最終回 柔らかい頬

 カァーン。カァーン。カァーン。


 朝が来たことを告げる鐘が鳴り響く。三人はすでに準備を整えていた。


「準備はいいわね」


 散華が確認するように問いかける。


「いつでも!」

「大丈夫です!」


 珠記と常生はそろって返事をした。そこには昨日までの不安や迷いはないようだった。三人は村長の家へ向け歩き始める。その道中も常生は珠記の手を離そうとしなかった。しばらくすると、村長の家に辿り着いた。


 ここからは珠記一人の戦いだ。


(大丈夫。できる)


 彼女は自分に言い聞かせるように心の中で呟くと、覚悟を決めて玄関の前に立つ。そして、意を決して扉をノックした――


 **********


 コンコン。


 家の中から返事が聞こえた。珠記はゆっくり扉を開けると八面が出迎えてくれた。


「あら、珠記さん。いらっしゃい」


 八面はいつものように優しく微笑む。


「こんな朝早くにどうしたの?」


 珠記は緊張しながらも平静を装った態度で話す。


「いやぁ~ちょっと八面さんとお話したいな~と思って……」


 珠記は視線を泳がせながら答える。


「そうなの?そしたら中に……」

「いえ!できれば、外でお話したいです!」


 珠記は慌ててそれを断った。


「うーん……わかったわ」


 八面は不審そうにしながらも、とりあえず了承してくれたようだ。二人は近くのベンチまで移動する。


「それで、話って何かしら?」


 八面は不思議そうな顔で問いかけてきた。


「ええっと……今日天気いいですね~」


 珠記は当たり障りのない話題を出す。


「ん?常生ちゃんとなにかあったの?」


 八面は珠記の様子を見ながら問いかける。


「そうですね……常生と……その……」


 珠記はうまく言葉にできず、もじもじしてしまう。


「――ねぇ珠記さん。茶番はやめにしない?」


 八面が冷めた目で問いかける。珠記はギクッとした。この人はもう気づいているのかもしれないと思ったからだ。


「な、なんのことでしょう?」

「悪い子だね。でも大丈夫。すぐに君の疑問は無くなる」


 そう言うなり、八面は隠し持っていた注射器を取り出すと珠記に近づいてきた。


「常生!!」


 珠記は咄嗟に叫ぶと茂みの中から常生が飛び出してくる。彼女は木刀を構えながら物凄い速さと勢いで八面へ距離を詰めると、そのまま振り抜いた。


「んな!?」


 八面は驚いて反応できず、手に持っていた注射器が宙に舞った。


 そして、次の瞬間――八面はその場に倒れた。


「珠記さん下手すぎです」


 常生が呆れ顔で言う。珠記は恥ずかしさのあまり顔を隠して座り込んだ。


「イツツ……常生ちゃん!珠記さんはあなたの敵なのよ!」


 八面が苦しそうに声を発する。


「違います。常生の敵はあなたです。村長……いいえ。テスタ!」


 常生は鋭い目付きで八面を見つめると、そう言い放った。


(テスタ!?八面さんが!?)


 珠記は驚きを隠せなかった。


「何を言ってるのかしら?私は八面。この村の村長よ」

「髪……ズレてますよ」


 八面は目を見開き自分の髪を触る。しかし、それがフェイクだと気づき、慌てて手を下ろした。そして、彼女はポケットから小さなナイフを出すと常生へと向ける。


「もうやめよう?テスタ……」


常生が悲しげな表情で訴える。


「いつから気付いてた?」

「昨日、珠記さんと話している時に疑問が確信に変わった」


 テスタはため息をつくと、ナイフをポケットにしまった。


「テスタには聞きたい事がたくさんある。なぜこんな事をしたの?」

「いや、まずは君たちに質問だ。あの日の事……常生が死んだ日の事を思い出したか?」


 珠記と常生はお互いを見ながら首を縦に振った。


 その瞬間、テスタの顔は悲しげに歪んだ。


「そうか。私がなぜこんな事をしたのか。それを思い出してほしくなかったから」


 そう言って、テスタは語り始めた。これまでの出来事を――。


 **********


「君の母親は双子の姉妹を生んでから両親共に謎の病を発症。不治の病だった。薬師をしていた私はどうにか君の両親を助けたいと思って治療法を探した。それから間もなく、君の両親は病気が原因で他界した。里親の見つからなかった君たちは私が親代わりになる事にした。しかし、なんの因果か、二人のうち姉の方は両親と同じ病にかかった。私は必死で治療法を探したが見つけることはできなかった。姉の病状は悪化の一途をたどり、苦しむ彼女を見て私はもう限界だった。両親と同じ運命を辿らせるくらいなら、いっそ自分の手で終わらせようと決意した。そんな時に珠記さん、君が現れた。君達の出会いこそ、計画の引き金だった。綿密に計画を経てて、記憶を消す薬が出来上がった時は実行を待つだけだった。常生を殺した後はずっと怖かった。いつ君達が記憶を思い出して私を殺しに来るんじゃないかって。だから記憶が戻ったとすぐわかるように、詠生は常生と偽るようにさせ、珠記さんは定期的に私が姉の八面になりすまして監視していたのさ」


 テスタは俯きながら話を終えた。


「じゃあ、どうして今になって変な手紙を残して居なくなったの?」


 常生が問いかける。


「もう完全に記憶は戻らないと思っていた矢先に、常生は何日か前、この村に来ていたよね?そして、珠記さんの家に伺っていた。本当に怖くなった。記憶が戻ってしまったのではと。だから珠記さんを犯人に仕立て上げ、常生に殺してもらおうと思った。でも、私は常生が優しかったのを忘れていた」


 そう言うとテスタは悲しそうな目で常生を見つめた。


「珠記さんは常生の初めてのお友達。常生にとってあの日の短くてかけがえのない思い出は尊いものです。大好きな人を殺すなんてできない」

「わたしも!最初は怖い思いを沢山したけど……数年前、常生と初めて出会ったあの日。花畑に紛れたあの姿はどの花よりも輝いていた。それを薬なんかで忘れていた自分が憎いくらいです。常生は大切な存在。テスタさんはそれを踏みにじろうとしたんですよ」


 珠記はテスタの目をしっかりと見ながら言った。


「そうなんだね……君達はそこまでお互いを信頼しあってたんだね。それを私は……」


 テスタはその場に崩れ落ちると、涙を零しながらすすり泣き始めた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 テスタは何度も何度も謝罪の言葉を口にする。


「そんなテスタ見たくない。常生との約束を守れなかった時点で許すつもりはありません。でも……これだけは言わせて」


 常生はテスタに近付いてしゃがみ込むと、彼女の手を取って語り掛けた。


「お姉ちゃんや家族の為に悩んで苦しんで……必死になってくれて……ありがとう。そして、常生をここまで育ててくれてありがとう」


 その言葉にテスタは目を見開き、そして子供のように泣き出した。


「すまない……常生を……助けられなくて……ごめん……詠生……」


 テスタは嗚咽混じりにそう答えた。


「あなたのした事は許される事ではないです。でもテスタさんの方がきっと辛かった筈です。これから常生……詠生はわたしに任せて下さい」


 珠記の言葉にテスタは静かに頷いた。常生は珠記と目が合うと微笑み合った。


「あらあら。結局こうなるのね」


 そこへいつの間にかやってきた八面が口を開いた。隣には散華の姿もある。


「家の中を調べたら、床下に村長が閉じ込められていたわ」


 散華が呆れ顔で話す。


「珠記さん……常生ちゃん……うちの妹が迷惑かけてごめんなさい」


 八面が頭を下げ謝罪した。


「いえいえ!八面さんは何も悪くないですし……ちなみに二人はいつから入れ替わっていたんですか?」


 珠記が問いかける。


「テスタの計画を知ったのは、珠記さんが私の家に来た後だったのよね~」


 八面はニコニコしながら話す。


「そうだったんですね。よかった~」


 すると、常生と散華が珠記を睨みつける。


「あ……じゃあこれで解決だね!解散!」


 珠記はその場を足早に立ち去ろうとする。


「待ちなさい!」

「珠記さん!この浮気者!」


 二人は逃げる珠記を追いかける。


「だから言ったでしょ。悪い子達ではないのよ。本当に愚かなのはテスタ……あなただけ」


 八面はやれやれといった表情で呟いた。


「ごめん。姉さん。私の知らないうちに詠生はあんなに立派に成長してたんだな……」

「あなたが成長してなかっただけ。大丈夫。まだ時間はあるから……故郷に帰って頭を冷やしなさい」


 八面は優しく微笑むと、テスタの肩を抱いた。


 **********


 それから、数日後――。


 珠記と常生は海へ行き、寄り添い合いながら海を眺めていた。遠くの方でカモメが飛んでいる。天気は快晴で波も穏やかだ。


「なんだか不思議な気持ちの正体がわかって清々しいです。珠記さんは今どんな気持ちですか?」


 常生は珠記の方を向き問いかける。


「そうねぇ……今は幸せかな?」

「ふふ。常生と珠記さんはこれからも一緒です。何年も。約束なんてする必要の無いくらいラブラブです」


 常生はそう言うと、珠記に抱きついた。珠記は優しく受け止めると、彼女の頭を撫でた。


「そういえば、初めて村に来た日の事……どうして嘘ついたの?」


 珠記が疑問を口にする。


「それは、その……恥ずかしかったからで……常生はこれでも女の子ですし……」

「なんだそりゃ」


 珠記はたまらず吹き出してしまった。そのまま砂浜に寝転ぶと、常生を抱き寄せた。


「ねえ……これからは詠生って呼んでいい?」


 珠記が甘えた声で問いかける。


「……それはダメです。あの日の詠生はもう死んで、珠記さんにはたくさん迷惑をかけたから」


 詠生は悲しげに目を伏せる。


「迷惑なんて……家族なんだからいくらでもかけていいんだよ。それに詠生は死んでなんかいない。あの時、あんなに綺麗に咲いていたどの花よりも詠生は輝いて見えた。まだ輝きを失ってないとわたしは思うよ」


 珠記の言葉に常生は目に涙を浮かべた。


「……そう言ってくれると嬉しいです」

「じゃあ特別な時!それだったらいいでしょ?」


 珠記は満面の笑みを浮かべると、常生をさらに抱き寄せる。


「特別な時って例えばどんな時ですか?」


 常生は顔を赤らめながら聞き返す。


「詠生……」

「うん……」


 珠記は常生と見つめ合うとキスをした。二人の唇が離れると同時に詠生の目から一筋の涙が零れた。


「珠記さん!大好きです!」


 二人は頬ずりをして、幸せな笑みを浮かべたのだった。

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輝かない花~lose its color~ コミコミコ @sig3-halci

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