第8話 迫る真実の頬
翌日、珠記と常生は海へ向かった。常生が住んでいた村に着くと、自宅へ招く。
「ここが常生の実家です。何もないですがゆっくりしていって下さい」
常生がそういうとポケットから鍵を取り出した。
「あ、それ」
珠記は思い出したように呟くと、常生が不思議そうな顔で振り返った。それはこの前見た、常生宛ての手紙に包まれていた鍵だった。
「家の鍵だったんだ……」
扉をゆっくりと開くと、常生が家の中へ入っていった。珠記もそれに続く。家の中は薬を作っていたと聞くだけあって、薬の匂いや薬草の香りがした。
「ついこの前まで住んでたのに懐かしいです」
常生は感慨深げに呟いた。二人は家の中を見て回るが、特に変わったことはない普通の一室である。
「朝ごはんがまだでしたね。ここで食べちゃいましょう」
常生はそう言うと台所へ向かい、朝食の準備を始めた。
「常生は薬とか作れるの?」
珠記は何気なく質問する。
「いえ、そんな技術はありません。ただ作ろうとした事はあります。でもテスタが面倒臭いと言って教えてくれなかったんです」
常生は残念そうな顔で答えた。そんな話をしていると、台所から美味しそうな香りが漂ってくる。すると、お腹が小さく鳴る音がした。
「あ……聞こえちゃいましたか?恥ずかしいです」
常生は少し顔を赤らめながら恥ずかしがったポーズをとりながら答える。珠記は思わず笑ってしまう。
「あ、木刀だ。常生も持ってたよね?」
珠記はふと木刀に目が止まり、それを手に取る。それは常生がいつも使っている物と同じだ。
「はい。それはテスタのです。護身用としてよく稽古してくれました」
「そういうのは教えるんだ……結構変わった人なのかも」
珠記は独り言のように呟くと、木刀を元の場所に戻した。
「テスタは変わり者ですよ。珠記さんもたまに奇行に走るから似た者同士です」
常生はクスクス笑いながら料理を机に置くと、自らも座る。そして二人は朝食を食べ始めた。食事の時間は和やかに流れる。朝食を食べ終え、二人は海へ出かけることにした。
**********
海辺に着くと、夏もそろそろ終わりに近づく季節のため人の姿はまばらだった。常生は裸足になって砂浜を駆け回る。
「珠記さーん!常生を捕まえて下さい!」
常生は振り返ると笑顔で叫んだ。
「なんてベタな……まぁ、いいけどね」
珠記も靴を脱ぎ捨てて砂の感触を楽しむように走りだした。
「ふふふ。助けて~」
「誤解されること言わない!」
常生は追いかけられるのが楽しくて仕方がないようで、さらに激しく走る。
「捕まえた!」
珠記は常生を背中から抱きしめると動きを止める。すると、彼女は振り返り嬉しそうな表情をみせた。
「捕まえられました」
二人はそのまま倒れこんで砂の上に寝転がった。珠記は常生に覆い被さるような体勢になり、彼女を見下ろす形になっている。お互いの吐息を感じるほどの距離だ。
「珠記さん。珠記さんには常生がどう見えていますか?」
常生が珠記に問いかける。その表情は真剣で何かを期待しているようであった。
「どうって……可愛くて無邪気で柔らかくて……遠くから見ると……」
ズキン!
突然、珠記の頭の中に激しい痛みが走った。
「イッツ!」
激痛がする頭を軽く押さえながら苦痛の表情を浮かべる。
(あれ、わたし大事なことを忘れてるような……)
常生はその様子を心配そうな表情で見つめていた。
「珠記さん……今日は特別ですよ……」
常生はそれだけいうと目を閉じて唇をつきだすように顔を持ち上げる。その姿を見た瞬間、珠記は常生が何を期待しているのかを察してゆっくりと顔を近付ける。
唇と唇が触れる瞬間――。
「珠記!!」
背後から声がした。珠記はその声で我に返ると、慌てて常生から離れた。そこには散華の姿があった。彼女は息を切らせながらこちらを見つめている。
「散華さん。いいとこだったのにどうしたんですか?というかなぜここにいる事を知ってるんですか」
常生は不満そうに散華を睨んだ。
「珠記!常生から離れて!」
散華は珠記を常生から引き離す。そして、珠記を守るように彼女の前に立った。
「急に来て何なんですか?さっぱり意味がわかりません」
散華の行動に常生は困惑した様子だ。
「あなた達がいなくなった所で常生の部屋を調べさせてもらったわ。そしたらこの手紙が出てきたの」
そう言って散華が取り出した手紙は以前、珠記が常生の部屋で見つけた手紙と同じものだった。
「あーあ。バレちゃいましたか。しょうがないですね」
常生は残念そうにため息をつくと諦めたように呟いた。
「珠記、しっかり聞きなさい」
そして、散華がその手紙を読み上げる。
―――――――
常生へ。私はあなたの側を離れます。ずっと一緒にいる約束守れなくてごめんね。常生の面倒は近くの村に知り合いが居るから、その人に任せる事にしました。ちゃんと言うこと聞いてね。常生にはずっと黙ってたけど、あなたの家族についてです。あなたのお父さんとお母さんは常生が生まれてすぐ謎の病で死にました。私は二人から二人の娘を守るように頼まれた。それでずっと君たちの親代わりをしていたんだ。常生は双子の妹がいたこと覚えてる?妹の名前は詠生。実は詠生も両親と同じ謎の病にかかっていた。私はその病を治す方法をずっと探していたんだ。でも見つからなかった。そんな中、あなたが七歳の時、妹は何者かに殺されました。そして、私はその犯人を知っています。その人の名前は……
――珠記――
私の願いはただひとつ。妹の敵を討って下さい。
以上です。
テスタより。
―――――――
散華が手紙を読み終えると、珠記は膝から崩れ落ちた。
「そんな……わたしが常生の妹を……」
珠記は目に涙を浮かべていた。その姿はとても痛々しく、見るに耐えないものだった。
「これは本当のことなの?」
散華は険しい表情で尋ねる。
「今読みあげた通りです。珠記さんは常生の敵です」
常生は淡々と答える。
「待って!わたしは人を殺めたことなんて!」
珠記は必死に反論するが、その言葉が彼女に届くことはなかった。
「本当はもう思い出してるんじゃないですか?詠生のことを!」
常生がその名前を口にすると、珠記の表情が変わった。
「実は……どうして忘れてたのかはわからないけど。詠生はわたしの始めての友達」
「殺したことも忘れた……」
常生はボソッと呟いた。珠記の表情は青ざめていく。
「違う!あの日は!イッツ!」
珠記は突然頭を押さえ、苦痛の表情を浮かべる。
「待ちなさい。あたし達は近日中の記憶を無くした。珠記の記憶が無いのはあなたが渡した薬のせいだとあたしは思ってる」
散華が冷静に指摘する。
「何を……言ってるんですか……」
常生は訳がわからないといった様子で散華を見つめる。
「だからあなたが持ってきた薬で!」
「常生は村長さんにもらった薬しか出してません……」
常生は困惑の表情でそう答える。
「!?」
珠記は何かを思い出したようだ。
「そうだ……あの日、八面さんはちょうど街から帰ってきたところだった」
珠記はポツリポツリと話し出す。
「ちょっと待って……そしたら常生は誰に薬をもらったの?」
散華は困惑した表情で問いかける。
「いえ……間違いなく村長さんでした。これを飲めばきっと良くなるって……」
常生は困惑しながらも答えた。しかし、二人の会話は嚙み合っていないようだ。
「ちょっと調べた方が良さそうね……」
散華はそう言うと、珠記と常生を連れ常生の自宅へと戻る。
**********
部屋の中は相変わらず薬の匂いがした。三人は二階へ上がり、テスタの部屋を調べることにした。本棚に入った大量の本には難解な医学の本が並んでいる。散華と珠記は棚や引き出しを探すが、何も見つからないようだ。
散華はある一冊のノートを手にした。それは日記のようだった。表紙にも“テスタ”と書かれているため間違えようがないだろう。パラッとめくると一枚の写真が挟まっていた。それは金髪の女性が二人写っていて、一人はテスタだとわかる。
「なんだかこの人……村長に似てない?」
散華は写真を見て呟く。写真の裏には異国の言葉で文字が書かれていた。
「読めないわね……」
「少しなら読めます。これは……姉妹と書かれています!」
「!?」
三人は目を見開いた。
「これは本人に確かめるべきね」
散華はそう言うと、写真をポケットに入れて外へと向かおうとする。
「その前に聞きたいことがあるんだけど」
散華が二人を呼び止める。
「なんですか?」
「あなたは珠記を殺すつもりなの?」
散華は鋭い視線を向けながら問いかけた。常生は珠記に視線を移す。
「そんなつもりはありません。珠記さんと初めて会って、お話して、一緒に暮らして、とても妹を殺した人だなんて思わなかったんです。正直に言うとこの手紙はおかしいです。確かにテスタの字で間違いないですけど、どうして今になってそんな事を言い出すのか……珠記さんの名前を知っていることも全然わからないんです」
常生は申し訳なさそうに話した。
「常生……」
珠記は思わず涙を浮かべる。
「常生。忘れてしまっててごめんなさい。これだけは信じて。わたしは詠生を殺していない」
珠記はそう言いながら常生を抱きしめる。
「常生はもう何もかもどうでもよかったんです。テスタが居なくなるまで、妹が居たことも家族がみんな死んでることも何も知らなかったんです。ただ珠記さんと平和に暮らせるなら何もいらなかったんです」
常生は泣きながら自分の思いを伝えた。散華は涙を流す常生を見てその頭を撫でた。
「あたしこそごめんなさい。常生を疑ってしまって」
散華が謝ると常生は涙を拭いながら微笑む。そして、二人を見つめて言った。
「珠記さん。散華さん。ずっと黙っててごめんなさい。こんな常生ですが……どうか許して下さい」
常生は力強い眼差しで二人を見つめる。そして、三人は抱きしめ合い固い絆で結ばれたのだった。
**********
~村への帰り道~
「ねぇ常生……君は本当に常生なの?」
「珠記さん。その話はまた今度でお願いします」
常生はそう言うと珠記との距離を一歩縮める。そして、彼女は少し背伸びをして珠記の耳元に口を近づけ囁いた。
「珠記ちゃん」
その言葉を聞いた瞬間、珠記の心臓は大きく脈打つことになった。
(もう忘れない!もう手放さない!)
珠記は心の中で誓うのだった。
**********
村に着いた三人は珠記の家で今後の計画について話し合うことになった。
「やっぱり犯人は八面さんなのかな……」
珠記は寂しそうに呟く。
「どうでしょうね、あまり根拠はありませんし」
常生も不安そうだ。散華が咳払いをして空気を変えた。
「珠記はどうして村長のこと名前で呼んでるの?」
「あ!常生も気になっていました!」
二人は興味津々といった様子で尋ねてくる。
「いや!それは……今は関係ないでしょ!」
珠記は焦った様子で答える。しかし、その態度は逆に怪しかった。
「まあいいわ。闇雲に問い質すのは危険よね」
散華はため息をつきながら言う。
「はい。あの人は危険な香りがします」
常生は真剣な表情で同意した。そして、三人は顔を見合わせる。
「しょうがない……珠記には囮になってもらうわ」
散華はやれやれといった表情で提案してきた。珠記は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに驚きの表情に変わる。
「わたし!?それは絶対に無理!囮なんて」
そんな恐ろしい役を自分がするとは思っていなかったのだろう。
「大丈夫です。何かあれば常生が守ります」
常生は力強く宣言する。そして、彼女は珠記の手を握りしめた。
「うぅ……自信ないよぉ……」
「明日が楽しみね」
散華はニヤリとした笑みを浮かべながら言った。
**********
~その日の夜~
「うぅ……暑い……」
珠記は布団の上で横になりながら呟いた。両隣で散華と常生がくっついて寝ているためとても寝苦しい。
「珠記さん」
「ん?」
常生が小声で珠記に話しかける。
「不安ですか?」
彼女の手は珠記の右手に重ねられていた。その温かさを感じながら散華を起こさないように小声で言った。
「不安というか、どうしてこんな事になったのか……」
「それは常生が悪いのかもしれません。常生がここに来なければ……」
常生は申し訳なさそうに呟いた。
「それは違う。常生に会えてわたしは大切な事を思い出せた。この気持ちに後悔はないよ」
「ふふ。常生も同じ気持ちです。珠記さんにまた巡り会えた事は後悔していません」
二人は見つめ合い、優しい微笑みを交わす。
「常生……」
珠記は無意識のうちに彼女の頬に手を伸ばしていた。
「海での続きがしたいんですか?ダメです。全部終わって二人きりになったらいいですよ」
常生はそう言うと、珠記の胸に顔を埋めた。
「いじわる……」
「常生はロマンチストなだけです。おあずけされた珠記さんの顔も愛おしいです。おやすみなさい」
常生は満足げに微笑みながら眠りについた。
(眠れないよぉ)
珠記は心の中で呟きながら、一晩中悶々としていた。
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