第2話 再会の頬

 常生と名乗る少女は礼儀正しく頭を下げ、挨拶をしてきた。珠記は状況が理解できないまま混乱していた。


「ん?どゆこと?」

「今日からこの家に住むことになったんです。よろしくお願いします」


 常生は再び頭を下げた。珠記は目の前の光景が理解できなかった。夢でも見ているのだろうかと思うほどだったが、目の前にいる少女は確かに現実として存在している。だからこそ彼女の言っていることをすぐに信じることができなかったのだ。


「あはは~そうなんだ……ちょっと待ってて!」


 珠記は常生を置いて、集会場に向かって超特急で走りだした。


「どうしたんでしょう……?」


 **********


 村の中心にある集会所へ珠記が全速力で駆け寄る。その鬼気迫る表情で道行く人が目を大きく見開く。そのまま珠記は集会場の中へと勢いよく滑り込むと、中にいた人々の注目を浴びたのだった。そして大声で叫んだ。


「村長!お話が!!」


 その声に反応して一人の女性が奥から顔を出す。彼女はこの村の村長である八面やつもだ。金髪ロングヘアで美しい容姿と大人の色気を感じさせるが、実年齢は不明でその素性も謎に包まれている女性である。


「あらあら。遅刻かしら?」


 彼女はふふっと微笑みながら珠記の元まで近づいてくる。そのゆったりとした動作でさえも目を引くものがあるのだ。


「申し訳ありません……えっとですね」


 珠記は息を切らしながら汗をタラりと流す。


「罰として外で待っててもらえるかしら?」

「いえ!それよりも!重大な……」

「外で!待っててもらえる?」


 珠記の言葉を遮りながら、八面は笑みを浮かべていた。その威圧的な態度に思わずたじろぎ、そのまま回れ右をして集会場を出ていくことになった。そして外のベンチでしばらく待つことになるのだった。それから数分後。八面が珠記の元へとやって来た。


 **********


「それで。話って?」


 珠記は、さっき起きたことを全て八面に話した。


「そのことね。珠記さんには悪いけど、今日から常生ちゃんと一緒に暮らしてもらいます」


 八面はそう言い放った。その発言に珠記は目を丸くする。


「え、あのそれってどういう」


 戸惑いを隠せず混乱する珠記をよそに、八面が話を続ける。


「実はちょっと訳ありでね……常生ちゃんはここから少し離れた海のある村に住んでたんだけど、一緒に住んでた家族が行方不明になってしまったみたいなのよ」


 八面は悲しげな表情で語り始める。それを聞いた珠記は何も言えず黙って聞くことしかできなかった。


「家族を探したいんだけど、彼女はまだ十四歳でねぇ。他に引き取り手が見つからなかったのよ。それで一時的な措置としてこの村で生活してもらうことになったの」


 八面の話によると、村長である彼女は常生を保護するように頼まれたのだという。


「でも、どうしてわたしの家に?」


 珠記はそこが疑問だった。この村には他にも若い人はたくさんいるはずだ。それなのにどうして自分なのだろうかと。


「それがね。常生ちゃんがどうしても珠記さんの家がいいというのよ」


 八面は困った表情を浮かべながら溜息をついた。常生が自分にそこまで執着する理由は不明だが、それでも自分を選んでくれたという事実は嬉しいと思えた。


「少しの間だけお願いできるかしら?」


 八面は申し訳なさそうに頭を下げる。その瞳には涙が浮かんでいるように見えた。常生のことが心配なのだろう。そう思うと、珠記に断ることはできなかった。


 **********


 集会場を後にした珠記は自宅に戻ってきた。


「どうなることやら……ただい……まぁ」


 珠記が玄関の扉を開けると、そこにはとんでもない光景が広がっていた。


「……」

「……」


 そこにいたのは、台所で睨み合っている常生と散華。お互い無言のまま視線を交差させていた。散華の表情は険しく、今にも何かやらかしそうだ。一方常生は無表情で何を考えているか分からないが、やはり散華と同じく険しい表情をしているように見えた。


「これから朝食を作るから退いてくれない?」

「はい?どちら様ですか?ここは常生と珠記さんの家ですよ」


 常生は不気味な笑みを浮かべながら、散華に話しかける。それに対して散華の表情はさらに険しくなっていく。


「あたしは隣に住む散華。あなたの監視役よ!」

「へ?」


 珠記はまさかの発言にポカーンとしながら間抜けな声を出す。散華は常生に歩み寄り、人差し指を向けて警告をする。


「そういうの結構なんで出て行ってもらえますか?ストーカーさん?」


 常生は散華のことを睨みながら言い放つ。それを聞いて、さらに怒りがこみ上げてきたのか、散華の周りの空気が歪む。散華はすぐ横にあった包丁を手に持ち、その切先を常生に向ける。


「まったく。おとなしそうな顔をしてるくせに、血に飢えているんですね」


 常生はフライパンを可憐に振り回して牽制していた。その動きは完璧でまるで踊り子のような美しさがあった。


「逃げるなら、今のうちですよ……」

「殺る!」


 散華は常生に向かって、容赦なく包丁を振り下ろそうとした瞬間だった。珠記が慌てて散華の腕を掴んだのだ。その瞬間、散華の体が止まる。珠記はそのまま散華を抱きしめて落ち着かせた。


「喧嘩はだめ!」


 珠記は頬を赤らめながら、必死に叫ぶ。そして、常生の方に向き直って真剣な眼差しを向けた。


「珠記さん!その女は敵です!」


 珠記は静かに常生の方へ歩いていく。そして、そのまま常生の頭を優しく撫でる。


「敵なんかじゃないよ?二人は仲よくしてね?」

「は、はい……」


 珠記がにこっと笑うと、常生は頬を赤く染めて俯いてしまう。それを隣で見ていた散華は悔しそうに歯ぎしりしていた。そしてそのまま溜息をつく。


「挨拶が遅れたね。わたしは珠記。今日からよろしくね。常生」


 珠記は常生に向かって手を差し出し握手を求める。それを素直に握り返す常生。


 こうして、新しい住人が加わり賑やかな朝が始まるのだった――


 **********


 散華が朝食を作っている間に、珠記は部屋の案内などを始めた。珠記の家はとてもシンプルな構造になっている。一階にはリビングがあり、台所もある。その奥にはそれぞれの部屋があり、洗面所やトイレも完備されている。こじんまりとした小さな一軒家だ。


「ここが常生の部屋だからね。自由に使っていいよ~」


 珠記は扉を開いて常生に見せると、その部屋はベッドや机など最低限のものしかないが、どことなく女の子らしさを感じさせる部屋だった。


「常生は珠記さんと同じ部屋がいいです」


 常生は頬を赤らめながらもじもじと体を小さくして呟く。


 ガシャーン!


 それと同時に台所から派手な音がした。珠記は状況を察して苦笑いをすると、常生の背中を押して部屋から出してあげた。


 台所では散華が不機嫌そうな表情をして料理を作っていた。


 **********


 朝食を食べ終えて一息ついた後、珠記はリビングで本を読んでいた。


「珠記。ちょっといい?」


 散華に呼ばれて、二人は外に出た。


「どうしたの?」


 珠記は不思議そうに首をかしげていると、散華は深刻そうな表情で話し始める。


「あの子……ちょっと変じゃない?」


 その発言に珠記は目を大きく見開く。そして、その場で考え込んでしまった。確かに常生は少し変わった子だとは思うのだが、改めて言われると本当にそうなのかなと思ってしまう自分もいた。


「さっきのことまだ気にしてるの?普通の可愛い女の子だと思うけど……」


 珠記は散華の言葉に対して素直に意見を述べる。それを聞いた散華は再び眉間にシワを寄せた。


「あのねぇ……だっておかしいじゃない。家族が行方をくらませてるってのにあんなに落ち着いていられる?普通もっと動揺したり泣いたりするもんでしょう。それなのにあの子は珠記に近付いて幸せそうな表情を浮かべてたのよ?」


 確かに散華の言うことも一理あると思った。


「長いこと寂しい思いをしていたからじゃないかな。甘えたい年頃なんだよ。きっと」


 珠記は苦笑しながら答えた。


「いいえ。違うわ」


 散華は首を横に振って否定する。その表情はとても険しいものだった。彼女は鋭い眼光で珠記を睨みつける。


「家族が行方不明になったのは、ほんの三日前よ」


 その言葉を聞いて、珠記は啞然とした。三日前といえば、常生と窓越しで初めて会ったあの日ではないか。


「それってどういうことなの?」


 珠記の疑問に散華が答えることはなかった。ただ静かに目を伏せて何かを考えている様子に見えたのだった。


「気を付けて」


 散華はそう呟くと、ゆっくりと自宅に戻っていくのだった。


 **********


 珠記も自宅に戻ると、常生は持ってきていた荷物の整理をしていた。床に並べられたいくつかの荷物の中身は動物の置物だったり、書物だったりした。珠記は興味深そうに一つ一つ手に取って観察している。


「見たこと無い動物だね。これはなに?」


 珠記は興味津々といった様子で常生に訊ねる。すると、常生は嬉しそうに解説を始めた。


「それは猫という動物ですね」

「ねこ?」


 初めて聞く単語だったが、なんとなく響きが可愛らしいなと思った。


「ここには生息していない動物みたいです。異国の地には多いようで、鳴き声は『にゃ~』とか言ったりします」


 常生は楽しそうに話しながら、一つ一つ丁寧に説明していく。珠記はその話を食い入るように聞いていた。そして、次の質問をする。


「これは全部常生が持ってきたものなの?」


 その質問に常生は一瞬だけ躊躇した様子を見せた。しかし、すぐに答えることにしたようだ。


「いいえ。全てテスタから貰ったものです」


 その瞬間、珠記の表情が変わった。先ほどまでとは違い真剣な眼差しをしている。


「テスタさんって常生と一緒に住んでた人?」


 そう聞かれると、常生はこくりと小さく頷いた。


「よかったら、聞かせてくれないかな?常生のこと」


 珠記は興味津々といった様子で身を乗り出す。常生は少し戸惑いながらも、テスタとの思い出を話し始めた。

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