第3話 思い出の頬

「テスタは常生にとってたった一人の家族でした。血は繋がっていませんが、物心ついたときから一緒に過ごしていました。テスタはお薬を作るお仕事をしている人だったんです。だけど、とっても面倒くさがり屋なので、ほとんど家にこもっていました。あと、頭を掻くのが癖なんですよ。でも、とっても優しい人でした。よく本やお花を持ってきてくれたり、一緒に遊んでくれたりしたんです。あれは夏が終わって、ちょっと肌寒くなってきた頃でした――――」


 ◇◇◇◇◇◇◇


 ~二年前~


 常生は目を擦りながら、階段をゆっくり降りる。そして、リビングの扉を開けるとテスタがそこに立っていた。


「おはよう。常生。ご飯できてるから食べちゃってくれ~」


 朝ご飯の支度を終えたテスタは、いつも通りソファーに座って新聞を読んでいた。常生は眠そうに欠伸をしながら席に座ると、目の前に置かれているトーストを口に運ぶ。


「今日も退屈な日になりそうだね。あー、どこかに隕石でも落ちないかなぁ」


 テスタは頭を搔きながらぼそっと呟く。そんな様子を常生は横目で見ていた。


「なぁ、常生。たまには外で遊んできてもいいんだぞ?そうすれば友達ができるかもしれないだろう?」


 テスタは優しい口調で語りかけるが、常生は頬杖をついてスープをスプーンでかき混ぜていた。


「行儀悪いぞ」

「あ!ごめんなさい」


 常生は慌ててスプーンを置いて、手を膝の上に置く。そして、しゅんとした表情で俯いてしまった。その様子を見たテスタは困ったようにため息をつくと立ち上がりキッチンの方へ向かっていった。しばらくして戻ってくると手にはホットミルクが握られていた。


「そんなに暗くならなくても大丈夫さ。無理に友達を作る必要はないから」


 常生はこくりと小さく頷きながらホットミルクを受け取ると口に運んだ。程よく温かくて優しい甘さが口の中に広がっていくのを感じた。


「ほっ……常生はテスタと遊びたい」


 常生は小さな声で呟いた。


「えっ……」


 テスタはあからさまに面倒臭そうな顔をして頭を搔き始めた。


「テスタはいつもつまんなそうだから、常生が元気を出してあげたい。だから、何かしたいの」


 常生はまっすぐな目でテスタを見つめながら言う。しかし、当の彼女はとても嫌そうな表情をしていた。しばらく考え込んでいたテスタだったが、やがて諦めたようにため息をつくと口を開いた。


「分かったよ……」

「遊んでくれるの!?」


 常生の表情がぱあっと明るくなった。本当に嬉しそうな顔だ。


「ちょっと待って!いま食べ終わるから!」


 常生は慌てて残っていたトーストを口に詰め込んでミルクで流し込んだ。そして、急いで椅子から降りると食器を片付ける。


「急がなくてもいいから……ったく聞いてないし」


 テスタは呆れながらも少し嬉しそうに微笑むと、出掛ける準備を始めた。


 **********


「ふんふんふ~ん。あ!自分でできる!」


 常生が髪をとかしていると、テスタが鏡の前に来て櫛を取り上げる。そして、優しく髪をすいてくれた。その心地良さに思わずうっとりとしてしまう。


「たまにはおめかししないとね。やったげる」


 テスタは慣れた手つきで髪を整えていく。可愛く編み込みをしてみたり、ヘアピンを使ってアクセントをつける。最後に前髪を分けておでこを出すといつもとは違った印象を受けた。


「テスタすごい!可愛い!」


 常生は興奮した様子で目を輝かせながら喜ぶ。


「これぐらい当然!」


 テスタは得意げな表情で胸を張ると、常生の頭を優しく撫でた。


「テスタもおめかしして!」


 常生はテスタの背後に回って背中を押しながら着替えを促す。すると、彼女は嫌そうな表情をした。


「私はいいって……」


 しかし、常生は許さないとばかりにテスタを睨みつける。


「わかったよぉ。はぁ。余計なことするんじゃなかった」


 テスタは渋々承諾すると、奥の部屋に消えていった。


 数分後、戻ってきた彼女の身なりを見て常生はポカーンと口を開けた。そこには普段とは違い、ちゃんとした女性らしい服装をしたテスタがいたからだ。


「あの、誰ですか?」

「いや、テスタだし!」


 テスタは苦笑していた。ボサボサだった髪も綺麗に整えられている。服装はシンプルなパンツスタイルで、普段は白衣しか着ない彼女にしては珍しいコーディネートだった。普段とは違って清楚な雰囲気が出ているためか、別人のように見えてしまったのだ。


「何してるんだ?はやく行くよ」


 そう言われて手を引かれる。常生は慣れない状況に戸惑いながらも彼女に連れられて外に出たのだった。


 **********


 二人は家を出ると、常生が近くの海を指さした。


「海行きたい!」

「やぁだ。砂で足汚れる」


 テスタはきっぱりと断ると、先に歩き始める。そのまま二人は森の中へと入っていった。


「どこ行くの?」

「ん~?どっか」


 彼女は気の抜けた返事をする。どうやらノープランのようだ。


「見て!リスだ!」


 常生は草むらから出てきたリスに夢中になり始めた。彼女はテスタの手を離して走り出す。


「あんまり離れるなよ。蛇とか熊が出るかもだぞ……」


 それを聞いた常生は、慌ててテスタの腕にしがみついた。森の中は静かで、聞こえるのは鳥のさえずりだけだ。木漏れ日が美しくて心地よい。二人はしばらくの間無言のまま歩き続けた。――それから数分後。森を抜けると、河原に辿り着いた。


「川だ!」


 常生は目を輝かせて川へと駆け寄る。


「転んでも知らないぞ~」


 テスタの注意を無視して川の方に駆け寄っていく常生。川の中を覗き込むと、水底には様々な種類の魚たちが泳いでいた。


「魚だ~捕まえられるかな」


 常生が楽しそうに飛び跳ねていると、テスタは呆れたようにため息を漏らす。


「そういえば、ここで何して遊ぶの?」

「んえ!?」


 突然の質問に驚いたのか、テスタはビクリと体を跳ねさせる。


「えぇっと……あれだ!水切りって知ってるか!?」


 テスタは狼狽えながら答える。どうやら、咄嗟に思いついた言い訳のようだ。しかし、常生は全く理解できていないようで首を傾げていた。


「しらない!」


 純粋な瞳で見つめられたテスタは少したじろぎながらも言葉を続けた。


「そのだな……石を投げるんだ」


 そう言って手頃な石を拾うと川に向かって投げた。石は水面を切るように跳ねていき、水飛沫を上げた。


「おおー!すごい!ぴょんぴょん跳ねた!」


 常生は興奮した様子で拍手を送る。


「常生もやってごらん」


 テスタは優しく微笑みながらそう言うと、もう一つの石を常生に渡す。


「えい!」


 常生は勢いよく投げると、石は大きな弧を描いて川の真ん中あたりに着水した。しかし、その後すぐに沈んでしまった。どうやら力加減を誤ったようだ。


「最初はそんなもんさ。私はあっちで休んでるから練習してくるといい」

「ダメ!テスタも一緒にやるの!」

「えぇ……」


 テスタは嫌そうに顔をしかめると、渋々といった様子で石を拾い始めた。


 **********


 ~二時間後~


 二人は近くの木陰に座り、川を呆然と眺めていた。既に日は沈みかけており、昼間とはまた違った幻想的な風景が広がっていた。テスタは自分の横に座る常生を見る。彼女の横顔はとても穏やかで幸せそうだった。


「こんな風に出掛けるのは初めてだな~」


 テスタは懐かしむような表情で呟く。その表情からは優しさが溢れているようだった。


「うん。テスタは楽しかった?」


 常生は不安げな表情でテスタを見つめる。


「まあ、たまにはいいかなって思う。疲れるけど……」


 テスタは苦笑を浮かべると、再び川の方を見つめた。


「その……聞いてもいい?テスタはどうして……」

「なぁ常生」


 常生の言葉を遮ってテスタが口を開く。その声はどこか悲しげだった。


「なに?」


 首を傾げると、彼女は静かに話し始めた。


「常生はこのまま私と一緒に暮らしていたいか?」


 その問いかけに常生は驚いたように目を見開いた。しかし、すぐに真剣な眼差しでテスタを見つめる。その表情からは不安や迷いといったものは感じられないように思えた。


 ――答えは決まっていたのだ――


「常生はテスタが好き。ボサボサの頭でだらしないテスタが好き。面倒くさがり屋で何もしたがらないテスタも好き」


 常生は真っ直ぐにテスタを見つめながら言った。その瞳には嘘偽りのない本心を映し出していた。


「どうしてそんなこと聞くの?」


 常生は不思議そうに尋ねる。


「正直、ここは退屈だからな……常生が良ければ、私の故郷に連れて行こうかと思って」


 テスタは少し寂しげに微笑むと、常生の頭を優しく撫でた。その仕草はまるで母親が子供に向けるような慈愛に満ちたものだった。常生は何も言わず静かに俯いていた。そして、そのまま立ち上がるとテスタの前に立つ。


 ――次の瞬間――


 頬が柔らかい感触に覆われた。突然のことに驚いたのか、目を見開いたまま硬直してしまう。しばらくしてから我に返ったテスタは慌てて離れた。


「な、なにを……」


 狼狽えながら声を上げると、常生は悪戯っぽく微笑んだ。


「常生はここが好き。テスタとずっとここに居たい」


 テスタは呆れたような表情を浮かべると、深くため息をついた。


「どこで覚えたんだか……マセガキめ」


 テスタは悪態を吐くと、立ち上がって背伸びをする。そんな彼女の様子を見て、常生は小さく笑った。


 ◇◇◇◇◇◇


「ということもありました」


 過去の思い出を語ると、珠記は顔を真赤にしながら黙って聞いていた。


「そ、そうなんだ。なんかドキドキしちゃった……二年前だよね……十二歳!?」


 珠記は興奮した様子で目を輝かせている。それほどまでに彼女は想像力豊かなのだろう。


「そうです。あくまで過去の話にすぎません」


 常生は淡々と話すと、視線を窓の外に向ける。そろそろ日が沈む頃合だ。


「まぁその……二人の関係はよくわかったよ。それにしても、テスタさんどこへ行っちゃんたんだろう?お母さん代わりだったんだよね」


 珠記は顎に手を当てて考え込んでいる。


「はい。本当の両親については聞いても教えてくれなかったんです」


 常生は窓の外を見つめたまま答えた。その表情には少しだけ寂しさが滲み出ているように感じられた。


「その……聞きたいことがあるんだけど……聞いてもいい?」


 珠記は躊躇いがちに尋ねると、常生はゆっくりと振り向く。その瞳からは何の感情も感じ取ることができなかった。


「何でしょう?」


 彼女の声は落ち着いていて穏やかなものだったが、どこか冷たさのようなものを感じさせた気がしたのだった。


「テスタさんは三日前、行方不明になったんだよね?その日、常生はこの村で何してたの……?」


 暫くの沈黙が流れる。常生は表情一つ変えずに口を開くと――――


 カァーン。カァーン。


「―――じゃない―――?」


 鐘声の音が常生の言葉を遮る。その瞬間、景色が一変したような気がした。


「ごめん。よく聞こえなかった。なんて言ったの?」


 珠記は小首を傾げると、もう一度問いかける。


「もうこんな時間です。夕食の準備をしないと」


 常生は表情を変えずに言うと、踵を返して歩いて行く。窓から差し込む夕日に照らされた珠記の影をふと見ると、大きな寝癖がついていることに今更気付いた。


「まぁ、いいか……」


 珠記は見なかったことにすると、常生の後ろ姿をのんびり眺めていた。

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