イタイ。
原因がここにあるという確信が強まる。
僕が敷居を跨ごうと一歩進もうとすると、
「待て、坊」
叱責する強い口調で、こしあんが止めた。
「いま、どこに行こうとした?」
「どこ? この赤い屋根の家だよ。こしあんがここだと言ったんじゃないか」
「……よく見ろ。いつも言っているだろう、見失うなと。吞み込まれるぞ」
呆れたように告げるこしあんの言葉の意味が分からずに、僕はもう一度入り口を見直す。
「……なに、これ」
さっきまで一つだった門が、横にびっしりと並んでいた。隣の家にもだ。
――キニナル
――ウルサイ
――コワイ……
視線を天井に向けると、並ぶ全ての家の天井が血のように赤黒い。
バタバタと開閉する門から、ひそひそと声が聞こえてくる。
抱きつくだけだったぬいぐるみが、ガタガタと震えだす。
こうなるほどの痛みとは、どれだけのものだったのか。
僕は今になって、自分が立つ場所が危険であるかも知れないことに思い至った。
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