第4話 気になる頬

 翌朝、珠記は目を覚ますと軽く伸びをした。もう一眠りしようと寝返りを打った瞬間、手のひらに柔らかい感触があった。もにゅ。


「ふにゃ……」


 可愛らしい声が聞こえる。珠記は驚いた様子で上体を起こすと、横で眠っていたのは寝巻き姿の常生だった。


「ととと常生!?どうしてわたしの布団に!」


 珠記は慌てて起き上がると、口をパクパクさせて動揺する。しかし、常生は気にすることなく寝ぼけ眼で彼女を見つめていた。


「おはようほざいます。珠記はん」


 常生は舌足らずな声で挨拶をする。彼女はまだ眠たいようで、目が半開きになっていた。それを見た珠記は深呼吸をすると気持ちを落ち着かせるように努めるのだった。


「なんでわたしの布団で寝てるのかな~?」


珠記は落ち着いた声で尋ねると、優しく頭を撫でてあげた。常生は気持ち良さそうに目を細めると小さな欠伸を漏らす。その姿を見るとつい頬が緩んでしまうのだった。


「なへって、寂しかったから珠記さんの布団に入っただけです。他に理由が入りますか?」

「いや~全然いいんだけどね。女の子同士だし。でも……」


 バーン!


 勢いよく部屋の扉が開くと、そこには仁王立ちしている散華の姿があった。右手には包丁を持っている。


「ほらね……」


 珠記は呆れた様子で呟くと、頭を抱えた。


「やっぱりあの時、始末するんだった」


 散華は深い溜息をつくと、低い声で言う。珠記は慌てて散華の前に行くと、両手を合わせて謝罪し始めた。


「あの!これは違うの!」


 しかし、散華は聞く耳を持たないといった様子でそっぽを向いてしまう。


「珠記さーん。そんな人放っといて常生と二度寝しましょ~」

「君は黙っててぇぇ!」


 珠記の叫び声が響き渡る。散華は舌打ちをすると、鋭い視線を常生に向けた。


「どうやら、お仕置きでは済まないようね」


 散華は持っている包丁を突き出して構える。


「まったく、しつこいストーカーさんですね。常生と珠記さんの甘い時間を邪魔するなんて。今日でここがあなたの墓場です」


 常生は何処から取り出したのか、手に木刀を持っていた。


「そんなのどこにあったの!?二人共!落ち着いて!」

「護身用です。いきます!はあ!」


 彼女は構えると、散華に向かっていく。散華は常生の動きを瞬時に察知し、攻撃を躱すと逆に回し蹴りを入れる。しかし、その攻撃もひらりと避けた常生はそのまま木刀で攻撃を仕掛けるが――散華はそれを捌くと今度は包丁を振るった。二人の攻防はどんどん激しさを増していき、部屋の中は嵐の中のように荒れていく。隙を突いて散華が常生の喉元目掛けて包丁を突き刺した。確実に仕留めたと思った瞬間、常生が突然視界から消えた。次の瞬間には背後に気配を感じ取った散華は咄嗟に後ろを振り向くが既に遅く――


「終わりです」

「くっ……」

「ダメえええ!」


 散華の背後に移動した常生が木刀を振り下ろすと、それは空振りに終わった。珠記は間に割って飛び込むと、散華を庇うように抱きしめる。


「珠記!邪魔は!んっ!?」


 散華は珠記を引き剥がそうと抵抗をするが、彼女はそれを許さない。唇を押しつけて言葉を遮ると、そのまま唇を奪ったのだ。二人の唇が離れると、散華は顔を腕で隠した。


「はぁ……少しは落ち着いた?」

「その……顔見ないで……」


 散華は蚊の鳴くような声で言うと、その場に寝転んだ。彼女は耳まで真っ赤になっており、完全に戦意喪失しているようだった。その様子を見た珠記は、常生の方へ振り向きゆっくりと歩み寄った。


「その……珠記さん……常生は……」


 常生は木刀を床に落として、近付いてくる珠記を前に震えていた。珠記が手を出すと、思いっきり目をつぶって身体を強張らせる。珠記はそんな常生の頭をぽんと叩くようにして撫でた。


「危ないことはしちゃダメ。わたしとの約束」


 珠記は穏やかな声で語りかけると、常生は困惑した表情を浮かべていたが、やがて小さく頷いた。


「じゃあ二人共!仲直りの握手!」


 珠記は手を叩くと、散華の前に常生を立たせる。先に手を差し出したのは散華だった。


「悪かったわ。あたしの負けよ」

「常生こそ……ストーカーって言ってごめんなさい」


 常生も手を差し出すと、散華はその手を取った。二人は目を合わせると互いに微笑む。


 ――こうして波乱の朝が過ぎていったのだった――


 散華と常生は台所へ向かい料理を始めていた。部屋に残った珠記は窓越しに外を眺める。


「朝から大変だったな……にしても常生の動き凄かったな~。ん?」


 珠記は床に落ちている木刀を拾い上げた。かなり使い込まれているらしく、所々傷が付いている。


「常生って意外と武闘派?」

「珠記さん」


 いつの間にか背後に立っていたのは、常生だった。彼女は軽く俯いていて表情が見えない。


「お布団は常生が片しますので、珠記さんは顔を洗ってきて下さい」

「う、うん……」


 珠記は常生に言われるままに部屋を出た。チラッと振り向くと、彼女は窓の外をジーッと眺めていたのだった。


 **********


 朝食の時間はいつもより賑やかだった。珠記の目の前には散華と常生が座っている。二人とも機嫌の悪い様子はないようで一安心だと胸を撫で下ろした。


「ところでこれからは二人で一緒に寝るのかしら?」


 散華は箸を置いて問う。その言葉を聞いた珠記が話そうとすると、先に常生が口を開く。


「はい。常生は一人で寝れないので珠記さんと一緒に寝ます」


 常生は無表情のまま淡々と答える。


「えっと……」

「そう。そしたら今晩からあたしも一緒に寝てもいいかしら」


 散華は珠記の言葉を遮って提案する。その顔は真剣そのもので、とても冗談には見えない。


「いいですよ。それなら何の問題もありません」

「異論は無いようね。お風呂はどうしたの?」


 散華は顎に手を当てて呟く。


「昨日は一緒に入りました」


 常生は即答した。それに対して散華の表情は険しくなる。


「抜かりないわね……じゃあ今日からあたしも一緒に入るわ」


 散華はふふんと鼻を鳴らして不敵な笑みを浮かべた。


「ちょっ!」

「それも異論はありませんね」


 常生はさらっと答える。


 ――珠記は思う。これは波乱の予感だ――


「異議あり!異議あり!」


 珠記が立ち上がって抗議するが、二人は何も聞いていないといった様子で食事を進めていた。


「お風呂の時も寝る時も常生が勝手に入ってきただけで……良いなんて一言も……そんなに二人がいいなら散華と常生が一緒に住めばいいじゃない!」


 珠記は顔を真っ赤にして叫ぶ。そして、その言葉を聞いた途端、散華と常生の箸が止まった。暫く沈黙が続く中、二人は同時に嗚咽を漏らすと――


「珠記はあたしとお風呂に入りたくないのね。一緒に寝るのも嫌なのね」

「珠記さんは常生と愛し合いたくないんですね」


 息の合ったコンビプレイで、珠記は二人の攻撃に為す術もなく撃沈した。


「わかったよ……でもお風呂は狭いから一日交代制!あと常生は変なこと言わない!」


 珠記は項垂うなだれるように座った。そして、散華と常生はテーブルの下で固い握手を交わすのだった。


 **********


 散華の帰宅後、珠記はソファーの上でギターを弾いていた。ギターの音に合わせて鼻歌を歌う姿は、とても上機嫌にみえる。


「珠記さんはギターが好きなんですか?」


 台所に立っていた常生が、ふと声をかける。珠記はギターを弾く手を止めて振り返ると笑顔で頷いた。


「ギターというか歌かな。昔から歌うことが好きでね。よく街で歌ってるんだけど見たことない?」


 常生は洗い物の手を止めて、珠記の隣に座った。


「街にはあまり行ったことありません。うちの村は海が近かったので、魚とかが豊富で街まで買い物は滅多に行かないんです」


 常生は懐かしそうに言うと、ギターを見つめて微笑む。


「そうだったんだ。今日も街に行くけど一緒に来る?」


 珠記は優しく問いかける。彼女は少しだけ考え込むと、顔を上げて答えた。


「常生は結構です。ここで珠記さんの帰りを待ってます」


 常生は首を横に振ると、視線を落とす。


「そっか。来たい時はいつでも言ってね」


 珠記は再びギターを弾き始めると、常生は嬉しそうに体を揺らす。珠記はそんな彼女を見ながら歌い続けたのだった。


 **********


 気がつくと常生は眠ってしまっていた。珠記はギターを弾く手を止めると、常生を起こさないようにそっと抱き抱えた。そして、ベッドまで運び布団をかけると珠記は彼女の頬を軽く指でつつく。


「柔らかいな~」

「うーん……くすぐった……すぅ……すぅ……」


 常生は眉を寄せると、身を捩って寝返りを打った。その拍子に髪が顔にかかり、珠記はそれを手で払う。


「まだちょっと時間あるなぁ」


 珠記は常生の部屋の中を見渡した。昨日とは違って棚の上には動物の置物や可愛い小物が並んでいる。本棚には難しそうな本や小説が綺麗に整頓されていた。珠記は本棚の中から一冊の本を取り出すと、そのままパラパラとページをめくる。それは恋愛小説らしく、主人公が恋をして苦悩する様子が描かれていた。


 珠記は本を閉じようとすると、一枚の紙が挟まっていることに気が付く。それは小さなメモ用紙の中に鍵が一つ包まれていた。


「なんだこれ?」


 珠記は不思議に思い、メモ用紙を広げてみる。そこには丁寧な文字で文字が書かれていた。


――――――――――


 常生へ。私は……


――――――――――


「何してるんですか?」


 突然、紙を奪い取られた。常生が珠記の手から奪い取ったのだ。彼女は慌ててメモ用紙をポケットに仕舞うと、珠記を睨み付ける。


「読みましたか……?」


 珠記は冷や汗をかくと、首を横に振った。その表情はどこか苦しげに見える。


「本当ですか……?」


 常生は念を押すように訊くと、珠記は大きく首を縦に振った。


「人の物を勝手に触らないで下さい。常生との約束です」


 常生は呆れた様子で呟く。


「ごめん……常生のこともっと知りたくて……」


 珠記は頭を下げると、反省している様子を見せた。それを見た常生は困った表情を浮かべると、小さく吐息を漏らす。


「はぁ……聞いてくれれば、ちゃんと答えるんで。とりあえず出て行って下さい」


 常生は珠記の背中を押して部屋から追い出す。


「ねぇ……常生……」


 珠記は扉の前で立ち止まり、振り返る。


「なんですか?」


 常生は珠記と視線が合うと、少し戸惑った様子を見せたがすぐに視線を逸らした。


「わたし達が初めて会ったのは……いつ?」


 珠記が真剣な眼差しで問いかける。


「……昨日です」


 常生は小さい声で答えた。しかし、彼女の目は泳いでいて明らかに動揺しているのが分かる。


「そっか……じゃあ私は街に行ってくるから留守番よろしくね」


 珠記は微笑むと、部屋から出て行った。家を出た珠記は空を見上げると、眩しそうに目を細める。


「どうして嘘をつくんだろう……それに……」


 紙を取られる直前に見えた文字を思い出す。


――珠記――


 そこには確かに自分の名が記されていた。何故彼女に宛てられた手紙に自分の名前が入っているのか? 珠記は考えても仕方がないと、頭を振って歩き出す。その日は街へ向かう途中の鳥や虫の鳴き声も耳に入らず、ただ黙々と歩き続けた。

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