QRコード
「だ、大丈夫ですか」
僕はとっさに飛び出し、横になっている望月さんの元へ駆け寄った。
望月さんはいつも通りのどこか余裕に満ちた表情を変えることなく、視線をこちらに向け、口元を緩めている。
「森下くん。ヤバいヤバい。ヤバいって」
「望月さん、平気ですか……?」
森下くんのお友達たちも血相を変えて、望月さんの様子を伺っている。
「お前、いつも偉そうな態度で上から俺たちを見下しやがって……」
望月さんが起き上がりたそうにしていたので、僕は背中を支えて身体を起こしてあげた。
どこも怪我はなさそう——いや、膝を擦りむき少しだけ血が出ていた。
キメ細かく白く透明な肌に綺麗な鮮血が流れている。
僕はその光景に少しだけ、胸がモヤモヤした。なんだかわからないが、あまり気分のいいものではなかった。
手にも砂や小石がついたのか、望月さんは黙って払っていた。
「……あ、ほけ、ほけん、保健室、行きましょう。ね、ね!」
「キョドるな。キモい」
僕はヘラヘラ笑いながら、望月さんに肩を貸した。
「望月さんすみませんでした。ついカッとなっただけなんです」
「力加減間違えちゃっただけなんです。ホントすみません。勘弁してください」
「森下くん、謝ろう。ほら、ね。そんなつもりはなかったって」
森下一味は揃って望月さんに謝罪を繰り返すが、肝心の森下本人がムスッとしたまま頭を下げることはなかった。
お友達たちはヒヤヒヤしながら、どうにか謝らせようとしている。
「……おい、望月。先週の夜もそいつとなんか話してたよな」
「さあ?」
僕は背中いっぱいに汗をかいていた。
まさか見られていた……?
「ふーん、まあいいよ」
森下くんはそれだけ告げると、立ち去ったのだった。
それでこの問題が終わるわけもなく、案の定、僕は放課後になると森下一味に拉致られ、そしていつもの体育館裏にいた。
膝の裏を蹴られ、頭を押さえつけられて、強制土下座スタイルで森下くんたちに詰められる。
「お前、望月に何を言われたんだ! キモ豚のくせに一丁前に下僕をやりやがって。おい!」
地面に額を擦り付けられ、そのまま後頭部を踏まれた。
「調子に乗るなよ。望月とコソコソ何を企んでやがる」
「さっさと話したほうが楽だよー。豚くん」
脇腹を蹴られる。
息ができないくらいの痛みが走った。
苦しんでいると、今度は足で顎を持ち上げられ、そのまま後方に蹴り飛ばされる。
今日はいつにも増して、暴力的だった。
「べ、別に何も話して……」
「うるせぇ!」
泥だらけになって地面に転がっている僕を森下一味は寄ってたかって、蹴ったり踏んだりし出した。まさにリンチ状態。抵抗する間もなく、僕はひたすら耐えることしかできなかった。
「——だから、話があるなら本人に言えば?」
そんな状態を見かねたのか、あるいは面白半分に見学に来たのか望月さんの姿があった。
体育館に寄りかかり、腕を胸の前で組んでこちらを見下している。
膝には絆創膏が貼ってあった。
「当事者から話を聞いているんだ」
森下はそういうと、僕の顔面を踏みつけた。
妙に温かさを感じる。鼻血だった。
鼻からドクドクと流れ出し、口に入ってきていた。鉄分を感じ、気分が悪くなる。
「うわっ。汚ったねーな」
森下はスニーカーの裏を僕のワイシャツに擦り付け、再び望月さんの方を見た。
「何を考えてる? 次はどんな遊びをするんだ?」
「…………」
望月さんは森下の質問に答えない。
僕の方を見て、黙っているだけだ。
「おいおい。まさかまだ怒ってるのか。さっきの件はお前がふざけたこと抜かすから——」
「…………」
「コイツ使ってまたなんかするんだろ? その前に美涼のことも頼むぜ」
「…………」
「なあ、望月」
「…………」
望月さんは口を開かない。
僕はどういう状況なのかよくわかっていないが、とにかく鼻がズキズキして気分が最悪だった。
森下は僕のワイシャツで鼻血を拭き終えると、望月さんの前までズカズカと歩いていった。
「————なんか答えろよ!!!」
急に激昂した森下は唾を飛ばしながら望月さんの両手首を掴むと、声を張り上げる。
「夜、公園にいただろ!」
「…………」
「メッセージも送ったよな! 美涼がおかしくなってるって! 電話もしたぞ! お前の家までいったぞ!」
「…………」
「そしたら、豚と楽しそうに遊んでやがって!」
森下は乱暴に望月さんを放すと、力一杯体育館の壁を殴った。
小爆発音みたいな騒音が辺りに響き渡る。
「…………お前、もしかしてキモ豚とできてんのか?」
森下は望月さんのブラウスを強引に掴むと、そのまま彼女を持ち上げた。
嫌な予感がした僕は慌てて、立ち上がる。
だが、間に合わなかった。
望月さんはそのまま空中に投げ飛ばされ、そして、僕の足元に滑り込んできた。彼女は少し驚いた表情をして、彼らを見ていた。せっかくの真っ白なブラウスも、綺麗なプリーツが入っているスカートも土埃で汚れてしまった。
まさか、こんなことをするなんて……。
僕は自分でも本当によくわからないが、反射的に足を前に出していた。
一歩踏み出した足は、止まることなく森下一味に向かっていった。
「おいおい、なんだよ豚。まさか本気か」
そう言われるが、そのまさかなのかも知れなかった。
今まで抵抗らしい抵抗をしたことがなかったのに、どうして急にこんなことをしているのか本当に謎だった。
森下のパンチを顔面で受ける。血の味がした。
横からローキックが飛んできた。
体勢を崩したところに、背後から首に手を回され、地面に倒される。
倒れたところに、森下が腹部めがけて踵落としを決めてきた。
「ちょっ、やめ————」
望月さんの悲鳴に近い声が聞こえた気がしたが、もうほとんど意識はなかった。
僕は森下の足を掴むと、力一杯引っ張り上げ、ついに彼を転ばせることに成功した。
「おい、テメェ」
森下のお友達は僕の肩をつかんで、動きを止めようとするが、何せ僕は豚と小馬鹿にされている人間だ。ヒョロイこいつらよりも体重差がある。
二人の静止を乱暴に振り切り、転ばされて頭に血が昇っている森下に駆け寄る。
このままマウントをとり、今までの恨みを込めて手の感覚が無くなるまでボコボコに殴ってもよかったが、僕はそんなことはしない。
頭の中にあるのは、『サキュバス・コード』のことだった。
森下のポケットから滑り落ちていた彼の最新のスマホを奪い取った。そしてすぐさま自分のカバンを拾い上げ、折り畳んだ一枚のプリント用紙を取り出し、彼らに見せつける。
QRコードが印字されている例の紙だ。
「こ、これ以上、望月乃々香に手を出したらどうなるか思い知らせてやる…………!!!」
声も、手も、足も震えてた。
我ながら、格好がつかない宣言だった。
「はあ? 何を言ってんだ」
「こいつ、マジか」
「アホくさ」
森下一味は呆れたふうに笑い転げる。
僕の顔は蹴られ殴られでところどころ腫れており、鼻血はいまだに止まっていない。口の中も切れており、血が出ていた。ちょっと歯もぐらついている気がする。脇腹の感覚はもうない。立っているのがやっとだった。
だが、そんなことはどうでも良かった。
今、僕は森下の殺害を予告したのだから。
「————ね、ねぇ。弱男。どうしたの……? な、何をして……」
さすがに望月さんも状況を把握できていないようだし、困惑しているようでもあった。
だが、それでいい。
気がついたら、サキュバスの彼女もどこからともなく現れていた。相変わらずのセーラー服にローファーだ。彼女は感心したような顔を見せていた。
「いいからスマホ返せよ……蹴られすぎて、いよいよおかしくなったか……」
まだ笑い転げている森下一味を横目に、僕は奪い取った森下のスマホのカメラを起動し、QRコードを読み込んだ。
そして————
「これが欲しかったら、自分で拾ってこい!」
僕は力の限り高く、そして遠くへスマートフォンを投げ飛ばしたのだった。
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