第22話:幸せとは②

『ソルニャの真の望みは、ドラゴンによって憎いこの世界のすべてを焼き尽くすことです』


『ソルニャの真の望みは、自分の中に積み重なる憤怒と憎悪の連鎖から解放されることです』


「ソルニャ……」


 ソルニャの二つの真の望み。まるで心の望みと感情の望みとでもいうような。ソルニャの本当の望みはどちらかなのかセリにはわからない。いや両方なのかもしれない。その二つの望みは矛盾していないように見えるから。


 彼女は本当にこの妖精界を憎んでいるだろう。そしてこの妖精界を燃やし尽くせば、ソルニャは憤怒と憎悪から解放されることができるのかもしれない。


『そしてソルニャは妖精王の伴侶が好意を抱く者すべてを滅ぼしたいと考えています』


『ですがソルニャはこの考えが間違っていることを知っています。妖精界を焼き尽くすことはソルニャにとって正義ですが、この考えは自分以外の者にとっての正義ではないことを知っています』


 そうだ。その体で『愛』を知って、嫉妬に蝕まれないわけがないのだ。


 そしてアルトが嫉妬を『汚』と表現したように、ソルニャもそれが正しくないと苦悩している。


 セリはそっとソルニャの手をとった。


「ソルニャ、あなたがあなたの環境で生きながら、それでも私に優しくしてくれたこと。無邪気に笑えること。あなたよりも心の強い妖精は、これから先も、絶対に現れないと思う」


『ソルニャの望みは、すべてを壊して楽になることです』


『しかしソルニャの願いは、愛する友を助けることです』


『ソルニャが幸せだと感じることは、愛する友を助け、醜い感情から逃れ、愛だけを感じながら生き続けることです』


 セリは涙が止まらなかった。


 ソルニャの真の望みは、セリの存在で少し違う願いに変わったのかもしれない。滅亡とは違う願い。自分が楽になるではなく、自分が幸せになれる願いに。それが決してセリには認められないものでも、ソルニャが見つけた幸せになる方法だった。


「そんな風に言ってくれてありがとう」


 ソルニャはそう言ってはにかんで見せる。どうしてこんなに無邪気に笑うことができるのだろう。悲しみを知らないから? だが怒りに苛まれて暮らしていたはずなのに、こんな風に笑顔を浮かべられることがどれほどすごいことなのか。


「私はできるならソルニャとここでずっと生きていきたい。言ったでしょう? 愛しているから。ソルニャほど強くて優しい心を持った友人を、愛さずにはいられないから」


「ありがとう。私はセリの幸せを願う。だから……」


『ソルニャはただ一人でいいから、自分の本当の幸せを願う者を望んでいます』


 ――セリも私の本当の幸せを願って。


 震えるような小さな声で、ソルニャが言った。どうしてだろう。悲しみを感じないはずなのに、そこにあるのは哀しみのように思えた。


「ソルニャ……」


 まだ心は決まらない。いや、決められない。きっと永遠に、この問いに対する正しい解をセリが見つけることは不可能だろう。


 だが。


 セリは決めなければならなかった。


 心が悲しみに震える。妖精のように悲しみで死ぬことができるなら、多分今、セリは一度死んだのかもしれない。

 

 ついすがるようにアルトを見てしまう。少し離れた場所で、アルトはセリを心配そうに見つめていた。セリの眼差しに、急いで近づいてこようとするアルト。セリは頭を振ってそれを止めた。


 言いたくない。口にしたくない。きっと口にしなくても周囲には伝わり、そのまま事は進められるだろう。


 だが自分が必ずちゃんと言わなければならない事だと思った。


 ソルニャ、と嗚咽が混じりそうな震える声で、セリはその名を呼ぶ。


「マクスウェルの……次代の生命の樹になることを、あなたに願います」


「はい」


 ソルニャがセリに返してくれたのは、まぶしいくらいに明るい微笑み。


「妖精でいるうちに愛が感じられてよかった。でも私は……本当の『愛』を知ることが向いてないみたい。セリの愛を知ってから、嬉しくて楽しいのに、毎日がこれまでよりもつらくて苦しくてたまらなかった」


 ソルニャはそう言って、まるで貴重な宝石に触れるかのように、セリの涙にそっと指を伸ばした。


「セリ。樹になっても私は生きている。だから時々会いに来て。そして何か話してほしい。私がセリの愛を感じられるように。もう、他の不快な感情にとらわれず、ただただセリの愛で生きていけるように」


「ごめんなさい……」


 涙を流すセリに「謝らないで」とソルニャは優しく言う。


「友達になってくれて、しかも本当に私のことを好きになってくれて、それを表現してくれてありがとう」


 ソルニャはそう言うと、セリの両手をとった。


「セリ、大好き」


 ソルニャはそう言ってセリの手の甲に、フワフワ産毛の頬を押し当てた。


「私も大好き」


 ソルニャ。本当に大好き。初めて出会ったときから好きだった。そして出会ってからほんの短い間なのに、その優しさが途方もない強さからくることを知って、さらに好きになった。


「あのね、セリが愛してくれたことにお返ししたいって思っているの。そういうのも愛だって言ってたよね? くれた愛にお返しできることが本当にうれしい。ちょっと思いついたことがあってね。試してみたいことがあるの。できるかはわからないから、それが何かは今は言わないでおくね」


 そういうソルニャは救われたような表情で笑っている。


 ――セリ。セリのために妖精として最後にがんばるから、見ていてね。

 ――それでセリの悩みが少しは減るといいな。


 セリは涙を流しながら、ただただうなずいた。


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