第5話 疑心、そしてもう一つの頬

 家に帰った珠記は、玄関の扉を開けると散華と常生の楽しそうな声が聞こえてくる。二人はどうやら夕食の準備をしているらしく、台所の方からいい香りが漂っていた。二人はエプロンを着けて、楽しそうに料理をしていた。


「ただいま~」


 珠記が声をかけると、二人は笑顔で出迎える。


「珠記さんおかえりなさい」


 常生は鍋をかき混ぜながら、微笑む。その隣では散華が野菜を切り終えたところだった。


「おかえり。もうすぐできるから待ってて」


 散華は玉葱の皮を剥くと、細かく刻んでいく。そしてそれをフライパンに入れるとバターを入れて炒めた。珠記はその横でお茶を淹れながら二人の様子を眺めることにした。時折、常生が視線を向けるのに気が付いて目が合うと、何故か彼女は恥ずかしそうに俯くのだった。


 料理が出来上がると三人は手を合わせた。


「珠記さん、この煮物は常生が作りました」


 常生が箸で摘まんだ里芋を珠記の口に運ぶと、彼女は嬉しそうに口を開ける。珠記がお礼を言おうと口を開きかけた時――散華が割り込むように口を開いた。


「はい!次はあたしの番!」


 そう言って、散華は肉を箸でつかむとそのまま珠記の口に放り込んだ。


「うん。おいしい。二人共ありがとう~」


 珠記は嬉しそうに微笑むと、二人も顔を見合わせて笑った。


 **********


 夕食が終わると、珠記と散華は脱衣所へ向かった。


「二人でお風呂なんて初めてだから恥ずかしいね」

「……」


 珠記の言葉に散華は無言だった。脱衣所に着くと、散華はすぐに服を脱ぎ始めた。珠記も彼女のペースに合わせて服を脱ぎ始める。珠記が浴室の扉を開けると視線を感じる。振り返ると、散華がじっと見つめていた。


「どうしたの?」


 珠記は不思議そうな表情を浮かべると、彼女はハッとした様子で視線を逸らす。


「気にしないで。眼鏡外すまで見てただけだから」


 散華はぶっきらぼうに答え、シャワーのコックを捻った。シャワーを浴びた後、二人は湯船に浸かる。珠記は少し遠慮しがちに散華の隣に座るとお湯を手にかけて軽く体を流す。


「散華の眼鏡外してるとこあんまり見たこと無いかも」


 珠記は興味津々といった様子で散華の顔を見る。


「人の顔ジロジロ見るのやめた方がいいわよ」

(あなたには言われたくない)


 珠記は心の中で呟いた。


「眼鏡掛けてないとあんまり見えないから。普段はなるべく掛けるようにしてるの」

「そうなの?じゃあ今はわたしの顔は見えないの?」

「近づけば見える」


 散華は珠記の肩を抱き寄せて、顔を近づけた。彼女の瞳は澄み切った空のように青く綺麗で吸い込まれそうになるほどだった。その瞳は珠記の姿を映して輝いているように見える。その美しさに思わず見とれていると、散華の顔が徐々に赤くなっていくのが分かった。


「ねぇ珠記……朝の……」


 そして散華の顔は引き寄せられるように近づき――


「お湯下限はいいかがでかすぁー!!」


 突然、浴室の扉が勢いよく開くとそこには裸になった常生が立っていた。散華と珠記は驚いて目を見開く。


「ちょ!常生!三人は入れないって!」


 珠記は慌てて散華から離れる。


「大丈夫です。常生は体が小さいので」


 そう言うと、常生は体を流して珠記の膝に座ると気持ち良さそうに目を細めた。


「ほら入れました。ところで今何かしてました?」

「何も……ぶくぶく」


 散華はお湯の中に潜る。


「なんだか常生が来てから賑やかになったね。まだ二日目とは思えないよ」


 珠記は常生の頭を優しく撫でながら微笑む。


「はい。常生も珠記さんと初めて会った気がしないです」


 常生は嬉しそうに笑った。その姿に珠記もつられて笑顔になる。


「これが家族って感じなのかな……」

「そうかもしれませんね」


 常生は照れ臭そうに珠記の胸に体を預けると、小さく頷いた。


「ねぇ常生。もう一度お話をしない?聞きたいことがたくさんあるの」

「こ……珠記さん」

「嫌ならいいの。無理強いはしたくないから。でも常生から話すって言うなら、いつでもわたしは聞くから」

「珠記さん!」


 突然、常生は声を上げた。そして珠記は期待に胸を高鳴らせながら、彼女の顔を見る。


「なに!」

「散華さんが気絶しています……」


――――チーン!


 **********


 のぼせた散華を運び、珠記は介抱することにした。彼女に向かってうちわで風を送ると、少しずつ意識を取り戻し始める。


「うぅ……死ぬかと思ったわ」


 散華は息を切らしながら呟いた。


「まったくもう。無理して入らなければいいのに」


 珠記は呆れながら散華の髪をタオルで拭いてあげる。散華は体制を戻すと、珠記の方を向く。


「ねぇ珠記。どうして朝キスしたの?」


 散華は真剣な眼差しを珠記に向けて問いかける。その目はどこか哀しげに見えた。


「いや!あれは咄嗟の思いつきで……」


 珠記は目を泳がせながら答える。


「あたし初めてだった……」


 散華は消え入りそうな声で呟いた。その頬は少し赤くなっているように見える。


「その……わたしも……てへへ」


 珠記は恥ずかしさを隠すように笑う。


「散華さん起きたんですね。布団の準備が出来ました」


 居間から常生が顔を出した。三人は珠記の部屋に移動した後、布団に入って眠りにつく。すると、散華と常生が横から抱きしめてきて二人の体が密着する形になった。その温もりに安心したのか珠記はすぐに深い眠りに落ちていったのだった――


 ◆◆◆◆◆◆


 就寝についてから、夜中に珠記はふと目が覚めた。目を開けると散華の規則正しい寝息が聞こえてくる。そして常生の方を見てみると彼女の姿はなく、珠記は起き上がった。


 常生を探しに部屋を出ると、常生の部屋の明かりがついていて、こっそり扉を開ける。しかし、部屋の主は既にその場にはいなかった。それよりも昼間に見た時の家具の配置とはあまりにもかけ離れている。違和感を感じた珠記は部屋の中に入って調べることにした。


 机やベッドは勿論、部屋の構造が明らかにおかしい。珠記は首を傾げて考えるが答えは出てこない。そして一番気になっていた部屋の真ん中に堂々とそびえ立つ大きな赤い箱に近づいていく。


(こんなの昼間はなかったよね……)


 見た目は人一人入れるぐらいの取っ手がついている赤い箱。珠記は息を飲むと、取っ手に手にかけて引くと箱の中から金属の擦れ合う音がする。


「!?」


 完全に開いた頃には珠記は驚愕に目を見開いていた。箱の中には血だらけになった常生が眠っていた。彼女の口元は真っ赤に染まり、虚ろな目は何も映していないようだった。


「そんな……どうして……」

「どうして?こっちのセリフです」


 箱の外から声が響いた。いつの間にか、後ろには常生が立っていた。珠記は箱の中の常生と後ろに立った常生を交互に何度も見返す。手には今朝見た木刀が握られ、目は据わっている。


「どうして常生との約束を守れないんですか?」


 珠記は怯えた表情で常生を見つめた。


「君は……一体……なんなの……」

「何?常生は常生です。珠記さんこそ何なんですか?こそこそと詮索するようなことをして」


 珠記は驚きながらも、必死に考えて一つの答えを導き出した。


「わたしは!常生とちゃんと向き合って話をして、常生の事をもっとよく知りたくて……家族に!なりたかっただけ!」

「例え家族でも、知ってほしくないことだってあります。珠記さんはそれを無理やり聞かせてまで家族になりたいんですか」


 珠記は黙ったまま俯いてしまう。その表情はとても哀しいものだった。そして静かに涙を流すと、常生に向かって頭を下げる。


「ごめんなさい……常生を傷つけてしまって」

「どっちにしても……見たんですよね?その中身」


 珠記は頷く。彼女は木刀を握る手に力を込めるとゆっくりと構えた。


「待って……常生……お話しよう……」

「問答無用です。動き出した時間は元には戻りません。あなたが死んでも!」


 常生は木刀を珠記の喉元目掛けて突く。


「いやああああああ!!」


 ◆◆◆◆◆◆


「はぁ!!はぁ……はぁ……」


 珠記は叫びながら目を覚ます。自分の喉は空気を求めて激しく上下していた。額や背中には汗がびっしょりでシャツが張りついている。珠記が呼吸を整えている横では、散華の規則正しい寝息が聞こえてくる。そして常生の方へ顔を向けると――


「おはようございます。珠記さん」

「はぁ……はぁ……あああああああ!!」


 断末魔と共に三日目の朝が始まったのだった。

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